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陽炎と氷華  作者: 柚みつ
本編
7/31

7.

「シャノーラ様! よう来てくださった」


 学園の教師から受け取ったのは、気持ちばかりの課題。見舞いの言葉と共に届けに来たシャノーラを迎えたのは、グレーの髪を持つ初老の男性。

 髪と同じグレーの瞳は、シャノーラを見て優しく細められている。温かく迎えられたシャノーラも、男性を見て安心したように体から力を抜いた。


「ゴーディー様。お久しぶりでございます」

「ちょっと見ぬ間に、素敵な淑女におなりになりましたなあ」


 ゴーディーと呼ばれた男性は、手慣れた様子でシャノーラをエスコートするために腕を差し出した。

 小さな頃を知っているからこそ、こうできるまでに成長したことが嬉しいのだろう。いつの間にか目線を下げることなく見えるようになっていたシャノーラに向けた表情は、孫を見るかのような優しさで満ち溢れていた。



「さて、オズウェン殿下のご様子ですが」


 ラウルもいるなかで、前置きもせずにゴーディーは切り出した。オズウェンの現状を知っているのは、診断した医師がゴーディーだからだ。

 ラウルとシャノーラは、今日これからオズウェンの様子を見に行くが、ゴーディーは毎朝必ず体調の確認をしている。これは、オズウェンが記憶を失う前からずっと行ってきたことだったので、誰からも指摘されてはいない。

 ゴーディーもそれは分かっているので、本当はもっと時間をかけていたいところを、今までと同じ時間で済ませるように計算をしている。時折、分厚い本をもっている姿は見られているそうだが。


「お小さい頃から、覚えが良かったとは思っておりましたが、今も変わらないご様子ですな。

 歩くこと、体を動かすことに関してはすんなりと覚えましたぞ。いや、思い出したと言うべきか」

「ゴーディー爺さん」

「ラウル。そう急くな。物事には順序というものがある」


 こつこつ、と苛立ちをぶつけるようにラウルがテーブルを指で叩く。そんなラウルの様子を見ても仕方ないとばかりにひとつ息を吐くだけで済ませてしまうのは、ゴーディーにとってラウルもまた、孫のような存在だからだろう。

 オズウェンと幼少期より共にいるラウルにとって、ゴーディーを爺さんと呼ぶのはただの呼びかけだけではなく、実際にそう思えるような月日を重ねてきているからだ。


「オズウェン殿下は、頭を打ちなさった。つまり、体は無事であったからこそ比較的簡単に動かすことが出来ておるようです」


 これが、受け身をとれずに怪我をしていたらまた違っていたのかもしれない。少し動かすたびに痛みが走るのならば、誰であって体を動かすことには躊躇するはずだ。それがなかったからこそ、オズウェンは自由に手足を動かし、そこからどのように動かせば思うとおりに移動できるのかを学んだのだろう。

 新たな包帯を巻かなくてもよくなった両手をぎゅっと握っていたラウルは、ゴーディーの見立てを聞いて安堵したように、椅子の背もたれに体を預けている。

 シャノーラは、落馬したと聞いた時を思い出したのか少しだけ表情を硬くしていたが、ゴーディーの説明を聞いたことでゆるゆると息を吐きだした。


「言葉は、まだそこまで思い出せておらぬようでしてな。私達も、殿下の前でたくさん話すようにしておるのですが」

「では、私はオズウェン殿下の話し相手を務めればよろしいのですね」


 ラウルだけでなく、自分もこの場で説明を受ける理由。それを口にしたシャノーラに、ゴーディーは正解とばかりに頷いた。


「私らよりも、シャノーラ様の言葉の方が届くでしょう。なにせ、オズウェン殿下はシャノーラ様を大切になさっておりますからな」

「そこは同意する。オズのシャノーラ嬢への愛情は、時々重い」

「それほどまでに愛されているシャノーラ様が羨ましいのだろう、ラウルは」

「おいこら爺さん、変な事言うなって」

「はっはっは。赤子から知っているお前に凄まれても何とも思わんわ」


 大切な話をしていたはずなのに、いつの間にやらラウルとゴーディーは気楽な会話を繰り広げている。

 シャノーラがオズウェンの婚約者として決まる前より付き合いがあるのは分かっていたけれど、このようにポンポン会話を交わすさまはあまり見たことがない。ラウルだって王太子の側近としてそれなりに経験は積んでいるとはいっても、ゴーディーには積み重ねた時間の重みがある。口では勝てないと諦めたのか、ラウルは不満そうに唇を尖らせているが、ゴーディーはただ笑っているだけだ。

 その変化にぽかんとしているシャノーラに、ゴーディーは優しく語りかけた。


「シャノーラ様。オズウェン殿下は、記憶の引き出しの鍵を失くされてしまっただけだ。決して、忘れたわけではありません。なに、鍵はすぐに見つかります」

「ありがとうございます、ゴーディー様」

「とんでもない。さ、私は席を外しますので、お二人でたくさんお話されると良いでしょう」


 さあ、とゴーディーに促されて立ち上がったシャノーラは、まだ椅子に深く体を預けているラウルを見て首を傾げた。オズウェンと会うときは常に一緒にいるはずなのに、と。

 オズウェンが記憶を失ってから、シャノーラに手を上げたことはないが、万が一という場合もある。怪我をすることを受け入れているシャノーラと違って、もしオズウェンの記憶が戻った時に今までの事を覚えていたら落ち込むだけでは済まないから、とラウルが頼み込んだからだ。

 シャノーラを傷つけたところと同じところに戒めのような傷を作るくらい、絶対にオズウェンはやる。ラウルがそう確信するくらい、シャノーラのことを大切にしているのだと嫌というほどに理解しているのに。

 不思議そうに首を傾げたままのシャノーラだけが、オズウェンのいっそ執着と呼べなくもないような感情を分かっていないんだよなあ、とラウルは少しだけ現実から目をそらしたくなった。


「ラウルには、今度の相談を少しさせてもらいますので、後ほど」


 ひらひらと小さく手を振ったゴーディーに頷いたシャノーラは、メイドから案内を受けてオズウェンの待つ私室の扉をくぐった。




「おー?」

「オズウェン、あなたの名前です」

「オ、ズ、ウィン」

「ふふ、幼い頃の私と同じですね。もう少しです」


 幼子にするように無意識に頭を撫でる。嬉しそうに笑うオズウェンに、シャノーラの表情も崩れて柔らかく笑う。遅れて部屋に入ったラウルは微笑ましい様子で二人を見ているが、どちらにも気付かれていないようだ。

 幼い頃は、こうやって顔を向かい合わせてよく何かで遊んでは笑い合っていた。将来とか、役目とか、難しいことは考えずにただ一緒にいるのが楽しいのだと純粋に思えていた時だ。

 オズウェンは公務をそつなくこなしている。けれど、その原動力になっているのがシャノーラと共に過ごす時間を増やしたいから、だなんて誰が思うだろうか。

 それでもきっちりやることはこなすんだから大したものだよな、なんて考えていたラウルの耳に、シャノーラの困ったような声が届く。


「オズウェン殿下」

「あー、それはダメだなオズ。はい、離れてー」


 シャノーラに褒められたのが嬉しかったのか、そのまま両手を広げてぎゅっと抱きしめたオズウェンは、満足そうに笑っている。突然の行動に対応しきれなかったシャノーラは、その腕にすっぽりと収まっているが、困惑を隠せていない。

 もしや、記憶を失ったなんて嘘なのではないかとラウルが思うくらい、オズウェンは明らかに不満そうな顔をしている。

 王太子として過ごしている時には見せなかった素直な感情。それをまた見れているのは嬉しいが、これは見過ごすわけにはいかない。


「オズウェン殿下、こうしましょう。これなら、ラウルも許してくださいますわ」

「……まあ、そのくらいなら良しとしましょうか。自分から誘えなかったと、後から文句を言ってきそうですが」

「今のことも、覚えていらっしゃるでしょうか」

「あいつなら気合いで覚えていますよ。シャノーラ嬢から手を繋いでくれたんですから」


 壊れ物を扱うように、大切そうに手を握ったオズウェンは、シャノーラを見て嬉しそうに笑った。





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