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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
23/31

世界樹の精霊と試される絆

 ゼファーとの空中戦闘の訓練は、単なる技術の向上にとどまらない。翼と剣が交わるたびに、僕たちは互いの心を深く理解し、(きずな)を深めていった。


 空中戦闘の修練には、戦乙女(ヴァルキーエ)たちの力が欠かせなかった。彼女たちは、僕とゼファーに対して()しみない技術と知識を授けてくれた。


「ゼファーと一緒(いっしょ)に空を(かけ)るあなたの姿……どこか私たち戦乙女(ヴァルキーエ)と重なって見えるの。いつの間にか仲間になった気がして(うれ)しいわ」

 レベッカはそう言いながら、満足げにほほ笑んだ。


 だが、空中戦闘の実戦は甘くない。

 ゼファーの速度や動きを完全に把握(はあく)するだけでなく、自らの魔術(まじゅつ)と剣技を組み合わせ、目まぐるしく変化する状況に対応しなければならなかった。


「ルーカス! 遅いわよ、そのタイミングじゃ敵に読まれる。もっと直感を信じて、次の一手を先読みして!」

 鋭い声が空に響き渡った。


「甘い! その動きじゃ、まだ読まれるわよ!」

 と、指摘したのは、雷の魔術(まじゅつ)を操るレイリアだ。鋼の盾を構え、戦場を見渡すその姿は、まさにリーダーそのものだった。


 僕にとって戦乙女(ヴァルキーエ)たちとの稽古は、想像を超える挑戦(ちょうせん)の連続だった。だが、その中で得られる教えは、どれも貴重で大きな意味を持っていた。


 特にゼファーとの連携(れんけい)技術は、この訓練を通じて飛躍的に向上した。彼の動きと僕の意志が、まるで一つの流れとなるように調和し始めていた。


「風を読むだけじゃなく、流れを作るのよ!」

 と、指摘してくるのは、風の魔術(まじゅつ)と剣技を駆使するマルセラだ。彼女の教えは、戦術そのものを根本から考えさせるものだった。


 レイリアの鋭い助言と、マルセラの戦術的な指導。その一つ一つが、僕とゼファーの戦闘スタイルを形作り、次第に洗練されていくのがわかった。


 だが、問題が一つ。冬場にあって、訓練のために度々リーダを引き抜かれた群れは、(えさ)の確保に苦労していた。これではリーダーたるゼファーの立場が悪くなる。

 その解決策を考えあぐねていた矢先――、


「お困りのようね」


 深い(すいりょく)緑色の髪と、エメラルドのごとく輝く(ひとみ)を持つ女性が、(おだ)やかなほほ笑みを浮かべて立っていた。

 その緑のローブには、葉や花が編み込まれた優美な装飾が(ほどこ)されている。

 その姿はあまりに優雅な気品に満ち、しばし言葉を失った。


「あなたは……いったい?」

「私は、木の精ドリュアスのシルヴァナというの。そこに立っている大きな木の精よ」


 と、彼女が指さす方角を見ても、一瞬理解できなかった。なぜなら、遠近感が狂って見えたから……。

 それほどの大きさ――完全に雲を尽き抜けていて、(こずえ)はまったく見えない。あの巨大な樹木の……?


 しばし茫然(ぼうぜん)とした後、ようやくその意味を理解する。


「まさか! 世界樹の精ですか!」

「そんなに驚かなくてもいいのに。ただ大きいだけの木の精だから」


 にこやかな彼女は、権威を(かさ)に着るような様子は全くうかがえない。


「そのシルヴァナ様が、どんなご用でしょうか? もしや、僕を助けていただけると?」

「わたし、あなたに()かれてしまったみたい。あなたに尽くせることがあれば、それが私の喜びなの。でも、自然の調和を乱すことはダメよ」


「それならば、お言葉に甘えて。ゼファーの群れに、(えさ)の在りかを教えてほしいのですが……可能でしょうか?」

「そんなことなら、お安いご用よ。世界中の森の植物たちはすべて、私の目となり耳となるものなの。まして、聖エレシア山なら、私の庭みたいなものよ」

「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」


 シルヴァナは、無邪気(むじゃき)なほほ笑みを浮かべた。

「言ったでしょう。その前に……あなたが自然と調和できることを示しなさい。ただ力で制する者は、自然に(こば)まれる。あなたが選ぶのは、破壊か――それとも調和かしら?」


 シルヴァナの言葉とともに森全体が静寂に包まれ、異様な緊張感(きんちょうかん)(ただよ)う……。

 直後、木々がざわめき、風が低く(うな)った。


 ゴーッ! (あらし)のときのような猛烈な葉擦(はず)れの音が恐怖を(さそ)ったかと思えば、森の木々が集まり始めた。

 それが、やがて人形(ひとがた)を成して厖然(ぼうぜん)たる樹の巨人の姿となった。その全身には(つた)が絡み、無数の花が咲き乱れている。その姿は心が和む自然とはまるで違う。大きさといい、猛烈な葉擦(はず)れの音といい、荒ぶる自然そのもののに感じる。


 ――あれは? 森のゴーレム……⁉


 無機物ではなく、植物という有機物でできたゴーレム。世にも珍しい存在は、シルヴァナに従う森の守護者といったところか。


 樹の巨人は、僕とゼファーへ向けて、大股(おおまた)闊歩(かっぽ)してくる。

 その前の森の木々は巨人を避けるようにグニャリとしなり、左右に分かれて道を開けている。あたかも森の海が()けたかのようだ。


「どうしろって言うんだよ!」と、愚痴(ぐち)をこぼさずにはいられない。


 シルヴァナは、調和を見せろと言った。だが、このような荒ぶる存在と、どうやって仲良く折り合いをつけろというのか?

 逡巡(しゅんじゅん)している間にも、樹の巨人は迫ってくる。戸惑っていたら踏み(つぶ)されてしまう。


 まず、巨人を(おお)(つた)がうねうねと動き回り、僕とゼファーは絡みつかれそうになった。


(急場しのぎで、目先の脅威(きょうい)だけでも排除(はいじょ)しなければ……)


 やむなく黒鉄の剣、黒炎(ニグラ・フランマ)を抜刀して構える。

 まず、指呼(しこ)の間に迫った(つた)を、()ぎ払った。


 だが、この攻撃は巨人ばかりか、周囲の森をも挑発(ちょうはつ)する結果となった。


 巨人を(おお)(つた)のみならず、周囲の森からも(つた)が明確な殺気をもって僕とゼファーヘ押し寄せる。

 さらには、森の木へ近づくと、鋭い(くい)のような(とげ)が猛烈な勢いで生えてきて串刺(くしざ)しにしようとしてくる。


 そればかりか、巨人を(おお)う花からは、毒の花粉が(ただよ)ってきた。


 そして、巨人本体も俊敏(しゅんびん)さが増し、踏み(つぶ)そうとしたり、(なぐ)りかかったりと本格的に攻撃を仕掛(しか)けてきた。


 巨人の攻撃を避け、黒炎(ニグラ・フランマ)風刀ヴェントス・グラディウス魔術(まじゅつ)で、ひらすら矢継ぎ早に押し寄せる(つた)()ぎ払い続ける。森の木の(とげ)による不意打ちを警戒しながら……。

 しかし、突破口が見つからない。これでは消耗戦(しょうもうせん)だ。集中力が途切れたら、やられる。


 ふと、火で森を焼き払ってしまいたい衝動(しょうどう)が頭をもたげる。だが、それは絶対に「調和」ではない。「破壊」だ。


(力ずくで勝とうとしてもダメだ……シルヴァナが見たいのは、力の証明じゃない。自然と調和する心……)

 

 僕を見つめるゼファーの(ひとみ)に気づいた。彼を従えたときの記憶が頭を過る。そして(ひらめ)いた。


 ――風を読むんだ! あのときのように……。


 僕はゼファーに騎乗(きじょう)し、とともに風を読み、巨人の動きに逆らわず、その流れを利用して突破する戦術を取ることにした。 巨人の攻撃が当たる寸前に、それが巻き起こす風に乗って回避するのだ。


 巨人が攻撃しようと大きく腕でを振った。ゼファーの翼が、その風の流れに乗る。その動きに合わせて、黒炎(ニグラ・フランマ)を引いて、戦闘の準備を整える。

 敵意ではなく、流れに身を任せる――まるで大樹の葉が風に()れるように……。


 目論見どおり、巨人の腕は当たる寸前で空振りに終わる。ゼファーはふわりと宙に舞い、巨人に絡まった(つた)も届かない。

 周囲の森も巨人と同調していて、ゼファーの動きにはついていけていない。

 

 黒炎(ニグラ・フランマ)の出番はなく、暗赤色の光が風に沿って芸術的な自然の曲線を描く。

 

 巨人の攻撃はしだいに(おだ)やかになり、やがて動きを止めた。

 すると、森全体が(おだ)やかな光に包まれた。


 森の中から()き出るようにシルヴァナが姿を見せる。

「あなたは力を持ちながらも、力に(おぼ)れなかった。風とともに舞い、森を敬う――その心こそが、私が求めた答えよ」


 それが、試練の終わりを告げる言葉だった。


 星明かりの下、ゼファーに乗って森の上空を駆けた。背景に風と光が流れ、まるで僕たち自身が森の一部になったようだった。


「ゼファー――僕たちは、ただ戦うだけじゃない。守るために、ともに風となるんだ」


 ゼファーは、それに応えるように上昇(じょうしょう)気流へ乗り、天高く舞った。




 シルヴァナが森の植物たちを通じて(えさ)場を教えてくれたおかげで、ゼファーたちは苦労することなく必要な場所を見つけることができた。

 天馬(ペガサス)たちも心得ていて、いかに空腹でも(えさ)場の植物を食べ尽くすことはしない。それは、(えさ)場の消失を意味することを、本能的に理解しているのだ。


 シルヴァナには、生態系の「調和を乱すな」と言われたが、注意するまでもなく、天馬(ペガサス)たちは賢明(けんめい)だった。


 シルヴァナの存在は、まるで森そのものが形を成したかのような威厳と慈愛(じあい)に満ちていた。彼女の助力がなければ、ゼファーの群れも僕自身も、この試練を乗り越えることはできなかっただろう。その恩は、言葉に尽くせぬほど深い。


 ドリュアス――その存在については、人間の間で諸説がある。一説にはただの木の精霊(せいれい)とされ、また一説にはニュンペーという下級神の一種だとされる。

 ニュンペーについては、恋愛に奔放(ほんぽう)で男性に容易(たやす)く心を許す存在だとする伝説もある。そのため、裸体画(らたいが)の題材として描かれることが多いようだ。


 僕は、後者の説は、男の身勝手な妄想(もうそう)の産物だと解釈していた。

 ところが、礼を申し上げようと再びシルヴァナを訪ねたところ、彼女から思いもよらぬ提案を受け、言葉を失った。まさか、後者の伝説が現実となるとは! ――まさに意表を突かれた。


 すでに対価を得ている以上、それを(こば)むのは礼を欠くことになる。


 僕が慣れ親しんでいるエレシア教では、一夫一妻制が基本だ。単純に複数のパートナーを相手にする行為は、人倫(じんりん)にもとると感じてしまう。

 だが、シルヴァナといい、エレシアといい、パートナーは一人に限るという倫理観(りんりかん)はないらしい。


 とはいえ、奔放(ほんぽう)と言えるほどハードルが低いわけではなく、彼女らなりの確固とした基準がある。そのお眼鏡(めがね)(かな)った男性のみがパートナーとなれる。エレシアの場合は、彼女が発する霊気(れいき)の試練を耐え抜いた者と単純だが、シルヴァナの場合は……?

 とにかく、存在の大きさに(かんが)みれば、選択(せんたく)の主導権は彼女らにある。

 

 僕は結局、彼女の望みを受け入れるほかはなかった。


 シルヴァナとの行為――(たましい)の交わりは、エレシアのときと変わりなかった。

 シルヴァナはエレシアほどではないものの、破格の霊気(れいき)をその身に宿していた。世界樹の精霊(せいれい)ならば、それは当然のことだろう。

 要するに、普通の男では到底かなわない存在ということだ。強引に事に及べば、おそらく干乾びてミイラになってしまう。

 だからこそ、エレシアに(きた)えられた僕へ興味を抱いたのだろう。


「何かあれば、植物のあるところで呼べば、駆け付けるわ。いつでも待っているからね」

「わかりました。その言葉、しかと胸に刻みこんでおきます」


 シルヴァナは、変わらぬ優雅なほほ笑みを浮かべている――けれどその(ひとみ)の奥に宿る得体(えたい)の知れない(すご)みに、僕は背筋を震わせずにはいられなかった。




 シルヴァナの導きにより、ゼファーの群れは新たな(えさ)場を確保し、森は再び平穏(へいおん)を取り(もど)した。そして僕は、ゼファーとともに次なる目標へ――空中戦闘のさらなる鍛錬(たんれん)へと歩を進めることになった。


 ゼファーとともに空を駆ける日々が続く中、僕の中には次第に焦燥(しょうそう)が芽生え始めていた。訓練を重ね、技術を(みが)いているにもかかわらず、戦乙女(ヴァルキーエ)たちの洗練された動きには、まだ遠く及ばないと痛感するのだ。


(あせ)らないで、大丈夫よ」と、レベッカがほほ笑みながら肩に手を置く。その温かい声には(はげ)ましの気持ちが込められていたが、今の僕には、それに応えられる気がしなかった。


 僕の胸中に芽生えたのは、強烈な願望だった。

 戦乙女(ヴァルキーエ)たちの影をただ追いかけるのではなく、いつか肩を並べ、彼女たちと対等な力を持ちたい――そんな思いが日に日に強くなっていく。


「ルーカス――あなたは、その膨大(ぼうだい)霊力(れいりょく)に秘められた力を無意識に恐れて、使いあぐねているのね」

  ふいにそう告げたのは、リリアナだった。その(ひとみ)には深い夜空のごとき静けさが宿り、まるで僕の内面を見透かしているようだった。


「僕が……力を恐れている?」

 自分でも思いもよらない言葉に、僕は思わず聞き返した。


「そう。あなたは確かに強さを求めている――けれど、本当の力を解き放つ覚悟(かくご)を持っているのかしら?」

 リリアナの言葉は鋭く、心の奥に突き刺さるようだった。


 「それは……」と言いかけて、僕は言葉に詰まった。

 リリアナの問いは、僕が見て見ぬふりをしていた自分自身の弱さを(えぐ)り出すようだった。


 リリアナは、冷たい夜風のように冷静な視線を僕に向けていた。

 そこには、(あざけ)りも、期待もない。

 ただ静かに、真実だけを見極めようとする光が宿っていた。


 その重い沈黙を破ったのは、レベッカだった。

「大丈夫よ」と言って、僕の手をぎゅっと握る。

「私がいる限り、ルーカスを(だれ)にも傷つけさせないんだから」

 彼女の声には、幼さを残しつつも強い決意が(にじ)んでいた。


 気持はありがたいが、レベッカの微妙な距離感には、正直、頭を悩ませている。

 今後、どう接するべきか――レベッカとの関係をこれ以上複雑にしたくない一方で、彼女の期待を裏切るのもまた心苦しかった。僕の胸中は、どうにも晴れないままだった。


 僕は、そっとゼファーのたくましい背に手を置いた。

 その暖かな体温と、羽ばたきの振動が、今の僕にとって唯一(ゆいいつ)の支えのように思えた。

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