第十四話 百年の修練、そして竜の目覚め
1メートル転移の成功から、さらに百年という途方もない歳月が流れた。
幸田博は、この100年間、休むことなく捕食と修練を繰り返した。彼の水陸両用幼生としての体は、もはや元の姿をとどめていなかった。体長は優に5メートルを超え、その姿はまるで、伝説上の生物を思わせるほどに巨大化していた。
彼は、この100年間で、数十万もの巨大な両生類、爬虫類、そして小型の哺乳類を捕食してきた。森の奥深くで巨大な熊を【フレイム・トレース】で焼き殺し、山岳地帯で鷲の群れを【ソニック・ブレード】で撃退した。その体は、傷だらけになりながらも【再生(S-)】が常に彼を死の淵から引き戻し、そして進化の糧としてきた。
【炎の抱擁(A)】は、数多の戦闘を経て、Sランクへと到達していた。彼の口から放たれる炎は、もはやただの火炎ではなかった。それは、周囲の空間すら焼き焦がし、岩石を溶かすほどの純粋な破壊の熱線と化していた。
そして、【空間把握(B-)】もまた、Aランクへと昇華していた。1メートル転移の成功から、彼は徐々にその距離と精度を高めていった。数メートル、数十メートル、そして数百メートル。彼の転移は、もはや無作為な着地ではなく、目標地点に正確に着地できるまでになっていた。戦闘中にも、敵の攻撃を避けるために瞬時に転移する芸当を身につけ、もはや彼に物理的な攻撃を当てることは不可能に近かった。
しかし、彼の精神は、常に故郷への帰還を求めていた。
幸田は、その日、これまでで最も巨大な獲物を仕留めたばかりだった。それは、山脈の奥地に生息する、全長20メートルに及ぶ古代の巨象、タイタン・ベヘモス。分厚い皮膚と岩石のような牙を持つその獣を、幸田は【フレイム・トレース】と転移能力を組み合わせた立体的な奇襲で、致命傷を与え、体内の核を捕食した。
タイタン・ベヘモスの核が体内に吸収された瞬間、幸田の目の前に煌びやかなウィンドウが現れた。
『進化条件を完全に満たしました。』
『種族:水陸両用の幼生(Salamander Larva)の限界を超越します。』
『種族進化:【ドラゴンの幼生(Wyrmling Draconis)】』
幸田の体内で、核の膨大なエネルギーと、100年間の経験値が、爆発的な化学反応を起こした。全身の骨格が悲鳴を上げ、皮膚が裂けるような激痛が彼を襲う。両生類だった彼の体は、炎と空間の歪みに包まれ、光の繭となって硬直した。
ガアアアアアアアアアアアア……ッ!
数分後、光の繭が砕け散る。
その場に横たわっていたのは、以前の巨大な両生類の面影を残しつつも、遥かに洗練された、全長約6メートルの堂々たる竜の幼生だった。
幸田の体は、深淵を思わせる暗黒色の鱗で覆われていた。それは光を吸収し、その表面を、炎の深紅の紋様と、空間魔法の微かな銀色の光線が、血管のように脈打っていた。体表の温度は極めて高く、周囲の岩石は熱でわずかに揺らめいている。
背中には、以前はなかった小さな二対の翼が生えていた。まだ未発達で、羽ばたくには頼りなく見えるが、膜は星空のような銀色に輝き、その形状は猛禽類のように鋭い。
そして、胸元。彼の急所である心臓を守るように、一本の逆鱗が埋め込まれていた。それは手のひらほどの大きさの純銀の菱形の鱗で、他の黒い鱗とは一線を画し、わずかに反り返っていた。それは彼の存在の核であり、唯一の弱点であるかのように、周囲の光を反射していた。
新しい体で、幸田は立ち上がった。四肢の爪は岩を砕くほどに鋭く、全身の筋肉が圧縮されたエネルギーで満ちているのを感じた。
「これ……が……」
彼は、新しい口を開き、声を上げようとした。ミジンコ、両生類と進化してきた幸田は、これまでシステムに話しかけることしかできなかった。しかし今、彼の喉の奥から、空気を振動させ、意味を伝える音が出てきた。
「……オレは、幸田博だ」
その声は、深みのあるバリトンの響きを持ち、百年の孤独な戦いと知性が凝縮された、人間としての自我を確かに持つ声だった。彼は、自身の声を聞き、あまりの感動に、思わず目頭が熱くなった。
「喋れる……! 俺の言葉だ! やっと、この世界と対等に、会話ができる……!」
そして、幸田は背中の翼に意識を集中させた。
『ユニークスキル:【飛行(B)】を獲得しました。』
『【炎の抱擁(S)】と【空間把握(A)】が、種族特性と統合されます。』
幸田は、新しいスキルを試すように、地面を蹴った。
ドォンッ!
彼は地面から飛び上がり、小さくとも強靭な翼を力強く羽ばたかせた。最初は不安定だったが、すぐに空間把握の能力が、空気の流れと、翼が作り出す揚力の歪みを瞬時に計算し、彼の体を制御した。
ビューンッ!
幸田は、生まれて初めて、自分の力で空を飛んだ。
体長6メートルの巨体でありながら、彼は風を切り裂き、今まで遥か頭上にいた空域へと昇っていく。眼下には、彼が100年間戦い続けた森と沼地が、まるでミニチュアのように広がっている。
「これが……空だ! 風だ! 地上から見上げていた、遥かなる空の景色だ!」
幸田の胸に、かつて感じたことのない、絶対的な自由の感覚が満ち溢れた。孤独なミジンコから始まり、両生類として水辺を這い回り、空の脅威に怯えていた日々。その全てが、この一瞬で報われた。
彼は、雄叫びを上げた。それは、人間としての喜びと、竜としての威厳が混ざり合った、この世界への勝利宣言だった。
「待ってろよ、前世の世界! 俺は、この力で、必ず帰還する!」
ミジンコの軌跡は、ついに伝説の生物へと至った。幸田博の次元を超える旅路への挑戦が、今、幕を開ける。
『種族:ドラゴンの幼生(Wyrmling Draconis)』
『ユニークスキル:【炎の抱擁(S)】、【空間把握(A)】、【再生(S-)】、【飛行(B)】他、多数。』




