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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
4/31

聖なる園の黒き導き手

 聖エレシア山には、色とりどりの花々が咲き乱れる美しい花園(はなぞの)が広がっている。


 そこであの人と出会った……。


「まあ……両手に花なんて、いい御身分ね」と、(とげ)のある言葉を()いた女性がいた。


 ちょうどそのとき、僕は花園(はなぞの)に腰を()ろしてくつろいでいた。

 右腕に花の妖精(ようせい)フレイアがすがり、左肩に風精霊(シルフィード)のセレスティアが頭を(あず)けている。


 言われてみれば、確かにちょっとしたハーレム状態だ。皮肉の一つも言いたくなるのも仕方がないかもしれない。


 彼女は、二〇歳前後の妙齢(みょうれい)の女性に見えた。男とはいえ、まだ一〇歳の僕よりも、彼女の身長は(はる)かに高く感じられた。


 漆黒(しっこく)の黒髪に黒目の彼女は、目を見張るほどの美貌(びぼう)の持ち主で、深紅(しんく)のドレスに包まれていた。

 長い髪はシンプルに(たば)ねられ、その頭には深紅の薔薇(ばら)が飾られている。赤と黒の対比が優雅さを感じさせる。


 ドレスはノースリーブで、スカートは膝丈(ひざたけ)。タイツは()いておらず生足(なまあし)だ。令嬢(れいじょう)にしては、(はだ)露出(ろしゅつ)が多い。その妖艶(ようえん)な姿に大人のエロスのようなものを覚え、(ほお)が熱くなった。


 服装からすると貴族(パトリキ)令嬢(れいじょう)だが、従者も連れずに、こんな場所に一人? 場にそぐわない。


 それはともかく、何か答えないと……。


「そんなつもりじゃあ……」と、口ごもってしまう。


「まあ。かわいいのね。少しからかってみただけよ。

 両手に花は、あなたが好ましい人物である(あかし)だわ。

 私はノア。ご一緒(いっしょ)してもいいかしら?」


「かまいませんよ。僕はルーカスです」

 僕は軽く一礼して名を告げた。

 

 ノアは、一人分離れた場所に優雅に腰を下ろす。

 初対面で、親密とはとてもいえないが、その微妙な距離感がちょっとだけ気に入らない。


「ルーカス。動物は好きかしら?」

「好きで、よく遠くから(なが)めていますよ。

 でも、警戒心が強いから、触れ合うのは難しいですよね」

 

「そうなのね。でも、動物のことを理解すれば、そんなに難しくはないのよ」

「そうなんですか?」


 ノアに導かれるまま、僕は森の奥深くへと足を踏み入れた。すると、(はるはる)か遠くに鹿(しか)の群れが見えた。


 その直後、僕は目を見張った。ノアが突然、鹿(しか)の姿へと変身したのだ。


 ──ノアも、人外の存在だったのか!

 

 何となく不自然さを感じてはいたが、人間にしか見えなかったので、予期していなかった。


 変身したノアは、鹿(しか)の群れへと歩み寄っていった。


 群れの一頭と何やら会話をしているかのようだった。

 僕には理解が及ばないが、ノアは動物の言葉が話せるらしい。


 ノアは人間の姿に(もど)ると、僕を手招きしながら低く(ささや)いた。


「こちらへいらっしゃい。驚かせないように、静かにね」


 ノアの指示で事前に用意しておいた女郎花(おみなえし)の若葉を手にして、そろそろと彼女の元へ向かう。


 鹿(しか)たちはじっとこちらを見つめているが、逃げる気配はない。

 たどり着いて、ゆっくりと若葉を差し出すと、僕の手から直接食べてくれた。なんだか()やされる。


 ノアの手ほどきのおかげで、態度や居住まいで、動物とある程度の意思疎通(いしそつう)ができるようになっていく。

 さすがに、動物の言葉は無理だったが。

 

 ケガをした小鹿(しか)治癒魔術(ちゆまじゅつ)(なお)してやったこともある。

 だが、その後、動物の世界の厳しさを痛感することになった。


 ノアの導きで、(おおかみ)の狩の様子を見る機会があった。


 (おおかみ)は、連携(れんけい)して鹿(しか)の群れを追い立てると、逃げ遅れた弱い小鹿(こじか)(ねら)いをつける。

 親鹿(おやじか)牽制(けんせい)も力が及ばない。そのとき犠牲(ぎせい)となったのが、僕が助けた小鹿(こじか)だったのだ。


 ケガは(なお)したものの、それにより弱った体力は(もど)せなかった。


 厳然たる自然淘汰(しぜんとうた)(おきて)――それは、強者が生き残り、弱者が死して餌食(えじき)となる現実――それは、僕の心に深く刻まれた。


 ノアは、(すず)しい顔をしているし、あえて何も語らない。

 子どもは親に守られているが、いつか(ひと)り立ちするもの。

 

 そうなってから(あわ)てても、取り返しがつかない。

 ノアの無表情は、逆説的に強烈な説得力があった。




     ◆



 

 ある日、森を散策していたとき、足元にふと何かが動く気配を感じた。カサカサと()れていた葉をどけてみると、小さな黒い影が見えた。そこにいたのは、生まれて間もない黒い子犬だった。


 子犬はぐったりとしていて、細い体は骨が浮き出るほどに()せ細り、かすかに震えている。目もほとんど開かず、今にも息が途絶えそうだった。


「この子を……なんとか助けられないでしょうか?」

 切なる思いでノアに問いかけた。


「あなたも()りないわね。

 助けたとしても、森に返したら死ぬ運命なのよ。

 それとも、ずっと面倒をみるとでもいうの?」

 ノアの声は冷たく澄んでいたが、その(ひとみ)にはどこか試すような光が宿っていた。

 

「できるものなら……そうしたいですけど……」

 僕は答えたが、その責任の重さに言葉を(にご)した。

 

「その子は、ダイアウルフよ」と、ノアの声が静かに響く。彼女は軽く(こうべ)を振った。


「えっ! そうなんですか? でも……」

 驚きつつも、見捨てる決断がどうしてもできない。

 

 ダイアウルフは、魔獣(まじゅう)の一種だ。


 通常の(おおかみ)の体長は成人の半分ほどだが、ダイアウルフは、その倍以上の巨躯(きょく)に成長する。


 (あご)が発達していて、鋭く長い(きば)がある。


 特徴は、魔力を(あやつり)り身体強化・身体能力強化ができること。魔獣(まじゅう)と言われる所以(ゆえん)だ。


 このため、通常の(おおかみ)とは比較にならないほどの恐怖を人々に与える存在なのだ。


 体毛は、白色、浅黄(あさぎ)色、(かき)色、灰色、黒色が混合しているが、この子(おおかみ)は、黒一色。

 特異な個体だから、親に見捨てられたのか?


「そもそも、まだ生まれたてだから、(ちち)で育てる必要があるわ」

 ノアの声は、追い打ちをかけるように冷たい。

 

「う~ん。そうですか……牛乳じゃダメですかね?」

 頭をひねりながら、淡い希望を口にした。

 

「それは、なんとも言えないわね」と、ノアはあくまで冷静に答えた。


 そのとき、マグナスの意思を感じた。

 影から出たがっている。


 従魔は主人と(たましい)のパスがつながっているので、意思疎通(いしそつう)ができる。


「マグナス!」


 名を呼ぶと、マグナスは勢いよく影から姿を現した。

 見れば、体が一回り小さい雌犬(めすいぬ)が寄り添っていたので、驚いた。


 ──ちゃっかりと、(つがい)を見つけていたのか!

 

 そして、マグナスの意図を把握(はあく)した。


 (つがい)(めす)は、乳房(ちぶさ)が張っている。

 子どもを産んだ直後なのだろう。母乳(ぼにゅう)を分けてくれるつもりなのだ。


 牛よりも犬の方が(おおかみ)に近いから、育ってくれる可能性は高い。


「マグナス。ありがとう」と、感謝の言葉をかけた。

 ツンと上を向いているマグナスが、誇らしげに見える。


 手をゆっくりと子(おおかみ)の上にかざし、意識を集中させた。柔らかい光を帯びた霊気(れいき)(=生命エネルギー)がほんの少し手から()れ出し、子(おおかみ)の体へと静かに流れ込んでいく。


 慎重に子(おおかみ)を抱き上げ、マグナスの(つがい)の横にそっと寝かせると、乳首(ちくび)の近くに優しく導いた。


 後は、自力で飲むことを祈るばかりだ。


 子(おおかみ)は、しばらくの間、クンクンと鼻を鳴らして(にお)いを探っている。


 固唾(かたず)()んで、その様子をじっと見守った。

 周囲の音が消え、時間が止まったかのような感覚が広がる。


 そして、ついに乳首の場所を探りあてると、子(おおかみ)はしゃぶりついた。

 ほっ――と、安堵(あんど)の息が()れる。


 小さな前足で一生懸命乳房いっしょうけんめいちぶさをふみふみしているが、その動きはまだ弱々しい。

 

 ちゃんと飲めているのだろうか? 心配が(つの)る。




 幸い、子(おおかみ)は順調に育ってくれた。

 二週間もすると、死にかけていたのが(うそ)のように元気に走り回っている。


 マグナスの子どもたちに混じって遊ぶ姿は、やんちゃで元気があり余っている。


 ある程度成長したところで、「フェロックス」と名前を付け、従魔契約(じゅうまけいやく)()わした。


「よかったわね。これも、あなたの日頃(ひごろ)の行いがいいからよ」と、ノアが優しい笑みを浮かべて言った。


「そうでしょうか……?」

 僕は少し照れながら返事をする。


 いつもはクールなノアが()めてくれたので、僕は顔を赤らめた。

 

 (うれ)しい反面、不安もある。

 ノアは、なぜ良くしてくれるのだろう? こんな僕のために……。

 それが不思議でならない。






 森を抜け、聖エレシア山の奥深くに足を踏み入れると、冷たい風が急に僕を包み込んだ。

 日差しは木々の隙間(すきま)からかろうじて差し込んでいたが、その明るさが奇妙に薄れているように感じた。まるで、自然そのものが息を(ひそ)めて僕の行動を見守っているようだ。


 その時、後方からふわりと柔らかい声が聞こえてきた。


「まあ……また会えたわね」


 僕はその声に振り返った。目の前には、一人の女性が立っていた。彼女の髪は漆黒(しっこく)に輝き、(ひとみ)も深い漆黒(しっこく)の色をしている――ノアだった。


 だが、何よりも感じたのは、その背後に広がる不気味(ぶきみ)なほどの静寂(せいじゃく)だった。


 彼女がそこに立っているだけで、森の音がすべて消え去ったように感じられる。まるで、彼女そのものが、この場所の支配者であるかのように。


「ノアさん……どうして、ここに?」


 僕は警戒心を押し殺し、そう尋ねた。


 彼女はにっこりとほほ笑み、まるでずっと以前から知っていたかのような親しげな目つきで僕を見つめた。


「私は、ずっとあなたを見守っているのよ」


「見守っている……?」


 その言葉には、どこか(なつ)かしさと不安が混ざり合った奇妙な響きがあった。まるで、彼女は長い間、僕の存在を知っていたかのように感じる。


 だが、先日出会ったのが初めてのはず――なのに、彼女の言葉には確信が込められていた。


「ノアさんは、いったい……?」


 僕の問いに、ノアは笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。

 彼女の漆黒(しっこく)(ひとみ)は底知れない深淵(しんえん)(やみ)をたたえ、視線はまるで僕の(たましい)(のぞ)き込もうとしているかのようだ。


「あなたのことは、ずっと見守ってきたのよ。ずっと……ね」


「なぜ……?」


 僕の問いに、彼女はふわりと肩をすくめ、まるで自然なことのように答えた。


「あなたが特別だからよ。ルーカス……あなたの(たましい)は、何よりも美しく、神聖で、そして力強いわ。まるで……清浄(せいじょう)(ほのお)のよう」


 彼女の言葉は、心の奥底にまで響いてくるような強いものだった。だが、その裏には、何か重苦しいものがあることも感じ取れた。


「なぜ、僕のことをそんなに知っているんですか?」


 ノアは、ふと目を()せ、静かな声で言った。


「生まれてすぐ、私はあなたに触れたことがあるの。ほんの少しだけ……でも、その瞬間、私は知ったわ。あなたが、どれほど美しい存在であるのかを……」


 その瞬間、何かが僕の胸の中で警鐘(けいしょう)を鳴らした。


 彼女は、どうしてそんなことを知っている?

 どうして、生まれた時のことまで……?


 だが、その警戒は、彼女のほほ笑みで打ち消された。ノアの表情は、まるで迷い込んだ子どもを優しく包み込む母親のようだ。


「でも……まだその時ではないわ。あなたに私の本当の姿は見せられない」


 僕は彼女に問いかけようとしたが、言葉は(のど)で詰まり、出てこなかった。


 彼女はもう一歩近づき、僕の手を取った。その手は冷たく、そして何か異質な力がその手から伝わってくる。


「私を信じて。いつでも……あなたを見守っているから……」


 その言葉は、命令にも似た響きを持っていた。

 心の奥底に何かが引っかかる感覚があったが、彼女の(ひとみ)に吸い込まれそうになる僕自身を止めることはできなかった。


 まだ(つたな)い僕には、これ以上は年上の異性の心情などはかりようがない。

 ノアも口を閉ざし、もう何も語ろうとはしなかった。

 

 ノアの美しさは、まさに完璧(かんぺき)という言葉にふさわしい。

 透き通るような白い(はだ)、しなやかでスレンダーな体つき、そして漆黒(しっこく)(つや)やかな髪。

 彼女は可憐(かれん)でありながら、(はかな)さも(ただよ)わせている。


 だが、どこか影があり、(りん)として近寄りがたい雰囲気(ふんいき)(かも)し出している。

 気高(けだか)く、謹厳(きんげん)な教育者といった感じだ。


 親しくなりたい願望がある反面、恭敬(きょうけい)の念を覚えてしまい、一歩が踏み出せない。

 

 僕はノアに(あこが)れたし、それ以上の感情を抱いた。

 それは恋なのか、何なのかわからない。

 とにかく、好意には違いない。


 彼女の姿を思い浮かべると、胸がほんのり暖かくなるが、少し苦しくもある。

 (ゆが)んだ鏡に映った像のような、不定形で朦朧(もうろう)とした感情だ。でも、嫌じゃない。


 これが恋なら、初恋だった。

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