表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棄てられ皇子の煩悶 :不遇の皇子は運命に抗い、自らの道を切り開く!  作者: 聡明な兎
第一部 棄てられ皇子の煩悶
10/31

迷いと誓いの山路

「イリスには、さんざんお世話になっているけど、ご家族に挨拶(あいさつ)もしていなかったね。今からお邪魔してもいいかな?」

「それなら、伯父(おじ)叔母(おば)に紹介するわ」


伯父(おじ)さん? ご両親は、どうしているの?」

「父と母は、連合の首都で暮らしているわ。

 私は、聖エレシア山の霊気(れいき)に触れたくて、叔父を頼ってこの村に滞在(たいざい)しているの」

「なるほど、そうなんだ」




 イリスが住む家は、なかなか風雅(ふうが)(おもむき)をたたえていた。

 樹上に建てられた家は、まるで森の精霊(せいれい)が守護しているかのように古木の枝々が屋根を(おお)った下で、ひっそりと(たたず)んでいる。周囲には木漏(こも)れ日が差し込み、そよぐ風が葉を()らし、小鳥の(さえず)りと(ささや)き合うかのように合唱している。

 

 イリスは、縄梯子(なわばしご)を慣れた手つきで軽やかに登っていく。

 女の子に負けてはならじと、急いで後を追う。だが、ふと彼女のスカートの(すそ)がふわりと()れて中が見えそうになり、(あわ)てて視線を()らした。


 部屋の中は柔らかな(あか)りで満たされ、壁には古びたタペストリーが()けられている。


 イリスは、早速、僕を家族に紹介してくれた。

 

伯父(おじ)さんのアルヴィンと叔母(おば)さんのミーリエルよ」

「ルーカスと申します。イリスさんには日頃(ひごろ)からいろいろとお世話になっております」と、人見知りな僕の挨拶(あいさつ)は、緊張で声と表情が強張(こわば)っている。


「おう、君がルーカス君かあ。なんだか初めて会った気がしないなあ。イリスから、あれやこれやと君の話を聞いているからなあ……」と、アルヴィンは陽気にイリスを茶化す。

 

伯父(おじ)さん、やめてよ。本人の前でそんなこと……」

 

 イリスは、赤面し、恥じ入っている。

 でも、否定はしないんだ……?


「あなた! イリスは花恥ずかしい年頃(としごろ)なんですから、からかうものじゃありません」

「おう、悪い悪い……」

 

 ミーリエルに(たしな)められて、アルヴィンはバツが悪そうだ。


 暖炉(だんろ)の火がゆらゆらと()れ、空気に木の香ばしい(にお)いが(ただよ)っている中で、アルヴィンが大きな声で笑いかけてくる。彼の声が響くたびに、暖かな空間に一層の活気が加わる。


 会話が進むにつれ、アルヴィンの明るく気さくそうな性格が伝わってきて、緊張(きんちょう)()けていく。


 一方、ミーリエルは静かな気品と繊細(せんさい)さを兼ね備えている印象だ。

 おおざっぱそうなアルヴィンを支える姿が目に浮かぶようだ。


「ルーカス君は、ぜんぜんしゃべらないな。何か気に(さわ)ることでも言ってしまったかな?」

「いえ、そんなことは……」


 こちらこそ気分を害してしまったか――少しきまずい。


「ルーカスは、これが普通よ。だまったまま無表情だと、怒ってるみたいだけど、そうじゃないから。

 なまじ整った顔立ちをしているから、余計にそう見えちゃうのよね」と、イリスが微笑を浮かべてフォローしてくれた。ありがたい。

 

「なんだ、そうなのか。

 イリスは、そのクールなところに()れたわけだな」

 

「だから! なんで、すぐそういう話になるの!」と、イリスが顔を赤らめてぷいっと顔を(そむ)ける。



 

 やがて話が進み、いつしか部屋の中の陽気な雰囲気(ふんいき)が少しずつ落ち着きを帯び、静寂(せいじゃく)が訪れた。

 暖炉(だんろ)(とも)る火がほのかになり、壁に長く()びた僕の影が()れている。


 イリスが真剣な面持(おもも)ちで視線を下げると、空気に緊張(きんちょう)が走り、部屋全体が重厚な静けさに包まれる。まるでこの場が「秘密の儀式の始まり」を告げる神聖な空間に変わったかのようだ。


 ようやく本題である「コミモテノス聡明法(そうめいほう)」の話に移る。


聡明法(そうめいほう)(おさ)めるなら、長い間家を()けることになるでしょう。

 ルーカス君は、ご家族には相談したの?」と、ミーリエルに(うれ)い顔で聞かれた。


「いえ……まだ、伝えていません」と、僕の歯切れは悪い。

 

「本当のことを言ったら、反対されるわよね。私だったら、絶対そうだもの」

「……そうですね……」

 返すべき言葉が見つからず、僕は視線を落としたまま黙り込んだ。


「何も、全部をバカ正直に話す必要はないさ。

 いちいち母ちゃんの心配につき合ってたら、冒険なんざ夢のまた夢だぜ」


「そうかもしれませんが、何かしら家を()ける理由を説明しないと……」


 話を聞くミーリエルの(うれ)いが、深さを増した。

 罪悪感を覚えるが、それでも折れるわけにはいかない。


「なら、この村で魔術(まじゅつ)修行(しゅぎょう)をする、とでも言っておけばいいんじゃないか?」

「それで、いいんですか?」


「もちろんさ。イリスが()れた相手だ。

 ここで一肌(ひとはだ)脱がなきゃ男が(すた)るってもんだ」

 

 イリスは恋人じゃないと否定すべきか迷った。だが、水を差すようで気が引けたので、流れに任せてしまう。


「ありがとうございます、アルヴィンさん」


「なんなら、俺も一緒に行ってやるぜ。

 口で言うだけじゃ、ルーカスの母ちゃんも心配だろうからな」

「そうしていただけると、助かります」


 アルヴィンとイリスは、本当に僕の家まで付き添ってくれることになった。




 両親の前で、努めて平静を装いながら説明する。(うそ)露見(ろけん)するのではないかと、内心冷や汗をかいた。


「なるほど。ルーカスの魔術(まじゅつ)の腕は、たいしたものだからな。この機会に更なる高みを目指したいというわけか?」

「はい、父さん」


 父アレクサンドロスは、僕の言葉に納得した様子だった。

 しかし、母エレナは黙したままで、その顔には不安の影が落ちていた。


「ですが、エルフ族の村に人間が長期間滞在(たいざい)するなど、よろしいのですか?」


「エルフ族には閉鎖的なやつらも多いが、エレンディルは別格ですよ。

 こちらから人間の町へ出向くのもしょっしゅうです。

 それに、ルーカス君の魔術(まじゅつ)の腕は、村でも評判なんですぜ。みんな大歓迎ですよ」


「そうですか……それならば、どうぞよろしくお願いいたします」

伯父(おじ)はこんなですが、私と叔母(おば)でルーカスさんの面倒はしっかりとみますので、ご安心ください」と、イリスが折り目正しく答える。


「これは、こんなにしっかりしたお(じょう)さんに面倒をみてもらえるとは、一安心ですな」

「はい。お任せください」


 値踏みをするようにイリスを見る母の目が、不機嫌(ふきげん)そうだ。

 それをわかって受け流し、ツンとすましているイリスも、相当なものだ。


 女の怖い側面を垣間見(かいまみ)た気がする。


 とにもかくにも、なんとか家を離れる口実ができた。






 善は急げとばかり、アルヴィンとイリスとともに村へ(もど)る。


 とはいえ、いきなり本番というわけにはいかない。


 急激に食事制限をしては身体(からだ)がもたない。俗世から離れて、精神を統一し続けるには、徐々(じょじょ)に慣らしていくことが必要だ。


 村(はず)れの静寂(せいじゃく)に包まれた森の奥にある小屋を、仮の修行(しゅぎょう)小屋として使わせてもらえることになった。


 森に入ると、ひんやりとした空気が全身を包み込み、足元の落ち葉がかさりとかさりと音を立てる。

 森の奥に小さな小屋がひっそりと(たたず)んでおり、木々の合間から淡い光が射し込んでいる。小屋の屋根には(こけ)()え、長い年月を経て静かに眠っているようだ。

 風が吹き抜けるたびに木の葉がさざめき、まるで森が修行(しゅぎょう)者を見守っているような、不思議な安らぎが(ただよ)っている。


 そこで、修行(しゅぎょう)生活の準備を進めていく。


 食事の面倒は、イリスがみてくれる。小屋には、彼女以外の者が近づかないように配慮してもらった。


 食事は、肉などを断ち、穀物も小麦から雑穀に切り替えて、最終的には山菜や木の実などだけで命を(つな)ぐ生活へと移行していく。


 食事制限が始まると、次第に空腹と疲労でイライラが積もり、心を(むしば)み始めた。

 森の静寂(せいじゃく)がかえって耳障(みみざわ)りに感じ、イリスの小さな気遣いさえも神経を逆撫(さかな)でするように感じる。


 目の前の景色が薄闇(うすやみ)に沈む中、イリスの柔らかな声がかすかに耳に届く――しかし、その(ねぎら)いの言葉の端々が、いちいち(かん)に障る。

 

「ルーカス。(つら)いだろうけど、頑張(がんば)ってね」

頑張(がんば)っているところに、頑張(がんば)れなんて言うなよ! これ以上追い詰めないでくれ!)

 

 不満をぶつける言葉が喉元(のどもと)まで込み上げるが、(くちびる)をかみしめてぐっと耐えた。

 表情へ出ないようにしたつもりだったが、イリスは苛立(いらだ)ちを察して、当惑した様子だ。

 

 彼女は見られまいと顔を()せたが、その瞬間、(ひとみ)(うる)んでいるのが垣間(かいま)見えてしまった。

 彼女へ心労をかけた罪悪感で、焦燥(しょうそう)に駆られる。


 翌日、イリスが静かに小屋に入ってきて、簡素な木の台に夕食を置いた。

「ルーカス、今日は少し多めに作ったの。お腹空いているでしょう? これで頑張(がんば)ってね」


 その優しい声が、なぜか苛立(いら)ちをかき立てる。

(うるさい……どうしてわかるんだ、僕の(つら)さなんて――)


「いつも頑張(がんば)れと言うけど、もう頑張(がんば)っているんだ。君に僕の(つら)さが分かるはずもない。しょせんは他人だからな! 君には関係ないだろう?」


 イリスは一瞬、驚いたように目を見開き、それから(まゆ)を寄せ、何かを言い返そうと口を開きかけたが、閉じてしまった。

 沈黙が場を支配し、冷たい空気が小屋を満たす。


「ごめんなさい……ただ、手伝いたかっただけなの」と小さく(つぶや)くと、イリスは台の上の食事をじっと見つめた。


 視線を()らさずにいるその表情に、涙が浮かんでいるのがわかる。

 その涙が、僕をさらに苛立(いらだ)たせた。


「親切の押し売りで君は満足だろうが、僕は(つら)いんだ!」


 イリスは息を()み、呆然(あぜん)としたように立ち尽くした。まるで、突然の嵐に見舞われた花のように、彼女の(ひとみ)には困惑と失望が混じり合っている。


 沈黙が彼女と僕の間に降り立つ。今、ほんの少し手を()ばせば触れられる距離にいるのに、彼女の存在がひどく遠くに感じられる。


「なによ、それ? 勝手にすればいいわ! しょせん私は、他人だものね」

「ああ、そうさせてもらうさ。もう、食事はいらないから」


 売り言葉に買い言葉で、僕もきつい言葉が出てしまった。

 その言葉はイリスの驚きを大きくしたようだ。彼女は、瞳孔散大(どうこうさんだい)している。


 イリスは、そのまま怒りを(しず)めると、視線を()せ、何も言わずに(きびす)を返して小屋を出て行った。

 その背中が()れ、最後に一度だけ振り返ったときの目は、悲しみと混乱の色を帯びていた。


 彼女の去っていった小屋の中に、どこからか冷たい風が流れ込んでくるようだった。


 イリスの姿が消えた瞬間、後悔(こうかい)が胸を()め付けた。


(僕は……なんてことを言ってしまったんだ)


 (くちびる)()()め、(うつむ)いた。

 冷たい静寂(せいじゃく)の中、風の音だけが耳元に残っている。その音は、まるで心の中に(むな)しく響く懺悔(ざんげ)の声のようだ。


「……謝りたかったのに……」と、(つぶや)くが、それを聞く者は誰もいない。


 頭を抱え、小屋の(すみ)に座り込む。

 心の中で何度も自分を責めたが、苛立(いらだ)ちは消えない。

 僕が選んだ道は、孤独な修行(しゅぎょう)――他者との関わりを断ち切り、己の限界を試すものだと分かっていたはずなのに。


(結局……僕は一人ぼっちだ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ