22.
「ごきげんよう、シャノーラ様」
オズウェンも復学し、今まで通りの生活に戻ると思っていたが、シャノーラの周りは今までよりも騒がしくなった。
それは、モニカがシャノーラの傍にいることが増えたからではない。オズウェンの卒業が、迫ってきたからだ。
「最近学園にいる時間が少ないようで、寂しかったですわ。そうだ、今お時間よろしいかしら?」
声をかけてきたのは、授業で何度かペアを組んだことのある令嬢。今日も仲の良い令嬢を何人か供とし、彼女自慢の艶やかな黒髪をさりげなく見せつけながら、シャノーラに近づいていく。
その声かけの思惑が単純に学友との世間話ではなく、自分を王太子の婚約者としてもらうようなものだと分かっているシャノーラは、そっと頭を下げた。
「せっかくお声をかけていただいたのに、申し訳ありません。本日はオズウェン殿下に呼ばれておりまして」
「あら、あなたには聞いていませんわ。私、シャノーラ様にお聞きしていますのよ」
シャノーラの意を汲み取ったモニカが令嬢に声をかけても、一瞥されることもなくバッサリと切り捨てられてしまう。
モニカ自身は、この令嬢と言葉を交わした覚えはない。シャノーラが授業でペアを組んだのも、教師から言われてのことだったのは、モニカも聞いていた。というのも、令嬢として学園に通っているはずなのに、礼儀作法が本当に最低限を学びましたというレベルから成長が見受けられなかったからだ。
見かねた教師が、シャノーラとペアを組めば自分の身を省みるだろうと思っての行動だったのに、どうやらそれは、令嬢に勘違いを生んだだけだったらしい。
「シャノーラ様、いかがでしょうか。王宮に通い詰めてばかりで、息抜きも必要ではございませんこと?」
「そのようなご用件でしたら――」
「やあ、シャーリー。取り込み中だったかな?」
今度こそ断ろうとシャノーラが口を開いたとき、被せるようにして朗らかな声が響いた。シャノーラと令嬢の様子を窺っていた周囲の生徒たちが、一瞬で静まり返る。
シャノーラのことをシャーリーと、愛称で呼ぶことが出来るのはただ一人だけだ。
「オズウェン殿下!」
「待ち合わせに遅れるから、何かあったのかと心配してきてしまったよ。いらぬ世話だったようだね」
さっと礼を取ったモニカは、明らかに安心した顔になった。オズウェンに呼ばれていたのは、方便でなくて本当の事だ。時間を約束していたわけではなかったけれど、遅くなってしまうとその後の用件に影響が出てしまうのも事実。
オズウェンが自ら迎えに来たのだから、令嬢だって引き下がるしかないだろう。モニカはそう思っていたのに、令嬢はまたも予想外の行動をしてみせた。
「ご足労をおかけいたしまして、申し訳ありません。ですが、オズウェン殿下、どうかお話を」
「僕の足を止めるだけの、有意義なものなのかな?」
先ほどまでシャノーラに向けていた朗らかな声から一転してひやり、とその場に漂った冷気にさすがの令嬢も口を閉ざした。それ以上、何か言葉を紡ぐことはないだろうとオズウェンは背を向ける。
オズウェンの雰囲気の変化にざわついている生徒たちの声を聞きながら、シャノーラをエスコートしていく。その声に気付いていないはずはないのに、全く気にも留めないオズウェンは小さく笑みを浮かべていた。
「最近、あからさまにシャノーラ様に擦り寄ってきますね」
はあと隠すことなくため息を吐いたのは、ラウル。オズウェンもラウルも、シャノーラが令嬢から声をかけられる少し前に、あの場に着いていた。
今更シャノーラに王太子妃としての資質を問う声は聞こえてこないが、何かあれば揺らぐ立場であることは間違いない。
オズウェンがすぐに出ず、シャノーラの対処を見ていたのは学園内からであろうとも、そのような声が上がることを潰すためだ。結局は、オズウェンが我慢できずにささっと姿を見せてしまったが。
「正式に婚約者が定まる前にと必死なんだろう。僕は、シャーリー以外と並ぶつもりはないと公言しているのに」
卒業が近づくということは、オズウェンの婚約者が定まるということだ。シャノーラを蹴落として自身がその立ち位置を得られるのも、縁を繋げるにしても、機会はどんどん少なくなる。
オズウェンが事あるごとにシャノーラしか隣にいる未来は思い描けないとか、とにかくシャノーラが王太子妃でないとは考えられないと言っているのにも関わらず、どうにかと思う気持ちはなくならないようだ。
その一切を黙らせるために、この間あれこれと話し合ったのだが、思ったよりも早くその会話で出た案には出番があるようだ。
「あの、オズウェン様」
「ん? なんだいシャーリー」
「お手数を、おかけいたしました」
シャノーラが頭を下げるのと同時に、モニカも深々と頭を下げる。本来だったらシャノーラが終わらせなければならなかった、あの令嬢とのやり取り。オズウェンが出ればすぐに収まるのだから、そうなる前に上手く場を切り抜けられなければ、王太子妃としてこれから先もやっていけないのではないか、という思いは常にシャノーラにある。
「モニカ嬢まで、そんなに頭を下げる必要はないよ。シャーリーには、王家の慣習に付き合わせてしまっているのだからね」
オズウェンがシャノーラ以外は婚約者として考えていないと言えども、それが認められるのは、学園を卒業してからだ。そこで婚約者を変えた王族はいないのだから、そろそろ慣習といえども撤廃していいのではないかと思っているオズウェンだが、今の自分ではまだそれを変えられるだけの力はない。
「もうしばらく周りを騒がせてしまうけれど、どうか忘れないでほしい。僕の婚約者は、君だけだ」
「……オズ、ここ馬車の中な」
そっとシャノーラの手を取って、熱い視線を向けるオズウェンにはラウルから思わず突っ込みが入った。
王宮に向かう馬車は、今日も優しい空気が満ちている。
「何か隠れて動いているのは知っていましたが、そういう理由ですか」
モニカも共に王宮に呼ばれたのにも関わらず、シャノーラとは別行動になったことに疑問は持っていた。
シャノーラは王妃の元で、これからどうしたいのかを改めて確認しているのだという。婚約者が決まっていないから変更の可能性があるのは、王家の心変わりだけが理由ではない、ということだ。
もちろん、オズウェンは馬車の中でシャノーラの意思を確認したし、その前からも話を聞いている。どんな立場になろうとも、シャノーラがずっと隣にいてくれるという未来は、オズウェンにとって幸せでしかない。それを形にするべく、今こうしてシャノーラに知られないように密かに動いているのだけれど。
「モニカ嬢が知っているなら、シャノーラ嬢も当然……」
「分かっていらっしゃるでしょうね。殿方がこうして集まっているとまでは知らないかもしれませんが」
音を鳴らすことなくカップをソーサーに戻したモニカは、言いたいことも紅茶と一緒に飲み込んだようだ。それでも、しっかりと棘は感じたけれど。
ぐっと言葉に詰まったラウルは、ゲホゲホと咳込んでいる。その様子を見ても、モニカは心配をすることもなく、素知らぬ顔でオズウェンを見つめるだけ。
「シャノーラに秘密にしているのは、僕も心苦しく思っているよ」
「ならば、どうして」
「万が一も考えられるから、かな。そんな行動に出るとは僕も思いたくはないけれどね」
オズウェンの気持ちは、揺らがない。それは少し調べればすぐに分かることだ。オズウェン側に変化がないのならば、王太子妃の立場を狙うものが標的とするのは、シャノーラ。
リベール領でオズウェンが襲撃された時には、その可能性も考えられていた。実際には、オズウェンが邪魔だったという理由で、シャノーラに被害が及ぶようなことにはならなかったけれど。
「学園では、他の人の目がどこにでもあるし、モニカ嬢という心強い味方がいる。逆に言えば、学園以外ではシャノーラに手を出す機会はあるってことだ」
令嬢として、王太子妃としてオズウェンの隣に立てなくする手段はいくらでもある。今まではそんな強硬手段を取ろうとしている話が聞こえてきたら、オズウェンが手を回したりオリバーに潰してもらったりしていたけれど、卒業が迫って来てからというもの、どうにも数が多い。
「シャノーラ様は、ご自分の知らないところでオズウェン殿下が動かれているのを快く思わないかと」
「もちろん、分かっているよ。下らない慣習で振り回しているんだ、これは僕のわがままだよ」
「……そういうお顔は、学園でも公務でも見せていないものですね」
ワントーン下がった声は、モニカに向けられていないとはいえ、驚かずにはいられない。シャノーラと共にいる時間は増えているけれど、まだまだモニカは王族の事も、オズウェンの事も知らないことだらけだ。
「シャノーラの事を氷のように表情を変えない、だなんてどの口が言うんだろうね?」
くすくすと笑っているのに、オズウェンの目は冷え切っている。誰がシャノーラの事を氷姫、だと言い出したのかは知らないが、今のオズウェンは陽だまりのような王太子、ではなく氷と呼ばれる方がよほど合っている。
シャノーラにちゃんと向き合えば、良く分かる。氷のように表情を変えないのではなく、そうあろうと必死に努力しているのだと。
王太子妃が自らの感情を見せてしまえば、それを自分の意志に関係なく使われてしまうから。
「シャノーラ様の事をお考えであるならば、私から申し上げることは何もありません。
それで、必要なことはなんでしょうか」
「話が早くて助かるよ。モニカ嬢、君にしてほしいことはただひとつだ」
さっとラウルが差し出した書類に目を通したモニカは、すべてを読んでからオズウェンに深く頭を下げた。




