第十七話 炎獄竜、降臨
翌朝、集落の類人猿たちが洞窟から這い出てくると、目の前の光景に凍り付いた。集落の広場、前夜まで火を囲んでいた場所のすぐ隣に、体長5メートルを超える巨大な鹿に似た獣の死骸が横たわっていた。その喉元は、まるでレーザーで切り裂かれたかのように、鋭く焼けていた。
そして、その巨大な獲物の上空、わずか数十メートルの位置に、黒曜石のような鱗と、灼熱の炎を内包した瞳を持つ、炎獄竜が静かにホバリングしていた。幸田博、イグニス・ドラゴンだ。
類人猿たちは、本能的な恐怖に駆られ、叫び声を上げながら洞窟や粗末な雨除けの中に逃げ込もうとした。
しかし、彼らの「ボス」だけは、その場に立ち尽くした。彼は本能的に、この巨大な生物が「自分たちを圧倒する、絶対的な強者」であることを理解したのだ。ボスの喉からは、恐怖と服従の入り混じった唸り声が漏れた。
幸田は、竜の低く響く声で、心の中で語りかけた。
「怖がるな。俺は、お前たちを導く者だ」
そして、彼の巨大な竜の口から、誰も聞いたことのない音が発せられた。
「ワ・ケ・ロ。」
幸田は、その言葉を何度も繰り返した。同時に、竜の爪で、獲物の肉を切り裂き、最も美味そうな部位をボスの足元へと優しく落とした。【念動力】の微細な制御だ。
ボスは、肉と竜を交互に見つめ、理解できないまま、震える手で肉に触れた。この数日の間に、同様の「贈りもの」が何度か繰り返され、類人猿たちは、この恐ろしい
「火と力の巨大な存在」を「恐怖すべき、しかし生存に不可欠な神」
として認識し始めていた。
幸田は、この時点から、集落の全員に名前を付ける作業を開始した。彼の目的は、まず個の認識と対話の基礎を築くことだ。
ボスには、「オサ(長)」。 次に力のある雄には、「チカラ」。 火の管理をする雄には、「ヒモリ」。 そして、一人の賢そうな雌には、「ハナ」。
毎日、幸田は集落の上空に現れ、竜の巨体から発せられる圧倒的な威圧感をもって、彼らに日本語の単語を教え始めた。
「ミズ(水)。」 「ヒ(火)。」 「ニク(肉)。」 「ネムリ(眠り)。」
最初はただの音として認識されていた言葉は、数ヶ月後には、特定の概念と結びつくようになった。幸田は、集落の土の地面に、竜の爪を使い、巨大なカタカナを刻んだ。
「ア。」 「イ。」 「ウ。」
それは、この世界における文字の誕生だった。幸田は、人類の歴史を数百万年スキップさせ、言葉と文字という、文明の根幹を一気に押し付けたのだ。




