リュミエナの呪物
僕は、ペンダントの正体を突き止めるため、図書館にこもった。
あれは、おそらく呪いの類だ。ペンダントの装飾は未知のものだったし、セレスティアも正体がわからなかった。
ということは、遠い異国か遥か太古の魔術や呪術だと推測し、関連する書物を必死に調べ始める。
少なくとも、今まで僕が至った階層には、それらしき書物はなかった。
ヒントを求めて、さらに深い階層をめざし、とにかく書架の書物の情報を読み取っていく。
根を詰めると、脳がヒートアップを起こす。しかし、癒やしてくれるイリスはいない。
それでも、最低限の休みを入れながら先へ進む。自然と情報を読み取るスキルが上達し、ペースは上がっていた……。
およそ千年前に相当する三〇階層目の扉を開けた瞬間、全身を冷たい風が包み込んだ。そこには帝国初期の建造という伝承を覆す光景が広がっていた――、
階層は、さらに果てしなく続いている。帝国は、既存の施設を利用していただけに過ぎなかったのだ。
さらに、書庫は途方もなく続く。千年、いや二千年を超える知識の地層が……。
気が遠くなりそうだが、ここで諦めるわけにはいかない。
そして、ついにペンダントと同じ装飾の記述を発見したときは、感動で胸に熱いものがこみ上げた。
さらに、同じ階とその下の階で関連する記述を次々と発見し、僕の興奮は極致に達した。
図書館の薄暗い光の中で、該当する膨大な量の本を書架から取り出した。かすかな蝋燭の光が、積み上げられた書物の陰影を浮かび上がらせる。
本を手に取り、次々とページをめくる。目は疲労しながらも、燃え上がる熱情は、それを苦にしない。
手にした本に書かれた古代の呪術文字やペンダントと一致する装飾の記述を発見したときは、期待の高まりで瞳孔が広がり、ページをめくる動作が早くなる。
しかし、一息で解決できるような記述があろうはずもなく、断片的な情報を総合して推測していくしかない。
ペンダントは「リュミエナの呪物」と呼ばれるもので、千年を超える古代の遥か東国の月神リュミエナに捧げられた祭具であることが分かった。
ペンダントは、月神リュミエナへの生贄に装着され、その生命力を吸い取り、神へ捧げるための器として使われる。
呪いは、徐々に生贄を蝕み、最終的には魂が呪物に囚われてしまう。
呪いを解くには、「月光が降り注ぐ夜に特定の呪文を唱え、特定の植物や祭具を用いた儀式」を行わなければならない。
ただし、呪いを解くには高い霊力が必要であり、儀式の失敗は術者自身の命を危険にさらす可能性があると警告されている。
ペンダントの装飾には、現代の魔術にも似た魔法陣と印形が古代の呪術文字によって組み込まれていた。これにより、儀式を省略して、呪術を発動させるのだ。
魔法陣は、呪術で用いられる紋様や呪術文字で構成された円形の図で、前駆物質の形成や現実世界への作用過程を調節する。
印形とは、 目的実現のためのモノグラム(二つ以上の文字・記号を重ね合わせ・組み合わせて、一つに形成した記号)だ。
魔法陣や印形は、ゲマトリア (数秘法)、ノタリコン (省略法)、テムラー (文字置換法)というカバラの奥義などを駆使して作られる。
これがくせもので、逆算して本来の記述が何であったかを解き明かさないと、解呪もできない。これが、最大の難問だ。
虫食い状態で断片的に示された文字列。無数の可能性を、文字の置換と数秘法を考慮しながら一つずつ潰して、元の記述を推定していく……。
高度な知識と集中力を維持しながら、ひたすら作業に没頭する。
一方で、イリスの容体は日に日に悪化し、焦燥の念は募るばかり……。
「くそっ! 間にあうのか⁉」
苛立ちのあまり、作業をしている机を殴りつけた。
「これが僕の全力か? いや、そうではないだろう!」
痛みが残る拳を見つめると、手の甲のעが目に入った。
――今こそ、聡明法で得た力を使うときだ!
気持ちを切り替えると、焦燥の念をかなぐり捨てて、無心となって瞑想に集中する。
だが、イリスの死という憂慮を前に、焦れば焦るほど続けざまに疑念、雑念が湧いてきては集中が削がれる。
「こんなことじゃダメだ!」
目を開けると立ち上がった。
自分が情けない。しかし、こんなときこそ、急がば回れだ。
両腕を上げると、ヨガの太陽礼拝のポーズをつけていく。すると案の定、ずっと座って読書に没頭していた体は、凝り固まっていた。
心と体は繋がっている。ここは、体を緩めることで心をリラックスさせないと瞑想どころではない。
時間をかけてポーズをつけていくと、うっすらと汗をかいた。
結跏趺坐して目を閉じると、神経がスッと落ち着いたことがよくわかる。
そのまま己の小宇宙と向き合い、瞑想に入る。今度は、すんなりと入っていけた。やはり、体を緩めたのが正解だった。
瞑想が深まるにつれ、עが、続いて額の帝王紋が熱を帯び、活性化した。
それに伴い思考が加速し、膨大な知識が脳内ヘ流れ込んでくる。
עが刻まれたとき以来の久しぶりの感覚。
小宇宙の辺縁と思い込んでいた境界は曖昧になり、広く・深く果てがないかのように拡張しいていく。まるで今も拡大し続ける大宇宙の辺縁空間のように……。
一方で。自我の境界が薄まって崩壊してしまうかのような恐怖を覚える。
(迷うな! 立ち止まっている場合じゃない!)
これまでの修法で幾度も経験してきたこと。イリスを救う急務の前では些事でしかない、と自らを戒める。
瞑想が深まり、集合的無意識の領域に入る。初めてではないから、恐怖心は薄い。
そして、いつしか自我の境界が極限まで曖昧になっていた。
小宇宙で形成された厖大な情報が、大宇宙へと統合されていくことを感得した。
それにより、大宇宙に内在する厖大な情報の貯蔵庫のようなものとシンクロした感覚を覚える。
感覚を頼りに貯蔵庫との交感を試みる。
情報の量は、これまで経験したものよりも比較にならないほど多い。天文学的に桁の違いがある。
これほどになると、論理的アプローチは不可能だ。パトス(情熱・感情、共感性)により感得するのだと、直感的に理解した。
これは、おそらくアカシック・レコードというものだ。大宇宙の物質的な存在を超えた霊的な領域、あるいは本質的な空間に、宇宙や生命、過去・現在・未来に至るすべての出来事や知識が記録れているといわれる。
僕は交感を試みて、解呪に有用と思われる未知の暗号解読知識も探り当てた。
この成果を携えて、呪物そのものと向き合うべく、イリスの部屋を訪れた。
彼女は酷くやつれて心気朦朧し、目がとろんとしていた。悪夢を見ないため、睡眠時間を極限まで削っていたからだ。
睡眠は生理的に不可欠。削り過ぎると、それはそれで精神に異常をきたしてしまう。もはや、時間の猶予はない。
「イリスさん。ペンダントを触らせてもらうよ。もう少しだからね」
「……うん」
彼女のリアクションの薄さに、危機感を覚える。とにかく前へ進むしか……。
ペンダントへ手を添えると、冷たい青い光に手が痺れていく。これに耐えながら、精神を集中し、詠唱する。
「記憶の泉、カスタイアの泉よ、女神ムネモシュネの恵みを、我に与え給え。
ここなる物の過去に眠る声へ耳を傾け、風に刻まれた痕跡を辿り、呪術者の残像をここに映せ!
時の狭間を越え、魂の奥底へ、忘れられた記憶の扉を開け!
真実の光を照らし出し、過去に起こりし、事象を示し給え!
世々限りなきエレシアと神々の統合のもと、実存し、 君臨する記憶と想起の女神ムネモシュネを通じ、ルーカスが乞い願う。接触感応!」
接触感応は、物質に触れることで、その物質にまつわる記憶や感情を読み取る。これにより、呪いを付与した場面の記憶を映し出そうというわけだ。
魔術は成功し、この太古の神殿にいた呪術者や生贄とされた者の幻影が僕の脳裏に浮かぶ。
それにより、わかったことがある。
無数の生贄の魂を取り込んだ呪物は、より兇悪となって自我を獲得し、自ら生贄を選ぶようになったこと。生贄は、月に感応する強い力を持った純潔な乙女でなければならないこと……など。
呪物は千年を超える時をへて、魂を食らい続けてきた。目指すは、古代の神霊を復活させることだ。
あの露天商は、呪物に精神を操られていた。
そして、よりにもよってイリスが選ばれてしまったのだ。やりきれない理不尽さに、運命の女神を恨まずにはいられない。
接触感応で得られた情報により、作業は一気に進み、解読作業をほぼ終えた。”ほぼ”というのは、ノタリコン (省略法)を使用している以上、確からしい推定はできても、完璧な解答はありえないからだ。




