星の友と無限知の果てに宿る光
歴代の皇帝たちが眠る厳かなる陵墓、その近隣に建てられたのが帝国最大の「附属大図書館」である。
皇帝が崩御したとき、その治世において出版されたあらゆる書籍が収蔵される。
図書館は、帝国創世期の建造とされているが、不思議な仕掛けが施されている。古い時代の蔵書ほど地下深くに収められているのだ。
皇帝が崩御したとき、床が一階層沈みこんで、新たに次代の書籍を収蔵する空間が生まれる。
この不思議な機構に関する技術は、今となっては失伝していてわからない。
また、上層に収められた書籍をすべて読み解き、真に理解した者のみが、その下の階層への扉を開く資格を得ると伝たわっている。
この神秘的な図書館には、皇室の血筋の者しか足を踏み入れることが許されていない。この秘儀も謎だ。
このため、墓戸の一族には、代々皇室の血縁者が嫁ぎ、皇族との繋がりを保ち続けてきた。
皇帝たちの陵墓もまた同様だ。周囲には古代の結界が張られ、皇室の血を持つ者のみがその内に踏み入ることを許される。
僕は、答えを求めて、毎日午後は図書館へ入り浸り、膨大な知識の海に溺れた。
「世界」とは何か?
この眼で見て、耳で聞き、五感で感じ取る――「認識」とは? 認識した「世界」は、果たして本物なのか?
人は自由な存在ではないのか?
人は、なぜ現状に固執し、自由を選択しないのか?
やがて、わかったことがある。
昔の哲学者たちも、似たような問いに悩んでいた。
そして、彼らはそれぞれの答えを導き出し、自らの言葉で世界を語っている。
「自己理解」――人は、自己を深く理解することで、より良い生き方を見い出す。
「イデー」――この世の万物は不変のイデーの影に過ぎない――肉体の束縛から解き放たれ、イデーの世界へと到達することが真の幸福なり。
「幸福」――人の生は、その最終目的として「幸福」を目指すべきもの。そのためには「徳」を磨き、「理性」に従い、調和を求める生活を送るべし。
人は神に創造されし存在――「愛」と「信仰」を通して、人間は神との一体化を目指すべき。
「理性と信仰」――人は、「自然法」に基づき善悪を判断し、神の愛の実現に向けて努力せよ。
列挙していたら切りがない。
気づいたのは、時代が進むにつれて「神」という絶対的な概念が徐々に影を薄め、代わりに、人間の能力や創造性といった実利的な価値が優位に立ってくることだ。
今の時代の哲学者たちは、「神」を抱く教会の権威や「王」の権力へ疑問を投げかける。
「幸福」追求の障害となる頸木を断ち切り、自由の保障を求める動きを強めてきている。
では、そう遠くない将来、否定された「神」や「王」はどうなるのか? 死に絶えるのだろうか?
いや、僕はそうは思わない。
たとえ「神」や「王」という固有名詞の権威や権力が失墜したとしても、代替してその空白を埋める新たな神的存在、あるいは王的な何かが、必ず現れるに違いない。
おそらく、問題は特定の「神」や「王」ではない――すなわち、その背後にあってそれらが象徴する理念なのだ。
「イデー」――この摩訶不思議な概念を、最初に看破した哲学者は天才だ。
しかし、この「イデー」という概念は、その時代ごとに形を変え、哲学者たちの前に難解な謎として立ちはだかり続けているのだ。
いずれにせよ、古の哲学者たちは、それぞれが独自の視点を持ち、深い思索の海に身を沈めていた。
だが、たとえ彼らの言葉を全てかき集めたところで、今の僕には、それを統合し、究極の答えを導き出すことはできそうにない。
──ならば、どうすればいいのか?
僕は行き詰った。
閉塞感を感じた僕は、気分転換するために、ルナリアに騎乗して遠出をした。
新しい場所を開拓してみたくなったのだ。未知の場所は、何か新しい答えを与えてくれるかもしれない。
知らない場所は、どんな危険があるかわからない。
慎重に進むが、獰猛なルナリアは、まったく物怖じしない。
ブルルッ! ――と、不満そうに鼻を鳴らす。
森の奥深くへと進むうち、視界に一風変わった村の光景が広がった。家々はすべて樹上に建てられ、木々と一体となって佇んでいる。
縄梯子が垂れているので、そこから出入りするようだ。猛獣や外的対策なのだろうか?
この深い森は、奥へ行くほど凶暴な猛獣や奇怪な魔物たちが潜んでいるという。伝承でしか聞いたことのない存在たちが、この地には実際に息づいているのかもしれない。
騎乗しながら村へ入るのは失礼だ。
僕はルナリアの背から降り、足元に広がる落ち葉の絨毯を踏みしめながら、慎重に村の入り口へと歩みを進めた。
ルナリアは一声掛けると、鼻をひくつかせて気ままに森の奥へと姿を消した。
いざとなれば、呼べばどこからともなく戻ってきてくれるるので、心配はない。
ふと、村の方から一人の少女がこちらに向かって歩いてきた。どうやら僕の姿に気づいたらしい。
「こんにちは。あなた……人間でしょう? ここまで人間が足を踏み入れるなんて、初めてのことよ」
「そうなんですか。お邪魔じゃありませんか?」
「珍しいお客様だから、村のみんなも喜ぶわ。どうぞ案内させて。私はイリス。あなたの名は?」
「僕は、ルーカスといいます」
「それじゃあ、ルーカス。さあ、こちらへ」
敵意はなさそうだ――安堵し、彼女と並んで村の奥へと歩みを進める。
イリスは、日差しを浴びたような輝く金色の髪と、深い森を湛えた緑の瞳を持つ美しい少女だった。その耳が尖っていることから、彼女がエルフであると察した。
髪は長く、風にそよぐたびに柔らかく波打っている。
白く滑らかな肌は、陶器のように繊細だ。細く華奢な体つきは健康的で、優雅なしぐさは品の良さを感じさせる。
緑色のドレスは、薄くて軽く、まるで森の息吹を纏っているかのように軽やかで、風に舞うたびに花や葉の模様が揺れる。
銀のネックレスとイヤリングが煌めき、全体として自然と一体となった美しさを醸し出していた。
エルフらしく、弓と矢を背負っている。
村人たちは珍客である僕を温かく迎え、質素ながらも優しい味と香りのする食事を振る舞ってくれた。
やがて、僕が魔術を使えると知るや、誰もが目を輝かせて「どうかその技を見せてほしい」と口々に頼んできた。
一番無難な風の魔術を披露することにする。
「風の精霊セレスティアよ、我に力を貸せ――」
中空に風が渦巻き、その中から風の精霊のセレスティアが姿を現した。
セレスティアは、白い髪に青い瞳の美しい少女だ。肌は白く透きとおり、身体は細くて軽やかで、白いドレスを着ている。
おおっ! と、それを見た村人たちから歓声が上がる。
「――空の果てから、鋭き刃を呼べ。我が敵を、一刀両断せよ! ――」
周囲から風が集まり、嵐のときのような騒めきが森の木々に生じ、辺りを不穏な空気が支配する。
村人たちの顔に不安の影がさした。
「――世々限りなきエレシアと神々の統合のもと、実存し、 君臨する風と空の神カイラを通じ、ルーカスが命ずる。風刀!」
空中に呼び出された風の刃が、目標の的へと一直線に突き進み、音もなく真っ二つに切り裂いた。
「おおっ!」と村人たちから驚嘆の声が上がり、子どもたちは小さな手を叩いて喜んだ。
セレスティアは、白銀の髪に深海を映したような青い瞳を持つ、儚げな美しさを湛えた美少女である。
その肌は雪のように透き通り、身体は風そのもののように軽やかで、彼女を包む白いドレスがひらひらと舞う。
火風水土の四元素の精霊には、生まれた星の巡りで相性がある。
僕は、風と最も相性がいい。
セレスティアは、魔術を使うときの、良き相棒だ。
セレスティアは優雅にほほ笑み、僕は彼女の目を見つめて感謝の意を伝える。このようなアイコンタクトができるのも、長年の鍛錬の成果だ。
村の人々は、セレスティアの姿を目の当たりにし、神聖なものを見たかのように目を見張っていた。
どうやら、彼女は並の精霊ではなく、上位の存在らしい。他人と比較する機会のなかった僕には、それが初めて知る驚きであった。
イリスもまた、魔術を披露してくれた。
彼女は森の精そのもののように、風や水、土や木の力を自在に操り、草木を癒し、形を変えることすら可能だった。
村人たちの温かい歓待に心を打たれ、僕は何度もこの村へ足を運ぶようになった。
エルフ族は、「森の守護者」と呼ばれる一族の一種で、いくつかの部族が連携して「エレンディル部族連合」を構成している。
「エレンディル」は、エルフ語で「星の友」という意味。夜空に輝く星々の導きによって、険しい山々と深き谷を居住の地とする者たちの連合だ。
エレンディルのエルフは、冒険と探求に情熱を持ち、古代の秘密と知識を守っていると言われている。
村は、エレンディル部族連合に属しているということだった。
はじめは人見知りしていた僕も、次第にイリスの柔らかなほほ笑みと穏やかな話しぶりに心を開き、気軽に話せるようになっていった。
長命で聡明なエルフたちは、森や風の囁きにさえも耳を澄ませる鋭敏な感覚を持っている。
彼らの中でもとりわけ優れたイリスに、僕は意を決して例の問をぶつけた。
「それは、人それぞれなんじゃない。
生きる意味や目的なんて、他人に強制されるものではなくて、自分が選ぶものじゃないの?」
イリスはふと首を傾げ、問いかけるような目で僕を見つめた。なぜ、そんなことを悩むのか──その純粋な瞳が、答えを求める僕の心を映しているかのようだった。
エルフ族には、人間社会のような複雑な身分制度も、激しい貧富の差も存在しない。彼らは生まれ持った能力と役割をそのままに生きている。だからこそ、イリスの言葉は真実味を帯びて響いてきた。
人間という存在は、生まれや境遇によって、その生き方や選択肢が大きく制約される。
ありがちなことに、恵まれない人ほど、「自分には、この選択肢しかない」と言い訳をする。そして困難な選択肢を見ぬふりをするのだ。
しかし、それを一概に怠惰だと謗ることができるのか?
少なくとも、周囲に迎合して生きてきた僕には、その資格はないだろう。
その結果、苦しみ、悩んでいる。
苦しみから逃れるためには、自分が変わるしかないのか?
正しい選択をする努力を怠った結果の苦しみではないか?
わずかながら霧が晴れるような感覚がある。
答えにはまだ遠いが、道筋がかすかに見え始めた気がする。
ある日、僕がイリスと村の近くで会話を楽しんでいると、村の奥から突然、悲鳴と怒号が響いてきた。
振り返ると、村人たちが何かから逃げるように、パニックに陥りながら走ってくる。
空気が冷たく重く変わり、辺りに黒い影がじわじわと忍び寄っていた。
「あれは……影の怪物!」
イリスが震える声で呟いた。
僕は一瞬、足がすくんで動けなかった。
自分が戦って何になるのか?
戦う意味があるのか?
心の中で、疑念が次々と湧き上がってくる。
しかし、村の方で誰かが助けを叫ぶ声が聞こえた。
「助けて! 誰か、あの子を助けて……!」
僕は、強烈な自己嫌悪と恐怖に苛まれながら、手のひらを強く握りしめた。
今まで「生きる意味」や「自分が本当に存在しているのか」という疑念を抱きながら生きてきた。
そのため、自分が誰かの役に立つ存在だとは信じられなかった。
(自分には何の力もない……ただの無力な子どもだ。戦える相手ではない。逃げるべきだ……)
そう思いながらも、視線の先で倒れ込む村人の姿が頭から離れない。
もし、逃げたらどうなる? その結果、誰かが死んだとしたら――何のために生きているのかという問いの答えを、もっと見失ってしまうかもしれない……。
「僕は……」
自分が「何のために生きているのか」はわからない。しかし、今、目の前で苦しんでいる人がいるのは事実だ。
この瞬間、この場に立っている自分だけが、あの子どもや村人を守れるかもしれない。――もし、戦うことに何の意味もなかったとしても、「今」を逃げ出せば、きっと自分をもっと嫌いになってしまう。
僕は決意を固めると、黒鉄の剣を抜き、深呼吸して影の怪物に向かって足を踏み出した。
影の怪物と対峙するが、相手は漆黒の影であり、形が定まらず、どこを攻撃しても「これで倒せる」という確信が持てない。
「風の精霊セレスティアよ、我に力を貸せ――」
中空に風が渦巻き、その中から風の精霊のセレスティアが姿を現した。
「――空の果てから、鋭き刃を呼べ。我が敵を、一刀両断せよ! ――」
周囲から風が集まり、嵐の騒めきとともに風の刃を形成する。
「――世々限りなきエレシアと神々の統合のもと、実存し、 君臨する風と空の神カイラを通じ、ルーカスが命ずる。風刀!」
空中に呼び出された風の刃が、影の怪物へと一直線に突き進む。しかし、怪物はその刃を吸収するように消し去ってしまう。
「くそっ! ……」
焦りと無力感で胸がいっぱいになりながらも、心のどこかで「負けるわけにはいかない」という気持ちが芽生え始めていた。
(これは僕の戦いでもある。今ここで守らなければ、何のために……)
闇は神エレボスが司る。その眷属には暴力的な死に関わる者もいるが……。
冷静に観察すると、闇の怪物は、そこまで荒ぶる存在には見えない。もし、そうならば、村は一瞬のうちに死の廃虚と化していただろう。
――おそらくは、エレボスの力の残滓のようなものか……?
であれば、闇を光で照らせば消える可能性はある。
その希望を胸に詠唱を開始する。
「火の精霊イグニータよ、我に力を貸せ――」
中空に炎が渦巻き、その中から火の精霊のイグニータが姿を現した。
闇の怪物は危機を察知して、僕にめがけて突進してくる。思いのほか動きは鈍く、それを避けてやり過ごし、詠唱を続ける。
「――地獄の業火の海から、数多の炎の投槍を呼び寄せん! 我が敵を、燃え盛る投槍の火焰により貫き、その身を焼き尽くし、凶悪な灼熱の業火により死の灰となせ! ――」
炎が集結し、投槍を形作る。
闇の怪物は、顔もない不定形な闇の塊だが、恐れの感情が伝わってくる。風の刃のときとは、明らかに違う。
「――世々限りなきエレシアと神々の統合のもと、実存し、君臨する火と光の神ダリスを通じ、ルーカスが命ずる。炎投槍!」
炎の投槍が一直線に影の怪物へ向かう。やはり燃え上がることはなく、吸い込まれたが、光の力により闇が薄まった。
「よしっ!」
手ごたえを感じた僕は、炎投槍を連射する。
「……炎投槍、炎投槍、炎投槍……」
最後の一撃を放つと、怪物はその影をじわじわと薄れさせ、最後には煙のように消えていった。
周囲が静寂に戻り、僕はその場にへたりこんだ。
イリスが駆け寄ってきて、僕の肩に手を置き、ほほ笑んだ。
「よくやったわ、ルーカス。ありがとう」
僕は視線を伏せ、かすかに頷いた。
戦いは終わったが、今まで抱いていた「無意味さ」や「自分の存在への疑問」は完全には消えていない。
ただ、この戦いを経て、自分に「生きる意味」があるのかもしれないと少しだけ感じられた。
自分が生きる意味はまだ見えない。でも、誰かの役に立つことができた――それが、今の僕にとっての意味なんだろう。
心の中に、小さな光が灯ったような気がした。
さらに村に出入りするうち、「コミモテノス聡明法」という秘術があることを知った。
これを修することにより、記憶力が極限まで増進され、無限の知恵と博覧強記を得られるという。
人里離れた清浄な地に修行場を設け、そこに「宇宙のごとき無限の知恵と慈悲を司る神コミモテノス」の像を安置して、神をお招きし、神を讃える真言を一日一〇〇万回唱えて、心を清めるのだという。
その修行には、細かな作法が定められており、修行者は俗世の一切から離れ、清貧な生活を守らなければならない。
食事も制限して肉体を清浄に保つなど、過酷な条件のもとで一〇〇日あるいは二〇〇日間行う。
途方もない秘術ではあるが、僕には、とても魅力的に映った。
しかし、果たして僕にそんな修行が務まるのか?
自分の限界を疑いながらも、内心のどこかで挑戦してみたいと思う自分がいた。