海にご注意 其之四
「これは何?」
「チコ。甘い」
「へぇ、こんな真っ青で毒々しい見た目なのに食べれるんだ」
「毒。食べれない」
「食べれないんかい!」
「師匠、師匠。あそこに野鳥がおります。拙者が獲ってくるでござる!」
「今日は魚の予定だろう。それといい加減に師匠はやめてくれ」
「ははぁ、「照れ隠し」というやつでござるか」
「照れではない。自分に「師匠」の肩書は荷が重いんだ」
木々が生い茂る中を進む一行。
先頭は案内役としてチャオからよこされたピピと言う名の少女。そのすぐ後ろをゼフが歩き、レッド、レッドの周りをウロチョロしているイズナの順で進んでいる。
四人は島を観光するため、スタート地点から一周をぐるっと時計回りに案内を頼んだ。
最初に入った場所はここ【ウラシモア】。ラッターと呼ばれるクネクネと曲がった木が生えているところで、島民たちが冬を越すための薪を取る場所だ。
ウラシモアにはラッターが多く生えているが、同時に色とりどりの果実も実っている。中には毒性が強いものが混じっている場合があり注意が必要だが、多くの果実は島の特産品にもなるほど絶品だ。
ちなみに、レッドが今むしった果実もそうだ。
「これは甘くていい匂いだ。真っ青な色がキレイで、おまけに舌が痺れれれれれれれれ」
「毒。ダメ」
「センセー………」
「なるほど、何事も己で経験してこそ生きた知識となるワケですか。いやはや、師匠には驚かされてばかりでござる!」
注意する子、呆れる教え子、全肯定BOTと化した異常者、話をまったく聞かない馬鹿。そんな一行の前にぽつんと開いた空間が現れる。
巨人が踏み抜いた足跡のようにキレイな円を描いたそこは、土が死んでいるワケでもなしに雑草すら生えていない。
「手入れでもしてたの?」
「してない」
「大きな魔獣が現れたのでござろう」
「出てない」
無機質に無感情に、通常、人間が生まれついて持っている機能をどこかへ落してしまったかのような生気のこもっていない返事をするピピ。よく見ればひとりだけ色の地味な服装だ。おまけに、ところどろこ糸がほつれており、チャオと比べて安物感が否めない。
”もしや、村でひどい扱いをされているのでは”と邪推してしまったゼフ。意を決してそう訊こうとした瞬間にレッドが口を開いた。
「妙な気配だ。神性にも似た何かがここにあったんだろうか」
「しんせー?」
「人の言うところの『神様』てヤツだ。その神様に近いナニカがいたからこの場所だけハゲてるんじゃないのか、と思ってな」
「ここにもあの灰色の手のような存在が?」
「えぇ、オレ嫌だよ。もう二度とあんな怖い想いしたくねぇもん」
「リベンジができるのか」とばかりに目を輝かせるイズナと、彼女と真逆の渋い表情でこりごりだと言わんばかりのゼフ。
それもそのはず、一生のうちに『神』とい上位者と出会うことなど本来はあり得ないのだ。意志を持った災害、あるいはそれ以上の脅威として語り継がれるほど、傍若無人なまでの振る舞いをする彼の者。立て続けに出会うなど(一人を除いて)誰も望んでいないのである。
「安心しろゼフ、名残のようなものだから出会うことはない。それよりも案内の続きを頼めるかピピ?」
「うん」
「……………………」
「なに?」
「いや………何を怖がっているのかと思ってな」
「っ」
「用が済んだら俺たちはすぐにでも島から出る。だから安心してくれ、取って食おうなどと考えてはいないさ」
「……すぐに?」
「ああ、すぐにだ」
「そう………」
「おーーーいっ! センセー、ピピィーーー!」
「むっ、いつの間にあんな遠くまで。という訳で、お前は気が乗らんかもしれないが付き合ってくれ」
「わかった」
先行くゼフたちに追いつきながら再び案内をしてもらう。
ウラシモアを抜け数十分。人の名残のようなもの、家や漁に使う道具たちがことごとく壊れて散乱していた。
およそ人の気配がすべて消えたかのような物悲しさだけが残る場所。その少し先には今にも崩れそうな断崖絶壁があった。
「あれ」
「………どれ?」
「あれ」
「………んーー?」
「あれ」
「拙者には海と岩しか見えないでござる」
ピピの指さす方向には何もなかった。あるとすればザパーーンと音を立てる海か、もしくはちょこんと顔を覗かせる岩だけ。”あれ”と言われてもゼフは彼女が何を見せたいのか理解できないでいた。
「もしやあの岩………上に小さな石が乗っかっていて、さらにその上に中が空洞の大岩が乗っていたい場所じゃないのか?」
「センセーが言ってたやつ?」
「ああ、絶妙なバランスだから嵐でも崩れないと言っていたやつだ。どうだろうピピ?」
「そう」
「……………ですが肝心の大岩が見当たりませぬ。崩れてしまったのでござるか?」
「ちがう」
「うん?」
「島の人」
三人が顔を見合わせる。崩れたわけでもなければ自然に壊れた訳でもない、だというのに原因が島民にあるかの如く彼女、ピピは言うのだ。
ラッターの木々を通っている道中、レッドが言っていた空洞の岩は『不変岩』という名で呼ばれ、島民からも不思議な岩としてある意味信仰の対象であったらしい。もちろん外からやって来る者の中には、この岩目当てでくる人も少なくない。
風にも負けず、海の飛沫にも負けず、嵐にさえ耐え、常に島の人々とともにあった岩。それがどうして、わざわざ島民の手によって壊されなければいけないのだろう。
「おく」
「おく………奥を見ろってこと?」
「そう」
「遠く、でござるか。ふむふむ、何やら拙者の眼には小さく光るものが見えます。師匠はあれが何か分かりますか?」
「師匠じゃない。んー………うん? ありゃあ黄金か?」
「おーごん?」
「ピピ、お前───……」
何かを言いかけようとしてレッドは頭を振った。余計なことを口に出すべきではないと、そんな雰囲気が感じ取れる。
「モノと交換する際に使われるお金のことだ。金色だったり銀色だったり、あるいは銅色の薄く丸っこいヤツ。それの元になるものが遠くに見えるぞ」
「こーかん……うん、みんな欲しい言ってた」
小さく見えるものの、遠方にある輝きは間違いなく誰もがほしがる黄金に相違ない。
金色の隙間から顔をのぞかせる赤・青・緑の色も、これまた宝石の類であろうことは、その道の専門家でない彼らにだって理解できた。
人ひとりでは到底扱いきれないような財宝の山。生まれ育ってきた島民でなくとも、アレを見てしまえば欲しいと思うのは仕方のないこと。
しかし、財宝が欲しいのと不変岩が崩されたことに何の因果関係があるのだろうか。レッドは足りない頭で考えても、ちっともわからない。
「ピピ。あの金の山を見に来るものはいたか?」
「いた」
イズナが問い、ピピが答える。
「その数は増えていったか?」
「うん」
「もしや、不変岩が崩された日から増えたか?」
「うん」
「なるほど………」
何やら得心がいったのか、イズナは腕を組み呆れたような表情でうなずく。
そんな彼女の横で「?」を浮かべる先生と教え子。自分たちが分からないのに、戦闘大好き異常者がわかったのだろうか、という顔をしている。
「イズナ、”なるほど”とは一体………お前にはこの有様の謎が分かったのか?」
「無論でござる、師匠」
「師匠ちゃうわ」
「コホンっ。なに、そう難しいことではござらん。島の人々はあの黄金が見えるココを新たな観光名所にしたかったのでござるよ」
「観光名所? なんでそんなことするのさ。だって、もうここには「不変岩」っていうものがあるじゃん」
「見た目が悪いから」
「え゛っ?」
あっさりと言い切ったイズナに思わず変な声が漏れるゼフ。
彼女は不変岩のあったであろう方向を指さして、続けて『見えるでしょう』と言った。
「黄金はたしかに煌びやかで美しい。目を凝らせば色とりどりの鮮やかな宝石類が散りばめられ、すわ黄金郷か、と思うほど魔性の魅力があり申す」
「一度見やれば目が離せなくなるな」
「うん………あれが全部、金だって言われれば……ね?」
「然り───。島民とて、いや、島民だからこそ、遠く離れた場所に見えるあの金色に魅入られてしまったのでござる」
イズナ曰く、あの眩しいまでの黄金が見える一番の場所はココ、不変岩だと言う。しかし、あの黄金が見えるということは同時に不変岩も見えるということ。むしろ、不変岩が黄金を遮るほど大きく、奥の方を見たいものからすれば邪魔にしかならない。
それゆえ、島民は壊し崩したのだ。風にも負けず、海の飛沫にも負けず、嵐にさえ耐え抜いてきた『不変岩』を。遠くに見える『黄金』を見るために………。
「いつから黄金が現れたかは分からぬでござるが、いずれは潮風によって錆びの塊となる。一時の盛り上がりのために今まで変わらずにいたモノを破壊しようとは、何とも愚かな」
「でもさ、でもさ。錆びるっていうなら、その前に取っちゃえばいいんじゃないの?」
「できない」
「半ば引退の文字を掲げていそうではあるが、彼らは漁師だろう。舟を出しても取れないのか?」
「うん。あそこ、行けない」
「行けない?」
また頭を悩ませることが始まった。
レッドの言う通り、引退の二文字に足を踏み出している漁師たちだが、目の前の海は荒れ狂うこともなくいたって穏やかだ。気候にも左右されることは予想できても、海の男たちはその程度で怯んだりはしないだろう。
この場所から見えないだけで道中には大きな渦潮が発生しているとか、実は財宝に近づくにつれて座礁しやすいだとか、そういった理由ならば理解できる。しかし、ピピの口調だとどうやら、そういう真っ当な原因があるようには感じられない。
「行くけど、戻る」
「うん? ますますわかんない」
「まっすぐ行く。まっすぐ戻ってくる」
「それは……………師匠」
「師匠やめい。………はぁ、なんたってこうも人外が関わってくるんだ」
光の加減で赤く見える黒髪をポリポリと搔く。男のげんなりとした表情と、師匠呼びをやめない少女のキラキラとした顔が対照的だ。
二人の表情を見比べてようやく合点がいった少年は『バッ!』と振り返って遠くに見える光を凝視した。”まさかアレは、まさかアレもそうなのか”と言わんばかりに目を見開く。
「センセー………もしかしてだけど、もしかする?」
「『もしかして』しちゃうかもなぁ……」
「うそぉん」
「?」
「ピピは分からんでいいでござるよ。拙者は今すぐにでも赴きたいところでござるが……ッ!」
「「やめろ(て)───っ!」」
「むっ………むぅ………」
チンッ───と、刀を鞘に納めるイズナ。ものすごい勢いで二人から詰め寄られてしまえば、流石の彼女といえど獣性を引っ込めるしかないようだ。
「藪をつついて蛇を出すワケにはいかん。触らぬ神に祟りなし。さっ、俺たちは島を満喫して平穏無事に帰るのだ。わかったか、我が教え子のゼフよ!」
「分かりました、レッドセンセー! 君子危うきに地下迷宮。自ら危険を冒すことはないのであります!」
「それを言うなら「君子危うきに近寄らず」では?」
「その通ぉーーーり! 引き続き彼女に案内してもらい、今夜の晩御飯に舌つづみを打つ準備をしよう。よろしく頼む、ピピ」
「……うん」
「え~~~~~っ。拙者は師匠と神を打倒に………金銀財宝を獲りに行きたいですのにぃ!」
「もう……嫌だこの女性………。お金より首ほしがってる………」
「絶対に行かん。師匠じゃないし」
「こっち」
「あ、ちょ、まってよピピ! センセーもイズナも行くよ!」
一行は少女に連れられて島を練り歩く。村から飛び出た少年の目に入ってくる情報は、そのすべてが新鮮できらめいていた。色とりどりの果物に花、動物までもが見たことのないものばかり。意を決して剣術の教えを請うた日から、彼の日常は劇的に変化していった。
惚れ惚れするほどの剣術をもった先生。彼と出会わなければきっと、世界というものを知らずに一生を終えていたはず。住んでいた村からのけ者同然の扱いをされていた頃とは違い、いまは明確に生きていることを実感している少年。
しかし、そんな彼にまとわりつく不穏な風。不変岩と黄金の一件がどうにも少年の脳裏から離れないのだ。
日は沈み、夜の帳が下りたころ、魔なる存在が眠りから覚める。暗闇から手を伸ばされ招かれているような、そんなどうしようもなく恐ろしい感覚。
少年は固いタコができてある小さな手を握る。
ああ、ジメっとしていた。