18.
「次の、週末ですか?」
「ああ。シャーリーの予定はどうかな。モニカ嬢もいてくれると手間が省けるんだけど」
モニカがシャノーラの護衛となってから、オズウェンの態度はかなり変化した。モニカに対しては、他の令嬢よりもどちらかと言えばラウルに接する感じに近い。
まだ公にしていない情報だから、学園内では今までと変わらずに接しているが、こうして他に誰もいないときはかなり砕けた態度になった。モニカの方は、その変化にいまいち慣れていない様子だが。
「私は大丈夫ですが、モニカ様はいかがでしょうか」
「はい。私も外せない予定はございません」
「良かった。遅くなるかもしれないから、外泊届を出しておくね」
心得たようにラウルから差し出された書類に、オズウェンはささっと署名をしている。ラウルの手に戻った書類は、きっとシャノーラたちの外泊届だろう。
いつもの事だと慣れているシャノーラは、ラウルに頭を少し下げただけでその書類からは目を離したけれど、そうではなかったのはモニカだ。
「オズウェン殿下、それは私もですか?」
「もちろんだよ。シャーリーが泊まるんだったら、君も一緒だろう?」
「ですが、私が王宮になど……」
モニカも、シャノーラと同じ侯爵家の令嬢だけれど、王宮に上がったことは一度もない。シャノーラがオズウェンの婚約者として決まっていなかったら、顔合わせに王宮に招かれていたかもしれないが。
明らかに困った様子のモニカに、オズウェンはにっこりと効果音がつけられるくらい綺麗な笑顔を見せる。
「うん。いい機会だから、シャーリーにいろいろ教わるといい。これから、嫌でも関わることになるんだから」
「かしこまりました。シャノーラ様、お手数をおかけしますがよろしくお願いいたしますね」
「私で分かることでしたら、なんでもお聞きくださいませ。それにしても、ウィン様」
モニカだって、分かっていたはずだ。王太子妃であるシャノーラの護衛となるならば、王宮は避けて通れない場所だと。その機会は、思っていた以上に早く訪れてしまったようだ。
幼いころから王宮に出入りしているシャノーラからならば、とても有意義な話が聞けるだろう。深く頭を下げたモニカに、シャノーラはゆったりと微笑んで頷いた。
その後、困ったように表情を変えたシャノーラは、視線を上に向ける。そこには、上機嫌だと誰が見てもわかるオズウェンの顔がある。
「なにかな、シャーリー」
「そろそろ、足が痺れていらっしゃるのではございませんか?」
「これでも、毎日鍛えているんだけどなあ」
「そうじゃないだろ、オズ。分かっていてとぼけるのもいい加減にしろって」
隠すことなく溜息を吐いたラウルは、こつんと小さくオズウェンの頭を小突く。ほとんど衝撃などない、ちょっと触れるだけだったのにそれすらもシャノーラに伝わらないように、とほんの少しだけシャノーラの体を離すくらい、密接している距離。
ソファーに座ったオズウェンは、シャノーラを自分の膝に座らせていたのだ。今まで触れ合うのを控えていただなんて嘘のように、積極的にスキンシップを取ろうとするオズウェンに、ようやくシャノーラが慣れてきた。
オズウェンの膝の上からそっと降りようとしたシャノーラを引き留めたのは、他でもないオズウェン自身だ。
「ラウル。僕はこれから、一仕事しないといけないんだけど」
「分かってる。そのために、シャノーラ嬢とモニカ嬢も王宮に呼ぶんだろ」
「その通り。だから、僕のやる気を充電しておかないと、仕事が終わらせられない」
充電、と言われてシャノーラはほんのりと顔を赤らめ、オズウェンはそんな様子を見て蕩けるような笑みを浮かべる。
オズウェンが記憶を取り戻してから、見る機会も増えたその様子はラウルに再び溜息を吐き出させるには十分なものだった。
「ラウル様」
「何かな、モニカ嬢」
「もしかして、これがお二人の通常でございますか?」
真剣な顔で疑問を口にしたのはモニカだ。オズウェンとシャノーラは婚約者だけれど、学園内ではエスコート以外での触れ合いは見たことがないし、会話をしているときだって、あまり長く話しているわけではない。
シャノーラの護衛として、オズウェンと接する機会が増えたモニカだからこそ、ラウルはもう慣れてしまって突っ込むことを半分諦めたことに、疑問を持ったのだろう。
「俺は認めたくない。が、これが通常だと思っていてもらえると助かる」
「かしこまりました」
そんなやり取りを交わした後、モニカはシャノーラに教えられたとおりに簡単な荷物をまとめ、迎えにやってきた馬車に揺られて、初めて王宮の奥へと足を踏み入れた。
「このような場所に、私が本当に来て、よろしかったのでしょうか……」
「モニカ様は、オズウェン様から許可を得ていますもの。誰からも咎められませんわ」
馬車止めで待っていたのはラウルだったので、緊張していたモニカから少し肩の力が抜けたのが分かった。目の前にある王宮のどこを見ても、モニカの心臓は早鐘を打っているので、知っている顔があるだけで息がしやすくなったような気がした。
ラウルの先導で、シャノーラとモニカは並んで歩く。シャノーラと二人の時よりも、ラウルの歩みが遅いのはモニカを気遣ってのことだろう。
「そ、それなら……ですが、何かおかしな挙動をしていたら、どうか教えてください」
「大丈夫ですわ。モニカ様が場に応じた態度が出来ぬようであれば、許可はおりませんもの」
シャノーラもオズウェンから直接聞いたわけではないので、推測に過ぎないが、きっと合っているはずだ。
今まで、学園から王宮へ向かうシャノーラに、ついてきた生徒は何人もいる。その誰もが、ラウルや迎えに来た人によって断られ、共に王宮に向かったことはない。
オズウェンがシャノーラと一緒に来るように伝え、ラウルが待っていた。それが答えだと、シャノーラは思っている。
「オズウェン様は、そのあたりお厳しいのです」
「お言葉を聞いて、少し安心しましたわ」
うんうんと頷いているラウルもいたからだろう。モニカの顔から、ようやく緊張が抜けていった。
そうして案内されたのは、シャノーラがいつもオズウェンを待つのに使わせてもらっている部屋だった。
メイドが用意してくれた軽食を摘まみながら、三人で他愛もない話をしていると、控えめなノックが聞こえてきた。
「迎えに来たよ、シャノーラ。モニカ嬢」
「ありがとうございます、オズウェン様」
学園で浮かべている人の良さそうな笑みは変わらないのに、服装や場所が違うというだけで印象が変わるものか、とモニカは小さく息をのんだ。
シャノーラに構ってほしいという思いが見え隠れするオズウェンに、少しだけ幼い子を見るような感情を抱いていたモニカは、目の前にいるのが正しくこの国の王太子なのだと認識を改めた。
そんなモニカに気付いたのか、オズウェンの口元はゆるりと弧を描く。小さな声で合格、と笑うオズウェンの声は、隣にいたラウルにしか聞こえなかった。
「これから、どちらに向かわれるのですか?」
「ああ、言ってなかったね。今までの件、まとめて関係者に説明しようと思ってね」
いつもだったら共に来るはずのラウルが、途中で道を変えたのはこの後の準備のためだとオズウェンが教えてくれた。
だからこそ、この先に待っているのは王妃かゴーディーだろうとシャノーラは予想していたのに。
そのどちらでもない返事に、さすがのシャノーラも少し固まって目を瞬かせる。今までの件、で思い当たることは一つしかなかったけれど。
「今まで、と仰るのは……」
「リベール領から、この間の事まで。全部だよ。言ったでしょ、遅くなるかもしれないって」
それはかもしれない、ではなく確実に遅くなるのではないだろうか。とは言えるはずもなく。リベール領と聞いてきゅっと口を引き結んだモニカにはどれほどの事情を話してあるのだろうか。
きっと、それを確認することもできないままに話が始まってしまうのだろう。
「呼び出しておいて申し訳ないが、まだ一人分席が残っていてね。ラウルを迎えに行かせているんだ」
シャノーラたちが招かれた部屋には、すでにゴーディーが待っていた。向かい合っているアントスを見て、シャノーラもモニカも、慌てて礼を取ったけれど、本人はどうして自分がここにいるのかをいまいち分かっていない様子だ。
「あれ、シャノーラ嬢も来たんだ。こちらは、初めまして?」
「フリーデン侯爵家長女、モニカと申します。お目にかかれて光栄ですわ、アントス殿下」
「王宮医師のゴーディーと申します。どうぞ、お見知りおきを」
モニカ達が挨拶を交わすのを聞きながら、シャノーラは席に着いた。ラウルはきっとオズウェンの背に控えるだろうから席はないとして、確かにひとつ、席が空いている。
アントスと並ぶように案内されたシャノーラは一言声をかけてから腰を下ろし、モニカはその隣に座った。護衛だといえども、長い話になるのだったら令嬢には負担だろうという配慮が分からないモニカではない。
そうして、各々席に落ち着いたはいいけれど、この顔ぶれでなにか会話が弾むということもなく。ちらり、と相手の様子をうかがうような視線が飛び交う中、誰もが待ち望んだ入室を求める声が届く。
ラウルの後に続いてやってきた人物を見て、シャノーラは意外そうに目を瞬かせ、アントスはどうしてとばかりにガタリと席を立った。ゴーディーは灰色の瞳を細めてその人物を見ただけで、それ以上何をするでもなく座っている。モニカは、ラウルが連れてきたその人物に思い当たらないのか、わずかに首を傾げただけ。
「さて、それでは始めようか」
にっこりと笑っているはずなのに、オズウェンから発しているのは明らかに冷気だ。ぶるり、と肩を震わせたのはシャノーラだけではない。その様子に気付いたオズウェンは、ラウルに目くばせをしてストールを持ってこさせたけれど、冷気を収めるつもりはないらしい。
人は、笑顔だけで部屋の温度を下げることが出来るのだと、シャノーラがひとつ学んだけれど、その知識はきっとこれから役に立つことはないはずだ。




