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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
12/31

禁忌の森と聡明の道

 聖エレシア山は、山頂へ近づくほどに霊気(れいき)が濃密になる。山上から吹き降ろす冷気と相まって、早暁(そうぎょう)の空気のような清涼(せいりょう)さが感じられる。


 伝説によれば、山頂には、この世の創世とともに誕生したとされる原初の人竜(じんりゅう)「エレシア」の住まう荘厳(そうごん)な大神殿が(そび)えているという。名を「アストラリス宮殿」という。

 周囲の山肌(やまはだ)を満たす霊気(れいき)の源泉は、この神殿だと信じられている。


 聡明法(そうめいほう)は、清浄(せいじょう)な地で(おさ)めることが求められる。

 僕は、霊気(れいき)(みなもと)の山頂へ近づこうと、(いばら)と岩の(けわ)しい斜面を登り、鬱蒼(うっそう)とした翠緑(すいりょく)の森をかき分けて道なき道を登坂する。


 そのとき、準備の修行(しゅぎょう)を通じて感覚が鋭敏になっていた僕は、気付いた。森の木々に隠れながら、ひそかに僕を追尾する不審(ふしん)な影の気配(けはい)がする。


 ――一人……二人……三人? あるいは、それ以上か?


 ここは禁忌(きんき)の領域。

 一般人が立ち入るはずがない。村の住人が、僕を売ったとも思えない。


 修行(しゅぎょう)の件は、ことさらに秘密にしていなかったし、「人の口に戸は立てられぬ」といことか……?

 想定が甘かったと言わざるを得ない。


 目的は、僕がコミモテノス聡明法(そうめいほう)により力を得ることの阻止(そし)か?

 だとすれば、ワトラム幽世領邦連合ゆうせいれんぽうれんごうの手の者か? コームルス帝国(ていこく)を盟主とするアデラム同盟と緊張(きんちょう)関係にあるから、おおいにあり得る。

 あるいは、エレシア教に反発する邪教(じゃきょう)集団?

 皇帝(こうてい)が僕に脅威(きょうい)を感じ、排除(はいじょ)しにきたとは考えたくないが……。


 数的不利があるので、戦術理論的には先制攻撃が常套(じょうとう)手段だ。

 だが、手出しをしていない者をいきなり攻撃するのもためらわれる――甘いのかな、僕は……。


 試しに、獣道(けものみち)から(はず)れ、あえて迷ったふりをしてグネグネと蛇行(だこう)しながら進む。

 だが、気配(けはい)執拗(しつよう)に追ってくる。どうやら、目標は僕で間違いない。しかも、簡単に()ける相手ではなさそうだ。


 覚悟を固め闘気(とうき)()ると、鬱蒼(うっそう)と茂る森の中へ、サッと身を(ひそ)める。ここなら敵を分断して、各個撃破(かくこげきは)するチャンスがある。


 気配(けはい)を探りながら、小声で詠唱(えいしょう)を始め、森をかき分けて奥へと進む。


風の精霊(シルフィード)セレスティアよ。(われ)に力を貸せ……」


 セレスティアは、僕の意を察して、ひっそりと(こずえ)の陰に身を現した。


 回り込んできた敵の一人が、サッと僕の前に立ちふさがる。

 黒鉄の剣は持ってきているが、抜いていない。刀身が長いため、森での戦闘には向かないためだ。


 敵は短刀(ダガー)を腰に構え、猛然と突進してきた。

 その動きを見極めて、刃先(はさき)紙一重(かみひとえ)(かわ)し、返す(こぶし)闘気(とうき)を込めて敵のみぞおちへと(たた)き込む。

 みぞおちは、人体の急所の一つだ。自らの突撃の勢いも上乗せされて、殴打(ぼくだ)の威力が増している。


 敵は、痛みに苦悶(くもん)の表情を浮かべると、(ひざまず)いた。不用意にさらされた首筋へ、渾身(こんしん)手刀(しゅとう)を打ち下ろす。

 ゴキッ――と、骨の(くだ)ける鈍い音が響き、敵は息絶えた――、


 と同時に、詠唱(えいしょう)を完成する――背後から(しの)び寄る足音は、戦闘と並行して把握(はあく)済みだ。


「……風刀ヴェントゥス・グラディウス!」


 天空から放たれた風刀ヴェントゥス・グラディウスは、音もなく敵の首を両断し、ポロリと地面へ落ちる。切り口から|噴(きり)《ふんむ》のように鮮血(せんけつ)が飛び散った。

 

「来い、マグナス! フェロックス!」

 

 従魔(じゅうま)にしてから二年がたち、二頭とも立派に成長したばかりか、(むれ)を率いている。


 双頭(そうとう)の犬マグナスと、鋭い(きば)を光らせたダイアウルフのフェロックスの(むれ)が、一斉(いっせい)に残る敵へと(おそ)いかかる。

 敵は、僕が把握(はあく)していた二人のほか、さらに一人いたようだ。計三人が無数の(きば)(つめ)でズタズタに引き()かれて絶命した。


 かなり遠くからガサッと音が聞こえたが、敵の監督(かんとく)者・監視者なのか、何かの動物が恐れて逃げたのか判断がつかなかった。


 死体を見分してみる。

 苦痛に(ゆが)んだまま固まって動かない青白い顔――嫌悪(けんお)の感情が()き上がり、激しい悪心(おしん)にみまわれた。

 たまらず口を押え、必死に耐える。

 

――間違いなく自分が殺した……。


 人を殺したのは、初めての経験だった。


 寸刻(すんこく)の後、心を落ち着けて観察してみる。

 森で目立たないように、迷彩(めいさい)服を着ている。装備から見て、おそらくは専門の暗殺者(アサシン)なのだろう。


 ベルトの留め具に、血のように赤い八本の矢印で構成された放射線状のシンボルがあった。

 記憶を探ると、たしか「カオス教団」という邪悪(じゃあく)な教団のシンボルだったはずだ。


 混沌(こんとん)を理想とし、あらゆる秩序(ちつじょ)の破壊を目指す極端な無政府主義(アナーキズム)の教団だ。

 目的のためには、狂気じみた暴力や殺戮(さつりく)()とすることで恐れられている。


 やっかいなやつらに目を付けられ、(わずら)わしい。忌々(いまいま)しいが、追跡をかわさねばならない。

 だが、一度見失えば、果てしなく広がる翠緑(すいりょく)の森の中で一人の人間を見つけるなど、およそ不可能だ。

 気を取り直して、さらに山を登る。

 

 高地へ至れば、空気は薄くなり、気候も冷たく過酷(かこく)になる。そして、何よりも濃い霊気(れいき)――生命エネルギーの過剰作用(かじょうさよう)が、僕の体に重くのしかかる。生命に必要なものであっても、多すぎれば毒になる。

 (ひど)い頭痛に()き気が(おそ)う。体の恒常性(ホメオスタシス)(くず)れてきているのだ。


 無理に聖エレシア山を登った人間は、体中から血を噴き出して死んだ……古文献(こぶんけん)にあった記述が脳裏(のうり)をかすめる。

 とにかく、急がず体を慣らしながら登るしかない。気持ちは()くのに、体がついていかないことが、じれったい。


 聖エレシア山には、満ち(あふ)れる霊気(れいき)を求め、無数の動物や精霊(せいれい)妖精(ようせい)たちが引き寄せられてくる。

 これらは、中でも霊気(れいき)が濃い中腹の翠緑(すいりょく)の森において環境に適応し、独自の進化を()げて、特異な能力を獲得していた。


 これらには、凶暴な猛獣が進化したものもいれば、善良な妖精(ようせい)などもいて、多種多様だ。墓戸(はかべ)の一族に残された記録から、僕は、そのことを知っていた。


「きゃっ! あなた、人間なの?」

「ああ。そうだけど……」

 

 花びらと葉のドレスをまとった小さな妖精(ようせい)が、大きなフキの葉の上にチョコンと腰かけていた。

 気づかなかったら、振り落としていたかもしれない。


「まあ驚いたわ。人間に会うなんて、何百年ぶりかしら?」

「あなたは、もしかしてナンフなの?」

「ええ。そうよ」

 

 ナンフは、花の妖精(ようせい)として知られる聖なる存在で、植物の力を持つ。(れい)的波長が高いので、霊感(れいかん)の強い者にしか見えない。


「それは、神聖なる妖精(ようせい)に出会えて、光栄だよ」

「エッヘン! 人間に姿を見せることなんて、滅多(めった)にないんだからね。感謝なさい」と、小さい胸を張っている姿がほほえましい。


 だが、この山には凶暴な魔獣(まじゅう)たちが巣食っていた。

 ライオンに似た肉食獣ティラコレオ、長く鋭い(きば)を持つサーベルタイガー、黒い影のように(しの)び寄るニグルムジャガー、さらには、まるで大地の怒りを体現したかのような巨大なサイのエラスモテリウムや毒をたたえた蛇の王セラティスヴァイパまで――、

 これに在来の(おおかみ)などの猛獣も(あわ)せて次々と遭遇(そうぐう)し、戦闘に至る。


 手にした黒鉄の剣「黒炎(ニグラフランマ)」を振りかざし、魔術(まじゅつ)と剣技を(たく)みに織り()ぜながら立ち向かう。


 ワーグ――(おおかみ)に似た巨躯(きょく)魔犬(まけん)は、(むれ)連携(れんけい)して狩りをする。知性が高く、言語を解するのが特徴だ。

 言葉を()わし合いながら、さながら一つの生き物のように連動した攻撃を仕掛(しか)けてくるのがやっかいだ。

 従魔(じゅうま)である双頭(そうとう)の犬マグナスとダイアウルフのフェロックスに、彼らの(むれ)の協力なしには、対抗しえなかった。


 そうこうしながら、修行(しゅぎょう)できそうな場所を探す。

 ようやく、天に向かって突き立つ(つるぎ)のような岩場を見つけた。ここであれば、魔獣(まじゅう)などの攻撃の心配も少ないだろう。


 剣の先端に位置する場所で、コミモテノス像を整え、そこを修行(しゅぎょう)場とし、コミモテノス聡明法(そうめいほう)実践(じっせん)していく。


 日々、寒さと強風が厳しさを増す山の気候に耐えながら、神聖なる真言(しんごん)(とな)え続ける……。

 骨身を(けず)りながら、この試練に立ち向かう――それは身体(からだ)と精神の限界への挑戦(ちょうせん)でもある。


「オン コミムタノス アハルラ フナオ メッカ ボデルラ ハンダマ ジンバルラ ハラルブリティア オン」(コミモテノスの神よ、無限の知恵と慈悲(じひ)をもって、(われ)に無限の知恵を与え、(われ)(さと)らせ、光明(こうみょう)をもたらし(たま)え)


 だが、徐々に体は衰弱(すいじゃく)し、疲労が蓄積していく……。


 ()てられた皇子という自分の出自、己の心の弱さ、神託(しんたく)で示された父殺しの運命、墓戸(はかべ)の一族として()まれる自分、ノアへの(あこが)れ、リリアへの愛の不条理な喪失(そうしつ)、神秘的なエルフ・イリスとの出会い……様々な思いに、僕の心は()り動かされる。


 それらに悩みながらも、瞑想(めいそう)を深めていく。心の小宇宙(ミクロコスモス)を探るのだ――深く、深く……深淵(しんえん)の底へ……限界へ(いど)むようにして……。


 体の感覚がなくなっていく。食事もしていない。時の流れさえ見失って、時間の感覚がなくなる。

 何日が過ぎたのか、それとも何ヵ月か……ただ暗闇(くらやみ)に沈んでいく意識が続くだけだ……。

 それでもかまわない。向き合うのだ。人の自我(エゴ)を越えた無意識を、さらに深いところにある本能(イド)を……。


 ふと、線と線がつながった感覚を覚えた。


 肉食獣のごとき残虐(ざんぎゃく)本能(イド)――その苛烈(かれつ)さを自覚した。命持つ者を傷つけ、命を(うば)うことを、たまらない快楽に感じる。

 

 それは、無意識深層の(やみ)の奥深く――ここに、ひっそりと潜在(せんざい)しながらも、僕の心のありように影響を及ぼしている。


 男ならば、何かしらの狩猟(しゅりょう)本能は持っている。ところが、それが異常なまでに強い。

 実父の、暴あなたの血が確実に体に流れている事実に、その(おぞ)ましさに痛切な衝撃(しょうげき)を受ける。

 

 それを無意識に恐れ、心を閉ざした。

 気が弱いのも、感情を表に出すのが苦手なのも、そのためだ。


 結果、人間関係を(こじ)らせ、袋小路(ふくろこうじ)にはまっていた。これでは、自爆もいいところだ。


 そこまで思い至り、僕の意識は覚醒(かくせい)した。時計を確認すると、ちょうど一〇〇日目だった。

 しかし、これでは終われない。まだ、原因がわかっただけ。やっとスタートラインに着いたようなものだ。ここからが、本当の始まりだ――。

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