星降る宮殿と戦乙女
アストラリス宮殿、その名のとおり星空を抱く神殿の住人は、すべて女性だ。
宮殿の主である聖エレシア、そして彼女が生み出した美しき娘たち。さらに、エレシアと娘たちに仕え、日々の務めを果たす人竜の女官たち。
エレシアが産み落とした男児は、成長すると山の外へと旅立ち、独自のハーレムを形成する。エレシアの能力を引き継ぐ彼らは通常の人竜を遥かに凌ぎ、そのハーレムは繁栄を極める。
だからこそ、苦労を重ねて人竜の雄はアストラリス宮殿を目指すのだ。
一方、女性たちの多くはアストラリス宮殿に留まり、アストラリス宮殿で守られながら、その知恵と技を磨き続ける。
しかし中には、強い冒険心を抱く者や、外の世界への憧れを捨てきれぬ者もいる。彼女らは宮殿を後にし、大地と風の広がる外界でその運命を切り開いていくということだ。
聖エレシアの発する霊気は、まるで星空そのものが吹き降ろす冷気のように強烈で、凡百の人竜の雄では近づくことすら難しい。
そのため、宮殿を訪れる雄はごく稀であり、たとえ到達したとしても、その耐久力では一晩が限度だ。
その結果、悠久の時を生きるエレシアであっても、その子らの数は驚くほど少ないという。
エレシアの娘たちの能力は破格だ。僕には、想像がつかない。
彼女たちは戦乙女でもある、甲冑に身を包み、羽飾りの兜と剣や盾などを装備して武装し、天馬を駆って空を翔ける。
彼女たちは、美貌と気品、そしてどこか儚ささえ漂わせる優雅な存在だ。
しかし、いざ戦闘となると、その姿からは想像できないほどの果敢さと決断力を見せる。戦乙女――その名が語るとおり、彼女たちは真に天空の戦士たる存在なのだ。
僕を助けてくれたレベッカ・オーレムブリリアは末の娘で、彼女も戦乙女の一人だ。
戦乙女は、古の神話級、伝説級の英雄たちの魂をアストラリス宮殿の一画にある「英雄の館」へと誘うことも担っている。
集められた英雄たちは、互いに腕を競い合うとともに、聖エレシアを讃える饗宴を通じて絆を深めている。
確か、北方の神話で似たようなものがあった。古さからいって、彼女たちが原型なのだろう。そちらだと、英雄たちを集めるのは、終末の日に備えることが目的だったはず。
少しばかり不安を覚えたので、エレシアに直接聞いてみる。
「英雄たちを集めているようですが、目的は何なのですか?」
「あれは娘どもの玩具なり。此方の霊力を間近にあび、力持て余したればぞ」
「そ、そうなのですね……」
終末の日がないのは僥倖だ。が、玩具扱いとは、いささか気の毒というもの。ならば、僕は、どうなのだろう?
「其方ぞ格別なる。其方の潜在力は、彼奴らの才を優に超えたり。此方の娘どもにも怪しきものなり」と、即答された。エレシアには、僕の心などお見通しなのだろう。
「ありがとうございます」
「礼には及ばず。言ひけむ。与へられたるは、此方の方なり」
エレシアに持ち上げられても、答えに詰まる。むずがゆい気持ちだ。
英雄たちは、冴えのある剣技を備えたカイウス・アキエスフルゲンス、槍使いのマキシムス・ハスティファー、戦斧使いのルフス・セクリフェル、魔法を得意とするアレッサンドロ・マグスルクスなど……英雄譚で馴染み深い名前ばかりで、身震いする。
一も二もなく、英雄たちへ稽古をつけてもらうよう頼んだ。
「なんだ。まだ小僧じゃねえか。女みてえな青病単が、なに強がってやがる」と、戦斧使いのルフスが嘲り顔で言う。
確かに、僕の外見は色白で、女と間違えられるような顔立ちだ。過剰に筋肉をつけないようにしているので、マッチョにも見えない。筋肉をつけすぎるとスピードが落ちる。
僕の生命エネルギーは格段に増していたが、これを隠蔽している。相手に強さを悟らせない術策なことは当然だが、ずっと気弱だった僕の癖のようなものでもある。砕けて言えば、「影が薄い」というやつだ。
どう応じるか思案していたとき……、
「ルーカスを外見だけで判断するなんて、天下のルフス・セクリフェルも落ちたものね。お酒の飲み過ぎで二日酔いなのかしら?」と、レベッカが助け舟を出してくれた。
(というか、もはや挑発だな……これは……)
「なにっ! エレシア様の娘とはいえ、俺を舐めると痛い目をみるぜ」
ルフスは、剣呑な空気を漂わせている。
「ルーカス。こんなやつ。遠慮なく、やっちゃいなさいよ」
「あ、ああ……わかった」
経緯はともあれ、手合わせしてもらえることはありがたい。だが、この構図は……?
――もはや、レベッカの尻に敷かれているんじゃないのか?
もともと、男尊女卑の価値観に毒されて、男だからと女に従順さを強要する権威主義は、僕の性に合わない。ならば、このくらいで、ちょうどいいのかもな……。
ルフスは無造作に戦斧を構えると、凄まじい覇気を放った。霊視能力のある僕には、棘のある光を発する小さな太陽のように視える。
対抗して闘気を練ろうとした僕は、戸惑った。想像もできないほど膨大な生命エネルギーが流れ込む感覚を覚え、慌てて抑え込む。
(一気に流し込んだら、何が起きるかわらない。とにかく、慎重にだ――少しずつ……)
「どうした? ビビっちまったか?」
戸惑いを見取ったルフスが、悪しざまに言う。
「いえ。だいじょうぶです」
とりあえず、体で覚えている感覚の闘気に留める。後は、少しずつ増やしていけば……何とかなるさ。
黒炎を抜刀すると、僕の魔力に反応して、暗赤色に発光する。
「禍々しい剣だな」
「慣れていますから、お構いなく」
「なら、いくぜ小僧! 俺様の力を、その身で味わいやがれ!」
ルフスの戦斧が振り下ろされるたびに、地面が砕け散り、鋭い衝撃音が森の静寂を引き裂いた。
舞い上がった土塊と砂塵が視界を遮り、風が渦を巻いて戦場全体を覆う。
ルフスが大上段から、僕の脳天をめがけて戦斧を振り下ろす。
いつもどおり、真正面で受けず、横から合わせて受け流そうとするが――重いっ!
戦斧の重量なのか、攻撃力の大きさなのか……受け流しきれない。反射的に体をひねり、既のところで戦斧を避けた。
戦斧は地面へ突き刺さったが、その余勢で、石や土塊が弾け飛ぶ。
そこまでは想定ができておらず、足に何発か喰らった。結構なダメージだ。青痣くらいはできただろう。
構わずルフスの左サイドへ回り込み、牽制の一撃を放つ――ガキン!
ルフスは、器用に戦斧の柄で受け止めた。その間にも、体に込める闘気の量を増やしていく……。
ルフスは反撃に移り、左サイドから鋭い一撃を振り抜いてきた。先ほどよりも、かなり力を込めて受け流しを試みる……今度は、攻撃の軌道が少し外側へ逸れたものの、斧の刃が空を切り裂く音とともに肩先を掠める。その衝撃がじわりと体を揺さぶった。
すぐさま、ルフスは、左サイドから一撃を放つ。返す剣をコンパクトに振り、ルフスの左前腕部を狙う。
斧を受け流した反動を利用し、返す剣をコンパクトに振る。狙いは、ルフスの左前腕部――、
ルフスは、なんとか反応したが、かわし切れない。
ガリッ! と、黒炎の刃先が左前腕部の肉を裂き、鮮血が飛び散った。
「ックッ……!」と、ルフスは顔をしかめる。
深手ではないが、黒炎の刃には毒が沁み込んでいる。この毒はじわりと体に回り、神経を蝕んでいく――冷静に観察すると、動きに陰りが見える。
内心、勝利への道筋を描き始める。
それでも、ルフスの一撃は地を震わせ、空を切り裂くほどの威力だ。この男の攻撃をまともに受けることは、すなわち死を意味する。
それを直感した僕は、 受けに徹しつつ、隙を見て攻撃する術策を軸へ据えることにした。
大きく受け流せば、そこに隙が生まれる。剣の軌道を最小の限動きに抑え、あくまで小さく速い動きで攻撃をかわし、コンパクトに反撃にする。
攻撃の威力は小さくとも、連続して傷を刻み込むことで、確実にルフスの体力を削っていけば、やがて戦闘不能に陥るだろう。
的を絞らせないよう疾風のごとく動いてルフスを翻弄する傍ら、黒炎を繊細に操って攻撃を加える。
剣の軌道が残す暗赤色の軌跡はまるで炎の尾を引く彗星のようで、ルフスの巨体に幾度も傷を刻み込んでいった。
息遣いが荒くなる彼の呼吸が、まるで地鳴りのように重く響く。
ルフスは、僕の執拗な攻撃に苛立ちを見せ始めた。
特に左前腕部を狙い続けられることで、攻撃の動作が鈍っていくのがわかる。その傷をさらに広げるように、僕は冷静に攻撃を繰り返し続ける。傷が増えていき、左前腕部血だらけとなった。
それに伴い、ルフスの攻撃力は落ちていき、逆に僕は体に込める闘気の量を増やしていく。毒も効き始めているようだ。
ルフスは、苛立ちを募らせているように見える。
「ちくしょう! 男なら、真正面から打ち込んだらどうだ!」
答える義務はない。僕は、いつもの無表情を貫く。彼は、かえって気味悪く思った様子だ。
焦ったルフスは、再び大上段から僕の脳天をめがけて、戦斧を振り下ろす。彼にしてみれば、渾身の一撃なのだろうが、もはや当初の威力は失われている。
これを余裕でいなすと、地面に突き刺さった戦斧を左足で踏みつける。残った右足で、ルフスの胸めがけて、力を込めた蹴りをお見舞いした。
体勢が崩れていたルフスは、受け止めきれず、後ろに弾き飛ばされ、尻もちをついた。
逃さず、黒炎の切っ先を、ルフスの喉仏に突き付ける。このまま突き刺せば、間違いなく致命傷だ。
「ま、まいった……」
ルフスの顔には、脂汗が浮かんでいる。
僕が剣を納めると、ルフスは忌々し気に僕を睨んだ。
「これで、ルーカスの実力がわかったでしょう。これでも、本気の全力ではないのよ」と、レベッカはしたり顔で、胸を張っている。勝ったのは、僕なのだが……。
――普段は、穏やかでおしとやかなのにな……いざ戦闘となると、これだ。
この一戦で、英雄たちは、僕の実力を認め始めた。
剣術、槍術、格闘術、馬術、魔術……多方面から稽古をつけてもらう。
英雄たちとの稽古場は、アストラリス宮殿の一角にある「試練の庭」だった。
そこは果てしなく広がる草原のように見えたが、遠くには剣山のように鋭い岩山がそびえ、雲海がその麓を覆い尽くしていた。空には常に白い光の筋が走り、それは雷とも稲妻ともつかない神秘的な現象だった。
地面には無数の剣や槍が刺さっており、それぞれが長きにわたる戦いの歴史を物語るかのように錆びついている。
風が吹き抜けるたびに、それらの武具が擦れ合い、金属音が重なり合ってまるで戦場の残響のように響いた。
僕は闘気を操れる量が日々増えているが、果てが見えない。生命エネルギーの器の大きさが、それを上回る速さで加速度的に増えている。




