沈む太陽 ~獅子と鳥の運命~
神託の巫女が発する重々しい胴間声が、高い天井に反響する。
「太陽の光に生まれし炎の獅子は闇に堕ちて傲り、世は擾乱に干戈止まず。
創造と維持と破壊の象徴を備えし銀の鳥は民を憂う。
鳥は竜の恵みを受け、獅子と鳥の争いは天地を分かつ。
戦争と知恵の女神は悲しみに暮れ、やがて太陽は沈むだろう」
すると、神殿は厳粛な気に満たされる。耐えがたい静寂が広がり、参列者たちは息をすることすら忘れた。
冷たく乾いた空気が漂い、全員が一瞬たりとも身じろぎもできないまま、不吉な神託の余韻に縛られている。
神託を終えた巫女は、トランス状態から解放されると同時に意識を失った。体が突然硬直し、白目をむいたまま地面へと崩れ落ちる。驚きで、参列者たちの間から小さな悲鳴が漏れた。
世話役たちは驚きに顔を青ざめさせながら、慌てて彼女を支えた。
巫女の顔は蒼白で、かろうじてか細い息を吐き出している。
一段落すると、興味津々の参列者たちは口々に囁き合い、不穏な空気に身を震わせた。
今日は、コームルス帝国皇太子ガイウス・コルネリウス・マケドニクスの長男ルキウスの一歳の誕生日が盛大に祝われていた。
この最大の山場として、預言をつかさどる太陽と音楽の神ソラに捧げられた祝賀の儀式で、神託が告げられたところだ。
その結果が、この不吉な預言だ。
「どういうことだ! 獅子とは、まさか俺のことか?」
ガイウスは、鋭い目を神殿の神官に向けると、荒々しく詰め寄った。肩が震え、怒りの気配が周囲に漂う。焦燥感は明らかで、その目には容赦のない光が宿っている。
「そ、それは……おそらく皇帝のことかと……」
答える神官は、恐怖で歯の根が合わない。
暴君で有名な父と似て、ガイウスは傲慢で残忍な男だ。意に沿わぬ臣下を手にかけた例は、枚挙にいとまがない。
「つまりは将来の俺ということではないか! では、鳥とは誰だ? ルキウスなのか!」
「創造と維持と破壊の象徴とは……おそらくオ・ウ・ム――帝王紋のことではないかと……」
「くそっ! ならば、太陽が沈むとは、ルキウスが将来俺を殺すということで相違ないな!」
「確かに、太陽が沈むとは皇帝がお隠れになる暗喩と思われますが、ルキウス様が殿下にお手をかけるとは……」
「そのようなこと、どうでもよいわ!」
ガイウスの声が神殿に轟き、その肩は怒りで小刻みに震えている。目は血走り、唇はわなわなと震え、今にも爆発しそうな狂気がその表情に滲んでいた。
「殺せ! この場で、ルキウスを殺すのだ!」
ガイウスは拳を振り上げ、護衛の近衛兵に向かって、狂ったように絶叫した。
「俺が殺される運命など、力づくで断ち切ってくれるわ!」
だが、ルキウスは皇太子の長男。ゆくゆくは帝国を継ぐ血筋だ。
近衛兵たちは躊躇し、互いに顔を見合わせた。
剣の柄を握る手が震え、心の中に葛藤が渦巻く――命令に従えば、未来の皇帝を手にかけることになる。だが、逆らえば……
「殿下……どうか……」と、ついに一人が声を上げたが、言葉は震えていた。しかし、ガイウスは歯牙にもかけない。
「お待ちください! この神聖な神殿を血で汚すなど、正気の沙汰ではございません!」
神官が、慌ててなだめにかかる。
さらに、正妃アリアが、ガイウスの足元にすがりついた。
「お願いです、殿下……ルキウスはまだ幼子です!」
滂沱の涙が溢れ、彼女の顔を覆う。
「神託など、いかようにも解釈できましょう! 実の子が親に手をかけるなど、あろうはずがありません。どうか……どうか、おやめください!」
アリアの声は、まるで胸の奥から絞り出されたかのように、震えながらガイウスの耳に届いた。
涙が彼女の頬を伝い、冷たい石畳に滴り落ちる。
だが、ガイウスの目には、わずかな躊躇すらなかった。彼は冷酷な笑みを浮かべ、アリアの懇願に答えることはなかった。
アリアは、選ばれし神託の巫女候補であった。
しかし、ガイウスに見初められ、彼が教会へ強引に圧力をかけて妻とした。
夫婦ともども、それぞれの過去の経緯に縛られている。
そもそも、教会の権威は軽んじることができない。
聖騎士団などの武力もその背後に潜んでいる。
いくら傲慢なガイウスでも、教会勢力に対し、無策では逆らえないことくらい心得ている。
ガイウスの顔に苛立ちが滲む。
その瞬間――神殿の空気が一変した。神託の言葉を発した巫女が再び目を見開いた。あたかも操られたように言葉を発する。
「止めよ……」
まるで、神の声であるかのようだった。
神殿内の全員が息をのみ、視線が一斉に巫女へと向けられた。まるで時間が止まったかのように。
ガイウスの脳裏には、瞬間的にさまざまな思考が渦巻いた。
幼いルキウスが見せた、まだ小さくあどけない笑顔と、神託が告げた未来の殺意。それが交錯し、彼の心にかつてないほどの恐怖と怒りが湧き上がった。
彼は、詰まらせるような叫びを押し殺し、ついに決断を下した。
「ええい! ならば、ルキウスをネクロスの森に棄ててこい!」
帝都バシレイオン北部に広がるネクロスの森は、冥界の影響下にあり、死の気配が漂っている。
そこでは生き物たちは腐敗し、変容する。凶暴な猛獣や未知の怪物が跋扈し、人々はその地を恐れている。
一歳の乳児がこの森へ捨てられたら、その命は即座に奪われるのは明らかだ。
最終的に、ガイウスをなだめる術は失敗に終わり、ルキウスはネクロスの森へと捨てられることとなった。
同時に、不興を買った正妃アリアの離宮への幽閉が決まった。
ネクロスの森は、まるで生き物のように呻き声をあげ、木々の間から腐った風が漂ってくる。その中に、ルキウスは無慈悲にも棄てられた。
近衛兵たちは一度も後ろを振り返らず、足早にその場を去っていく。
森の奥からは、不気味な唸り声が聞こえ始め、黒い影がゆっくりとルキウスに近づいてきた……。
しかし、ルキウスを棄てに向かう近衛兵を、ひそかに一人の影が追跡していた。その動作は非凡であり、おそらくはただ者ではないだろう。
こうして、ルキウスは数奇な運命を辿り始める。