第三編 天空の覇者と文明の邂逅 第十六話 石と火、そして絶望的な出会い
数日間の飛行の後、幸田博は、巨大な青緑の森の切れ目に、不自然な灰色の斑点を見つけた。それは、自然の造形物ではない。彼はその場所へと高度を下げ、上空数百メートルで静止した。
竜の目、【炎獄眼】が発動する。これは【空間把握】と【念動力】の複合スキルであり、遠方の対象物を熱感知、超精密視、そして運動予測の三つの次元で分析する、幸田の最高性能の観察眼だった。
「煙……やはり、知的な活動の痕跡だ」
高性能な竜の視界は、木々の陰に隠れた極めて原始的な集落を捉えた。それは、岩を積み重ねただけの洞窟の入り口と、木の枝と巨大な葉を雑に組み合わせた粗末な雨除けが数棟あるだけの、小さな集落だった。
そして、その集落で生活する彼らの姿を捉えた瞬間、幸田の胸に強烈な落胆が突き刺さった。
「これは……人類? いや、違う。地球でいう、ホモ・エレクトスか、それ以前の段階だ」
そこにいたのは、直立歩行をするが、まだ毛深く、額が後退し、表情筋がほとんど発達していない、地球の石器時代の類人猿だった。彼らは、幸田が思い描いていた「異世界の文明人」とは程遠い、ただ生きることに特化した動物群だった。
【集落の様子と生活】
•コミュニケーション: 言葉は存在しない。彼らの口から出るのは、喜びや怒りを示す単純な叫び声や、獲物の場所を示す指差し、そして胸を叩くなどの原始的なジェスチャーのみ。
•社会構造: 群れの中央には、一回り大きく、筋肉質な雄が座っていた。彼が『ボス(アルファ)』だ。ボスの命令は、威嚇的な唸り声と拳を振り下ろす動作で伝えられ、群れのメンバーはそれに従うことで、集団の秩序を保っていた。
•道具: 彼らが手にしているのは、握りこぶし大のただの石か、先端を尖らせただけの木の棒。石は獲物の頭を砕くか、肉を切り裂くための刃物として使われていたが、その加工技術は極めて粗雑で、使い捨てに近い。
幸田は、彼らが「人類」ではなく「類人猿」であると結論づけた。彼らは文字通り、地球の
石器時代、それも初期の段階にある存在だった。
【狩猟の様子】
昼が近づくと、ボスを含めた体力のありそうな雄の数匹が、集団で森へと向かった。
幸田は、彼らが小型の草食獣を狙っていることを、竜の目を通して確認した。
1.連携: 狩りはチームで行われた。数匹が前に出て獲物を追い詰める「勢子役」となり、二匹が後ろから岩陰に隠れて「待ち伏せ役」となる。この連携は、驚くほど効率的だが、それは本能的な動きであり、作戦と呼べるほどの知性は見られなかった。
2.武器の使用: 獲物が待ち伏せ役に近づくと、彼らは唸り声を上げて飛び出し、手に持った石の塊を投げつけるか、木の棒で叩きつけた。石は狙いが定まらず、木の棒は一撃で獲物を仕留めるほどの破壊力はない。
3.成功と失敗: 狩りは数度の失敗を経て、最終的に一匹の小型獣を仕留めた。成功の瞬間、彼らは興奮した叫び声を上げ、ボスは仕留めた獲物の上で胸を叩き、自分の強さを示した。
幸田は、彼らの原始的な狩りの様子を観察し、ため息をついた。
「これでは、この星の進化はいつになることか……次元魔法どころではない。まずは、この者たちに、文明の火を灯さなければならない」
【火おこしと調理の様子】
狩りが成功し、獲物を集落に持ち帰ると、次に彼らが向かったのは、集落の中央にある火の残り火だった。
•火の維持: 彼らは火を絶やさないよう、常に誰かが薪をくべる当番制を敷いていた。これは、火を「生きた宝」として認識している証拠だ。
•火おこし: ボスが火を絶やしてしまった場合、一人の類人猿が乾いた木の棒を、別の木の板に擦りつけるという原始的な方法で火をおこそうとしていた。幸田の目には、その労力が痛々しいほどに映った。煙は上がるが、炎はなかなか生まれない。幸田なら【炎の抱擁】で一瞬で済む作業だった。
•調理と食事:
o獲物の肉は、まずボスによって切り分けられた(切り裂くのも石の刃)。ボスは最も肉厚で血の滴る部分を手に取り、次に狩りに成功したメンバーが分け与えられ、最後に雌と子どもたちが残りの肉を得るという厳格な順序があった。
o調理は極めて単純だ。肉塊を火の周りの石に置くか、木の枝に刺して火にかざすだけ。肉の表面はすぐに焦げるが、中はまだ生で、血が滴っている。
o彼らは、熱された肉を貪るように食べた。咀嚼音と骨を砕く音が響き渡り、その食事風景は、生存競争の縮図そのものだった。火で熱した肉を食べるという行為が、彼らの知能を少しずつ上げている証拠でもあったが、その進化のスピードはあまりにも遅かった。
幸田は、上空でそのすべてを観察し終えた後、深く、深く、失望した。
「言葉がない。文字がない。技術がない。哲学も、芸術もない。彼らは、俺が求めていた『文明』ではない……。彼らと対話して、次元魔法の知識を得ることは不可能だ」
幸田は、この絶望的な現実に打ちひしがれた。この星で人間としての対話相手を見つけるという、かすかな希望が打ち砕かれたのだ。
しかし、ミジンコとして長い年月を生き、幼生として100年を修練に費やした幸田博の意志は、すぐに立ち直った。
「落胆している暇はない。俺が求めているのは、この世界の文明レベルではない。『帰還』だ。そして、次元魔法を習得するためには、知的な存在から知識を得るのが最速だ」
彼は、目の前の類人猿たちを改めて見下ろした。彼らは、火を使い、チームで狩りをする、進化の途上にある、最も可能性を秘めた種だ。
「この種の進化を、俺が加速させる。地球の人類が数百万年かけて築き上げた文明を、俺の知識と力をもって、100年に短縮してやる」
幸田は、炎獄竜の瞳に、決意の炎を灯した。
「最強の炎獄竜であり、元サラリーマンの幸田博として、俺はこの世界の神となる。文明を創造し、知的な対話相手を作り、そして次元魔法の鍵を手に入れる!」
彼は、その巨大な竜体を静かに森の上空へと後退させた。
「まずは、彼らに恐れと敬意を教えなければならない。そして、言葉を教え、火の制御を教え、道具の作り方を教える。接触は明日からだ。人類の進化の歴史を、俺が一人で巻き戻してやる」
幸田の孤独な文明創世の試練が、今、始まろうとしていた。




