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 恐ろしい、と言う感情は時に強者をも支配し容易に従わせる。動物的な本能を震わせ、恐怖と言う名の首輪をかけることは忠誠を誓わせるには一番簡単な方法であるとエドガーは思うのだ。

 エドガー自身、多くの弟妹をまとめあげるには時に突き放すような言動もしたし、仕置きも必要な場面もあった。諸国との関係性を安寧に導く為にも、エドガーは決して伯爵家と言う爵位の上に胡座をかくことも無く、一人の労働者として勤め続けることを選び。そして何より、懺悔の為にも休む訳にもいかなかった。それを是とし、家を守る為、王国に尽力する為ならば時に無慈悲に徹することですら選んで来た。

 自分が働く面を見せるのは当然家族だけでは無い、隣国との外交に幾度も連れられたり関連職務を任されたりと、国王からの信頼を得続けている証拠である忙しさを喜んでいることも事実だ。

 しかし、尊敬と同時に恐怖を捧げられることにも、王と女王は慣れているのであろう。先程彼女が全てを見透かしたような瞳をこちらに向けただけで、今自分が何を思っているのかさえ言い当てられそうで、口を結ぶ力がいっそう強くなりそうだった。

 緊張で味を感じなくなった紅茶を飲み干せば、クロエの淹れた味がひどく恋しくなる。……邸宅を出ていく際も護衛をする、と付いてこようとした彼には今、学内で問題を起こした弟妹達への「再教育」を代わりに依頼していた。躾から逃れる為の、その場限りの謝罪などでは無く、心の底からの反省の言葉や態度を見せない限りはどんな手を使っていいとも言って。隠すような素振りが微塵でもあるようならば、自白させても構わない、とも。事が事だけに、例え肉親であってもかなり厳しい処罰を目に見えて与えておかねば、その後に彼らも表を歩き辛くなるだろうから。

 クロエはエドガー自身が選んで側に置いた特別な使用人だ、命令には従う上クロエ自身もエドガーの思想に染まりつつある故か、あの優しい風体で無情に突き放すことも簡単にやってのける。家名に泥を塗っておきながら家を追い出さないでやるだけまだいい当主だと思ってほしい、その先で更正出来るか、見込みが無く家系図から名前を消される真似をするかは、もう本人次第だが。


「それではエドガー様、ごきげんよう。突発的でしたが、お茶会が出来ていい気分転換になったわ」

「……ええ。こちらこそ、いきなり訪れて申し訳ありませんでした。今後二度とこのようなことが無いように目を光らせておきます」


 にこ、とうら若い乙女が誰だってするであろう純な微笑みが、尊いと感じさせると同時にひどく恐ろしい。

 数々の修羅場をくぐり抜け、様々な種族の者と交流を重ね、この世の恐ろしい物を見る機会は決して少なくは無かった。他国におけるおぞましい成り立ちや哀れな環境、未だに奴隷制度を強いている海の向こうのかの大陸、……数多、醜く残虐な光景も見慣れた自覚はある。このエドガーには、悔しいがそれらを十分に見定める程の時間を許す身体が存在していたから。

 自らの皮の下に流れる血、これを受け継ぐ種族の中ではエドガーですらまだまだ若輩者だ。しかし、ただの人間よりは数倍も長い寿命を持つ。家族の中でも愚かな父親から一番色濃く継いだその特性を活かし、リース家を守ってきた大黒柱の男が情けなくも言うのだ。

 この、ただ一人の少女が、世界の終焉よりも恐ろしいと。


「学ぶ機会は、誰しもに訪れるべきですわ。そこからどう次へ繋げるかは個人の自由だけれど。貴方の弟妹も、一番末のあの子も……どう言う結末を選ぶのか、その選択の自由だけは皆にもある権利ですから」


 見たことの無い笑顔でしたね、と。エドガーの心を故意に抉るような発言を続けたカナリアに、息を呑む。それこそが真実だと提示されたようで。

 何も知らぬ者には分からない、王家の側に仕える者達…彼女の本来の実力を知る人間の一人であるエドガーには、カナリア女王という存在の呼吸のひとつ、まばたきのひとつだけでさえも人の心を狂わせるには簡単であると言えてしまう。ああ、これだから、クロエを連れてこなくて良かったと思う。


「――彼、このまま誘拐犯にします?それとも。彼女の伴侶として迎え入れるか、引き剥がすか。どちらにせよ、エリーゼちゃんは私の大事なお友達だから。私は、彼女が幸せになれる方を、是非、選んで欲しいのだけれど」

「それはワタクシの確認が済んでから、とさせて下さい、カナリア様。元々エドガー様との談話の場を作らせて頂いたのも、ワタクシと彼の間で進む話もあったからです」

「あら、ウィドー。そこから内緒のお話はもう始まっていたと言うのね」


 この国の実権を握る女王。年若いとは言え、彼女の出した希望に臆すること無く口を出せる者など。ベニアーロとウィドー以外に見たことは、無い。

 彼女、エリーゼの幸せを、と。そう言った時点でもう、このままエリーゼを手放した方が良いのではと。そう、思わされてしまった。この瞬間にウィドーの口が挟まれていなければエドガーは言ってしまっただろう。おっしゃる通りに行います、と。

 ……カナリア女王に視線を向けられる時はいつだってこうだ、手のひらの上に乗せられて、自分がどう動くかを興味深げに見つめられる感覚がする。全てを理解しているだろうに、まるで観劇を楽しむかのようだ。彼女の手の中で、彼女が見ている者達が果たして正解を選べるのか、知っている上でどのように動くかの観察をしている。まるで、天上から下界を覗く慎ましやかな神のように。


「とにかく。天秤と自称する貴女がそう圧力をかけては、不平等の依怙贔屓と言うものです」

「あら……女王って、本当に難しいわね。すぐに解決が出来るくらい良い手札なら幾らでもあるのに。私、未だに好きな人達を依怙贔屓せずに依怙贔屓する方法を上手く行えないわ」

「それが尊きお方の運命であるのです。今回ばかりは、何かを見たとしても。どうぞご容赦を。そして、貴女の数少ないご友人を拐った件の容疑者につきましては、何卒このウィドーに対処をお任せ下さい。……彼への処分も、追ってお知らせ致します故」


 それでは彼を表まで送って来ます、と。促してくれたウィドーに助け船を出される形でエドガーはようやくこの場から離れられることとなった。

 少し前を行くウィドーを追いつつも、最後にちらりと振り向いた先にいた彼女は、崩れることの無い微笑みをいつまでも浮かべていた。王と同じく、わずか齢十七という若さであるにも関わらず、深淵さえ覗き切ったと豪語するかのような達観さを感じさせる者。一歩離れて行くごとに身体が重圧から解放され、足取りが軽くなる。ウィドーの背だけを視界に納めるよう視線を変え、エドガーも歩みを進める。未だ問題は山積みであると言うのに、あの心の全てを開きに来る眼差しから逃れたことに一番安心してしまったことに、反吐が出そうだった。


「……お許しを、エドガー様。あのお方は、普通の少女の生活を全て奪われたお方です。力が強すぎる故に、あのお方が手を動かせば国の情勢どころか、この大陸も全てが大きく狂ってしまう。だからこそ、カナリア様の異常性をよく知る方には人懐っこく振舞うのです。あれでも、ですよ」

「いえ。……私が未熟なのです。これでも、貴方がたより長くを生きたと言うのに、本当にお見苦しい失態ばかりで申し訳ない」


 慰めの言葉だろうか、城の長い廊下を抜けた先。顔色を悪くしたエドガーにそう声がかかる。十代、本来他国であるならば王女と呼ばれるだろう年齢である筈が、その時点で女王の名を冠している点で、全てを察してほしい。一般的な物差しで決して測ってはならぬ異端児であり、今の時代に現れた王国の救世主。その数多ある異名の全てに対し、女王の力は「正しい意味での役不足」とだけ言えば、無知の輩にでも少しはその異常性が理解出来るだろうか。誤用ばかりが目立つ言葉であるが、あの女王がいるだけで正しい意味は消える事が無いのだろうと思わせてくる。

 そしてそれは常に彼女の隣に立つ王にも同じく言えることであり、今の代の王家は諸国に対しあまりに大きい力を持ちすぎてしまったことが現状である。先代やそれ以前の王と女王達を知っていれば、その差異に驚愕することは間違い無い。

 ……しかし、何ということだ。エドガーは何も知らなかった自身に鞭を打つ思いになる、まさかあの女王と、末妹が、友人関係だっただなんて。学園内か、それとも学外か、自分の目の届かない所でいつ、どのように、そんな関係を結んだのだ。

 それに、女王の魔法で遠視したあの光景。

 貴族の醜悪な面など一切も分からないと言うような純朴な青年の隣で、家族にも見せたことが無いような笑みを躊躇わずに見せるエリーゼを、エドガーは知らない。恐らく、誰も、エリーゼがあんな表情も出来るだなんてことは分からなかっただろう。自然の風景の中で、そうして束の間の時間を過ごすエリーゼは、全てから解放されたように見えた。

 エリーゼが幸せになれる方法。そんなことは、自分だって考えてやりたい。けれど、何も知らない癖に彼女を攫った人間の存在を二つ返事で認めてなるものか。所詮、あの犯人の青年にとっては自分達の事情など他人事でしか無い。しかしその他人事、というだけで片付けられ、自分達の爵位を土足で踏み荒らしてもいいわけでは無い。エリーゼ個人の前に、伯爵家に対する侮辱とも取られる行動だ。

 ……本当に、何を考えている?

 エリーゼとも一度も会えたことは無いだろう平民の身分で、身代金目的では無いなど、裏に何が含まれているかも分かりやしない。よしんば、本当に彼女に好意を抱いたから手を出したとて、あまりにも無謀で無知が過ぎるのだ。

 あの娘が産まれた時、物のように持ってきた父親のことを知っているのか。

 その父親を一時的にとは言え追い出して、しばらくはあの娘を抱きしめていたのは自分だと言う事を分かっているのか。

 彼女の手を引いたのが、彼女と朝晩を過ごした人間がここにいると分かっていての、あの物言いだったのか。

 彼女がまるで、全てから一度たりとも愛されず満たされていない惨めな娘のような扱いをする男であるのならば、きっとエドガーは、許せはしないだろう。


「エドガー様。……その顔つきで帰るのはおやめ下さると嬉しいです。ワタクシに何をされたのかと、貴方の可愛い奴隷に疑われてしまいます」

「……その呼び方は、やめて下さいと、何度も言っているでしょう。あの子はもう、奴隷では無い、」

「そうそう、活気が戻って来たでは無いですか。……彼を馬鹿にされるとすぐ目が燃え盛る癖は、治らないのでしょうね」

「気付けの意味で使うのを、やめていただきたい、……とは言え、ご心配、ありがとうございます。すぐに女王に謁見出来たことも、貴方が取り次いでくれたからこそです」


 ウィドー・バレスクというこの男が、事件発覚からすぐにエドガーに接触してきた時点で違和感があった。王家とリース家の関係があるのならこの件に関して伝達を行うのも不思議ではないのはその通りなのだが、問題は彼が犯人の青年に対してある種の執着を持っているような素振りでエドガーに会いに来たと言う点だ。

 エリーゼが皆から断罪をされる瞬間を未来視したかのようなタイミングで現れたノアという青年と。そのノアが現れた時点ですぐに、リース家の現当主であるエドガーに接触を試みたウィドー。

 カナリア女王に対しても表向きは秘匿するような形で進行させた彼との会話は、対処法が分かっていたかのように…むしろ、エリーゼが攫われるような場合になった際、どう対処すべきか……以前から考えていたような、スムーズな動きが出来ていた。それがどうにも、先を読む、という点でノアと似通ってさえいると感じてしまう。頼もしいと思う反面、今回ばかりは不気味と言わざるを得ない。


「……ウィドー殿。協力して頂けることは、非常にありがたいです。ですが、やはり私も疑問に思うことは多い。……貴方と、あの青年の間に、かつて何があったのです?貴方は、この件に関して極めて強く執着しているように思える」

「単純なこと。貴方はエリーゼ嬢に、ワタクシはあの青年に、それぞれ用があるだけ。それだけです。ワタクシの底など漁っても、何も出てきませんよ」

「でしたら、何故、」

「彼は、ワタクシと会ったこともありません。ワタクシも、彼の存在はあの時になるまで知りません。ですが。――ワタクシの知らない人間が、エリーゼ嬢に手を出した、ということが一番の問題なのです」

「それは、どういうことなのですか…?」

「あるべき未来に、見知らぬ人間がいる。それは、とても恐ろしい話、と言うだけです」


 ウィドーの言葉に、背筋に冷水を垂らされたような感覚がまた呼び起こされる。まるで、彼は、あるべき未来が見える存在であると自負しているかのような台詞では無いか。女王だけで無い、彼でさえ、エドガーには見えない何かを見ることが出来るのか。


「……では、エドガー様。ここで一度お別れと致しましょう。貴方もこれ以上エリーゼ嬢が王都での話題の種になるのは避けたい筈、水面下で事態を沈めることが一番であることはご理解頂いておりますね?ワタクシとて、いきなり彼を心無い容疑者として扱っているわけでは無い、彼の目的を見極めることを第一に置いております故。貴方はエリーゼ嬢を第一に考えればよろしい。余計なことは詮索せずに、ね」


 勿論、と答えた声は少し震えを見せていた。 

 ……平民が伯爵家から娘を攫っただけでも大事だと言うのに、その異常事態を見越していたかのように行動出来るこの執事も一体何者なのだろうか。

 エリーゼは、リース家の人間だ。それを除いても、自身が同情し寵愛した一人の妹。……可能なら、彼女の心に、ひとつの棘も残らないような状態で事態を沈めることが出来ればと言うのが、嘘偽り無い本心なのだ。カナリア女王が見せてくれた友愛の言葉も、確かにエリーゼを想ってのことだったのだろう。

 エリーゼの周りで突如として起きた変化が、この先何かを大きく変えてしまうのでは?

 そんな不安を抱かせるようなことを課したウィドーは、城門の外に出て行くエドガーに一礼した後に中へと戻ってしまう。……自身の知らぬ存ぜぬことを知っている者に囲まれると、これまでの経歴が紙屑のように思わされてしまう。


 無意識に、クロエの名を呟いていた。

 護るべき物はもう家だけでは無いことなどとっくのとうに気付いている。城から踵を返したエドガーは、まずエリーゼの周辺事情を洗いざらい調べ上げることを優先するべきかと考えていた。

 これ以上、エリーゼの心に傷が増えることの無いように、祈るだけで無く動くべきであると、その決意を瞳に秘めて。


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