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 心静かに、カナリアへ祈りを捧げる。

 それは此処に通う者ならば誰しもが行わねばならない毎朝の儀だ。金糸雀…この王国の歴史の始まりを示すシンボルを繊細緻密に表現したレリーフは学園内に幾つも、しかしその存在感を故意に隠すようにひっそりとした愛らしい装飾として存在している。

 カナリアは、我が王国を象徴する平和のかたちをした鳥であり。王国の名であり。代々の女王に冠せられる、王国の全てに等しき意味ですらあるのだ。カナリア女王を尊ぶことはこの国で浸透し切った常識で、神などよりもその優先度は上の上。一部の過激な宗教団体などは「カナリア女王以外を崇拝する者は許さない」と言う姿勢から他国の宗教を拒絶する者もおり、数世代前から様々な活動を行う姿が見えたりなど。時に暴走する信徒を生み出してしまう程の危うさをも生む程、尊ぶべきこととして長い歴史を兼ね備えた概念でもあった。


 リドミナ学園内、礼拝堂。

 ここは、学園の中で最も美しいカナリア……鳥のかたちをした概念ではなく、初代カナリア女王が歌う姿を模した聖像が。周囲の座席より数段上にある祭壇の中央部に凛とした表情で、この学園が設立された当初から一切の朽ちも錆も老朽化も見せぬ白さで、佇んでいた。

 誰かを断罪するでもなく、非難するでもなく。初代カナリア女王の聖像は、この魔術学園の生徒全ての罪を「受け入れる」ことを目的に佇むのだ。欲が無ければ、人は生きていけない。自身の中に存在する人として当たり前の欲望を肯定しなければ自己の成長は難しい……生きるにも死ぬにも人を苦しめる様々な欲、そんな罪深い欲をカナリア女王はいつでも引き受けてくれる。欲を持つことは枷ではない、未来ある若者が自分を信じて前へ進めるように。


「これは、貴様へ対する最後の慈悲だ」


 ……だから。

 今この時もこの礼拝堂で行われている全ての様子を。女王の聖像は見守っていた。昔に比べ、信仰心を清らに持つ者が減ったとしても。王家をよく思っていない者がいたとしても。

 例え、この神聖なる礼拝堂が人間同士の断罪の為に使われようと、今まさに言葉を紡ぐ生徒が壇上に上がっていようとも。女王の聖像は全てを見守るのだ。それら全ての瞬間から生まれ出でる罪を、一手に引き受ける為。


「エリーゼ・リース。懺悔の時間をくれてやる。貴族としての矜持がまだ残っているならば、その聖像の前で罪を告白するがいい」


 壇上。

 そこはまるで、円形劇場の中心だ。少し高い位置にあるこの祭壇は、その四方を囲むように座席が配置されている。普段ならば、朝の礼拝の時間に生徒1300人全員がきっちりとその座席を埋め、黙祷を行う為に使われるのだが。今この時だけは、学園の中で一番の異様な雰囲気を携えていた。

 怒りを伴った男の声が座席から壇上に向かい響いたかと思えば、それに便乗するかのように四方から野次が飛んでくる。生徒全員、とは言えない数ではあるが、それでも数百人が今この場に集い。壇上にただ一人立つ、真紅の瞳と髪の持ち主である女生徒に対して突き刺すような視線を向けている。

 ルビーをそのまま目玉に埋め込まれたかのように、彼女の目の中には境界線が一切無い。角膜、結膜、瞳孔…まるでその全てが溶けて癒着したかのように。髪色も燃えあがる炎のように美しく、そしてそれ故に毒々しくおぞましい紅き色。どこを見ているのかさえわからない、その人を外れたような目で、周囲をぐるりと見渡し。そして、全てを嘲笑う。束になって雑音を出す人間のことなど何とも思っていない、呆れにも近い冷笑。


 エリーゼ・リース。

 そこに立つ彼女の名は、生まれいでし時より変わりは無く。その名を食うかのように大きくなった彼女自身の個性もまた、突き刺す程の輝きを聖像の前で魅せていたのである。


「罪なんてないさ。強いて言うなら、求めすぎることを才能としたアタクシの飢え。そればかりはどうしようも無いさねえ」


 ああ、無様なものだ。しかし一切の悔いも無し。彼女は笑い、そして終わりを覚悟した。

 太陽に愛された証である小麦色の肌、一族からも触れて貰えぬ強烈な個性、貴族の女とは思えないと勝手に言われた乱雑切りのベリーショートヘア。伯爵令嬢の肩書きに釣り合わぬ見目、幾度と皮肉を投げかけられたこの存在が、一番美しく輝く瞬間がこの聖像の真下だとは。

 これが悪を気取っていた自分への罰とやらか。一番憎らしかったあの女がいない場面でこんな舞台が整えられるとは、暇人どもと来たら他にやることが無かったのだろうか。

 こんな場を繕われたところで、何も思い通りに変えられないことを知る脳が無い時点で学力の層が知れてしまうのではないだろうか。


 ――この、飢えたエリーゼに向かって、この程度で辱めようなどと思考するとは、片腹痛い。


「欲しい物を欲しいと言って、何が悪い。その為に奪い取ろうとすることの、何が悪い。アタクシはあの女が憎らしかった、目の前に存在するだけで苛ついた。嫌悪した。だから排除し、欲しいものだけ奪おうと思った。その行為に反省も懺悔もありゃしないさ!相容れない存在を視界から排除すること、それ自体は正当性があるだろう?」


 エリーゼ・リースという女生徒は。今この時、罵声を浴びながらも自信を全身に貼り付けた高飛車な態度で、なおも震えることなく。芯を持った言葉で数百の生徒と対峙していた。

 平時より学園内でも連なる彼女の悪評が更に加速し、今日に繋がるまでにはたった一人の女生徒の存在が強くあった。

 

 平民生まれの、ヒイロ・ライラック。


 比較的最近、魔術の才能を貴族階級の生徒に見出され。その推薦で中途入学を行った平々凡々な女子。どういうわけか、彼女が中途入学をしてからと言うもの、エリーゼ・リースという悪女はひっきりなしに彼女に対してちょっかいや嫌がらせ……果ては、それを上回る事件性のある出来事にまで発展させる程の騒動を起こすまでに至った。

 誰も、エリーゼがヒイロをそこまで嫌う理由を詳しくは知らない。けれど、その異常性は火を見るより明らかである。下手をすればヒイロの命に関わることを、エリーゼはやってのけた。まるで、明日のおやつを決めるかのような気軽さで、この学園の生徒としても、人としてもしてはならないラインを越えることを良しとしてしまったのだ。


 だからこそ、今日と言う日常になる筈の日が。彼女にとっての断罪の日に変わった。


「退学、結構。婚約破棄、結構。リース家との絶縁、結構。王都追放、大いに結構。受け入れるさ、カナリア女王はアタクシにもその馬鹿面さげて「オトモダチ」と抜かし続けた業の者。だからこそ、この像の前ではそれら全ての処罰を是としようじゃないか。だが、……アタクシに罰を与えることが出来るのは。”元”婚約者のオマエでも、アタクシを追い出したい一族でも、腹違いの兄姉共でも、無い。今この場にあの女…ヒイロ・ライラックがいない限りは。アタクシは、誠の懺悔も行わぬ」


 ハイリスク、ハイリターンであることは初めから理解していた。結末がこうなったことに対しても、自分の欲があとひとつ足りなかっただけ。自分よりもあの女の方が努力をし、運さえも味方につけたという事実があっただけ。後悔など、するものか。失敗した、それに対しては言葉通り「失敗した」以外の文字が頭に浮かぶことは無く、絶望や嫉妬が付随するものでは無い。


「オマエ達の呼び出しにこうして素直に応じたのも、あの女がアタクシを断罪する勇気を持ったからだと。ヒイロ・ライラックがアタクシと対峙することを望んだと。そう思い込んだから来てやっただけ。それが失敗だった。リースの名欲しさに、一番末の34女であるアタクシをあろうことか裏でキープ、だなんて揶揄していた能無しの口だけ婚約者であるオマエからの断罪ごっこの言葉など、微塵も響く筈は無い」


 元々興味の無い人間は、顔すら覚えることが彼女には難しい。

 最近のエリーゼの行動に目に余るものが多くなった現状に我慢がならず、彼女に断罪を!とうたい始めた生徒達が結託して今日という日に、この場は作られた。

 エリーゼを呼び出したのは、彼女の唯一の婚約者であるという男生徒であったが、彼は呼び出したエリーゼを壇上に立たせ、婚約破棄発言をしたその瞬間から。彼女の視界に人として認識されなくなった。血縁関係が多いリース家の者の何人かもこの断罪に参加していたが、彼らが絶縁という言葉を口にした瞬間、ただの、有象無象に成り果てた。

 ヒイロの為に彼女の心を折ってやろう、泣かせてやろうと捻じ曲がった恋心を持つ者達。あいつには自分もひどい目にあわされてきた、今こそ復讐するチャンスだとここぞとばかりに心の浅さをひけらかす者達。絶望するなら、この生徒共のあまりに短絡的な行動ぶりだろうと、エリーゼはため息を吐きたくなった。


 生徒に混じる一族が突き出してきた、絶縁状も。自分にかろうじて与えられていた家財や宝石の全ても別の兄姉に分け与えられることも。自分の態度についていけなくなったからといって、こんな場所で大声で婚約破棄を軽率に行う馬鹿も。全てが全て、どうでもいい。


 この世で一番初めに強く憎み、強く妬み、強く望んだ。

 エリーゼ・リースはヒイロ・ライラックに確かに特別な感情を抱いていた。これは、彼女だけにしかわからない、他の人間に分かられてなるものかという執念でもある。

 全力でヒイロに対峙し、その末にヒイロが自分を断罪するのならまだいい。ヒイロと無関係のところで勝手に動いた屑共が、ヒイロの知らぬところで自分を断罪しようとしているだなんて。あの善性バカの平民が知ればどう思うことだろうか。ヒイロの為、とほざきながら自分を糾弾する者は、そのヒイロを自分以上に傷つけるのがうまい天才だと、エリーゼは強く思った。

 誰かの為に、とのたまう人間は、大概が自分の為にその言葉を出している。実に自分勝手で利己的な育ちの者ばかりのようだ。

 憎く、嫌う相手ではあったが。ヒイロはヒイロなりの姿勢でもってエリーゼと最後まで向き合っていた。そのことを、ひたすらヒイロに視線を向けていたエリーゼだけはよく知っている。そればかりに、こんな結末は、心残りしかない。


 ――オマエに悪として裁いてもらえたのなら、どれほどよかったか!


 エリーゼの表情に、陰りが見える。

 ああ、いいさ。何があろうと、何が起ころうと。アタクシは受け入れてやる。今回は運が悪かっただけ。舞台が悪かっただけ。いずれ、もう一度。あの女と決着をつける為なら、泥水だって啜りながら生き延びて。獣のような見た目になってでも、またヒイロ・ライラックに会いに来てやる。

 今度こそ、アタクシとあの女を結びつけた「因縁」に決着を―――



「でしたら、僕がそのお方を花嫁にしたいと、今叫んでもよろしいのですね?ご婚約は破棄されたようですので」



 エリーゼ様!

 そう、自分のことを呼ぶ声が、柄にもなく俯こうとしていたエリーゼの顔を上げさせた。

 礼拝堂に突如現れた、ひとつの余計な人影に。その青年に、視線が集中する。この場の誰しもが見覚えが無く、エリーゼも勿論見覚えが無い。けれど。


『エリーゼ様。私、頑張ってみせます。……あなたには、負けたくないということを、分かって頂く為に!』


 ……あの。この、学園での悪女と言われたこの自分に対して。怯えながらも真っ直ぐに目をあわせ、向き合ってきたあの女と、どこか重なる雰囲気に。誰の思い通りにもならない異分子である可能性を咄嗟に感じたのだ。


 エリーゼはこの日初めて。わけもわからず微笑む、という行動を取った。

 謎の青年は少し息を切らした様相で。しかし、この礼拝堂で。誰よりも場違いな程、幸福ですと言わんばかりの微笑みを、エリーゼだけに向けていた。


 炎と対になるような、深い深い海の色をした青年は、まるでそこにいることが当然のような態度で芯を持って立っていた。


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