3.
朝から準備に追われるからと王宮に泊まらせてもらって、シャノーラは王太子の婚約者として王妃の誕生日を祝う場に立っていた。何度かこの祝いの場に出席させてもらっているシャノーラだったが、毎回のように華やかさが更新されているように思えてしまう。
その分、自分も相応しく着飾られているのには、あまり気づいていない。オズウェンからは毎回違う言葉でその美しさを褒められているのにも関わらず、だ。
「学園もあるのに、いつもありがとう。シャノーラ」
「いえ。このような場に立てますことは、とても光栄です」
ダークブロンドの髪を飾るのは、砕いた宝石。けれど、その輝きに負けない美しさを放っているのは、この国の王妃であり、オズウェンの母である。シャノーラが婚約者となってから言葉を交わす機会も多く、自分の娘のようにかわいがってくれていることは分かっている。
けれど、その隣に立つことはまだ気後れしてしまうシャノーラを支えるのは、オズウェンだ。
「母上、私も学園に通う身なのですが?」
「あら、オズウェンならこの程度熟せると思っていたのだけど。見込み違いだったかしら」
「ご期待には、添えましたでしょうか」
アンバーの瞳をすうっと細めた王妃は、くすくすと笑いながらオズウェンを見ている。シャノーラを見る目よりも、自分の息子であるオズウェンを見定める方が数倍も厳しくなっているとは分かっているが、それは外野から身内びいきだと言われることを防ぐためだ。
オズウェンもそれは理解しているから、母に対しても軽くおどけたように問いかけている。
「ええ、十分に。さ、シャノーラはこちらへ」
「私が送って行きますが」
「その前に、着替えてもらわないといけないわ。式典用のドレスは、窮屈でしょう?」
流れるようにシャノーラの誘導を始めた王妃を、オズウェンが止めた。昨夜、王宮に泊まってもらったのだってこちらの都合なのだから、家まで無事に送り届けるのは当然だし、その役目は自分に回ってくると思っていたからだ。
王妃は窮屈だと言ったが、シャノーラの洗練された所作を際立たせるようなドレスは、この日のために誂えたもの。シャノーラにぴったりだと改めてその姿を蒼い瞳に映していたオズウェンは、王妃の言葉への反応が少しだけ遅くなってしまう。
「いくら婚約者と言っても、まだ肌を許してはいません。分かるわね、オズウェン」
「……馬車の手配を、してまいります」
着替えだと告げても動こうとしなかったオズウェンに、扇で口元を隠した王妃の目線が向けられる。もちろん、この部屋は待機するための場所であり、着替えにはシャノーラが別室に移動する必要があるが、女性が身支度をすると言ったのだ。その場で待つというのは、時間をかけるなとも肌を見せて欲しいと思っているとも取られてしまう。
シャノーラを大切にしているオズウェンだからこそ、彼女の意志を無視するような行動は取らないと断言できる。
けれど、まだシャノーラが王太子の婚約者として確定はしていない以上、必要なことでもある。悔しいけれど、その慣例を覆すだけの力はオズウェンにはない。それらしい理由をつけて退出したオズウェンを見送ってから、王妃とシャノーラも動き出した。
「あの子が戻ってくるまでに、少しだけ話しましょうか」
「はい」
待機していた部屋と、着替えのための部屋は実は近い。なので、ほとんど移動することもなくシャノーラは王宮の侍女たちの手を借りて着替えを始めた。
本当は、もっと早くこの時間を取りたいと思っていた王妃は、緊張している面持ちのシャノーラに優しく声をかけた。瞬間、シャノーラの体に余分な力が入ったことに気付いて、すぐに苦笑いを浮かべていたが。
「そんなに身構える必要はないわ。いつも、あの子の傍にいてくれることに、感謝を伝えたいだけだもの」
「私の方こそ、オズウェン殿下にはとても良くしていただいております」
「あれだけ言い切って婚約者にしたのだから、そのくらいはしてもらわないとね」
まだ王子だった頃のオズウェンは、幼いながらも自分の立場を十分に理解していた。自分の言葉一つで、誰かの人生が変わってしまうと分かっていたから、婚約者候補と顔を合わせた時にも何かを言う事などなかったのに。唯一、シャノーラと顔を合わせた時だけ告げたのだ。これから隣にいて欲しいのは彼女だ、と。一目惚れというものがあるのなら、きっとこの事を言うのだろうと思えるくらいに、きっぱりと。
もちろん、家柄やシャノーラ本人の意志も確認はした。シャノーラとて貴族の娘なのだから、王家からの打診の意味だって分かったうえで頷いているはずだけど。
「シャノーラ」
あれから、オズウェンはその言葉を守っている。シャノーラを泣かせるようなことはしない、自分の力の及ぶ限り大切にする。幼い子供の誓いだったが、ここまでは破られていない。
王妃としてはもちろん、この婚約は歓迎だ。シャノーラは宰相の娘であることを差し引いても、オズウェンの隣に立つに相応しい教養を身につけた。
「学園を卒業するまでは、婚約者と言えども立場が変わることもある。王族の血を引く者が、私欲に塗れた伴侶を選ばないように、との慣例だけど。きっとあなたの立場は変わらないわ」
「どうして、そう言い切れるのでしょうか」
「だって、オズウェンは小さい頃からシャノーラの事しか見ていないもの。あの子の目が見ているこれからには、あなたが隣にいるはずよ」
「……過分なお言葉ですわ」
シャノーラは、愛されている。けれど、どこかでオズウェンと一線を引く態度でいるのはこの慣例があるからだろう。
かつて、学園で騒動を起こした元王族がいた。学園で、身分違いの恋とやらに溺れて婚約者を蔑ろにしたのだ。あろうことか、卒業パーティで婚約者を変更するという宣言までして。
もちろん、王族籍は剥奪されたうえ、この国からは追放されたので、その後の状況など残していない。けれど、その事件の影響は大きすぎた。
万が一同じようなことを起こさないように、と学園の卒業までは婚約者の変更を認める慣例が出来上がった。もちろん、王族として生まれたわけでもないのに、長い時間を費やしてくれた婚約者を守るためにだ。今まで、婚約者が変更されたことなど記録に残っていないけれど。
「母上、シャノーラ。馬車の準備は出来ました」
「さすがね、オズウェン。ちょうどいい時間だわ」
「式典の華やかなドレスも美しかったけれど、普段着までそんなに美しいなんて。いったいどこまで僕を嬉しくさせてくれるのかな」
「あ、ありがとうございます……」
賛辞を受けて、顔を赤くしているシャノーラを見て幸せそうに笑っているオズウェン。母として願うならば、この二人がこのまま一緒にいられる姿を見ていたいと思う。
きっと、そうなるだろうと遠くない未来を想像しながら、王妃は二人の背中を見送った。
*
「おはようございます、シャノーラ様」
「モニカ様。おはようございます」
王太子妃として顔が知られているシャノーラに、学園で声をかけてくる人は、あまり多くない。氷姫の名の方が通っているからか、時折遠くからその声を聞くことはあるけれど、シャノーラはその通称に反応することはない。
シャノーラがモニカ、と呼んだ彼女は、気軽に話せる間柄の一人だ。こげ茶色の髪を肩口で切りそろえており、切れ長の瞳は緑色。装飾の少ないドレスは、スレンダーな体型を引き立たせている。
「本日のお昼、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「もちろんですわ。お誘い、ありがとうございます」
モニカが朝からシャノーラに声をかけたのには、理由がある。用事がない限り、シャノーラとオズウェンは昼を共にしているからだ。それは、学園では当たり前に見られる光景。
だからこそ、今日はオズウェンと共に居ない理由を、モニカはたくさんの人がいる中で作ってみせた。
そうしてお昼休み、モニカとシャノーラはテラスで食事をしていた。元々顔馴染みの二人だからこそ、会話に詰まるようなこともない。最近は共に過ごすことが減っていたが、それでも氷姫と呼ばれるシャノーラが表情を綻ばせるくらいには、充実した時間を過ごしていた。
「たまには女性同士も楽しいですね」
「モニカ様、あの……」
「ふふ。分かっていますわ。オズウェン殿下がシャノーラ様を大切にしていることは、十分承知していますもの」
内緒話のように声を潜めたモニカだったが、それでも直接的な言葉選びは控えていた。
オズウェンは王太子として、時折学園を休んで公務に励むことがある。その日取りはある程度は知らされているが、全てを開示されているわけでもない。警備などの必要があるからだ。
シャノーラでさえ、前日にならないと知ることのないその情報を、どうして知っているのかと言えば、警備を担当する騎士団のなかのひとつが、モニカの家だからだ。
「私も、とても楽しかったですわ。本日は、いろいろとご配慮いただきありがとうございました」
オズウェンがこの場にいなくとも、シャノーラは守られている。それは、婚約者になろうとする令嬢からであったり、氷姫と影で不満をぶつけるような声からだ。
公務で遠駆けに行くから、好きだと言っていた花を摘んでくると笑っていたオズウェンは、もう王宮に帰っているはず。
まずは無事の帰還を確かめて、それから今日モニカに声をかけてくれていた配慮にお礼を伝えよう。
王宮から迎えに来た馬車に揺られながら、シャノーラはこれからの事を考えていた。その口元に、抑えきれない喜びを乗せて。