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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
24/31

アストラリス宮殿との別れと、人竜の掟

 光陰(こういん)矢の(ごと)し。春が近づいてきた。


 ある日。エレシアに言われた。

 

「そろそろ潮時かな。これより上続けばヴェラが嫉妬(しっと)に狂ひぬ。やつ怒鳴り込みくるうたてしもしれん」


「えっ! それは、どういう? ヴェラとは、戦争と知恵の女神ヴェラ様のことですか?」

「さらなり。さうじみに自覚なしとは、ヴェラも(あわ)れかな。其方(そなた)には、山ほど祝福与へられたらずや」


 確かに、他人へ付与された精霊(せいれい)の加護や神の祝福はわかりやすいが、自分のこととなると客観的に見ることが難しい。だが、エレシアが言うなら真実に違いない。


 そろそろ下山も可能な気候になりつつある。

 半年足らずの短い期間であったが、アストラリス宮殿で過ごした日々は、とても有益だった。将来の基盤固めができたと言ってもいい。


 僕は、下山することを決断した。


 いよいよ出立の日。

 戦乙女(ヴァルキーエ)たち、英雄(エロイカ)たち、宮殿の使用人たち、そしてエレシア本人までもが見送りに来てくれた。


「皆さん。お世話になりました」

 言った途端、故郷を去るような言いようのない(さび)しさに襲われ、目が(うる)んだ。


 それが切っ()けになったのか、レベッカが声をあげて号泣した。うつむいた顔から、涙がポタポタと落ちている。

 戦乙女(ヴァルキーエ)たち、英雄(エロイカ)たち、宮殿の使用人たちにも伝染し、グスリと涙ぐむ音がこだまする。

 

「レベッカ。山を降るるは自在なり。降らまほしくば、己の意思にて降りたまへ」


 エレシアが、いつになく慈愛(じあい)に満ちた声で語りかけた。レベッカは、とたんに当惑顔になった。助けを求めて姉たちを見渡すが、(だれ)も応えない。彼女は、オロオロするばかりだ。


 見ていた僕は、気の毒になった。僕が、もし人竜(じんりゅう)だったら、どうするか?

 求婚するのは雄の方だ。雌は、気に入らなければ全力で抵抗するしかない。少しでも躊躇(ちゅうちょ)して(すき)が生じれば、雄はそこに付け入る。


 レベッカ一人で決断させるのは(こく)だと思った。ここは、人竜(じんりゅう)方式で行かせてもらおう。


「僕は、レベッカが欲しい。だから、アストラリス宮殿から(さら)っていく。(いや)なら全力で抵抗してくれないか?」と、人竜(じんりゅう)方式の求婚の言葉を()いた。


 この一言に彼女は驚倒し、瞳孔(どうこう)散大した。

 彼女に近づくが、硬直(こうちょく)したように立ちすくんでいる。頭へポカリと軽く拳骨(げんこつ)を落とした。


「ルーカス。痛いよー」と言いながら、彼女は僕の胸にヘロヘロなパンチを放った。ちっとも痛くない。


 ――本気で戦ったら、まだレベッカの方が強いと思うんだけど……。


 僕は、レベッカを強引に抱きしめる。レベッカは、まだ戸惑っている。


「母さん。私、ルーカスに(さら)われちゃうけど……いいのかな?」と、レベッカは、自信なさそうにエレシアに問う。


其方(そなた)(こば)まざらば、此方(こなた)は止めず。そは人竜(じんりゅう)(おきて)なり」


 エレシアの言葉は厳しいが、情愛の温もりが込められている。

 レベッカは、泣きべそをかきながら、微苦笑した。


「強い雄に(さら)われちゃうのは、弱い雌の宿命だよね……」


 母エレシアに対する言い訳なのか、自分に言い聞かせているのか……。


 レベッカは、(くちびる)をかみしめると、武装姿に転じた。身にまとう銀色の甲冑(かっちゅう)には、太陽の模様がちりばめられ、その輝きは、金髪で金の(ひとみ)の彼女の優雅な雰囲気(ふんいき)をいっそう際立(きわだ)たせている。


「ルーカス。私に勝って」

「ああ。なんとかやってみるよ」

 

 レベッカは、全力で光の剣を振るった。剣が輝き、空を()閃光(せんこう)となって僕に迫る。その一撃には、太陽のような熱と重みが宿り、受け止めた腕が(しび)れる。

 二撃目――彼女の剣の軌跡(きせき)が光の()を描き、僕の剣を弾き飛ばす。

 三撃目――鋭く切り()かれた風圧が(ほお)(かす)め、背後の大地を(えぐ)る音が響いた。

 

「これが……戦乙女(ヴァルキーエ)の力……!」


 限界を()えた僕の身体はついに(くず)れ、片膝(かたひざ)をついた。その瞬間、光の剣を振りかざすレベッカが、一瞬だけ動きを止めた――最後まで勝負をつけなくとも、もう結果は見えている。


「ごめん……レベッカ……」


 エレシアの娘たちは、いわば半神だ。僕が数カ月修練したところで、かなうはずがなかったのだ。増長して醜態(しゅうたい)をさらした自分が、情けない。

 

 レベッカは、剣を静かに下ろし、ふっと息を()いた。その金色の(ひとみ)()らいでいるようで、どこか覚悟(かくご)を決めたようでもあった。


「いいの……ルーカス。あなたはきっと、もっともっと強くなる……。そう信じてるわ」


 一瞬の沈黙……。

 小さく笑い、震える声で彼女は続ける。


「そのとき、私を(さら)いに来てくれる?」


 言葉に込められた期待と不安が、剣よりも鋭く胸に刺さるのを感じた。


「ああ。いつになるか見当もつかないけど、精進するよ」


 結局のところ、戦乙女(ヴァルキーエ)としての彼女たちの強さは、(はる)か高みにあることを思い知った。稽古(けいこ)をつけてもらっていたときは、よほど加減してくれていたのだ。


「ルーカス。待っているから……」


 レベッカの顔が憂愁(ゆうしゅう)をたたえている。自責に心が耐えられない。

 

「わかった。じゃあ、レベッカ。僕は行くよ」

「うん……」


「アストラリス宮殿は、常に開かれたり。ときじく恋しきに来べし」

「ありがとうございます」


 エレシアの言葉が、胸に響いた。彼女は、恋人であり、母であり……男にとっての女の原型なのだろう。彼女の慈悲(じひ)が、無償(むしょう)の愛が……その鮮烈な印象は僕の心に刷り込まれ、忘れようがない。


 ――別に、永遠の別れというわけじゃない……。


 背後に広がるアストラリス宮殿の輝きが、遠ざかるたびに小さくなっていく。星空を抱くその荘厳(そうごん)な姿は、僕にとって第二の故郷そのものだった。

 

 無性に胸が詰まり、後ろ髪を引かれる。


(いつか、もっと強くなって、胸を張って(もど)ってこよう。そのときこそ、この宮殿にふさわしい存在として……)


 ()れる思いを胸に、アストラリス宮殿を後にして一歩ずつ山を下りていった。一度も振り返らずに。

 



     ◆




 僕は、欲をかくことにした。

 天馬(ペガサス)のゼファーに騎乗(きじょう)して行けば、あっという間に下山できるが、あえて徒歩で山を下る。せっかく聖エレシア山の上まで登ったからには、帰りがけの駄賃(だちん)として、使えそうな怪物(かいぶつ)たちを従魔(じゅうま)にするのだ。


 グリフォン、サイクロプス、マンティコア、フェニックス、キマイラ、サラマンダー、バジリスク、ヒュドラ、アラクネ、ティラコレオ、サーベルタイガー、ニグルムジャガー、エラスモテリウム、セラティスヴァイパー、そしギガントサーペント……など。


 苦しめられた怪物(かいぶつ)の数々だが、瞬殺とまではいかないまでも、楽勝だった。

 アストラリス宮殿での修行の成果を確認できた。僕の生命エネルギーが強まったことで、マグナスとフェロックスの強さも、格段に増していた。体格も一回り大きくなっている。

 

 道中で、ナンフと出くわした。


「あらっ! あなた生きていたの」

「おかげさまで、なんとかね」


「私なんか、何もしていないけど?」

「君と会話できたことは、僕にとって、かけがえのない()やしだったから」


「それもそうね。私みたいな高貴な妖精(ようせい)にしてみれば、当然のことよ」

 鼻息を荒くしながら、小さな胸を張っている姿が微笑ましい。思わず目を細めた。


 突然、森の中から激しい風が吹き荒れたかと思うと、白い影が一直線に僕へ駆け寄ってきた――ルナリアだ!


「おいおい、ルナリア……!」


 小さな鳴き声を()らしながら、激しく頭や鼻を()り寄せてくる。その懸命な動作には、どこか狂おしいほどの愛しさと安堵(あんど)の感情が(にじ)んでいた。


「ごめん、ごめん。悪かったよ。心配をかけたね。寂しかったんだよね」


 僕は首元に手を回し、思う存分()でてやった。

 ルナリアは時折、短い(いなな)きをあげながら、喜びを全身で表現している。その光景に、思わず口元が(ゆる)んだ。


 ルナリアが満足するまで、小一時間かかった。

 そこからは、ルナリアに騎乗(きじょう)して、イリスの村へ向かう。


 仮の修行小屋が見えた。小屋に手を突いて、項垂(うなだ)れながら、黄昏(たそが)れている少女がいた。イリスだ。

 物音に気付いて僕を発見すると、目を大きく見開き、瞬く間にその(ひとみ)に涙をためた。そして、全力で駆け寄ってきた。


「ルーカス……ルーカス……」


 僕もルナリアから降りて、イリスに駆け寄る。


 イリスは、勢いよく僕に抱きついてきた。それを受け止め、こちらからも抱き返す。

 彼女は、僕の胸に顔を()め、声をあげて啼泣(ていきゅう)した。


「ルーカス……バカっ! どれだけ心配したと思ってるのよ!」


 声は震え、その小さな体が僕の胸の中で嗚咽(おえつ)とともに()れている。

 

「冬になっても帰ってこないから……本当に死んじゃったのかと心配したんだから!」

 

 その言葉が胸に刺さる。僕は頭をかきながら、彼女の背中をゆっくりと()でた。


「ごめん、イリスさん……心配かけて、本当にごめん」


 僕を小さく(たた)きながらも、彼女は涙声で続ける。


「もう、二度とこんな思いさせないでよね! 絶対にだから!」


「わかったよ。とにかく聡明(そうめい)法は完遂(かんすい)したから。これもイリスさんのおかげだよ。心配かけて、ごめんね」

「本当……なの? じゃあ……何で……すぐ帰ってこなかったの?」

 イリスは、すすり泣きながら聞いてくる。


「それが……完遂(かんすい)したものの、死にそうになっちゃって……そこを山の上にある村の人が助けてくれて……。でも、冬になって下山できなくなったから、村でお世話になっていたんだよ」


「本当に? そんな山の上に村があるなんて、信じられないわ」

「あったからこそ、僕は生きているわけなんだけど……」

 

 イリスは、小首を(かし)げている。ゴクリと(つば)を飲みこみながら、これを見守った。


「まあいいわ。ここで言い争いをしても不毛だし……とにかく、伯父(おじ)さんの家で休むといいよ」

「ありがとう。すまない」

水臭(みずくさ)いわよ。今さら」


 それから、イリスの伯父(おじ)さんのアルヴィンと叔母(おば)さんのミーリエルや村の人々に謝り倒した。

 アルヴィンの好意で村へ一泊する。

 エレシュポロンの僕の家へは、村の人が一報を入れてくれることになった。


 夜は宴会(えんかい)となり、根掘り葉掘り聞かれた。

 あまりに途方もない経験だっただけに、上手に言い抜けるのに苦労した。特にアストラリス宮殿のことは、大っぴらにはできない。


 翌日。ルナリアに騎乗(きじょう)して、エレシュポロンの自宅へ向かう。


 例の花園で、難しい顔をしたノアが、仁王立ちで僕を射すくめた。

 急いでルナリアから降りて、ノアのもとへ向かう。


「無事帰ってきたのね。あなたは特別だから信じてはいたけれど、まず真っ先に教えてほしかった。結局、あなたの一番は、あのエルフなのかしら?」

「いや……下山して最初に会ったのが、彼女だったから……」


 ノアの鋭い(ひとみ)が僕を射抜くように見つめていた。静かな声で、それでも感情を押し殺したように言葉が(つむ)がれる。

「信じていたわ。でも……信じていても、心配という感情は(ぬぐ)えないものよ」


 いつも冷静な彼女の(ひとみ)が、一瞬だけ()れる。それがかえって、心の奥に秘めた感情を如実(にょじつ)に伝えていた。


「ノアさん……ごめんなさい。あなたにまで、そんな思いをさせてしまって……」


 すると、ノアは静かにほほ笑む。そこには、どこか母性すら感じられた。

 そして、いつもの気高い雰囲気(ふんいき)をまとうと、優しく抱きしめてくれる。


「いいのよ、ルーカス。あなたは帰ってきてくれた――それが、全てだから」


 ノアから解放されると、それまで遠慮していたピクシーのカリーナが勢いよく飛びこんできた。


「ルーカス様のバカあぁぁっ!」


 というなり、グズグズと泣いている。

 さんざんなだめたが、やはり落ち着くまで小一時間かかった。

 

 そうして、ようやく自宅にたどり着いた。

 とにかく、会う人会う人に謝り続ける。たいへんな労力だが、自業自得だ。


 母エレナと妹のソフィア、ヘレネー、カサンドラと弟のアレスは、(まぶた)を泣き()らしていた。父のアレクサンドロスまでもが涙ぐんでいた。

 自分は養子だが、こんなにも愛されていたのかと痛感した。

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