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棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
11/31

孤高の修行と見えざる眼

 村(はず)れの森に足を踏み入れ、奥深くを目指していると、冷たい風が急にイリスを包み込んだ。

 日差しが木々の隙間(すきま)から差し込んではいるが、奇妙な薄闇(うすやみ)が辺りを支配しているように感じる。


 (やみ)怪物(かいぶつ)のことが想起され、おののきに似たものが、彼女の体を走った。

 

 その時、後方から不意に柔らかい声が聞こえてきた。(ささや)くようだが、なぜかよく通る声だ。


「やっと会えたわね……」


 彼女は、その声に振り返った。

 一人の女性が、優雅なほほ笑みを浮かべて立っていた。


 髪は漆黒(しっこく)に輝き、(ひとみ)も深い漆黒(しっこく)の色をしている。成熟した大人の女性だ。


 かすかな冷笑を口の()に含んでいるように、イリスには見えた。

 同時に、森に広がる不気味(ぶきみ)なほどの静寂(せいじゃく)を感じた。恐れの感情が深まり、体温が下がっていくのを止められない。


「あなたは……どうして、ここに?」


 イリスは(うれ)いを断ち切って、そう尋ねた。


 彼女のほほ笑みは、鋭い(やいば)のような冷笑へと変わる。目を細めると、見下すような(とげ)のある目つきでイリスを見つめた。


「私はルーカスの古い知り合い、ノア。訳あって、ずっとあなたを見張っているのよ」


 その言葉には、どこか(ねた)みと期待が混ざり合った複雑でぎこちない響きがあった。


「見張っている……? ただのお知り合いが、こんな森の奥まで?」


 イリスの本能が警鐘を鳴らしている。それを押し込めて、さらに訪ねた。


「そう言うあなたは、ルーカスの恋人か庇護(ひご)者にでもなったつもりなのかしら?」

 

 初めて会ったのはずの彼女の言葉は、自信に満ちている。のみならず、皮肉な敵意までも感じられる。

 実際、彼女が常人では(あらが)いがたい傑物(けつぶつ)なことに間違いはない。まとう雰囲気が、すべてを物語っている。



「私はルーカスの友人のイリス。この村の住人で、彼の修行(しゅぎょう)を手伝っています。

 で、ノアさんは、いったい……?」


 ノアは冷ややかな笑みを浮かべながら、イリスにはゆっくりと近づく。彼女の(あご)に手を添えると、強引に(ひとみ)を見つめた。

 

 イリスは、底知れない深淵(しんえん)(やみ)をたたえたノアの視線に、威徳(いとく)が備わった重圧を感じた。

 まるで、すべてを見通そうとしているかのようだ。


「あなたは、本当にルーカスが高みを目指す助けになれているのかしら?」


 ずばり問われた瞬間、イリスは血の気が引いた。立っているのもやっとだ。

 

「私は……」


 答えに詰まったイリスに、ノアはふわりと肩をすくめた。そして、何の躊躇(ためら)いもなく通告する。


「このままでは、あなたの存在を許せそうにないわ。

 (はげ)みなさい……そして、あなたのことを、私がずっと見張っていることを忘れないで」


 ノアの言葉は、イリスの心に強く響いた。だが、その裏では、ノア自身も何か重荷を背負っているようにも、イリスは感じた。


 言葉に出せなかったが、イリスは決意を込めてノアの目を見つめながら、静かに首肯(しゅこう)した。


 ノアは、柔らかにほほ笑んだ。

 少しだけ緊張(きんちょう)がほぐれ、イリスの口角がやや上がる。何か通じるものを感じた気がした――その刹那(せつな)


 思いがけず、ノアはイリスに軽く(くちびる)を重ねた。

 イリスは、なぜか抵抗を感じなかった。


 ノアの(くちびる)は温かく、そして何か神秘的な力が伝わってくる。


 それを終えると、ノアは、森の(やみ)へ溶け込むように姿を消した。


 残されたイリスは、(きつね)につままれた心持ちだ。しばらくの間、茫然(ぼうぜん)と立ち尽くした。




     ◆




 翌日から数日間、イリスは姿を見せなかった。

 時折、様子を見に来るが、本当に食事を持ってこなくなった。

 

 とにかく心を落ち着けようと、瞑想(めいそう)に集中する。


 瞑想(めいそう)は、魔術(まじゅつ)の基本でもある。


 これを行使する際、魔術(まじゅつ)師は、自らの意識=幽複体(アストラル ボディ)星幽界(アストラル レルム)へと飛翔(ひしょう)させて活動する。

 このためには、人の持つエゴを究極まで薄めなければならない。

 

 これには、覚醒(かくせい)時には自覚していない、意識深層の無意識と向き合うために、深い瞑想(めいそう)が必要不可欠だ。


 周囲から魔術(まじゅつ)が得意だと評価されていた僕は、瞑想(めいそう)もお手の物と思い込んでいた。なのに……、


(成長期のガキが食事制限なんて、無理に決まってるじゃないか)

(それでも、僕はやるんだ!)

 

(もっともらしい理由を言っていたが、本当は、イリスの前でいい恰好(かっこう)を見せたかっただけじゃないのか?)

(違う! 本当に、生きる意味を探したいんだ!)


聡明法(そうめいほう)なんて効果が(あや)しい。自虐趣味(じぎゃくしゅみ)自慢(じまん)したい惑乱(わくらん)した魔術師(まじゅつし)が考えたものじゃないのか?

 やめちまえよ。どうせ意味なんかないんだ。楽になるぜ)

(長老様たちが教えてくれた聡明法(そうめいほう)を、僕は信じる!)


 次々と()き上がる否定的な思考――その一つひとつが、心の奥底に重く響き、意志を(むしば)んでいく。それらを打ち消し、前を向き続けた。そんな暗闇(くらやみ)の中での終わりなき格闘の日々が続く……。


 そんなある日、魔術の初級教本の記述を思い出した。

 意識を切り替え、浮かび上がる雑念を浮かぶに任せる。


 負の思考をいちいち(つぶ)すことが、瞑想(めいそう)の目的ではない。(もぐ)るのだ。内なる精神世界へ――深く深く……そこに無限の小宇宙(ミクロコスモス)が待っている。


 瞑想(めいそう)の基本は、呼吸――吸い込むよりも、長く息を()く。人は息を()き出すとき、緊張(きんちょう)(ゆる)むからだ。

 ひたすら呼吸に集中し、心を静めていく……まるで心に(よど)んだ悪いものを外界へと(しぼ)り出すかのように……。


 感情のざわめきが次第に遠のいていく……松陰(しょういん)にさらさらとそよぐ葉擦(はず)れの風韻(ふういん)、きままな小鳥たちの(さえず)り、催花雨(さいかう)(やわ)らかな雨だれ……不整合な音の交錯(こうさく)が、(かえ)って気分を落ち着かせた。


 何もない(やみ)の中で、自分自身の声が(うず)を巻いているようだった。


(やめろ、これ以上進むのは(おろ)かだ)


(いや、耐えるんだ。僕はこの道を選んだ)


 まるで鏡を無数に並べた暗い回廊(かいろう)の中で、行き場を失って彷徨(ほうこう)するようだった。

 疑念と信念が入り混じり、何が自分の本心かさえ見失いそうになる。


 しかし、意識をさらに奥深くへと沈めていくと、徐々に頭の中に静寂(せいじゃく)が広がっていった。


 (やみ)の中に、かすかな光が見えた気がする。(かす)かな息吹(いぶき)のように、そこに存在し続けるもの――それが自分の深層意識であり、心の(しん)であることに気づき始める。


(これだ……この先に……真理がある……)


 呼吸が整い、心が()んでいく。遠くで木の葉がさざめく音が聞こえ、世界が静かに僕を包み込むような感覚に満たされていった。


 その体験を深めながら二カ月がたち、四月になった。ようやく食事制限にも慣れ、孤立した環境でも、精神は落ち着きつつある。修行(しゅぎょう)を続ける手がかりもつかんだ。


 季節は春。仮に二〇〇日行をするなら、そろそろ本行(ほんぎょう)を始めないと、終わりごろには冬に突入してしまう。


 僕は腹を固め、この決意をイリスへ告げることにした。


 イリスは()し目がちに、ちらりと僕の顔色を(うかが)っている。その(ひとみ)には、不安と(うれ)いの色が深く宿っていた。

 これまでの苛立(いらだ)ちが、どれほど彼女の心に負担をかけただろうか? それを考えると、気が重い。


「まだ自信はないけど、秋までには終えたいから、もう山へ入るよ。今まで、ありがとう」

「そう……それもそうね。でも……無理はしないでね。死んでしまっては、元も子もないんだから」


「本格的な修行(しゅぎょう)は今までの比じゃない。これが最後の別れになるかもしれない」


 イリスの表情が一瞬、(こお)りついたように硬直(こうちょく)した。


「……最後なんて……何を言っているの?」

 彼女の声はかすれ、目が(うる)んでいる。


聡明法(そうめいほう)は厳しい修行だ。誰も成功を保証してくれない。でも、僕にはこの道しか残されていないんだ」


 イリスは小さく(くちびる)()みしめ、(うつむ)いた。


「私のことは、どうでもいいから……生きて……それが約束よ。絶対に死なないって、言って」

 彼女の声が(ふる)えている。顔は青ざめ、憂色(ゆうしょく)()くしている。

 

「わかったよ。完遂(かんすい)できるかわからないけど、必ず生き抜くようにする」

「約束だからね! 死んだら許さないんだから。生きてさえいれば、開ける道はきっとある。

 でも、村へ(もど)ってくることは、条件じゃないわ。もう、私にできることは何もないもの。あなたが成長するために、私を捨てることもあるのよね」


――(もど)らなくていいだって!


 イリスの覚悟に、僕は衝撃(しょうげき)を受けた。それほど、僕にとっての彼女の存在は大きくなっていた。


(参ったな……なんだか、振られた気分だ……)


 イリスは、どんな(わざわい)(いと)わない覚悟を決めたのだ。自分の幸福は二の次なのだろう。僕からの見返りなど微塵(みじん)も期待していないに違いない。

 だが、彼女は自分を過小評価し過ぎだ。それも、僕が彼女に心労をかけた(むくい)いに思えると、なんだか気がめいる。


 とにかく、今は彼女を口説(くど)く場面じゃないことは確かだ。

 

「じゃあ、僕は行くよ」

 僕は腑抜(ふぬ)けた言い方しかできなかった。溌剌(はつらつ)とした決意を示せない自分が、(うら)めしい。


 イリスの(ほお)を熱いものが(つた)う。耐えきれなくて、見て見ぬふりをした。

 そのまま振り返えらず、聖エレシア山を登っていく。


 イリスは涙をこらえられず、目元を指で(ぬぐ)った。

「どうして……私にできることがないの……」


 僕は、後ろに彼女の言葉を聞きながらも、振り返らずに歩き続ける。決意を(つらぬ)くために、心を固くして。


「……待って……」


 イリスの(ふる)える声が、背中越しに届く。その一言に、僕は一瞬だけ足を止めた。

 振り返りたくて仕方がなかったが、もし彼女の顔を見てしまえば決意が()らぐことはわかっている。


 (くちびる)をかみしめ、目を閉じて深呼吸を一つつく。そして、再び前へと歩き出した。


「……ルーカス、約束だからね……」


 イリスの声がかすかに聞こえる。


 イリスの(ひとみ)には涙が浮かんでいたが、必死にそれを(おさ)え込んでいるようだった。彼女の手が小さく(ふる)え、服の(すそ)を握り()めている。


(僕は……(もど)らなければならない。イリスさんを失わないためにも……)


 そう心の中で何度も繰り返した。


 僕は、振り返らないまま、ただ静かに聖エレシア山の道を一歩一歩登っていく。その背中に、イリスの悲しげな眼差(まなざ)しがいつまでも注がれているのを感じながら。

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