教え子ができた 其之一
チチチ。チチチ。
小鳥のさえずる音がする。
ガサッ、ガサガサガサ! ナニカが草木を分けて進む音がする。
「はぁ……はぁ………はぁ………っ」
赤い髪。低い背丈。痩せている体。
どこか貧しい村からでてきたのかと思われる一人の少年。
その背中には一本の剣を背負い、何かを探しているようだ。
「はぁ………はぁ………あっ───!」
どうやら探し物は見つかったようだ。
疲労で思ったよりスピードが出なかったのか、大きく前に出した足がうまく機能せず転んでしまった。
「痛い」と擦りむいたひざをさすりながら目的の物………者へと足を運ぶ。
「あ、あのっ───! オレ、ゼフって言います! アンタ………アナタの剣に惚れました! ぜひ教えてください!」
「…………………………」
「あ、あのぉ~~…? え、寝てる……?」
少年の名前はゼフというらしい。
そして、その少年の恐らく人生で初めてであろう懸命なお願いはスルーされたようだ。
地面の上に毛皮を一枚敷き、そのさらに上に足と腕を組んで目をつぶっている人物こそ、彼の探していた人だ。
「死んでる?」とまで言わせるほど、まったく反応がない。
わずかながらに上下する肩、膨らむ胸で生きていることは確かなのだろうが反応をしてくれない。
「………「一流の剣士は気配が読める」んだったよな?」
誰かから聞いたのか、目の前の男を目覚めさせる最もいい方法を思い出したようだ。
物は試しと、背負っていた明らかに身の丈に合っていない剣を重そうに地面へ置く。
一度深呼吸をし息を整える。そして鞘から鈍く光る刃が露わとなった。
「えい─────ッ!」
彼、ゼフは無邪気な子供だ。同時に好奇心旺盛な子どもでもある。
一流、一番、頂点といったワードにひどく憧れる歳だ。
故に、こうして自分が魅了された剣技の持ち主である男に過度な期待を寄せてしまうのも無理はないだろう。
───ザクッ!
「え………………?」
間の抜けた声が出てしまった。
斬った。斬れた。斬れてしまった。
目の前の男の実力をまるで疑わなかった自分の、遠慮も加減も何もない一撃が入ってしまった。
殺してしまった───。そんな表情をしていた。
「なんてヒドイことをするんだ」
「痛っ───! え………え……っ!? い、いいい、今! 確かに斬っちゃったハズなのに!??」
「─────?」
後ろから不意に脳天へチョップを食らったゼフ。
傍目から見てさほど威力は無いようだが、喰らった本人は見た目よりも重い一撃だったらしい。
怪訝な顔をする男と幽霊でも見てしまったかのような顔をする少年。何とも奇妙な現場である。
「え、えっ??? じゃあオレが斬ったのって………」
再度、正面を振り向いてみれば自分が振り切った剣と、左肩から右わき腹まで雑に刃が食い込んだ服だけがあった。
その切込み具合からゼフが一切の手加減をしていなかったのと、剣の技術が皆無であることが知れる。
「あだッ─────!」
「無視をするな。どうしてこんなヒドイことができるんだ、と訊いているんだ。少なくともキミのような子どもに恨まれる筋合いはないぞ」
「ち、違います………! オレ、アナタの剣に惚れたから弟子にしてほしくて……! でも、何回も呼んだけど返事してくれなかったから………その……剣で斬りかかったら………」
「気配で起きるかも………?」
「はい…………ごめんなさい……………」
歳は二十台前半。剣を振るう達人であるからか、その身体は無駄な贅肉の気配がない引き締まった筋肉を搭載していた。
男は見るからに落ち込んでいる少年ゼフの言葉に頬っぺたをぽりぽり搔いた。その顔に怒りの色は見えず、ただ目の前にいるしょぼくれた子どもへの接し方に困っているだけのようだ。
反対にゼフは、男が一流であること、それも「超」が付くほどの一流の剣士であることに最早疑うことはなかった。
(すごい……! すごい、すごいすごいっ! 上着だけを斬らせて後ろに回り込む………しかも、どうやってやったのかすら分からせなかった! こんなこと村の偉そうに威張ってる道場の師範だってできやしないぞ!)
反省しているように見せかけて弟子入りをしようと思っている悪い顔。
それを見られないよう俯きながら彼の返事を待っている。
「生憎、弟子は募集していないんだ。お前さんは近くの村の子どもだろう? そこには剣を教える先生がいたはずだ。頑張ってお金を稼いだら教えてもらうといい」
「い、イヤです………! オレはアナタの剣がいい!」
「何故だ? というか何故、キミは俺の剣を知っている?」
「覚えてはいませんか?! ちょうど、この場所近くで魔獣に襲われていたところをアナタに助けてもらったんです!」
「……………??? むぅ…………てんで覚えていない。すまないが教えてもらえるか?」
貧しい村のさらに貧しい家庭で産まれた彼は、若くして天涯孤独の身となった。
残されたのは隙間風と雨漏りがするぎりぎり家と呼べるものと、ボロボロな衣服、それから背負っていた剣だけ。剣を習うにしても威張っている男のことは、間違っても師匠などと呼びたくはなかったそうだ。
そんなある日、ゼフは食べられるものを探しに森へとやって来た。遠巻きで眺めていた剣の稽古をひとり孤独に練習し、随分とへとへとではあったが幾つかの食力をゲットできた。
そんな帰り道のことである。木の上からおぞましい鳴き声が響いた。
『ギャギャギャギャギャギャ!!!』
青白い顔に六本の腕を生やしたサル。「ウェブモンキー」と呼ばれる魔獣が口を三日月のようにして笑い、ゼフを見下ろしていた。
『う……ウワアアアアァァァァァァァ!!!』
全速力で走った。頼みの月明りは木々で遮られ先が見えず、太い根っこやぬかるんだ地面に足を取られて思ったよりスピードが出ない。加えて稽古疲れが今になって自分の首を締めにかかる。
最悪な状況。まだ自分が生きているのはウェブモンキ―が遊んでいるおかげだ。
ヤツが本気で獲物を仕留めにかかれば、ゼフのようなみすぼらしい子供など一撃で肉塊にできるだろう。
『ギャッギャッ! ホホホホホホ! ウキャーーーーー!!!』
『痛ッ! 痛い! 痛いよ!』
『ウキャキャキャキャ!!!』
石、木の枝、果物、虫。それらを投げつけて遊んでいた。
彼が「痛い」と叫べば笑い声が上がる。
陰湿にして陰険。残酷なまでの残虐性を秘めたこの魔獣は、ともすれば凄腕の戦士・魔法使いを殺害できる力がある。
ウェブモンキ―の名前通り、何故かは判明していないが肛門から粘着質の糸を生成できる。広範囲にその糸を仕掛けたり、粘着性のないただの頑丈な糸を編んで強烈な投擲術を披露して見せたりもできるのだ。
『だれか………誰か助けてぇぇぇぇぇ!! うわああああああああああっ!!!』
ゼフはボロボロであった。頭から大量の流血、手足は草木による無数の切り傷、背中や頬には痛々しい青いアザができていた。
息をするのも精いっぱいで肺が痛い。いつの間にか両脚が鈍りに変えられたのではないか、と勘違いしそうになるほど重い。
ただでさえ暗い森なのに、血が目に入って余計に見えない。「殺される」と思った。だからこその叫び声。
天涯孤独の身なれど奇跡を願わずにはいられなかった。
『ギャギャギャ…………グルァァァァァァァァァァ!!!』
遊びは終わり。本気で死と眼にかかる雄たけびが木霊する。
木の根に足を引っかけゴロゴロ、ゴロゴロと、派手に転んだ。
途中から方向さえ曖昧になっていたゼフが転んだ先。森の中でそこだけが切り取られたかのように、ぽっかりと開けた場所。
月明かりが惜しみなく降り注ぐ空間は静寂こそが支配者だった。
『…………………………』
幻想的な一枚絵に黒い人影が存在した。
青白い光に濡れたその住人は両手に握った剣を振るう。
凛───………。
ゼフは何も言えなかった。いや、ゼフだけではない。雄たけびを上げ、興奮状態であったはずの魔獣すら動きを止めていた。
『迷子か─────?』
『た………助けて…………』
『わかった。動かないでくれ』
無防備───。構えをとる素振りがない。まるで散歩でもするかのような気軽さ。
『クケ………ゲギャギャギャギャ………ガアァァァァァァァァァァァァァアアアアアッッッ!!!』
ゼフ曰く、これほどまでに緊張感がない人を初めて見た。その緊張感の名さを魔獣は舐められていると思ったのか、青白い顔を対照的な真っ赤に染め、見たことのないような怒りの形相をしていたそうだ。
『六本も腕があるのは………少し不便じゃないか?』
『グルルァーーーーーーーーー!!!!』
『怒りも殴る動作もフェイク。本命は細い糸───か』
『ガ………………ァ…………ッ!?』
先ほどの時間が飛んだかのような素早い振りではなかった。
素人に毛が生えた程度のゼフでも目で追えるスピード、それにも関わらず早い……という矛盾が繰り出す剣術は、ウェブモンキーの腕を全て斬り飛ばした。
『す………すげぇ…………!』
身体の痛みを忘れるほど見惚れた。剣技に魔の魅力が宿っていた。
月光を反射させた刃が流れ、コンマ数秒遅れでその軌跡をなぞるよう斬撃が奔る。
ズルッ………ボトッ………。気が付けば戦闘とも呼べぬ戦闘が終わっていた。
サルの頭が無残にも零れ落ちたのだ。勝者は目の前の剣士ただ一人。
『傷だらけじゃないか。よく生き残ったものだ』
『あ……ああ………うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
『………泣かれると困ってしまうんだが』
わんわんとゼフは泣いた。それは助かったことへの安堵なのか、一流を目の当たりにした喜びなのか、あるいはその両方なのか。今になっても判然としないそうだ。
気が付けば家であった。隙間風と雨漏りのする家だった。あたりを探しても剣士の姿は見えない。
建付けの悪いドアがギイィと悲鳴を上げて開かれる。村のまとめ役をしている男だった。
その男曰く、自分を運んできた剣士が魔獣を村の足しにしてくれと、そう言ってきた。そして、魔獣討伐に貢献したゼフに栄養ある食事を用意してくれとまで。
少しだけマシなテーブルの上には彼の言っていた通りたくさんの果物と肉、湯気が立っているスープがおかれていた。
ゼフは生まれて初めてこんなにも豪華な食事を食べた。涙を流し生きていることへの感謝をした。そして剣士の再開を目標に、今ここにいる。
「───と、以上がオレとアナタの出会いです!」
「そうか………うーん……………」
「お願いします! 強くなりたいんです!」
地面に頭をこすり付けながら必死に懇願するゼフ。その必死さに反比例して男の顔は渋くなっていく。
顔を上げろという言葉も「弟子にしてくれるまで上げません!」と、自分の都合のいいことしか聞かない態勢だ。
「はぁ─────。俺は剣を振るのが好きなだけの男なんだ………。だから、弟子は取らない」
「…………お願いします!」
「一つ勘違いを解いておこう。確かに剣は振るえるし魔獣も倒せる。けれども、それだけ。本当にそれだけしか出来ない男なんだ、俺は」
「性格が終わっていても、家事全般ができなくても構いません! 剣術が超一流であればそれでいいです! お願いします!」
「おおぅ………。勝手に人の性格を救いのないモノにするんじゃない。さては中々に失礼な子どもだな………?」
男は両手でひょいと少年のことを持ち上げるも、なかなかの暴れ具合だ。
ドテっと地面に落とされるのも構わず、次の瞬間にはまた地面に頭をこすり付ける。
男はまいってしまった。ここまで頑固な子どもを相手にどうすればいいのか分からない様子。
そして、困った末に出した結論が………。
「はぁ………横で剣を振るだけは構わない」
「───っ! あ、ありが」
「ただし───ただしだぞ? 俺は人にものを教える才はないから見て覚えるようにすること。それで勘弁してくれ、弟子なんぞ取れる人間じゃあないんだ」
「分かりました、シショー!!!」
「師匠じゃないってーの」
少年は両手を上げて喜んだ。やった、やったと、小躍りするほどに。
対して男は困っていた。しまったと、自分の発言に悔いるように。
「あ、そういえばシショーの名前ってなんですか?」
「ん………? 言ってなかったか?」
「聞いておりません。恥ずかしい名前でないのだったら教えてください」
「なるほど、キミはナチュラルに失礼な奴なんだな? ………まあいいか」
───ザク! 地面に突き立てた剣に朝日の美しい光が反射する。
男の髪は黒い。しかし、その髪は光に濡れると赤く見える。
「俺はレッドだ。よろしく、ゼフ───」
ある村の魔法使いの母親から産まれた男。
大切な母親を、友人を、先生を、故郷を魔獣に奪われた男。
その魔獣のおかげで自分の才能を自覚できた男。
そんな人物に初めて教え子ができた日である。
「よろしくお願いします、レッドシショー!」