天馬との邂逅と幻惑の試練
「ルーカス、これほどまでに力を伸ばしたのなら、そろそろ飛行戦闘を試すべきよね?」
レベッカは、ほほ笑みながらそう告げた。だが、その言葉とほほ笑みの真意をくみ取れない。
「飛空魔術をひととおり習いはしたけど……そのことかな?」
「いいえ、そうじゃないわ。私たち戦乙女のように、天馬に騎乗して、大空を駆けたいと思わない?」
飛空魔術――重力の干渉と風の流れを操る、高度な複合魔術。難易度の高い技術と、これを制御する鋭敏な集中力が必要で、簡単に操れる代物ではない。これを用いて空を飛び、さらに戦闘まで行うには、並外れた訓練を経て熟練の域に達することが必須だ。
だが、ある程度の飛行を天馬に任せられるなら、その分だけ戦いに神経を集中させられる。高度な空中戦闘も可能となるだろう。
「まあ……確かに、それも一理あるけど…………」
「それなら、決まりね。ルーカス専用の天馬を捕まえに行きましょう。それも、とびきり気高く優れた駿馬をね!」と、言うレベッカの目には、楽しげな光が差している。
「……と言っても、どうやるの?」
「ふふ、いい作戦があるの。それにはリリアナ姉さんの助けが必要だから、お願いしてみる。少し待ってて!」
「そうか、よろしく……」
リリアナ・ステラーラ――紫水晶の輝きにも似た甲冑を纏う戦乙女。その頭上には星座をかたどる兜が輝き、夜空を舞う姿はまさに幻想的だ。通り名は「夜の女王」。
星の魔術を自在に操り、敵を幻惑するリリアナ。その落ち着き払った振る舞いと明晰な知恵は頼もしさを感じさせる反面、どこか近寄り難い威厳と神秘的な空気を纏っている。
その能力は戦乙女の中でも異色であり、孤高の雰囲気から、他の戦乙女たちから一歩離れた存在となっていた。
まだ若さゆえの純粋さを持つレベッカは、そんなリリアナにも一切臆することなく接している。
それに応えるように、リリアナもまた、その神秘的な雰囲気に反して気さくな態度を見せていた。容姿や能力から想像されるような気難しい性格というわけでもなさそうだ。
ほどなくして、レベッカはリリアナの同意を得て戻ってきた。
レベッカとリリアナの立てた作戦はこうだ――。
リリアナが魔法の鏡を使い、翠緑の森を幻惑の楽園へと変える。僕はその中で天馬たちと向き合い、夢と現の狭間で魂を通わせる。
そして、心を通じ合わせた天馬を、仲間として迎え入れるというのだ。
「無理やり捕獲しないところがいいね。嫌がる相手を力ずくで従わせるなんて、僕は好きじゃないから」
「ふふん、ルーカスのことなら、私は何でもお見通しよ。だって……いつだってあなたのことを考えているんだもの!」
「へへん。ルーカスのことなら、私は何でもお見通しよ。いつもあなたのことばかり考えているんだもの」
と、レベッカは得意満面で胸をそらした。
なんだか微妙なことを言われた気がする。
(レベッカは、なぜ僕に執着するんだ……?)
レベッカは僕の複雑な表情に気づいたのだろう。途端に慌てた様子で取り繕う。
「ち、違うから! 私は別に、粘着質な女じゃないわ! 変に誤解しないでよね!」
「ああ、わかっているとも」と言いつつも、どこか落ち着かなかった。
気味が悪いとか、変な女だと思っていないのは本心だ。ただ、彼女との関係を拗らせたら……明るい未来はない予感がした。
翠緑の森は、聖エレシア山から溢れる霊気を受け、神秘の生命力に満ちている。
天馬たちもまた、この霊気を求め、中腹に群れを成して集っている。そして、この霊気によって、より強い力を得ているのだ。
冬季になると、厳しい寒気が森を支配する。それに霊伴い餌が激減し、動物たちにとっては試練の季節となる。
高貴な天馬とて、その例外ではなかった。
天馬たちは、森の中で群れを成して行動している。
念入りな探索の末、最も勢いがあり、統率のとれた群れを標的に定めた。
「それじゃあ、始めるわよ」
リリアナが、星の魔術が込められた魔鏡を掲げる。
鏡面が妖しく輝き、森全体が春の楽園を思わせる美しい幻影に包まれた。
天馬たちは、その光景に魅了され、眩惑から逃れる術を失っていた。
幻影に包まれた森の中は、どこまでも柔らかな春の空気に満ちていた。
木々は新芽を吹き、瑞々しい若葉がそよぐ。天馬の群れは、僕に注意を向けることもなく、まずは新緑へ飛びついていった。
食料に乏しい冬を耐え忍んでいたのだ。それが自然の摂理というものだろう。
腹が満たされて落ち着ついてくると、天馬たちの視線が次第に僕へと向けられ始めた。
群れの中心にいたのは、ひときわ大柄な雄だった。リーダーと思しき風格を備え、鋭い眼差しで僕へ警戒心を向けている。
だが、その力強さの中には、どこか若々しい未完成の気配が漂っていた。
ノア譲りの静かな動作と穏やかな居住まいを崩さず、ゆったりと相対した。まずは敵意がない雰囲気を醸成し、天馬たちに印象づける。
そして、雄の警戒心が薄まったのを見計らい、刺激を与えないよう、慎重に一歩ずつ距離を縮めていく。
群れからの突進攻撃がぎりぎり可能な範囲の手前で足を止めると、地面に横たわり、のんびりとした態度を示した。穏やかな眼差しで、群れを眺める。
攻撃の意思がないこと、そして彼らへの敬意と親しみを抱いていることを、目と身体全体で伝えようと試みる。
時間がゆったりと流れ、群れの警戒心は徐々に薄れていく……やがて天馬たちは日常の自然な姿に戻っていった。草を食み、翼を広げて春の幻影を楽しむように戯れ始めた。
慎重を期し、さらに時を待った。
風が森を渡り、穏やかな沈黙が訪れる中、静かに立ち上がると、群れの中心にいる若きリーダーへと一歩ずつ歩みを進める。
警戒の範囲に足を踏み入れた瞬間、リーダーの雄はピンと耳を立て、鋭い視線を向けてきた。張り詰めた緊張が走り……お互いを探り合う……。
相手を刺激しないよう、両者の動作が凍りつく……そのまま、しばし……。
やがて、彼の耳は小刻みに動き始めた――何かを考え、僕を測っているのだろう。
ブルっ! と鼻を鳴らし、雄は覇気に富んだ目で僕を見据えた。
この挑発的なしぐさ――ルナリアと出会ったときと同じだ。彼なりの勝負の申し込みだと、僕は受け止めた。
勝負は飛行競争――何かが通じあい、暗黙の了解を直感で理解した。飛行の速さを競うのだ。
この挑戦を拒む手はない。僕は静かに息を整えると、飛空魔術を使い彼の目の前でふわりと空へと舞い上がった。
天馬の若き雄も、すぐに翼を広げて大空へと舞い上がる。激しい闘志をビシビシと感じる――序列を争う雄どうしの面子をかけた死闘だ。
僕が先行して飛んでいたが、雄は、僕に並ぶ間もなく、風を切り裂く勢いで前方へと駆け抜けた。
なんという速さ! ――翼の羽ばたきに加え、風の魔術を操り、速度をさらに加速させている。
それにしても、あまりに圧倒的な速度だ――明らかに霊気を浴びて進化している。
僕も負けてはいられない。
無尽蔵と言っていいほどの生命エネルギーを源に、前駆物質を操作し、重力と風を操って速度をさらに高めていく……。
だが、まだ飛空魔術に不慣れな僕は、制御に苦戦していた。少しでも油断すればバランスを崩しそうになる。
力任せに加速して雄を追い抜くと、彼はすぐさま速度を上げ、再び僕を追い越す。
抜きつ抜かれつの競争は、面子をかけた真剣勝負というよりは、どこか動物が無邪気に戯れるような純粋な楽しさを霊伴っている。
「ははっ……」と、いつしか僕は、声をあげて笑っていた。
ふと冷静さを取り戻し、よくよく雄の動きを観察する。
すると、その翼が織り成す風に、ただならぬ魔力の流れを感じた――、
「風の神カイラの加護か……⁉」
進化した個体であるだけでなく、神の加護までも受けた天馬など、聞いたことがない。
僕の興味は、がぜん掻き立てられた。
戦場に立つとしたら、これほど頼れる相棒は他にないだろう――そう直感させる、絶対的な風格を彼は持っている。
彼のような気高き存在を従魔として従えるには、僕自身の力を証明し、確固たる権威を示さねばならない。
飛行に慣れてきた僕は、膨大な生命エネルギーを惜しみなく注ぎ込み、さらに速度を上げる。技術も何もない、単純な力技だ。
空気を切り裂き、星々が遠ざかるような感覚の中で、ついに彼を遥か後方へと置き去りにした――この勝負、完全なる勝利だ。そう確信したとき――、
森が揺れ、地面が割れ、空間が歪んでいく。
大気は星屑のような光をまとい、美しいが不気味な光景が広がる。
空は裂け、星々が落ちるような錯覚に包まれた。
――何なんだ! これは……?
ゼファーの霊力 が尋常じゃなかったことに加え、僕が強引に容赦なく霊力を注ぎ込んでしまった。
(僕らの膨大な霊力が影響を与え、リリアナの幻影空間が安定を失ったのか……?)
幻影空間が暴走し、無秩序な空間の歪みがあちらこちらで生じている。
ビシッ! と、何か固いものが裂けるような音がして、僕の目の前で空間の亀裂が生じた。その先には深い暗黒が垣間見える。これは! ――得体の知れない異空間に繋がっている⁉
方向転換を試みるが、意表を突かれたこともあってタイミングが遅れた。しかも、亀裂が空気を強烈な勢いで吸い込み、嵐が生じている。その強風に煽られて、飛空魔術が制御しきれない。
このままでは、歪んだ空間に飲み込まれそうだ。
「くっ! まずい……」
天馬の翼が強風を切り裂き、魔力の嵐に抗いながら僕へ急接近してくる。
(危険を顧みず、守ってくれるというのか⁉)
天馬の瞳が迷いなく僕を捉えた。その瞬間、嵐のような魔力の渦の中で、僕だけが静謐な風の中心にいた。
「そうだ! 力任せでは、この風を越えられない――天馬のように風と一つにならなければ……!」
この瞬間、飛空魔術の神髄へ至る手がかりを閃いた。
「僕が力を示すんじゃない。天馬とともに、風を導くんだ! それしかない!」
神経を研ぎ澄ませて風の流れを読み取り、流れの力に無理に逆らわない。天馬と呼応しながら、二人で乱流を突破していくことに専念した。
乱流への突破口が開けそうだ。先ほどまでの飛行魔術が、不器用な力技に思えた。
天馬と心を一つにし、幻惑の暴走を突破する。いわば「共鳴の飛翔」とでもいうべきか。
天馬の翼が光をまとい、星屑の尾を引く。天馬とともに空を駆ける軌跡は、春の幻影を貫く一本の銀色の流星となって、森全体を照らした。幻影空間の乱流を制した瞬間だった。
この出来事を通じて、僕たちは互いを認め合う仲間の関係になっていた。ノアのように言葉を交わすことはできないが、そのしぐさや耳の動き、瞳に浮かぶ光を見れば、彼の感情が手に取るように分かる。
やがて、若き天馬の雄が、大きなつぶらな瞳を輝かせながら、じっと僕を見つめていた。その瞳には、どこか信頼にも似た穏やかな感情が浮かんでいる。
「君となら、どこまでも飛べる! 僕の従魔になってくれないか?」
ヒヒ-ン! と、天空に響き渡るような高らかな嘶きを、雄は上げた。その音色には、明らかに迷いのない賛同の意志が込められている。
僕は静かに頷き、契約の儀式を始める。
「気高き天馬の統領よ、我の声を聞け。汝の名はゼファー。我は汝と魂の契約を結ぶ。汝は我が命令に従い、我は汝の忠誠に報いる。汝の名を我が心に刻み、我の名を汝の心に刻め。我らは一心同体となり、永遠に分かたれぬ。かくあれかし」
僕は、この気高き天馬を「ゼファー」と名付けた。西方の神話に登場する西風の神からその名を借りた。その風は強烈な嵐ではなく、穏やかなそよ風――優しさの中に力を秘めた風だ。
こうして、僕はゼファーを従魔としたが、すべてはリリアナが創り出した幻影の中での出来事。
当事者にとっては、時間をかけて友好を深めたようでいて、実際には一瞬で終わっていた。
それは、脳内の夢のようなものか、あるいは時間軸がズレた異空間での経験だったのか……?
ともかく、ゼファーを従魔とした僕は、空中戦闘についても、戦乙女たちに稽古をつけてもらうことになった。




