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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
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光の少女と深遠なる女神

「起きなさい……このまま()ちたら、死んでしまうわ……目を開けるのよ……」


 (りん)として澄み渡る少女の声が、(やみ)の中に響く。声はどこか遠く、(きり)の向こうから届くようでいて、耳元ではっきりと(ささや)くような奇妙(きみょう)な感覚を(ともな)っていた。


 漆黒(しっこく)(やみ)は底知れぬ深淵(しんえん)のように広がり、身体(からだ)は宙に浮いているかのようだった。上下左右の感覚すら失い、自分が存在しているのかどうかも定かではない。ただその声だけが、暗(やみ)の中に確かな光の糸のように感じられた。


 そもそも、僕は目を開けているのだろうか……?

 意識が混濁(こんだく)して、はっきりしない。あの声も、幻聴(げんちょう)なのでは?


「死んではダメよ……目を覚まして……」


 本能的に死の(ふち)にあることを(さと)り、戦慄(せんりつ)で背筋が寒くなった。同時に、生への執着を覚え、意識が少しはっきりした。


 頼みの(つな)は、少女の声しかない。ひらすら声に意識を集中させる……声は、次第にクリアになっていく……。


「目を開けなさい!」


 その声が耳元で響いた瞬間、何かが胸の奥で弾けた。僕の身体(からだ)がビクリと震え、朦朧(もうろう)としていた意識が引き(もど)される。

 意を決して、重い(まぶた)をゆっくりと開いた――、

 次の瞬間、金色の輝きが視界を満たす。光は、暗闇(くらやみ)の中で突如(とつじょ)咲いた一輪の花のように美しい――目に映る少女の顔が光源そのもののようだった。

 

「よかった! 目が覚めたのね」


 金色の髪が陽光を反射して輝き、澄んだ黄金の(ひとみ)が、(たましい)の奥を見透かすかのように僕を(のぞ)き込んでいた。

 歳は、一四歳ほどだろうか?

 どこか神聖さを(ただよ)わせる雰囲気(ふんいき)の中に、幼さの残る柔らかな表情が溶け込んでいる。

 彼女の姿を見ていると、思わず(なつ)かしさに似た感情が胸をくすぐった……リリアと同年代だからだろうか……?


「君は……?」

「私は、レベッカ」


 その名を耳にした瞬間、妙に(なつ)かしい響きを感じた――まるで、ずっと昔から知っていた名前のように……。


「僕は……ルーカスだ。助けてくれてありがとう。本当に、君がいなかったら……」

「私は、母さんに様子を見てこいって言われて、来ただけよ。間に合ってよかったわ」


 レベッカの柔らかなほほ笑みが、心に深い安堵(あんど)をもたらした。暗闇(くらやみ)の中で失いかけた命を、彼女の手が引き(もど)してくれた――そんな感覚が胸に広がる。


「それでも、君の助けがなかったら、僕は死んでいた」

「そんな、おおげさなことじゃないよ」


 少し会話をして、正気に(もど)った。だが、状況を把握(はあく)した僕は、思わず飛び起きた。


 レベッカは、神秘的な光沢のある銀白のシンプルなワンピースを着ていた。スカート丈は膝上(ひざうえ)でかなり短い。僕は膝枕(ひざまくら)をされていたが、スカートがたくし上がっている。頭を乗せられていた部分は、生足だった。心地よい人肌(ひとはだ)の温もりの正体だ。

 フォンターナにいたずらして後悔(こうかい)したことを思い出す。さすがに、初対面の美少女に、それはできない。


「どうしたのよ? 急に」と、レベッカはキョトンとした顔をしている。

「いや。何でもない……」


 答えに詰まり、お茶を濁した。

 

 帝国人(ていこくじん)女性が、ここまで足をさらすことはふしだらとされている。男の悲しい(さが)で、無防備にさらされている生足に、チラチラと目が行ってしまう。(さと)られて好色だと思われるのも不本意で、気が気でない。


「まあいいわ。その元気があれば、お母様のところへいけるわね」

「その……お母さまって?」


「エレシアっていうの。名前くらいは聞いたことがあるでしょう」

「は? というと、人竜(じんりゅう)の?」

「そうとも言うわね」


 思わぬ展開に、僕は呆気(あっけ)にとられた。しかし、この幸運には感謝せねばなるまい。


「面倒だから、空を飛んでいくわよ」


 レベッカが(くちびる)を軽く突き合わせると、空気が震えるような口笛の音が辺りに響き渡った。澄み切った大気が()れ、一瞬、時が止まったかのような静寂が訪れる。


 突如(とつじょ)として、(はる)か空から風が巻き起こり、その風に乗るように純白の天馬(ペガサス)(すべ)るように舞い降りてくる。翼を大きく広げ、星明かりを浴びて淡い虹色(にじいろ)の輝きを(まと)ったその姿は、天から遣わされた神獣のようだった。


 彼女は、まるで僕の体重など気にするそぶりもなく、驚くべき力で僕を軽々と抱え上げ、天馬(ペガサス)の背に乗せる。

 天馬(ペガサス)は大きく翼を広げ、風を切る音が耳元で鋭く響いた。


「しっかり(つか)まって!」


 レベッカの声が聞こえた次の瞬間、体がふわりと浮き、ペガサスは天空へと駆け上がった。風が(ほお)を強く(たた)きき、全身が宙に浮いているような感覚に(おちい)る。見下ろせば、山の稜線(りょうせん)が遠ざかり、雲が足元に広がる。


 翼の羽ばたきに合わせて、上下に()れる背中の感触が頼りない。それでも、レベッカの小さな背中にしがみつくことで、なんとか落下への恐怖を(おs)えていた――男女逆だ……かなり恥ずかしい。


「すごい……」


 空から見下ろす風景は圧巻だった。

 山頂付近は外輪山(がいりんざん)に囲まれている。内部の窪地(くぼち)には、大小の山が不規則に点在している。聖エレシア山は、古いカルデラ火山だったのだ。

 眼下に広がる外輪山は、巨大な(りゅう)の背骨のように鋭く連なり、その中心にぽっかりと口を開けた窪地(くぼち)が現れた。


 外輪山(がいりんざん)の内側に入ると、突然、気候が変わった。春のような程よい暖かさで、空気も地上と同様に濃い。呼吸が楽になり、人心地(ひとごこち)ついた。


 内部の窪地(くぼち)に広がる平原には、色とりどりの花が咲き誇る。木は灌木(かんぼく)がポツポツと生えているが、高木も混ざっている。まるで桃源郷(とうげんきょう)のような風景だ。


 ふと気づくと、中央に想像を絶する太さと高さの大樹が生えていた。遠近感が狂ってしまったような奇妙な感じだ。あれはトネリコの木……おそらく世界樹というやつに違いない。


 ペガサスが静かに翼を折りたたむと、僕は目の前の光景に圧倒された。

 (そび)え立つのは、漆黒(しっこく)の夜空を(つらぬ)くような純白の尖塔(せんとう)。その表面には銀色の紋様(もよう)が絡み合い、月光にも似た淡い光を放っている。


「これが……アストラリス宮殿……?」

 

 その神秘的な姿は、伝説そのものだった。いなか町しか知らない僕には、その荘厳(そうごん)さと美しさが夢の中の光景のように感じられ、圧倒された。


「ここが、私のおうちよ。さあ、母さんへ会いに行きましょう」

「は、はい……」


 事がとんとん拍子に進み、心の準備が追い付かない。

 おかまいなしに、レベッカは、宮殿の中をどんどん歩いていく。僕は、離されないように、これを追った。


 廊下(ろうか)は長く、無音の中で二人の足音だけが響いていた。壁には精緻(せいち)な装飾が(ほどこ)され、ところどころに輝く水晶(すいしょう)灯火(ともしび)が置かれている。それらはただの光ではなく、魔法(まほう)の力で生み出されたもののように、柔らかな輝きとともに周囲に(れい)的な静謐(せいひつ)(ただよ)わせていた。


 途中ですれ違った女性たちは、月光のように輝く白いローブを(まと)い、純白の花々で作られた花冠(かかん)を頭に(いただ)いていた。巫女(みこ)のように清廉(せいれん)(ただずま)まいには、神聖な力に守られた者だけが持つ威厳と清浄(せいじょう)さが宿っていた。

 その姿は、どこか幻想的で清らかさに満ち、近づくだけで聖域に足を踏み入れた感覚を覚えさせる。


 彼女たちの動きは(なめら)らかで、歩くたびにローブの(すそ)が光を反射し、(おだ)やかな音が石畳の廊下(ろうか)に響く。その優雅で清潔な(ただずま)まいが、この宮殿全体の荘厳(そうごん)さをさらに引き立てているようだった。


 彼女たちは、好奇の視線を向けてくるが、悪意は微塵(みじん)も感じられない。しかし、注目されているには違いなく、気恥ずかしさが先に立つ。胸を張って見つめ返すくらいできたらいいのだが、今の僕では無理だ。


 案内されたのは、崇高(すうこう)静寂(せいじゃく)(ただよ)う広間だった。天井は果てしなく高く、壁には星空を模した装飾が(ほどこ)されている。広間の中心には、まばゆい光に包まれた女性が座っていた。


 幅広い豪奢(ごうしゃ)椅子(いす)に優雅に腰かけ、艶然(えんぜん)と柔らかな笑みを浮かべている。その笑みは慈愛(じあい)と威厳が絶妙に調和しており、見る者を無言のうちに恐惶(きょうこう)させる。

 

 ――彼女が(サンクトゥス)エレシアなのか?


 そう思うと感無量となり、胸に熱いものが込み上げた。


 椅子(いす)は、玉座(ぎょくざ)のように高い位置にあるわけではなかった。彼女は他者を見下ろすのではなく、対等に向き合うことを選ぶのだろう。その意外性が、彼女の(うつわ)の大きさを物語っているようだった。


 彼女の姿は、(まばゆ)いばかりの光に包まれていた。白のドレスは、単なる布地ではなく、光そのものを編み込んだかのように輝いていた。彼女の金髪は、まるで陽光が糸となり流れ落ちたようで、その(まばゆ)さに目が(くら)むほどだった。


 (あお)(ひとみ)は深海のように神秘的で、目が合った瞬間、全てを見透かされたかのような錯覚(さっかく)(おちい)った。その(ひとみ)の奥には、過去も未来も全てが映し出されているかのようだ――まさしく人の範疇(はんちゅう)()えた存在に思えた。


 彼女の周囲には、花びらや微かな星明かりが舞い踊り、見る者の心を魅了(みりょう)してやまない。さらに、その身を包む極彩色のオーラは、万物の調和を象徴するかのようだ。その中にいると、(たましい)浄化(じょうか)されるような気さえした。


 何より、エレシアの容姿に見惚(みと)れて(われ)を忘れた。僕は、そこに理想的な大人の女性像を見た。

 彼女には、僕が勝手に想像していた実母アリアや養母エレナの面影があり、そして僕自身にも似ているようにも感じる。

 マザコンでナルシストのような気もするが、理想の女性像は人それぞれ。しょせんは、そんなものなのではないか?


 なによりも一番印象的だったのは、彼女の額にオウムの表徴(シンボル)がくっきりと浮かび上がっていたことだ。僕のような薄ぼけた赤ではなく、灼熱(しゃくねつ)色をした情熱的な赤だ。


 そこから彼女の桁違(けた)いば霊力(れいりょく)が、(たぎ)るように流れ込んでくるかのようだ。


 思わず、額の帝王紋(ていおうもん)に手を当てた。エレシアのオウムに感応して熱く熱を帯びている――過ぎ去った「天狐(てんこ)の試練」の記憶が脳裏をかすめた。


「母さん。今、(もど)りました」

「ご苦労じゃった。ともかくも、生きたらむにはのう」


 いきなりの古語には面食らったものの、エレシアの声はアルトボイスで、まるで歌っているかのように豊かな響きがある。何物にも動かしがたい安定感があって、頼れる感じだ。

 

「命を救っていただきましたこと、心から感謝申し上げます」

 

「礼は無用ぞ。アストラリス宮殿は、等しく(だれ)にも開かれたり」

「それは、恐れ入ります」


「さるほどに、其方(そなた)は、とにもかくにも、ここへたどり着きき。ここへ来し雄には、此方(こなた)と交はる権利あり」

「は? それは、どういう……」


「なにぞと! 其方(そなた)は、此方(こなた)に種を授けに来ずや?」

「雄というのは、人竜(じんりゅう)のことですよね。僕は、人間ですが……」


人竜(じんりゅう)の多きは確かなれど、種族は縁なし。千年前にも一人、人と交はりしところぞ」

「そうですか……」


 帝国(ていこく)の初代皇帝(こうてい)の父親ということか……まさか、それも事実だったとは!

 それにしても、人竜(じんりゅう)の性的な倫理観(りんりかん)は、人間とは全く異なるようだ。しかし、それを一概(いちがい)に否定し、忌避(きひ)するのもいかがなものか……?


「よも、其方(そなた)此方(こなた)に欲情せずといふことか?」


 どうやら、こうなってしまった以上、僕に拒否権(きょひけん)はないようだ。

 そもそも、僕に、そういった欲望がないと言えば(うそ)になる。これは、いつかは経験にしなければならないこと。ここは、素直に彼女の慈愛(じあい)に甘え、無償(むしょう)の愛に従うべきか……。

 

「いえ! 決してそのようなことは……」


「そは重畳(ちょうじょう)其方(そなた)はらうのなからむにはし、此方(こなた)が男にせむぞ」

「それは光栄の至りに存じます。感謝の言葉もございません」


 そして、その夜……、

 僕は男になった――はずだ。

 ところが、夢ごこちの中にあって、肉体的にどのような行為をしたのか――それが人の男女の交合と同じなのか? ちっとも記憶にない。


 その夜、彼女との(たましい)の交感は、まるで永遠に続く天上の舞踏のようだった。その感覚は、現実を(はる)かに越えた世界に僕を(いざな)い、時間の感覚すら失わせるほどだった。


 全身を包み込む暖かな光とともに、胸の奥から恍惚(こうこつ)とした法悦境(ほうえつきょう)()き上がった。極致感(きょくちかん)とともに精を放った心地よい虚無感(きょむかん)が全身を満たす中、気が付けばすべてが静寂(せいじゃく)(もど)っていた――まるで、夢から覚めたかのような不思議な感覚だった。


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