第二十三話 別れと、一筋の光
幸田博(導師コウダ)がネオ・コウダの街を歩くのは、これが最後になるだろう。
彼の姿は、200年前、彼が初めて人化スキルを使った時と同じ、25歳ほどの黒髪の若者だ。彼の顔は、穏やかで、しかしどこか遠くを見つめていた。彼の周りを囲むのは、この街の最高指導者である「オサ」の十代目、そして「巫女」の血を引く、彼が最も信頼する研究者たちだった。
人々は、彼が遠い知識の根源を求める旅に出ることを知っていた。幸田は、彼らが不安にならないよう、常に笑顔で接した。
「コウダ導師。本当に、戻ってきてくださるのですね?」
巫女の血を引く、若き天才魔術師「アカリ」が、不安を隠せない瞳で幸田を見上げた。彼女の祖先は、幸田が初めて文字を教えた「ハナ」の子孫である。
幸田は、アカリの頭を優しく撫でた。その手は、かつて巨大な竜の爪であったことなど、微塵も感じさせない、温かい人間の手だった。
「もちろんだ、アカリ。俺は、この世界がどうなっているか、その『真理』を見つけるために旅に出る。そして、必ず、お前たちが知りたがっている『星々の知識』を持ち帰ってくるよ」
幸田の言葉は嘘ではなかった。彼は地球に帰還するが、それが成功すれば、彼はもはや次元間の移動を自由に行える。彼が創り上げたこの文明は、彼の家族であり、彼は彼らを置き去りにするつもりはなかった。
「お前たちが作ったこの街は、美しい。そして、お前たちの知恵は、俺の想像を遥かに超えた。次は、お前たち自身の力で、この文明をさらに進化させていくんだ。俺が教えた教えを、忘れないでくれ」
幸田は、彼ら一人一人と抱擁を交わした。その胸の内には、彼がミジンコとして耐え忍んだ長い年月の孤独よりも重い、別れの哀しみがあった。彼らが、彼が初めて言葉を教えた類人猿の子孫であるという事実は、彼にとっての何よりの絆だった。
「ありがとう、俺の家族たち」
幸田は、ネオ・コウダの中心にそびえ立つ、彼の研究室がある「導師院タワー」の最上階へと向かった。この高層ビル全体が、彼の設計した【時空炉】の巨大な起動装置だった。
研究室の床には、彼の理論に基づいて刻まれた、複雑な次元転移魔法陣が輝いていた。それは、この世界の魔術と、地球の科学記号が混ざり合った、幸田博にしか理解できない究極の融合技術だった。
幸田は、竜体で鍛え上げた強靭な体(人化スキルで再現された)の中心にある、【仮初めの神】としてのエネルギーコアに意識を集中させた。
「やるぞ。ミジンコから始まり、この長い年月の旅の、最終決戦だ」
彼は、魔法陣の中央に立ち、静かに時空炉の起動コードを詠唱した。それは、この世界の言葉ではなく、地球の英語を基礎としたC言語に近い、魔力制御の構造化プログラミング言語だった。
幸田が詠唱を終えた瞬間、導師院タワー全体が、まるで巨大な雷鳴を上げるかのように轟音を響かせた。
【空間把握(S)】が発動。彼の脳内に、この世界の時空の座標軸が、複雑な螺旋状のグラフとして展開される。同時に、はるか遠く、彼の故郷である地球の座標が、光り輝く点として明確に特定された。
【炎の抱擁(S)】が最大出力で起動。幸田の体内にある魔力炉から、純粋な熱エネルギーが炎の奔流となり、魔法陣へと注ぎ込まれた。
魔法陣は、ネオ・コウダの夜空を昼間のように照らし出す、純白の光を放ち始めた。高層ビルの窓ガラスは魔力の奔流に耐えきれず、次々と砕け散る。しかし、幸田は動じない。これはすべて、彼の理論通りの、次元の壁を破壊するためのプロセスだった。
『時空の連続体の障壁に亀裂が発生!』
研究室の空間が、ガラスが割れるような音を立てて歪み始めた。眼前の高層ビルやネオ・コウダの街並みが、水彩画のように滲み、溶け始める。
幸田は、最後に一度だけ、窓の外を見つめた。人々が避難し、不安そうに空を見上げている。その中には、アカリの姿も見えた。
「心配するな。俺は、必ず帰る」
幸田の体が、魔法陣の光に完全に包み込まれる。熱と光の渦が、彼のすべてを吸い上げ、そして、彼の意識が、この世界のすべての物理法則から切り離される、無の時間へと突入した。
『超次元転移、実行。』
ネオ・コウダの街を見下ろす導師院タワーの最上階から、夜空に向かって、一本の虹色の光の柱が噴き上がった。それは、長い年月を旅したミジンコの軌跡が、故郷へと向かう、希望の一筋の光だった。
光が消えた後、タワーの最上階には、幸田の姿も、そして彼の研究室にあったすべての機材も、跡形もなく消え失せていた。
彼が残したのは、彼が築き上げたネオ・コウダの文明と、そして「いつか導師コウダが持ち帰る、星々の知識」を信じて、未来へと進む人々の希望だけだった。
『転移成功。目標座標:太陽系、第三惑星……』




