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オタクと非オタのプロローグ

 グラウンドから練習を始めた運動部のかけ声が響いてくる放課後の倉早(くらばや)学園にて、既に一人きりとなった教室で日直の仕事を終わらせた皆咲穂乃花(みなさきほのか)は大きく伸びをしてからそっと息を吐き出した。

 穂乃花は先端へ向かうにつれ緩く波打った銀色の髪が目立つ色白な少女で、高く通った鼻梁や青い瞳など容姿の端々からは外国の血を感じさせる。

 整った顔に浮かぶ表情がどことなく退屈そうだからか、ぱっと見では少しとっつきにくい印象を受ける少女だ。


「はあ、やっと終わった」


 愚痴めいた独り言を零した穂乃花が日誌を持ち立ち上がろうとしたところ、教室の前方で扉の開く音が響き微かに興奮の滲む表情を浮かべた少年が姿を現した。


 ガラス玉のように澄んだ金色の瞳を持つ彼の名は紫芝海理(ししばかいり)といって、同じ二年三組の生徒ではあるものの穂乃花とは特別仲がいいわけではない。

 なので、穂乃花としては特に気にすることもなくそのまま日誌を定位置の教卓に戻して帰ろうとしたのだけれど。


 海理は穂乃花に視線を向けたまま迷いのない足取りで近づいていくと、彼女の目の前で立ち止まり楽しそうに口を開いた。


「よかった。まだ教室にいたんだな、皆咲」

「え、うん。私、今日日直だし」

「そうか。なら、日直の仕事が終わった後でいいから少し時間くれないか?」

「いいけど、何?」


 いきなり話しかけられた穂乃花はやや戸惑った様子だけれど。

 興奮気味の海理にそれを気にする素振りはない。


「そうだな。詳しことは後で話すけど。端的に言うなら、皆咲には小説を書いて欲しいんだ」


 暫し沈黙が場を満たし、穂乃花は目の前の男が正気なのかを確かめるように細めた目で海理の顔を見やった。


「えっと、ごめん。何で紫芝がそんなことを言い出したのか全然わかんないんだけど」

「ん? ああ、そうだな。流石にいろいろ端折り過ぎた。じゃあ、順を追って説明するけど。まず俺には人の持つ潜在能力と現時点でそれをどの程度発揮できるか視ることのできる特別な眼、真価の眼(トゥルーアイ)があるんだが」


 顔の前にかざした右手の人差し指と中指の間から金色の瞳が覗くようポーズを決めた海理が何とも胡乱な響きの単語を口にすると、穂乃花はそれまでのやり取りを忘れた様子でぽかんとした表情を浮かべた。


 不敵な笑みを浮かべた海理の姿は異能バトル系のアニメや漫画であれば自慢気に自分の能力について語りだした敵役として絵になったかもしれないけれど。

 現実の学校で同級生がいきなりこんなことを言い出せば混乱するのは必至だし、穂乃花が奇行に走る不審者を前にしたような反応を見せたのも無理からぬことだろう。


「え? トゥルー……何?」

真価の眼(トゥルーアイ)だ。この眼に映るお前の姿から、俺は作家としての確かなポテンシャルを感じた」

「何それ。ふざけてんの?」


 いつしか真顔になった穂乃花が平坦な声で応じると、海理は僅かに気勢を削がれた様子で目を強調するポーズをやめ軽く咳払いをした。


「いや、正直ちょっと悪ノリしたのは認めるけど。別にふざけてるわけじゃないぞ。ざっくり言えば、俺にはあらゆる分野の才能が数値として視える」


 やっぱり、穂乃花には海理が正気とは思えないけれど。


 ポーズをやめた後の海理はそれが至極当然のことであるかのように自分の眼のことを語っていて、そこに嘘や冗談の気配は感じられない。


「例えば、そうだな。皆咲のバスケに関する潜在能力は五十程度でこれは特別高くも低くもない値だけど、皆咲は現時点でその潜在能力のうち六十パーセントの力を発揮できる。未経験の人間が六割もポテンシャルを発揮できることは滅多にないから、皆咲にはバスケの経験があると考えるのだが妥当だ。俺の見立て、間違ってるか?」

「合ってるけど……私が中学のときバスケ部だったの、誰かに聞いただけじゃないの?」

「うーん、そう言われると否定しようがないんだが。まあ、最終的に信じる信じないは好きに決めてもらうとして、とりあえず今だけは俺の言ってることが合ってるの前提で話を聞いてくれ」


 確かに、穂乃花は中学時代の三年間をバスケ部として過ごした。

 特別優れた才能を持つ選手ではなかったと言われれば、本人にそれを否定するつもりもない。


 ただ、それで海理の言うことを一から十まで信用できるかと言われればそんなことはないし、彼が穂乃花の中学時代について事前に調べてきたと考える方がまだしも自然だろう。


「ところで、皆咲はラノベが何か知ってるか?」

「え、ああ。弟がそういうの好きだから何となくはわかるけど」

「そうか。なら話は早いが、俺はラノベが好きなんだ。それこそ、僕の考えた最強のラノベを実際に書いてみたいと思う程にな」

「……どうでもいいけど、なんで途中で一人称変わってるの」

「そこは単なる様式美だから気にしなくていいぞ」


 穂乃花からの突っ込みにてきとうな返事をしてから、海理が芝居がかった仕草で悲し気に首を左右へ振り始める。


「だが、残念なことにこの眼で鏡に映る自分の姿を視ても、そこに作家として突出した才能は感じられなかった。どれだけ足掻いたところで、出来上がるのは理想とかけ離れた凡作が関の山だろう。そこで、だ」


 もったいぶるような口調と共に海理の金色の瞳が目の前の一点、穂乃花の顔へと向けられる。


 わざとらしい言動とは裏腹に、どこか切実で余裕のない印象を受ける目だ。

 海理から向けられる視線がこれまでと明確に異なっていたからか、穂乃花も虚を突かれたような表情を浮かべ何も言わずに次の台詞を待っている。


「俺は、俺と違って才能のある皆咲に素晴らしい物語を紡いで欲しい。単なる代替行為と言われればそれまでだが、自分では形にできない自分の書きたかった物語を皆咲の手で形にして欲しいと思っている。小説を書いて欲しいというのは、そういう意味だ」


 冗談みたいな話ではあるが、あながち冗談で言っているわけでもないらしい。

 海理の話についてそのように判断した穂乃花は暫し難しそうな顔で考え込んでから、何か吹っ切れた様子で大きく息を吐き出した。


「ごめん。やっぱり紫芝の言ってることはめちゃくちゃ過ぎてよくわかんない」

「そうか。まあ、元々無理を言ってる自覚はあったし、皆咲がそう言うなら仕方ないな」

「うん、ごめんね」

「仕方ないから、まずはラノベを布教するところから始めるか」


 穂乃花の顔から申し訳なさそうな表情が消え、海理へ向ける視線は呆れと困惑がない混ぜになった冷たいものへと変わっていく。


「ねえ、そこは潔く諦めるところじゃないの」

「うん? そんなわけないだろ。俺はお前にラノベを書いて欲しいんだから、一度断られたくらいで諦めるつもりは全くないぞ?」

「えー……紫芝って、もしかして結構面倒くさいタイプ?」

「否定はしない。そもそも、オタクなんて大抵面倒くさいものだしな」

「いや、これってどう考えても紫芝個人の問題だし主語を大きくして論点すり替えるのどうかと思うけど」


 レッテル張りに厳しいらしい穂乃花の突っ込みを微妙に気まずそうな表情で聞いていた海理はわざとらしい咳払いを挟んでから少々気勢を削がれた様子で口を開いた。


「とにかくだ。皆咲にはいろいろ期待してるし、これからは仲良くしてくれよ」

「そう言われて素直に頷くのはだいぶ抵抗あるんだけど。まあ、紫芝は簡単に諦めそうにないし、本当に小説を書くかどうかは別としてちょっと話に付き合うくらいなら別にいいよ」


 穂乃花の返事を聞いた海理は不思議そうな表情を浮かべながら目を瞬かせ、暫し何も言わずに黙り込んでしまった。

 

「何? 急に黙り込んで、どうしたの?」

「あー、いや、思っていたより好意的な返事が来たんで正直驚いてる。俺の予定だと、この後は現金とか使っていろいろ交渉するつもりだったんだが」

「現金って、そんなこと言い出したら逆に引くし。私は単に、クラスメイトが趣味の話をしてるのを聞くだけなら、そんなに身構えることもないかと思っただけ」

「それをだけって言えるのは俺が思ってたより皆咲の懐が深いのか……まあ、なんでもいいか」


 相好を崩した海理は気の抜けた様子で息を吐き出してから、持っていた鞄からブックカバーのついた文庫本を取り出した。


「じゃ、とりあえず来週までにこれを読んできてくれ」

「うわ……早速自分の言ったことを後悔してきたんだけど」

「心配するな。皆咲にはラノベを書くという崇高な使命が待ってるんだ。すぐに俺と同レベルのオタクにせんの……じゃない。ラノベの面白さに気づかせてやる」

「ねえ、今洗脳って言いかけた? 言っとくけど、本気で嫌になったらそこで付き合うのやめるからね?」


 やっぱりちょっと引いた様子の穂乃花と妙な自信だけは感じられる海理のやり取りは噛み合っているかというとそうでもなくて。

 暇潰し感覚の穂乃花と本気でラノベを書かせるつもりの海理では見ている先もきっと異なっているのだろうけど。


 結局、二人の生産的とは言い難いぐだぐだとしたやり取りは下校時刻を告げるチャイムの音が鳴るまで続いていた。

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