第十話 炎の選択と進化の誘惑
水陸両用の幼生(Salamander Larva)へと進化してから、季節は二度巡った。幸田は、もはや体長6センチを超える堂々たる体躯となっていた。彼の生存戦略は洗練され、水中の捕食者でありながら、陸地の世界も視野に入れ始めていた。
彼の狩猟範囲は、水草の茂みから水面に広がるアシの根元、そして浅い泥の中へと広がった。水中で【ソニック・ブレード】と【体内キャビテーション】でタガメの幼虫やヤゴを狩り、陸上では細い四肢を使って地上を這い、水に落ちた昆虫や小型のミミズを捕食した。A+ランクの【再生】は、多少の傷ならば一瞬で治癒する絶対的な保険となり、彼の探求心を刺激した。
しかし、彼の進化への道のりは、相変わらず果てしなかった。
そして、ある雨上がりの夜。水辺の石の上で休息していた幸田の意識に、まばゆい光のシステムウィンドウが唐突に現れた。
『進化条件が、中間レベルアップの閾値を達成しました!』 『種族:水陸両用の幼生(Salamander Larva)の基礎能力が向上します。』 『このレベルアップに伴い、新たなユニークスキルを獲得可能です。』
幸田の目の前に、半透明の選択ウィンドウが展開された。それは、彼がケンミジンコ時代に培った知性と、現在の種族の特性を考慮して選び抜かれた、三つの強力なスキル候補だった。
【スキル選択】
1.【水盾(B)】瞬時に周囲の水を操り、自身を完全に隠蔽する水の鎧や分身を作り出す。
2.【水盾硬化外皮(B)】体表の皮膚を一時的に硬質な装甲へと変化させ、物理防御力を大幅に向上させる。
3.【炎の抱擁(C)】体内で生成したエネルギーを火炎として外部に放出する。地上での攻撃に特化。
「これは……選択制か」
幸田は、水中の世界に生きる自分にとって、最も理にかなった選択肢を考えた。
1.【水遁(B)】。ケンミジンコ時代から続く【水流操作】の究極形。水中での生存能力を飛躍的に高め、大型魚や水鳥からの回避を完璧にするだろう。安全、確実。
2.【硬化外皮(B)】。陸上での捕食者(蛇や哺乳類)から身を守るための、最高の防御スキルだ。彼の弱点である、進化後の柔らかい皮膚を補う。現実的、合理的。
そして、3.【炎の抱擁(C)】。
「火……だと? 両生類で、水中で生きている俺が、火の魔法だと?」
幸田は、その選択肢に強烈な違和感を覚えた。両生類は皮膚呼吸のため常に湿っていなければならない。火は、彼にとって最も相性の悪い、文字通り「天敵」ともいえる元素だ。しかし、彼の人間としての記憶が、その矛盾した選択肢に強く惹かれる理由を囁いた。
「水遁は逃げるためのスキルだ。硬化外皮は守るためのスキル。だが、【炎の抱擁】は、俺の存在そのものを、この世界の法則から逸脱させる力だ」
水中で最強の捕食者となったとはいえ、水から離れれば彼は無力に近い。陸上でも、水中でも最強となるためには、既存の生物の枠を超えた力が必要だ。水に打ち勝つ力。それが、火だ。
彼は前世で、平凡なサラリーマンだった。しかし、この異世界で、ミジンコから始まり、知性と意志の力だけで進化を遂げてきた。その根源にあるのは、「普通」を拒絶し、「最強」を目指す意志だ。
「両生類が火を吐く。それは、この世界の生物の常識から外れている。だが、だからこそ意味がある。この火は、俺の人間としての知性の炎だ!」
幸田は、全身の細胞が沸騰するような、圧倒的な高揚感を覚えた。水に逆らう力。それは、進化の限界を打ち破るための、究極の武器になるかもしれない。
彼の新しい四肢が、水辺の泥を強く掴んだ。
「選ぶのは、この世界で誰も選ばない、最強への茨の道だ!」
幸田は、迷いを振り切るように、【炎の抱擁(C)】を指し示した。
『ユニークスキル:【炎の抱擁(C)】を獲得しました。』
『体内でエネルギーの再生成を行います。』
システムからの通知と同時に、幸田の体内で、これまで感じたことのない、熱と圧力の塊が生成された。それは、彼の【念動力】が作り出す超音波の力とは全く異なる、純粋な破壊のエネルギーだった。
幸田は、新しいスキルを試すため、水辺から顔を出し、陸地に向け、意識を集中させた。喉の奥から、高熱のエネルギーが圧縮され、口元へと集まってくる。
ヒュッ……
次の瞬間、幸田の口から、まるで線香花火の火花のように、微量の、しかし確かに熱を持つ小さな火炎が放出された。火炎はすぐに消えたが、それが着弾した枯れ葉は、わずかに焦げ付いていた。
「成功だ……! これが、俺の火の力……!」
水陸両用の幼生として、火魔法を操る存在。幸田博は、ミジンコの軌跡を辿りながら、この異世界の生態系に、完全に異質な「突然変異」として君臨し始めたのだ。




