24.
「氷姫が王太子妃になるより、よっぽどましだと思うわ!」
それは、一日であんなにも感情が忙しくなることなど後にも先にもないだろうと、今では笑い話のように語れる日の、始まりの言葉。
*
「あっという間に、卒業ですね」
学園を卒業する生徒は、浮かれた気分と共に最後の学生生活を楽しんでいる。パーティーでのパートナーが見つからず奔走している生徒もいるが、それはほんの一部だ。
オズウェンには当然シャノーラが共に出席するし、ラウルはモニカに頼んでいた。二人としてみたら、護衛がやりやすいという理由以外ないのだが、そうとは取らないのは卒業パーティーのパートナーがイコール婚約者だと思っている恋愛大好きな人たちだ。
「パートナー、よろしくお願いいたしますね。ラウル様」
「こちらこそ。モニカ嬢。反応見るのが楽しみだ」
モニカも、侯爵令嬢だ。婚約者がいると考える方が自然なのに、恋愛大好きな年頃の生徒たちは、どうしたわけかモニカには婚約者はいないと思っている節がある。
公式の場に、モニカが婚約者を伴ったことがないからそう思っているのだろうが、モニカにはれっきとした婚約者がいる。それも、家との関係もとても良好な。
「そういうわけだから、ベン。俺とモニカ嬢が接していても悪く思うなよ?」
「あら、文句は言わせませんわ。私にも、オズウェン殿下の護衛騎士になったことを黙っていたのですもの」
「……」
他の令嬢が刺繍や詩を学んでいる間、モニカが体を動かしていた理由は、家が騎士団と身近だからというだけではない。騎士団に所属している婚約者に、少しでも近づきたいという気持ちもあったからだ。
まさか、その婚約者がオズウェンの護衛騎士にまで上りつめているとは、モニカも知らなかったようだけれど。
正式にシャノーラの護衛となったモニカと、オズウェンの襲撃を防げなかったとして謹慎していた騎士たちでの顔合わせで、打ち合わせたように驚きの声を上げた二人。オズウェンも知らなかった二人の関係に、シャノーラも驚いたが、配置の変更はされなかった。
業務中には必要以外の会話をすることのないベンジャミンと、少し仲良くなれたような気がしているので、シャノーラはとても嬉しく思っているが。
「シャーリーたちはもう一年あるだろう? 学生でしか楽しめないことを、たくさん経験したらいいよ」
卒業パーティーは面倒だと思っているオズウェンも、シャノーラのためだったら準備に時間をかけることをいとわない。
ドレスの色、装飾品、それから挨拶。学園を卒業するオズウェンには、自分から挨拶をしに行かねばならない人は少ないが、それでも全く挨拶をしない訳にもいかない。パートナーを伴ってあいさつに出向くのであれば、相手の情報を共有しておくことも大切な準備だ。
最も、オズウェンもシャノーラも準備が必要なのは服装に関することがほとんどなので、こうしてのんびりと談笑できる余裕はある。
「ウィン様は、例えばどのようなことをなさいましたか?」
「僕は、そうだなあ……」
「あ、お二方はあまり参考にしない方がいいですよ」
何かを思い出すように目を細めたオズウェンをラウルが制する。同じ学園とはいえ、オズウェンとは性別の差もあって受ける授業が少しだけ違う。モニカは、体を動かすことが多い男性の授業を羨ましく思っているようだが、シャノーラは体力作りから始めないとついていくことは出来ないだろうと苦笑いだ。
「ラウル、僕にはそんな口止めするようなことをした覚えはないよ」
「買い食い」
「うっ」
「護衛を振り切って街歩き」
「それは、その」
「急にいなくなったかと思えば、辺りのご老人と語らっていたこともありましたね?」
最初にラウルに言われたことは、冗談のように口を閉ざしたのに、次に挙げられた事には何かを伝えようとして、結局言葉にならずにため息へと変わった。
ここぞとばかりに羅列していくラウルとは対照的に、オズウェンは気まずい表情を隠さないのだから、きっとこれはすべて本当にあったことだろう。
シャノーラが知らないのは、オズウェンが黙っているのをラウルや護衛たちが黙認していたからだ。けれど、これから先は知っておいてもらわないと困るとでも思ったのだろう。
王太子妃となってから、オズウェンが割と自由に動き回っていることを知って、幻滅されてはたまらないのだから。
「あの、ラウル様それは……」
「学生、ではなくて王太子のオズウェン様に対しての文句ですね」
「…………それもそうですね」
シャノーラとモニカの戸惑ったような声が効いたのか、しばらく考え込んでからラウルはその通りだとけろっとした顔で笑った。
別に、オズウェンのその動きが嫌でこうして吐き出したわけではないのだろう。安心したように笑ったオズウェンも、それを受けたラウルもいつもと何も変わらない様子を見せている。
「学生、かあ。なんだかこう、振り返ると感慨深いものがありますね」
「そうだね。初めは長いと思っていたのに、気が付けばもう卒業だからね」
オズウェンにとっては、シャノーラを待つ一年。シャノーラにとっては、オズウェンの庇護がない一年。どちらにとっても、周りからあれこれとちょっかいを出されることは確定している一年だ。
オズウェンは、そうならないようにシャノーラに隠れて手を打っているわけだけど、果たしてそれがどれほどの効果を生むのかはまだ分からない。
シャノーラが些細なことに悩むことなく、学生最後の一年を健やかに過ごしてくれたらいいとは思っているけれど。
「それじゃあ、今日はここまでにしようか。あまり引き留めてしまうと離れがたくなる」
「オズ、毎日それ言ってるといい加減シャノーラ嬢に飽きられるぞ」
ラウルはジト目で見ているが、しれっと受け流したオズウェンはシャノーラにしか向けない笑顔で微笑んでいる。
ふと目が合ったモニカとラウルはどちらともなく肩をすくめてから一歩下がって、オズウェンいわく離れがたくなる前の語らいを見守ることにした。
もちろん、護衛騎士たちも同じく。この場で割って入っていけば、陽だまりのようだと言われるオズウェンから冷たい視線をもらうのは明らかだ。
「シャノーラ様は、本当に大切にされていますのね」
「お待たせしまして、申し訳ありません……」
今日はいつもよりオズウェンが長く話してくれて、シャノーラも快くそれに応じたからか、寮に帰る時間がいつもより遅くなってしまった。
卒業を迎えるオズウェンとは違って、シャノーラとモニカには、通常の授業が待っている。明日の準備もしなければならないのに付き合わせてしまったモニカに、シャノーラは眉を下げる。
「構いませんわ。私もベンと少しだけお話しできましたもの。卒業パーティーでも、警備として傍にいるそうですわ」
「それは、嬉しいお知らせですね」
婚約者が王太子の護衛に就いていることは誇らしく思っていることは知っている。同時に、パーティーなどにはともに出席できないことをモニカが残念に思っていることも。
会場の警備と、シャノーラの護衛。立場は違えど、同じ空間にいられるのであれば多少、時間の融通はきくのではないかとこっそりオズウェンと話していたから、今日は遅くなってしまったのだけれど。
友人としてだけでなく、傍にいてくれるモニカにシャノーラが出来ることといえば、このくらいしか思いつかなかったのだ。
潜めた声だったけれど、楽しく話をしながら寮に向かっていた二人の前に、見知らぬ令嬢がぼうっと立っていた。
声が大きくなりすぎたのかと思ったけれど、モニカもゆるゆると首を振っているから盛り上がっていたとはいえ、周りに迷惑をかけるような声量ではないようだ。けれど、令嬢はラベンダー色の髪の隙間からでも分かるくらいに、シャノーラを睨みつけている。
「あの、なにか……」
「へらへら笑っていられるのも、今のうち」
「ちょっとあなた、待ちなさい!」
ずんずんと大股で近づいてきた令嬢は、二人とすれ違いざまに吐き捨てた。瞬時に反応したモニカがその令嬢を掴まえようと手を伸ばしたけれど、それよりも早く角を曲がってその姿を消してしまった。
「シャノーラ様、申し訳ありません。気が抜けておりましたわ」
「それは、私も同じよ。直接言われるのは、最近なかったから……」
「オズウェン殿下に、ご相談しましょう」
今来た道を戻ろうとするモニカを引き留めたのは、シャノーラの細い腕。驚いたように振り返ったモニカの瞳には、ふるふると首を振るシャノーラの姿が映った。
「この程度なら、問題ありません。オズウェン様に心配をかけるわけにはまいりませんわ」
「シャノーラ様が、そう仰るのであれば。ですが、次に同じことがあったら、私はラウル様に伝えますからね」
「ええ。ありがとうございます、モニカ様」
モニカと共にいる時間は、シャノーラが学園で過ごした日々でも短いのに、ずっと隣にいてくれているような感覚で、気を緩めてしまっていたのだろう。
一人でいるときには、あのような言葉を投げられるのは当たり前で、いちいち反応していたら身が持たないから、と感情を表に出さないように努めていたのに。
最近、温かい人とばかり一緒にいたから、氷は解けたのかもしれない、と薄く笑うシャノーラに、モニカは悔しそうに顔を歪めた。




