第三話 未知のバクテリアと念動力の覚醒
ゾウリムシの群れを破り、食糧供給が安定した幸田は、その後、数ヶ月にも及ぶ学習と修練に時間を費やした。原生生物の動き、水流の法則、【水流操作】の精度向上。彼の知性は、ミジンコの肉体を遥かに超えた速度でスキルを磨き上げていった。
ある日、幸田は藻類群生地の奥深く、これまで踏み入れたことのない、水底の泥が堆積したエリアに到達した。そこは水の色が濃い茶色に濁り、不気味なほどの静寂が支配していた。
『【危機察知】D-発動! 致命的脅威! 生体防御の無効化を確認!』
警告音が鳴り響く直前、幸田の複眼は、目の前で起こった異様な光景を捉えた。僅かに落ちてきた微細なデトリタス(有機物片)が、茶色の濁りに接触した瞬間、まるで炎に焼かれるように、瞬時にドロドロと溶解したのだ。
それは、特定の菌類や藻類が大量発生することで生じる、高濃度の毒性バクテリアのコロニーだった。このバクテリアは、ミジンコの甲殻や細胞膜を破壊する強力な溶解毒を水中に放出し、巨大な「毒の雲」を形成していた。
「だめだ、あれは触れたら終わりだ。ヒドラの毒とはレベルが違う!」
幸田はすぐさま【高速移動】で後退しようとするが、背後から急激な水流が発生し、彼の体を毒の雲の中心へと押しやった。別の原生生物が、幸田を餌として毒の雲に誘導しようとしているのだ。
『ダメージ警報! 甲殻溶解開始! -1%HP/秒!』
溶解毒がミジンコの甲殻を蝕み始め、幸田は激しい痛みと共に、体が熱を帯びていくのを感じた。このままでは、数秒で彼の体は溶け落ちてしまう。
【尾棘アタック】では毒に触れることで自身を溶解させる。【水流操作】は、バクテリアの巨大な雲を押し返すほどの力はない。あらゆる物理的な手段が封じられた、絶望的な状況。
「くそっ、何かないのか! 触れずに、この毒を、この水をどうにかする方法は!」
幸田の脳内は、前世から受け継いだ「どうすればこの状況を打開できるか」という本能的な計算だけで満たされた。物理的な肉体での対策がないなら、精神力で介入するしかない。彼はミジンコの小さな体にある、前世の人間としての知性(Will)の全てを、周囲の「水」そのものに集中させた。
『精神力極限集中を確認。特殊な条件達成。』 『ユニークスキル:【念動力(F-)】を獲得しました。』
その瞬間、幸田の生死をかけた極限状態の意識と周囲の水の間に、見えない回路が開いた。毒の雲に最も近く、彼の甲殻を溶かし始めていた水滴が、ほんのわずかだが、彼の意思に従って外側へ「動いた」のだ。
「これだ! 触れずに押せる……!」
幸田は、新しく得たばかりの【念動力(F-)】の全てを、体を押し込んできた水流の発生源、すなわち背後の原生生物の方向へ向けた。小さなミジンコの意識が生み出す力は、蚊の羽音ほどにも満たない微弱なものだったが、原生生物の体勢を崩すには十分だった。
背後から押していた原生生物(小型のアメーバのようなもの)は、予想外の抵抗に動きを止め、その隙に幸田は、毒の雲の縁を、念動力で作り出した「水流の隙間」を通って脱出した。
毒の雲から離脱した幸田は、瀕死の状態で水草の陰に隠れた。
『戦闘終了。討伐失敗。しかし、生存戦略を成功させ、新スキルを獲得。』 『ユニークスキル:【念動力(F-)】
•【念動力(F-)】:自己の精神力を消費し、周囲の極めて微細な物体(水分子を含む)に干渉し、操作する。遠隔からの防御、操作が可能。』
甲殻は半分近く溶け、体力の回復には数日を要するだろう。しかし、幸田の瞳、巨大な複眼の奥には、確かな光が灯っていた。
【念動力】。これは、単なるスキルではない。彼が人間として培った知性、精神、そして意志が、この異世界の法則の中で初めて形を得た、「チート」と呼ぶにふさわしい真の第一歩だった。
「人間への道は長い。だが、武器は揃ってきたぞ……」




