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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
18/31

天狐の試練と選ばれし者(1)

 エレシアとの交わりが終わり、僕は、一人でアストラリス宮殿の廊下(ろうか)を歩いていた。

 突然、額の帝王紋(ていおうもん)灼熱感(しゃくねつかn)を帯び、「ע(アイン)」が赤黒く光るのを感じた。その直後、何者かの声が頭の中に響いた。


「エレシアと交はりしばかりに、(なんじ)が“選ばれき”などとな思ひそ。(なんじ)の心の(やみ)は試練を越えたらぬ――今ここにそれを明らめよ!」


 この声は……? 天狐(てんこ)か!


 すると、アストラリス宮殿の床が(くず)れ、僕は暗闇(くらやみ)に吸い込まれていった。

 気づくと、そこは周囲に禍々(まがまが)しい赤い月が浮かぶ、かつて天狐(てんこ)の試練を受けた霊域(れいいき)


 (きり)がかった薄明の中、六本の尾を持つ巨大な天狐(てんこ)が現れ、その金色の(ひとみ)が僕を鋭く射抜いた。 これが、本性(ほんしょう)の姿なのだろう。


「来たりや。(なんじ)に真の力を授くるには、(なんじ)自ら試されざらばならず。試練を受くる覚悟(かくご)やある?」


 僕は気圧されながらも(うなず)いた。それを合図に、天狐(てんこ)は軽やかに宙を舞い上がり、六本の尾から星光を(まと)ったような霊気(れいき)を放つ。霊気(れいき)(かたまり)が僕を包囲した。


()、人よ。その意志の(つよ)ぞ、見せみよ!」


 嵐のような気流と鋭い霊気(れいき)の波動が押し寄せる中、僕は全身を震わせながら黒鉄の剣、黒炎(ニグラフランマ)を握りしめた。

 天狐(てんこ)の尾がしなるたび、空間そのものが震え、目も(くら)閃光(せんこう)が視界を遮る。それでも、僕は一瞬の(すき)を狙い、天狐(てんこ)の尾を目がけて剣を振り抜いた。


 ――だが、全てが無駄(むだ)だった。


 天狐(てんこ)は、僕の攻撃を容易に見切り、その尾で軽々と僕を吹き飛ばした。全身が地面に(たた)きつけられ、立ち上がることすらままならない。


(なんじ)は、いまだ未熟なり。さりとて進むや?」


 天狐(てんこ)の声が耳元で響いた瞬間、僕の胸の中に何かが燃え上がるのを感じた。それは恐れでも(くつじょく)辱でもない――純然たる「生きたい」という執念だった。


「まだ終わりじゃない……僕は、まだ前へ進む!」


 その言葉とともに、額の帝王紋(ていおうもん)が熱を帯び、何かが弾けるような感覚に襲われた。視界に「ע(アイン)」の紋章が輝き、(ひとみ)に世界の真実が映り込むような感覚を覚える


「ほう、めでたし。では、(なんじ)に眠る“恐れ”を直視せよ。それ受け入るるや、飲み込まるるやは、(なんじ)次第なり」


 すると、僕の目の前に実父、皇帝(こうてい)ガイウスが姿を現した。

 ガイウスは憎悪(ぞうお)侮蔑(ぶべつ)に輝いた目で一瞥(いちべつ)すると、僕を非難する。


「おまえは破滅(はめつ)を招く存在だ。なぜ(あらが)う? 運命を受け入れろ!」

「僕を()てたあなたが、それを言うんですか! あなたこそ、父親の風上にも置けない。人として失格だ!」と、鬱憤(うっぷん)を正面切って口にした。


「では、おまえは父を殺すのか? 尊属殺(そんぞくさつ)は、人として最も重き罪だぞ!」


 最も恐れていることをズバリ指摘され、一瞬返す言葉を失った。今まで学び、経験してきたことが、次々と思い浮かび頭をループする。何より「父殺し」への恐怖に(おびえ)えた。しかし――、


 ――僕は決めたのだ。生きる道は自ら探るのだと!


 「……例え神託(しんたく)預言(よげん)であろうとも、僕は自分の意志で運命に(あらがう)う!」


 反論した瞬間、「ע(アイン)」が光り輝き、ガイウスの幻影はかき消えた。


 すると、僕自身のもう一つの人格が姿を現し、挑発(ちょうはつ)する。


「おまえは、本当に“選ばれるべき存在”なのか? 欲望に支配された、ただの凡人だろう? そんな資格はないし、責任も負えないのさ」

「確かに、僕には内面的な弱さがある。だからこそ(あらが)い、努力しなければならない……”選ばれる”かどうかは、結果論だ」


「さて、どうかな……? 結論を先送りにすれば、どうにかなるとでも? だが、おまえの周りの者はどうだ? のんびり待ってくれるものかな?」

 もう一人の僕は、皮肉な笑みに顔を(ゆが)ませると、フッと消えた。


 入れ替わりに、リリアが姿を現した。彼女は、僕にとってのトラウマだ。見ているだけで、胸が()めつけられて苦しい。


「私を助けずに見捨てた若様なんて、(だれ)の役にも立たない。不要な存在よ」と、彼女は冷淡に非難した。

 (こお)りついたように感情に(とぼ)しい表情の中、冷やかな侮蔑(ぶべつ)が浮かんだ目だけが、強烈な印象を僕の胸に刻み込む。


「君には、本当にすまないと思っている。僕は未熟で、引っ込み思案だった。だから、待つことしかできなかったんだ」

 戻ってこない過去に対しては、謝罪しかできない。

 

「そんな人が努力したところで、今さら何とかなるものかしら? 生まれつきの臆病者(おくびょうもの)は、しょせんは死ぬまで臆病者(おくびょうもの)なのよ」


 Quod(クオッド) natura(ナートゥラ) dat(ダット), nemo(ネモ) potest(ポテスト)adimere(アディメーレ)(自然が与えたものを、(だれ)(うば)い去ることはできない)


 倫理(りんり)や信条の上では認めたくないが、犯罪者になるべくしてなった者の存在は、全面的には否定できない。例えば、生まれつき暴漢気質(ぼうかんきしつ)を持った者が、それだ。

 一歩間違えば、その仲間入りをしかねないことに、僕は気づいた。

 

 先祖から受け継いだ天賦(てんぷ)の才の難点を、後天的な努力で矯正(きょうせい)するには、さぞかし骨が折れるだろう。おそらく、不断の努力によってのみ可能だろうし、(おこた)れば元に(もど)るに違いない。それでも――、


「僕は、自分の努力と可能性を信じたい。それが無駄(むだ)かどうかは、結果を見なければわからない」


 だが、リリアの表情は(こお)りついたまま。むしろ、気分を害したようだ。怪訝(けげん)そうに目をすがめている。


「そうして若様は、また先送りにするのね。私のときのように。でも、それでダメだったときは? また、先送りにするのかしら? もうお(じい)さんになって、(おとろ)えていくばかりなんじゃあ?」


「そのときは、好きなだけ(ののし)ればいいさ。もちろん、可能な限りの(つぐな)いはするつもりだ。どんなに無能でも、人としての誠意だけは、捨てるつもりはない」


 それを聞くと、リリアの姿が消えた。その間際――、

 ふっ――と、笑ったようにも見えた。

 

 それもつかの間、義母エレナが姿を現す。

 彼女は、(さげす)むように見下げている。今まで見たこともない表情に、僕は心に痛撃を受けた。


「ルーカス。あなたは、もう不要な存在なの。メルラ家の後継ぎにはマルスがいるし、本当の子ではないあなたは、正直迷惑なのよ。まして、皇帝(こうてい)の恨みを買っている人間なんて、疫病神(やくびょうがみ)でしかない。

 心の隙間(すきま)()めてくれたことには、感謝するわ。でも、今の私には、お腹を痛めて産んだ本当の子どもたちがいる。だから、もう大丈夫。あなたを『ルーちゃん』と呼ぶことは、もう二度とないわ。あなたも(いや)がっていたから、ちょうどいいわよね……そうでしょう?」と、畳みかける。

 その(ねこ)なで声は、あざとい媚態(びたい)を示して阿諛(あゆ)する傾城(けいせい)であるかのようだ。


(これは……母さんじゃない)


 明らかな違和感に、僕の心は拒絶反応(きょぜつはんのう)を示している。

 天狐(てんこ)が悪意を持って創り出した虚像(きょぞう)だ――と、思いたい。


 だが女は、どこか男をたぶらかす気質(きしつ)を持っているものだ、ともいう。

 エレナとて、一点の曇りもない聖女であろうはずもない。

 本当に、全部が(うそ)だと言い切れるのだろうか?


 「母」とはこういう存在だ、という理想を、僕が一方的に()りつけていた面もあるだろう。

 そう思うと、急にわからなくなった。とはいえ――、

 

「どう言われようとも、あなたを母として尊敬し、感謝する気持ちに変わりはありません。メルラ家に迷惑をかけるつもりもありません。必要なら、いつでも家を出る覚悟(かくご)はあります。それに……いつか、育ててもらった恩が返せるなら返したい」


「ただ言葉にするだけなら、どうとでも言えるわ。あなたは、頭がいいから」と、エレナはつまらなそうに吐き捨てた。

「これ以上は、信じてくださいとしか言いようがありません。それで足りないなら、担保として金目のものでも差し出すしか……」


「いらないわよ! そんなもの。貴族(パトリキ)の誇りをバカにするもいいかげんになさい。平民(プレブス)とは違うのよ」と、エレナは怒声を張り上げて発言を(さえぎ)った。

「失礼いたしました」と、僕は頭を下げる。


「とにかく、あなたは不要なの。恩返しも期待していないわ。その程度の存在ということ。わかった?」

「母さんの気持ちは、理解したつもりです」


「気持ち悪いから、『母さん』なんて呼ばないで」

 エレナは、(いや)そうに顔を(そむ)けながら、手をひらひらと振って拒否(きょひ)の意思を示す。


 それには辟易(へきえき)したが、つき合ってあげるのも子の務めかと思い直す。

 すると、義母エレナの姿は、かき消えた。


「よくぞ自らの(やみ)(ひそ)む弱ぞ、(かしこ)さを直視せり。恐れを超えし者にのみ、“ע(アイン)”の力は覚醒(かくせい)ずる」と、天狐(てんこ)の声が脳内に響く。


 手の(こう)の”ע(アイン)”の紋様(もよう)が輝きを増した。


「これこそ、(なんじ)の持つべき“調和”の力なり」


 感慨深く、その紋章を見つめる。

 ”ע(アイン)”の意味は多義的だ。「調和(ハルモニア)」を見極める広い意味での目の力、すなわち分別の力と言った方が近いのだろう。


 大宇宙(マクロコスモス)にける調和(ハルモニア)小宇宙(ミクロコスモス)における調和(ハルモニア)、そして両者が交わるところの調和(ハルモニア)。これらの一端は、音楽の研鑽(けんさん)を通じて権天使(アルケー)メバヒアから教わった。そして、それは言語により理性で考察するよりも、ときとして感性により感じ取る方が有用であることも。

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