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 ノアの自室の戸を音を立てて閉める。

 普段ならば、もっとそっと閉めてよ、なんて。ついでに小言が飛んでくるところだと言うに。今日ばかりは相当疲れたのか、ベッドに放り込んだと同時に眠り込むなんて器用な真似をし始めた弟を複雑な胸中で見守るだけとなった。とんでもないことを相談するだけの度量はあると言うのにあんな顔をして、もっと自分自身に自惚れてもいい存在だと、兄の俺としてはつくづくそう思うのだ。


「ったく、無理しすぎなんだよなあ……な、君もそう思うだろ、エリーゼちゃん」


 こそこそしてないで出ておいで、と俺が告げれば。少し向こうの角から顔がにょきっと出てきて、警戒と言うよりも気付かれたことに悔しさを感じているような様子の新しい同居人が姿を現す。

 ノアが、今。何よりも誰よりも夢中になっている存在の、とても個性的な女の子。王都に住まう伯爵令嬢……いや、もう元、とつけた方がいいのだろうか。純愛物語よろしく、二日前、大ピンチだった彼女を助け出してこの家に半ば強引に嫁入りして貰った子である。犯罪と言われようが彼女の存在だけはどうしても助けたいと、そう縋りついた弟の願いを誰が断れようか。


「……いつから気付いておりました?兄君」

「あいつこっちに引きずって来た時。つーか今?かな?別に隠れなくてもいいのに。いつ起きたの?」

「つい先程。近くでどたばたとされたら、少しは驚きますよ」

「ああ、通りで寝間着のまんまなわけだ」


 からかうように微笑めば、呆れた表情で返される。ここで照れるとかそういう反応が無いのが、女の子らしくなくていいなあなんて思った。


 貴族の令嬢に対する偏見を少しでも払拭出来たのはこのエリーゼちゃんの存在が結構大きい。

 まだ一度も会ったことが無い人を好きになった、と、かつて弟から聞かされてから断片的な情報だけは貰っていたが。王都暮らしの子が大都会から外れに外れた田舎に適応出来るのか、なんて心配は本当にただのお節介だったらしい。ちょっと……かなり?乱暴でお転婆で結構じゃじゃ馬……いや暴れ馬?とにかく、ノアの説明で勝手に妄想していた令嬢像とは真反対だったからこそ、俺もとっつきやすく感じている節はある。

 口調は荒く、女の子女の子もしていないが、農家の仕事を全く嫌がりもしないどころかむしろ自分から積極的に手伝ってくれると言うだけで、親族視点からのポイントは爆上がりだと言うことを気付いてほしい。時代錯誤と言われようが、この時勢に農作業を嫌がらず、廃れかけてる農園に舞い降りてくれただけでもこちらの業界では引く手数多な天使のような存在である。

 子犬なんてあだ名で呼ばれて、ノアもノアで振り回されるのが楽しそうな様子だし。二人で話している時も本当に楽しそうで、あと彼女も意外に俺に対しては礼儀正しい。正直に言えば、混沌に向かっている現状をノアから聞いた今でも、彼女に対しては好感しか無い。

 まあ、二人は俺が知ってはならない秘密を共有しているらしいから、俺に対してどこか申し訳なさそうになるんだろうなあとも。


「何かあったのですか」

「寝不足。ちょっと昨日の見回り気合入れて寝ずの番してたんだってさ。だから二時間くらいは寝てろって言った」

「そう、ですか」


 僅かながら、ポーカーフェイスを保とうとしていた彼女の表情が和らぐのを見逃さなかった。その様子に、外でしていた会話は全く彼女の耳には入っていなかったと確信できてほっとする。

 ……ああ、これだ、こういう顔を、弟の為にしてくれるのだから。俺はきっと、この子が昔何をやっていたなんて秘密を知る日が来ても、許してしまうのだろうと思う。

 彼女がノアを少しでも想ってくれる人だと言うのなら、それだけでも十分だ。弟は守る、弟の好きなものも守る、俺の行動原理なんて至極単純で。ノアは俺のことをいつも頭が良くて仕事も出来る頼れる兄、なんて思ってくれているけれど、複雑なことは俺も一切考えてはいないのだ。ただ、ノアが幸せなら俺も幸せ、俺が幸せならノアも幸せを一緒に喜んでくれる仲だから。互いの好きなものは絶対に好きになるように、きっと俺達は出来ていて。俺達二人だけの兄弟は、ただそう在るだけなのだ。


「エリーゼちゃんも着替えておいで、簡単な朝飯作っておくからさ」

「はい、ありがとうございます」

「今日は近くの村へ出張する予定なんだ、一緒に行こうな。きっといい気分転換になるから」


 隠したいことも、怯えているものも、二人にあることを知っている。だったら俺が出来ることなんて、少しでも不安を取り除ける環境を作ってあげることだろう。

 ……あと、嫁入りしてくれるのなら、売り方とか交流の広げ方とか、是非今後の参考に見て頂きたいし。力仕事を含む関係もあるが、何より山を降りる際には現在はノアの能力が必要で。どちらにしろ彼女をこの山に一人にするわけにはいかない。ノアも、自分の疲労よりも彼女の安全と、何より彼女といられる時間を欲しがるだろうから。

 かつての両親の部屋に戻っていく彼女の後ろ姿を見ながら、俺と来たらこんな時だと言うのに嬉しすぎてたまらないのだ。彼女がここにいると言うことは、長年のノアの努力が報われたと言う印であるから。弟がたった一つ、大きい頼みごとを、大きな我儘を言い始めたあの日から。それを少しでも叶えてやりたいと思っていた。


 いつだったろうか。夢を明るく語るノアが、才能の壁にぶつかって悲嘆することが増えたのは。その夢に、一度迷いが出たのは。


「……ほんと、俺と違って、頑張り屋すぎていけないねえ」


 たった一人の弟。それが、両親にも話さずに、俺にだけ「秘密だよ」と教えてくれたあの日を今でも鮮明に思い出せる。

 自分には前世があると、夢でずっと見続けるのだと、俺だけに秘密を打ち明けた頃。

 皮肉にも、それは両親が亡くなり家族の形が一度崩壊した一年前のこと。ノアがまだ8歳で、俺もようやく10歳になった頃だった。俺達は、その時から本当に似ていない兄弟だった。貰い受けた色も、緑と青。性格も反対で、山野を走り回りながら獣と育つ野性児が俺なら、森で妖精に育てられたんじゃないかと言う大人しさを内包していたのがノアだった。流石に19歳にもなった今ではそんなガサツなことは俺も出来ずに、商売頭としてその側面は成りを潜めた代わりに様々な処世術を覚えて少しは大人らしくなってはいたが。それでも、今も昔も俺がノアを振り回す側で。俺がノアを、連れて行く側だったのだ。


 夢に見た子に一目惚れをした、同じ時代にいるかもしれない。そんな風に嬉しそうに語るノアを、俺は絶対に忘れられない。

 今時前世の話なんて、珍しく無い物である。前世を見る占い等もありふれている時代の中、まあ、記憶が確実にあると言う点では相当珍しいレアケースであることには間違い無いのだが。ノアが見た夢で特に印象付いたのは、その夢を通して好きになった女の子、ただそれだけだったらしい。ふにゃふにゃの表情で嬉しそうに話すノアは、それまでと少しだけ違っていたかもしれない。

 ノアはいつだって消極的な子で、いつもいつも俺の選択についてくることしかしなかった。兄さんが選ぶなら、兄さんが好きなら、兄さんが嫌いなら、と。良く言えば素直で、悪く言えば優柔不断で自己主張がとてつもなく薄い子供だった。だから、ノアは仕方ないなあなんて言いつつも、弟を導ける兄という立ち位置を俺も誇らしく思っていて。

 それが、好きになった子を、もしかしたら助けられるかもしれない、だなんて。自分の口から自慢するように話し始めたのだから意外だった。だって、いきなり俺が入り込めないような人間の話をし始めるのだから、兄として嫉妬もしたかもしれない。ちょっと苛つきが来たのは本当のことだ。それでも、頑張ってその子を花嫁にしたいから、兄さんも色々僕に教えてね、なんて。俺とだけ交わした内緒の約束は、終ぞ俺以外誰も知ることは無かった。


(もう充分立派な花婿になれると思うよ、俺は、)


 ノアは、心配症で消極的で。元からその性格ではあったが、夢のあの子、の話をし始めてからはその点が特に助長されていった気もする。

 あまり魔法がうまくないのにこんなに髪の色が濃いなんて、と悩んでいる時もあって。俺が山でお前が空の色なんだから、隣同士で嬉しいじゃないかと励ました。その子の為にお金も貯めなきゃ、と。ただでさえ子供にしては珍しい貯金癖が、余計についた。学校には通わないけれど、出来るだけ頑張りたいと……二人で父さんに頼みこんで、一族がずっと昔に使っていた魔法を記した本なども見せて貰ったことがある。まあ、結果は魔力量や実力不足でノアには絶対に使えない物が多く落胆していることもあったが。それでも、少しずつノアの自己は固まっていった。

 前世を思い出すことでノアの人格が豹変した、なんてことは無く、むしろ惚れた子の存在に今を生きることを後押しして貰ったように見えたから。俺はノアを疑わず、ノアを信じて一緒に背中を押した。まだ見えない未来の花嫁と一緒に、ノアを応援すると兄心に決めたのだ。

 前世やその記憶があるからと言って、別にただそれだけだろう。人格まで前世に戻るわけでもなく、弟が別人になるわけでは無い。何より、ノアは生まれた時から俺のただ一人の弟なのだから、俺が間違う筈も無い。ただ少しだけ珍しい経験をしただけの弟になっただけ。そして、その夢と言う記憶を宝物のように扱う様は、一途でまっすぐないつものノアとまるで変わっていなかったから。与太話だと馬鹿にせずに、俺はノアの話の全てを信じたのだ。


 一時。両親が亡くなった当初は、俺もノアも喪失感がひどすぎてしばらくは何も考えられなかったことがある。その時期、ノアも大いに落ち込み、前世のあの子の話ですら出来なくなったくらいだ。山神との契約の楔もそろそろ切れてしまうと言う時、俺はようやく悲観することをやめて上を向き続けることを決心した。俺が立ち上がらなければ、弟はどうなる。弟も俺と一緒に、下を向き続けるだけだろう。そんなのは絶対嫌だった、ノアは俺が将来の夢もまだ持たない歳の頃に「花嫁にしたい子がいる」と、ハッキリ夢を語った子だ。その子を幸せにすることが僕の幸せだと、微笑んでいた。

 あの子のことを考えられなくなったら、それこそノアに訪れるのは不幸だけだ。一般的に見て幸福、と言われる生活水準に戻れたとしても、ノアにとっては偽りの幸福にしかならない。両親も死んで、どうすればいいか分からないなら、俺が先に動くしか無い。いつだってノアの手を引いてきたのは俺だ、だから……俺がまたノアを、あの子と一緒の未来に連れて行けるように頑張りたかった。兄の意地でもあり、たった一人残った俺よりも弱い弟を愛する気持ちからの行動だった。俺の命が尽きるまでの契約を山神と行い、数多の恵みを受け続けることが出来て。そうしてようやく、またこの場所は安定した。

 父さんも母さんも、生きている間は俺達二人に家族といる幸福を与えてくれた。それなら、残った俺がノアに幸福を指し示すべきであり、ノアもまたその子と家族になり…今度は、ノアが幸福をその子に与えてあげるべき番だと。本気でそう思ったのだ。基本的な管理は俺がするから心配するなと、幸せ求めるのに遠慮なんてするんじゃないと、あの子の話題を出せなくなったノアを叱咤して。


 好きなんだろ、決めたんだろ、お前はどんなに弱虫でも、それでも男だろうが、

 そう励ましてやれば、ノアもようやく元に戻ってきて。また、いつかの花嫁に希望を持つようになった。


 空の色、と。ノアの紺色をそう表現したことがある。けれど、いつの間にかノアは自分のことを深海の色、と言うようになっていた。俺は何だかそれが嫌で。山と空より遠くなった気がするし、……底がある、なんて場所に自分を当て嵌めるノアに、もっと自信持てよと何回言い続けて来たかはわからない。ノアは、底があると分かり切っている海よりも、果ての無い空の色が絶対に似合うのだ。空と宇宙の境界線の色、そこにいるべき弟が掴むのは、太陽であるあの子だから。深い水底から手を伸ばして届く筈も無いだろうに、彼女を手に入れたいと言う強い欲を持ちながらもどこか謙虚に構える姿勢で。あと少し、あと少しだけ、彼は手を伸ばす勇気が足らなかったのかもしれない。


 けれど、今ならその距離で良かったのだろうと思う。ノアの手を現実の世界で、彼女は握り返してくれた。あの子は、ノアの愛情にただもたれかかるだけの子じゃない。ノアの背を叩いて、ノアの手を引いていける女の子。あと少しだけ、ノアに足りない物を全て埋めてくれる花嫁。それこそが、エリーゼ・リースなのだと、その直感を俺は信じている。ノアと彼女が手を伸ばしあわなければ訪れなかったこの幸せの光景を、祝福出来ない兄などどこにもいない。


 青と緑の隣に増えたのは、どんな炎よりも綺麗な赤色を持つ子。

 俺が山でノアが空なら、彼女は絶対に太陽の色。だって、あいつはずっと彼女を夢見て生きてきた。手の届かない夢だと思ってるなんて言いながら、蜃気楼を掴む可能性を理解しつつ、それでも手を伸ばし続ける努力だけは怠らなくて。俺は、あんなに一途な努力家を他に知らないと断言出来る程、あいつがこの子にかけた長年の情熱と言う物を知っているし、その執着とも言える夢を出来るなら波瀾も少なく見させ続けたままでいたいと思うのだ。たった一人の、大切な弟。ろくに我儘も言わず、俺を支え続けてくれたあの弟を無条件で信じるのも当然のことだし、何があろうと弟が大切に思うものは絶対に守り通したいと思う。だって、それが兄と言う生き物だから。

 きっとあの子に全てを焦がされても、それこそが本望だとあの弟は断言する。それ程一途に、ひたすらに想っていたことを…この世界で、俺だけが知っている。それだけで、俺が二人を認めるには十分だろう。


「さあて、作るかなあ」


 もう少し、女の子向けに料理のレパートリー増やすか。そんなことを思いながら、自然とキッチンに立っていた。

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また読むことが出来て、とても嬉しいです! また筆を取ってくださって本当にありがとうございます!!
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