26.
ホールにいる誰もが、視線を入口へと向ける。公務の時はともかく、学園内では比較的落ち着いたドレスを纏っていたシャノーラの華やかな装いに目を見開いているのは、一人二人ではない。シャノーラの美しさが知れ渡ってしまうのは残念だけれど、これで学園内で地味だと陰口をささやく者はいなくなるだろう。
まずひとつ、目標を達成したオズウェンは次の目標のために会場へと視線を巡らせた。
「オズウェン殿下、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。君も楽しんでいるかな」
ぱちりと、たまたま目が合っただけなのに嬉しそうな表情を隠しもせずに近づいてきたのは、伯爵家の子息。シャノーラやモニカと同じ学年だが、伯爵家の彼は積極的に関わってこようとはしなかった。だからこそ、当たり障りのない挨拶だけで終わらせようと思っていたオズウェンは、次の言葉を聞いて足を止めた。
「ええ、存分に。ときに殿下は美しい花に興味はございますか?」
「……そうだね。野に咲いていても、温室で育っていても等しく美しいと思うだろう」
この場合、花は言葉通りの意味ではない。その意味するところを、オズウェンが正しく汲み取ったことを理解した彼は、薄く笑う。その笑みは、シャノーラと誰かを比べて優越感に浸るようにも見えた。
「ならば、近いうちにぜひ我が家へおいでください。ちょうど見ごろの花がございます」
「それは、この場でなくてはならない話ではないかな。行こうかシャーリー」
「殿下っ……!」
オズウェンは、花が好きだ。初めはシャノーラが好いているから、というだけだったが、いつの間にか公務の合間に一輪飾られている花を見るのが楽しみになっていた。もちろん、その花を選んで飾るのはシャノーラの役目だ。ラウルに言わせれば、花が好きなのではなくそれを選んでくれたシャノーラを思い出せるから好きなのだろう、とのことだが。
ぎゅっと手に力の入ったオズウェンに疑問を持ったのか、シャノーラがわずかに首をかしげる。令息の言い分も、その言葉に隠された意味も理解していながら、オズウェンが話を切り上げたことが珍しいのか、紫の瞳でじっと見つめている。
「僕は、たくさんの花を見るよりも、ただ一輪を大切にしたいだけだよ」
心の底から愛おしいと言わんばかりの潤んだ瞳が見つめるのは、シャノーラだけ。オズウェンからの気持ちのこもった言葉に、シャノーラは思わず赤面して俯いた。だから、そんなシャノーラを見て周りがまたざわめいたことにも気付かなかった。
「おめでとうございます。これからの治世に向けて」
「ありがとう。その際には知恵を拝借させてもらうよ」
小さくグラスを掲げて楽しそうに談笑しているのは、オズウェンと共にいるところを何度か見たことがある男性。親しげに話しているのは、それだけ距離の近さを感じさせる。すっと一歩引いて見ていたシャノーラに向かって、男性はわずかに頭をさげた。
「シャノーラ様も、どうぞお力をお貸しください」
「私に出来る範囲でしたら、喜んで協力させていただきますわ」
男性と女性では、そもそも求められる役割も違う。それなのに、男性はシャノーラを話から除外するわけでもなく、これからを望んでいる。ならば、シャノーラがそれを断る理由などひとつもない。オズウェンの婚約者として、これからも隣にあるならばきっと言葉を交わす機会もあるだろう、とシャノーラも礼を取った。
「挨拶ばかりでパーティーを楽しめずにすまないね、シャーリー」
「いいえ、オズウェン様の交友関係を知れるのはとても楽しいですわ。分かってはおりましたが、大変お顔が広いのですね」
「今度ゆっくりと紹介するよ。それぞれに、役も与えないといけないからね」
場所が学園から王宮へと変わっても、親しく話していた何人かとはこれからも関係が続いていくのだろう。シャノーラをエスコートしているのに挨拶を交わしていたオズウェンは、きっとそれを見越しているのだろう。今後も、顔を合わせることになると教えてくれたのだ。
それをオズウェンに言っても、絶対にそうとは認めないけれど。オズウェンは卒業する側なのに、わざわざ時間を取ってくれたのだと分かったシャノーラの胸に、じんわりと温かい気持ちが広がっていく。
「オズウェン様、シャノーラ様。まだ何もお召しになっていないでしょう? お好きそうなものを選んできましたよ」
ひょいっとお皿を差し出してくれたのは、ラウル。その後ろに飲み物を持ったモニカが続いている。ホールに入ってから二人とは別行動だったが、オズウェンとシャノーラの動きを見越しているのはさすがとしか言いようがない。
実際に喉は乾いていたので、シャノーラはモニカから受け取ったドリンクにありがたく口をつけた。
「ありがとう、ラウル。僕が直接選べればよかったんだけど」
「無理言うなって。卒業する王太子が一人でふらふらしたら、あっという間に囲まれて終わりだぞ」
「入場こそ身分で時間を区切りましたが、ホール内では関係ありませんからね」
「それでこそ、卒業パーティーだけどね。僕と話すくらいで楽しんでもらえるなら、いくらでも話すけれど」
「だから、それやると時間が足りないんだって」
ほんのりと甘いドリンクに、塩気のある一口料理。小腹を満たすには十分すぎる量を楽しんでいると、明らかに他の人とは違う動きをしている人物が目にとまる。
「あれは……」
「誰かを探しているような様子ですけど」
ラベンダー色の髪はそこまでまとめるような編み方もしていないのだろう。首を動かすたびにぶんぶんと音が鳴りそうな勢いで振り回されている。その髪色と、遠めに見える顔に思い当たる人物がいたのか、シャノーラは小さく声をあげた。けれど、それ以上に大きな声が響いたために、シャノーラの声は隣にいるオズウェンにも届かなかった。
「オズウェン様! 探しましたわ!」
「オズ、指名だぞ」
「あの令嬢との面識はないはずなんだけれどね。呼ばれたからには、何か用事があるのだろう」
げんなりとしたラウルと、表面上は穏やかな笑みを浮かべているオズウェン。こそこそとやり取りをしている間にも、令嬢はずんずん近づいてくる。明らかに周りの生徒たちが引いているのにも気付かないのか、道が開けたことで歩きやすいとばかりに大股で。
「あの、オズウェン様……」
「ん? なにかなシャーリー?」
そっとオズウェンの袖を引っ張ったシャノーラは、自分に向けられた顔が優しく微笑んでいたことに安堵した。
王宮での公務の中で、王太子として厳しい判断を下したところは知っているけれども、さすがにここは学園。あの令嬢がマナーも吹っ飛ばし不敬罪を積み重ねてしまっているとしても、即座に指摘して話を聞く体勢を取っているあたり、オズウェンにはまだ余裕がありそうだ。
そう思う反面、オズウェンの事を殿下ではなく様付けしたことで、シャノーラの胸にはもやもやしたものが積もっている。その呼び方は、シャノーラにしか許されていないのに。
「いえ、その……早く、お戻りくださいね。ウィン様」
「ああ、もちろんだよ。僕の帰るところは君の隣だ、シャーリー」
本当は、あの呼び方をしていることについて、直接令嬢に問い詰めたい。けれど、卒業というこの場でもめ事を起こして水を差したくはないし、前にあの令嬢から言われたことも気にかかる。
結局、シャノーラは学園で誰かの目があるところでは決して呼ぶことのなかったオズウェンの愛称を、いつもよりも大きな声で告げるだけにとどまった。
それが聞こえた令嬢は目を吊り上げたが、その姿を遮るようにしてオズウェンがシャノーラの前に立つ。そうして嬉しそうな顔で、シャノーラの頬を撫でて行った。
「オズウェン様! ご卒業おめでとうございます! 私、この日をずっと待っていましたの」
「ありがとう。待っていたとは、何をかな?」
「もちろん、婚約者をお選びになるこの日をです!」
オズウェンが礼を告げたのは、ただの社交辞令だ。学園で何を学んでいるのやら、この令嬢は貴族であれば守らねばならない礼儀というものを重んじるつもりは全くないらしい。
今やホールにいる生徒や教師たちの目線はオズウェン達にしか集まっていない。この場で、オズウェンが王太子らしからぬ行動を見せるわけにはいかないのだ。
その目がなければ今頃、この何かを勘違いしている様子の令嬢は、護衛騎士に連れられている。
「……あいにくと、僕は婚約者をシャーリー以外にするつもりは」
「分かっていましてよ。表情を変えぬ令嬢など、隣にいても息が詰まるだけでございましょう?」
令嬢の言葉を聞いて、一気に青ざめたのは教師たちだ。特に、昨晩この令嬢がホールの前にいたという報告をした二人は卒倒しそうなほどに顔色を変えている。彼女を受け持っている教師は、それとなく注意を促していたし、ホールに入ってからも何かしでかすのではないかと目を離さなかった。それが、ほんの一瞬気をそらしてしまったがために、令嬢はオズウェンの前で理解できないことを口走っている。
どうにかオズウェンから令嬢を引き離そうとする教師の動きは、野次馬のように集まった生徒たちによって遮られてしまう。
オズウェンから返事がないことを良しとしたのか、令嬢は得意げに胸を張って言葉を続けた。
「その点、私は違います。あなたの隣で、いくらでも感情をあらわにしてみせましょう」
勝ち誇ったようにシャノーラを見る令嬢には、隠しきれない優越感が浮かぶ。確かに、感情をあらわにするのは得意なのだろう。こんな大勢の前で、王太子に向かい堂々と自分を売り込んでいるのだから。
けれど、この場合はすべて逆効果だ。
「それが、いったい何の役に立つと?」
「え、だって隣に無表情の令嬢がいるなんて……」
「彼女が、どれだけ努力してあの表情を作っているのかを知らぬ者が、言うに事を欠いて無表情だと?」
オズウェンから、穏やかで陽だまりのように笑う王太子の仮面が剥がれ落ちる。それが悪手だとは、オズウェン自身理解していた。王太子として、のちに国王として立つのだ、苛烈な感情など見せない方がいいはずだと。国を導き、民が穏やかに生活していくためであれば、自分の感情などいくらでも抑え込もうと。
けれど、この令嬢は、何も理解していないのにオズウェンの唯一をあざ笑う。大切にしているところを、土足で踏み荒らすような真似をされて、黙っていられるほどにオズウェンの器は大きくない。
「そんなもの、誰にだって出来るじゃない!」
「誰にでも出来るのならば、今すぐその口を閉ざしてもらおうか。耳障りだ」
「耳障りだなんて……ひどいわ、オズウェン様。私は、あなたのために」
「何よりもためになるのは、この場から退場することだ。愚かな言葉に傷ついている婚約者を慰めたいのでね。失礼するよ」
陽だまりのような笑顔はとうに失せ、残るのは刺すように冷たい眼差しを令嬢に向けるオズウェンの姿。シャノーラにも、見せようとしなかったオズウェンの、取り繕わない表情こそ、氷のようだ。
オズウェンの様子を見て息をのんだ生徒たちは、先ほどまで談笑していたのが嘘のように静まり返っている。しんと冷え切ったホールに、オズウェンが歩く音だけが響く。
その場にへたり込んだ令嬢を連れ出そうと教師が動き出したが、それよりも早く、わなわなと肩を震わせた令嬢が金切り声を上げた。
「なによ……
氷姫が王太子妃になるより、よっぽどましだと思うわ!」




