教え子ができた 其之二
ジリジリと日差しが肌を刺す。
「ていっ! やぁ! とぉー!」
暖かいを通り越して暑い日が何日も続く季節。
「せい! ふんっ! おりゃあっ!!」
暑さにやられバテてしまう人が出るなか、森のぽっかりと開けた空間では二つの影が動いていた。
「スキありぃ───!!」
「スキなしぃーーー」
「アダッ…………!?」
オデコを木の棒で叩かれた赤髪の少年ゼフと、光の加減で赤く見える黒髪の剣士レッド。
最初のころこそ師匠呼びしていたゼフだが、レッド本人は弟子を取るつもりが毛頭ないと言ってきかないため、仕方なく先生と呼んでいる。
「だぁーーーーー! なんで当たらないんだよーーー! もう一年も一緒に鍛錬してるのに!」
「一年で変わるのは身体だけだぞ」
「センセー、なんか必殺技とか奥義とかないのーー??」
「大体の奴は首を斬れば倒せるぞ。まー、何事にも例外はいるけど」
「例えば何がいるのさ。首斬って死なないやつなんかいる筈ないじゃん」
「生まれから異常な魔物とか、神や神獣みたいな存在が桁違いな奴がそうだ。魔物はワンチャン何とかなるけど、神に類するものは逃げの一択だ」
「魔物はわかるけど、神様とか会ったことあるの?」
「ある。剣を振っていたら間違って大きな木を斬ってしまったんだ。ソコがちょうど神獣の住み家でな、肝を冷やしたよ」
「何で生きてんの?」
「死んでろってか?」
「ちがうちがう。どうやって生き残ったのさ」
「話しを聞いてくれるまで攻撃を捌いて、代わりの大きな木を用意したら許してくれた。流石に俺が悪いから斬って捨てるのはやりたくなかったんだ」
「斬ろうと思えばできたんだ…………スキありぃーーー!!!」
「今日は魚が食べた――い」
スパーーーーーンッ!! 手首のスナップを利かせた一撃が、不意打ちを繰り出したゼフのオデコにいい音を出しながらクリーンヒット。
「ノォォォォォ……」と、アンデット系の魔物が出すうめき声を上げ少年は撃沈した。二人は毎日のように剣を振り、毎回のようにこうして剣を交わす。
具体的にはゼフが一方的にレッドへ絡んでいき、撃退されるというオチだ。
「ぐぬぬ………全っ然勝てる気がしない」
「今日の料理当番はゼフだな。美味しいのを頼む」
「オレまだ八歳なんだけど? 大人として毎回子供に料理作らせるのってどんな気持ち?」
「代わってもいいぞ? 今度こそイケる気がするんだ」
「お腹壊すからやっぱりオレがやる。もう二度と毒キノコ鍋は作らせないからな!」
この一年でレッドという男が如何にダメダメだということを、ゼフは痛いほど知っていた。
剣を振る姿は万人を惹きつける魅力があった。いや、それだけではない。殊、戦闘や武器の扱いに関しては他の追随を許さない神業の領域だ。
場所や時代が違えば、それこそ武神の生まれ変わりだとか、人類最大の天敵である魔王の再来だとか、尊敬と畏怖でもって讃えられていた人物。それがゼフの評価である。
しかし、だ。それ以外が壊滅的に、致命的に、絶望的にダメなのである。
「ダメレッド」のあだ名は伊達ではなく、料理を作らせれば毒キノコオンリーの鍋が爆誕。川近くで風呂を作れば釜茹でか極寒地獄。比較的マシなのは狩りだけ。
それ故に一年という短い時間で、ゼフは一生懸命覚えた丁寧な言葉遣いを早々に放棄。レッドのばけ~っとした雰囲気も相まって、今では「先生」と呼びつつも友人のような距離感となっていた。
「川魚もいいが………やっぱり海に泳いでいるヤツも捨てがたい」
「塩焼きなんてぜいたく品なんだぞ? まぁ、この塩も先生のなんだけどさ」
「飽きたと言っているんじゃないんだ。もちろんゼフの焼き加減ばっちりのコレだって好きなんだが、それでも美味いんだよ。生で食べるのに抵抗はあるだろうがお前さんだってきっと好きになるさ」
「生なのは先生の失敗作だけで十分だよ………。てか、ホントに生で食べる人たちなんているのか?」
「いるとも。あの島の連中は初見の物ですら生でいこうとするんだ。俺でも流石にそこまではしないから驚いてしまったよ」
教え子がテキパキとご飯の準備をしている間、先生たるレッドの海の魚が美味しかったという話は止まらない。
やれ白身魚の歯ごたえがいいだの、やれ揚げ物は絶品だのと、唾液腺からヨダレがじゅわっと溢れ出しそうなことばかり話す。
ゼフの目の前には、レッドが取った魚を内臓を抜いて塩で味付けしただけの、料理と呼ぶにはほんの少しだけ抵抗が生まれるモノがあった。
「───ごくっ」
一体、彼が何を考えているのかは傍から見ている人物では正確に理解でいまいが、十中八九レッドの話に出てきた磯の香漂う揚げ物、歯ごたえ抜群の貝のお吸い物、魚とエビの旨味が凝縮された肉団子を思い浮かべているのだろう。
「今日はずいぶんと焼くんだな?」
「え────、あっ、やべっ、!」
どこか上の空であった様子のゼフ。
レッドは彼の変化など微塵も知らぬように、真っ黒になっている魚の心配だけをしていた。
「もーーーっ! センセーが余計なこと言うからじゃん!」
「俺は悪くないだろう。ただ美味しい食べ物の話をしただけじゃないか」
「それが集中を乱したんだってば。まったく………せっかくの魚が台無しだよ……」
「……………なら、今から行ってみるか。ちょうど暑くなってきた季節だ、魚も大量にあるだろうから一つ二つ仕事をこなせば食べさせてもらえるだろうよ」
「ほ、ほんとう───!? やったーーーーー!!」
ゼフは両手を上げて喜んだ。
約一年間、毎日毎日、朝から晩まで剣を振るだけの日々。
レッドの剣を間近で見ながら、その術理を己で噛み砕き取り込むだけ。
人里離れた自然の中に身を投じ、娯楽と言う娯楽もないまま過ごしてきた。
だが、この日初めてレッドの口から遠くへ出かけようと聞けたのだ。
遊びたい盛りのゼフにとって剣を振ることも大切だが、それにしてもである。
「早速準備するからセンセーは待っててね!」
「あ、おい、ゼフッ! 残りの魚はどうするんだ!」
「食べていいよ─────!」
ゼフは走った。
とくに親友などを人質にされているわけでもなく、ただ、ただ、遠くへ行きたいがため、その準備をするために走った。
鳥のさえずる森を駆け抜け、息を切らしながら小川を踏み抜く。
いつも一緒にいるとんでもない剣術の持ち主を比較対象としているから判りづらいが、この一年で彼に追いつきたい気持ちを糧に剣を振って来たゼフは、肉体的成長が著しかった。
剣術とは腕だけの業にあらず。全身を稼働させて初めてまともな斬り方を知るのだ。
「よっしゃ、いつもより早くついたぞ……!」
雨漏りと隙間風の織り成す不協和音が特徴的なゼフの家。
ここ半年は着替えを取りに来るか、狩った獣を届けに帰るしか寄り付かなくなっていた。
クローゼットを空け、長年眠っていた遠征用のバッグを片手に、次から次へと必要だと思うモノを詰め込んでいく。
オリジナルソングを口ずさみながら動きは早く的確で、彼が遠出を楽しみにしていることが分かる。
「よしよしよし! 戻ろう、すぐ戻ろう、今すぐ戻ろう!」
パンパンになったバッグを背負い、若干重さに負け転びそうになるがセーフ。
一年前よりかはマシになttが、それでもまだ扱うには大きい剣を持ち、いざ出発。
建付けの悪いドアを開ければそこに居たのは、ゼフより少しだけ大きい三人の子ども………と、一人の大人。
「よぉ~ゼフゥ………? 今月の稽古代を貰いに来たぞ」
「ドッガス……………!」
「口のきき方に気をつけろ。オレ様は寛大だから一度だけは許してやる。さあ、稽古代を渡せ」
「お前の弟子になった覚えはない。稽古代なんか誰が渡すかッ!」
「────ッチ。どこか行く前に肉で儲けたその金、置いていってもらおうか。おい、兄弟子として弟弟子をすこし教育してやれ」
「「「はい、師匠───!!」」」
「……………クソッ」
鹿やイノシシを狩れるようになってから村での待遇が良くなった。それを面白く思わなかった他の子どもたちと、金を奪い取ろうとする村でただ一人の剣士・ドッガス。
茶色く短い髪に無精ひげ、太い眉、白と黒で別れた道着姿がデフォルトの彼。
彼がこうしてゼフの稼いだ金を強奪しようとしてくるのは初めてではない。
何度も何度も繰り返し行われ、その度に身体中を傷だらけにして来たゼフ。
数の暴力に晒されようと防御に専念し、自分から剣を使って反撃しようとは一切しなかった。
『俺から盗んだ剣で誰かを傷つけないと約束してくれ』
それが、ゼフがレッドと交わしたたった一つの約束だからだ。
命の危機に瀕した時はその限りではないが、彼は律義にもその約束事を守り、例えレッドから傷のことを聞かれてもやせ我慢をした。
天涯孤独の身が、今では心配してくれる先生がいる。
その人との約束は絶対に守ると、両親の墓の前で誓ったのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ! へ、へへへっ………。師匠に逆らうからこんな目に遭うんだぞ!」
「う……………ぅ…………………けほっ……」
「おおーーー! こんなたんまり貯めてやがったのか!! 師匠想いのいい弟子で助かるぜ、ゼフく~~~ん? これはオレが有効活用してやるからな~~?」
「し、師匠……! ぼく、また肉が食べたいです! おっきいヤツ!」
「かえ……せ…………! かえせ………よ………!」
だが、今回のドッガスはいつもと違った。
弟子たちに木剣を持たせ、反撃してこないのをいいことに、頭・鼻・口から血が出るまで叩き伏せさせたのだった。
ゼフの流血を見慣れたせいか、この弟子たち三人もどこか良心の箍が外れて過激になってしまっていた。
「くそぅ…………くそぅ………ッ!!」
ゼフは涙した。
一対一なら確実に叩きのめすことができる相手にいいようにされ、あまつさえ大切に貯めていたお金すら奪われる始末。
一体、自分は何のために強さを追い求め、彼に教えを請うたのか。
情けない。悲しい。腹立たしい。
相手を力いっぱいの暴力で仕返しをしてやりたかった。
奥歯を噛みしめ、真剣のグリップに手を掛けようとした。
その瞬間、大きく笑うドッガスらの声を断ち切るように、一人の男の声が通る。
「何をやっているんだ────?」
陽の光を浴びてその赤みを帯びた黒い髪の剣士───レッドが傍らに老人を添えて居たのだ。