20
グリュンワルド家の屋敷は北西の集落、昨日訪れた分校から西に歩いて20分ほどの場所にあった。もともと別荘として建てられたせいか、モニが想像していたほど大きくはない。それでもモニと叔父が住む家の10倍くらいの広さはあるが。
門扉の外で男が一人、落ち葉を掃いている。叔父が近づいた。
「こんにちは、グリュンワルド家のお屋敷で働いている方ですか?」
男が立ち上がった。軽装ではあるが、どことなく上品な空気をまとっている。
「ええ、わたくしはこちらのグリュンワルド家の執事を仰せつかっております。本日お客様がいらっしゃるとは思わず、このような格好で失礼いたしました。」
「いえ、とんでもない。僕らが勝手に押しかけたのですから。」
叔父とモニは自己紹介をする。さて、ここからは叔父の舌先三寸にかかっている。上手いこといきますように、とモニは思ったが、意外にも叔父は非礼をわびた後、用件を伝えず夫人に取り次ぎを頼んだ。執事はしばらくお待ちください、といった後、屋敷の中に消える。
「こんなんで屋敷に入れてもらえるんですか?」
モニは怪訝な顔で叔父を見る。
「夫人次第だね。一か八か……。」
幾ばくも経たずに執事が戻ってきた。断られることを覚悟してモニはぐっと全身に力を込めたが、意外にも執事は屋敷の中に案内してくれた。
門扉をくぐると野趣にあふれた庭が広がっていた。植木や生垣はよく手入れをされているが、人工的な感じはしない。木陰には白いテーブルと椅子が置かれている。夫人とヘレナが午後のお茶を楽しむのだろうか。白い石で舗装された小径を歩き、屋敷にたどり着いた。執事が玄関扉を開く。最初にモニの目に入ったのは、真正面に設えられた大きな窓だ。吹き抜けになっている玄関ホールの1階から2階まで、細い枠にはまったガラス窓が幾何学模様を描くように組み合わさって伸びている。不規則に配置された窓から見える裏庭には、赤いダリアが見事に咲いている。玄関ホールにはこの窓と2階に上がる階段、必要最低限の家具くらいしか見当たらず、絵画や甲冑など、モニが想像していたような装飾品はほとんどなかった。紺の絨毯に白い壁。窓と庭の景観を邪魔しない、シンプルで控えめなシャンデリア。モニはこの屋敷をとても美しいと思った。
玄関ホールを通り過ぎ、応接室に案内される。紺色のビロードが張られたソファに叔父と並んで腰を下ろす。壁際のサイドテーブルには赤いダリアが飾られていた。
「奥様がお会いになられますが、準備がありますので今しばらくお待ちください。すぐにお茶をお持ちいたします。」
執事が頭を下げて部屋を出る。応接室の扉が閉まり、モニは息を吐いた。ちらりと横に座っている叔父を見る。考え事をしている様子だったが、モニの視線に気づいてこちらを見る。
「これからどうするんですか。」
モニが小声で叔父に聞く。叔父と話して緊張をほぐしたかった。
「正直に話すよ。さっきも言ったけど僕、当たって砕けろの精神でここに来ているからね。」
叔父も小声で返す。
「急にやって来た僕らと面会に応じてくれるんだから、きっと悪い人ではないよ。どうにかなるさ。それより問題は……。」
応接室の扉がノックされ、叔父が口を閉じる。メイドが紅茶と茶菓子の載ったワゴンを運んできた。深緑のワンピースに白いエプロンを付けた若い女性だ。年齢は20代中頃だろうか。赤みがかった茶髪をくるりとひとまとめにしている。一礼してカップを用意するが、全く余計な音を立てない。富裕層の使用人というのはどこもこうなのだろうか。それともグリュンワルド家が特別なのだろうか。モニが手際に見惚れているうちに紅茶が並び、使用人は一礼して部屋を出た。間を置かずして、再度扉がノックされる。先ほどモニと叔父を案内してくれた執事が、ジャケットを羽織り身を整えた状態で扉を開いた。後ろに見えるのがこの家の女主人だろう。モニと叔父は立ち上がる。
「ようこそ。わたくしはクラリス・グリュンワルド、グリュンワルド家当主の妻です。」
モニと叔父も自己紹介をする。グリュンワルド夫人は控えめに言って美人だった。長い黒髪をゆるく編み込んで左肩に流している。彫りの深い顔立ちに、黒に近い紺青の瞳。シンプルな若草色のドレスが肌の白さを際立たせている。高名な女優だと言われてもモニは驚かなかっただろう。年齢はおそらく30歳そこそこだが、その物腰は歳を重ねた人物のそれに思える。まだほとんど会話をしていないにもかかわらず、子爵夫人の威厳を感じた。なるほど、貴族の跡取りはこのような女性を伴侶に選ぶのか。それとも立場がこの女性に貫禄を与えたのだろうか。そんなことをモニは考える。
3人がソファに座り、執事はドアの脇に控えた。
「まずは、急な訪問となりました非礼をお詫びいたします。また、突然にも関わらず面会を快諾頂けたことに感謝を。」
叔父の言葉に夫人は手を振る。
「そんなにかしこまらずに、気楽にして下さいな。わたくし最近は忙しくありませんし、むしろ話し相手がいなくてつまらないと思っていたんですの。」
夫人はモニに笑顔を向ける。
「どうぞ、お茶が冷めないうちに頂いてちょうだい。コレットが淹れたお茶はなかなかのものよ。」
頂きます、とぎこちない手つきでカップを口に運ぶ。笑顔になったことで雰囲気が大分柔らかくなったが、それでも緊張することには変わりはない。
「僕も紅茶を淹れることに関しては一家言あるつもりでしたが、これは敵いませんね。」
「あら、わたくしが淹れたわけじゃないから、褒めても何も出ませんわよ。でも、後でコレットに伝えておくわ。」
しばらく叔父と夫人が談笑する。この空間で気後れせずに会話ができるなんて、とモニは感心する。
「それで、本日はどんなご用件かしら?当主代理にご用があっていらしたの?それともわたくしにご用が?」
夫人が切り出す。叔父は笑顔のまま答えた。
「そうですね、そのご質問に答える前に、人払をお願いいただけませんか?」
「それは用件を聞いてからにするわ。」
「分かりました。では、こちらをご覧いただけますか?」
叔父が鞄から取り出した紙を夫人に差し出す。夫人は紙を受け取り、じっくりと読んだ。目線が左から右へ何往復も動き、たまに一段上へ戻る。2分ほど経って夫人が口を開いた。
「リチャード、外してくれるかしら?」
扉の横に控えていた執事がポケットから小さなベルを取り出し、テーブルの夫人の席に置く。その後、一礼して部屋を出た。
「我々は本日、ヘレナ嬢の母親として、貴女にご相談したく参りました。事情を説明させていただいてもよろしいですか?お時間を頂くかと思いますが……。」
「構いませんわ。全て説明してちょうだい。」