17.
「おはようございます、シャノーラ様」
「モニカ様、おはようございます……?」
この時間に、モニカと鉢合わせしたことがあっただろうかとシャノーラは首を傾げた。体を動かすのが好きなモニカは、朝早く学園の周りを散策し、汗を流してから授業に臨んでいる。
他の人よりも早めに教室に向かい、授業の予習をしているシャノーラとは動き方が違うので、教室で顔を合わせるのが常だったのに。
シャノーラが首を傾げているのを見て、モニカが少しだけ眉を下げて笑う。
「忘れ物をして、寮に戻ったのです。せっかくですから、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「もちろんですわ。モニカ様とお話出来るのは嬉しいです」
「あら、それは私も同じですわ」
モニカと共にいるからか、シャノーラの耳にいつもだったら届く蔑みの声は、ほとんど聞こえなかった。オズウェンを心配している声に紛れる、氷姫とシャノーラを馬鹿にする声。それが、モニカが盾となったかのように全く届かないのだ。
学園に、オズウェンの目覚めを知る生徒はいない。唯一その情報を持っているだろうシャノーラは、表情を変えずに淡々とした生活を送っている。そんな状況なら、シャノーラに対して不満を向けてしまっても仕方ない。
そう、今までは思っていた。
「やあ、シャノーラ。待っていたよ」
これから先もオズウェンと共に歩むというのなら、そのような声にも仕方ないではなく聞き流すのでもなく、対処をしていかなくてはならないと考え始めたシャノーラ。けれど、すぐにどのような方法を取ればいいのかは思いつかない。
そのままお昼休みになってオズウェンとの約束通り、食堂に向かったシャノーラとモニカは、いつも以上に賑わっている様子に目を瞬かせた。
「オズウェン様」
シャノーラに気付いたオズウェンが、すっと人の波の上から声を投げる。そうして、シャノーラの姿を確認した生徒がざわつきながらも一人、また一人とその場を離れていく。
そうして、気が付けば残っているのはオズウェンとシャノーラ、そしてモニカだけだ。
「モニカ嬢、この場に来たということは返事だと受け取っていいのかな?」
「分かっていてお聞きになっていらっしゃるのでしょう?」
「えっと、モニカ様?」
オズウェンとモニカだけに通じているその会話にきょとんとしているシャノーラを見て、二人がふっと雰囲気を和らげた。
すっとオズウェンがテラスの奥にある、半分仕切りで区切られた箇所を示した。完全な個室ではないし、屋外だけれどガラスで区切られているから話し声もそこまで届かない。ただ、誰がいるのかはうっすら透けて見えるので隠し事などを話すのにはあまり向かない席ではある。
だからこそ、やましい話をしているわけではないという証明にも使えるのだが。
「シャノーラ。向こうに席を用意してあるよ。話はそちらで」
「分かりましたわ」
「私も同席してもよろしいのですよね」
「もちろんだよ。君がいないと話が進まない」
オズウェンから許可を得たモニカは、うきうきとした様子でシャノーラと共に食事を選びに行く。慌ててモニカについていくも、オズウェンにちらりと視線を送ったシャノーラは、後ろから寄り添ってくれているブロンドの髪を見て安心したように笑った。
オズウェンは先ほど学園にやってきたようだったが、シャノーラたちは午前の授業を終わらせている。そして、まだ病み上がりのオズウェンはしっかりしたものを食べるのは負担がかかる。モニカは知らないので、ランチはどのくらい食べるのだろうかとオズウェンの事を心配していたシャノーラは、そのトレイの上にある料理を見てほっとした。
すでにラウルが待っていたその席に、オズウェンが並べたのはポトフ。シャノーラとモニカはサンドイッチのセットを頼み、ゆっくりと食べ始める。
「実はね、モニカ嬢にはシャーリーの護衛をお願いしていたんだ」
「正式には護衛の打診、ですわね」
サンドイッチを食べきったモニカが、オズウェンの言葉に補足をする。全く聞いていなかったシャノーラは驚いたようにモニカを見るが、その視線を受けてもモニカはただ微笑むだけ。
「私が返事を出す前に、オズウェン殿下は体調を崩されました。なので、今までお答えをお伝えする事が出来なかったのです」
「けれど、君は今日シャーリーと共にここに来た。さあ、答えを聞かせてくれるかな」
一口サイズのサンドイッチを食べるシャノーラたちよりも、もっとゆっくりとポトフを食べているオズウェンは、そっとスプーンを置いた。
そうして、組んだ手の上に顎を置いたオズウェンは、モニカに向けてにっこりと笑う。ブロンドの髪が首を傾げた動きに合わせてさらりと揺れる。これが、ただの生徒、特に令嬢だったらオズウェンの姿を見て頬を赤らめるだろう。令息でも自分との違いを見せつけられて諦めたような息を吐きだされるのがほとんどだ。
けれど、モニカはそのどちらの反応とも違い、オズウェンの陽だまりと称される微笑みを向けられても、自身の笑顔を深めるだけだ。
「……そんな顔をしないでくれるかな、シャーリー」
「シャノーラ様、お気遣いありがとうございます。ですが、私はこの話を受けたく存じます」
「ですが、モニカ様」
オズウェンがそんな顔、と言ったのはシャノーラがあまりにも心配だと表情に出していたからだ。モニカはシャノーラを見てとても嬉しそうに笑っている。
氷姫だと言い出したのが誰だか知らないが、シャノーラは氷のように表情を変えないだなんてどこを見ていたのだろうか。感情を面に出さないよう努めていただけで、こんなにも素直な感情を見せてくれるというのに。
その姿をシャノーラが見せてくれるということは、モニカに確かな優越感をもたらしたけれど、きっとオズウェンにはそれすらも見抜かれているのだろう。分かったうえで、それでもシャノーラの事を考えてモニカに護衛の話を持ってきたに違いない。
「私の事を心配していただけるのは、分かっております。それ以上に、私の事を見出してくださったオズウェン殿下に、感謝を申し上げます」
「モニカ様」
すっと、テーブルから立ち上がって一度だけ礼をしたモニカ。こげ茶の髪の下からは、意志の強い緑の瞳が現れる。まっすぐとオズウェンを射貫いた瞳は、シャノーラを見て優しく細められた。
「騎士にはなれぬ女性の身ながら、シャノーラ様の護衛を任されるなど名誉以外の何物でもありませんわ」
オズウェンが学園に戻ったことで、襲撃は王宮よりも容易くなった。けれど、オズウェン本人には側近であるラウルが常について回っている。となれば変えた矛先はシャノーラに向くはずだ。
オズウェンもラウルも、シャノーラの傍についていたくても性別も年齢も違うのだから、ずっと共にいることは不可能だ。
そこをカバーするために、オズウェンが見出したのはモニカ。答えを聞くのは遅くなってしまったが、モニカ本人はオズウェンに返事をする前にもうそのつもりでいたようだ。
「君のような友人が、シャーリーの傍にいてくれた幸運に感謝するよ」
「ありがとうございます。これからは、一層励みますわ」
オズウェンだけでなく、ラウルまでもほっとした様子で胸をなでおろした。王太子妃として知られているシャノーラに、護衛はいる。シャノーラ本人には知らせていないが、こっそりと学園でも様子を伺ってはいたのだ。モニカが話を受けてくれたことで、見た目にはシャノーラがただ友人と仲良く過ごしているだけにしか思えないだろう。その実、護衛としてずっと共にいるとは感づかれるかもしれないが、それは大きな声では言えないはずだ。
「モニカ様、あの、本当に」
「ええ。シャノーラ様は、私が傍にいることはお嫌ですか?」
「そんなことはございませんわ!」
「なら、問題ないんじゃないかな。よろしくね、モニカ嬢」
それからは、ラウルも交えて楽しいランチ、と呼べる時間が過ぎていく。モニカはラウルを知ってはいたが、言葉を交わすのは初めてだったようで少しばかり緊張した様子だった。
オズウェンとはあんなにも対等な様子で話を進めていたのに、かわいらしいところもあるんだな、とシャノーラはただ微笑ましく見守っていただけだったけれど。
「シャーリー、これからはモニカ嬢とも時々一緒にランチをしようか」
「オズウェン様がよろしいのであれば、私は構いませんわ」
「うん、それじゃあまたね。モニカ嬢には、今の話は内密に」
帰り際にシャノーラの肩を抱いたオズウェンは、秘密を共有するようなささやき声でランチの提案をする。シャノーラは断らないと分かっていたが、なんとなく、モニカにはまだ内緒にしておきたいと思ってのことだった。
オズウェンからの言葉に、きっと護衛としての話もあるのだろうと思って頷いたシャノーラは、モニカと共に次の授業へと向かっていく。
その道中で、モニカが前に言っていた決めたこと、に思い当たったシャノーラは、そっと質問を口にした。
「もしかして、先日仰っていた決めたこと、というのは……」
「お気づきになられましたか? あの時点でお話は頂いていたのですよ」
くすくすと笑うモニカに、あの時近いうちに伝えられると言っていた意味もようやく分かった。気付かなかっただけで、前からモニカに助けられていたのだと思うと、シャノーラの胸に熱いものがこみ上げてくる。
「モニカ様、本当に、これからもよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。シャノーラ様」
得難い友人が、護衛としても共に居てくれる。この友人に恥じない自分でいよう、とシャノーラはぎゅっと手に力を込めた。




