15.
ソファー越しにシャノーラを抱きしめているのは、オズウェン。肩に顔をうずめるようにしているのは、今までのオズウェンだったらあえてしてこなかったスキンシップだ。
オズウェンがどれだけ婚約者はシャノーラしかいないと主張しようとも、学園を卒業していない間は、王家の慣習という壁が立ちはだかる。だからこそ、オズウェンもシャノーラも必要以上に肌を触れ合わせることはなかったのに。
「おはよう、にしては少々日が昇りすぎですな、オズウェン殿下」
オズウェンからのスキンシップに慣れていないシャノーラを助けるようなタイミングで、ゴーディーが声をかける。オズウェンから見れば、シャノーラが見舞いに来てくれていた時に会えていないうえに、自身はずっと寝ていたのだからおはようでもいいのかもしれないが、もう太陽はずいぶんと高く昇っている。
この時間の挨拶ならば、違う言葉の方がしっくりくるだろう。
「それならゴーディーだったら、どう挨拶をする?」
「ふうむ。この場合ですと……」
こんにちわ、でも通じるだろうが久しぶりの再会にもっと気の利いた言葉があるのではないか。難しい顔をして自身の顎を撫でているゴーディーと、眉間にしわを寄せているオズウェン。小さくあれはどうだと話しているけれど、どうにも納得のいくものは出てこないようで首をかしげては次の言葉を探している。
そんな二人を置いて、動いたのはシャノーラだ。肩を抱いたままのオズウェンの腕からするりと抜け出して、ソファーから立ち上がったシャノーラは、ゆっくりとオズウェンと向き合った。
「おかえりなさいませ、オズウェン様」
「――ああ。ただいま、シャノーラ。会いたかった……!」
「私も、お会いしたかったです」
先を越されてしまいましたな、と笑うゴーディーに、二人は一瞬きょとんとしたが、目を合わせるとくすくすと同時に笑った。けれど、シャノーラの瞳からはすうっと涙が線を作る。それがきっかけになりどんどんとあふれる涙を拭うシャノーラに、オズウェンはずっと寄り添っていた。
「さて、落ち着かれましたかな」
二人掛けのソファーに移動し、並んで座ったオズウェンとシャノーラ。ゴーディーが紅茶を淹れ直し、その湯気がおさまるくらいまで三人は無言のままだった。
まだシャノーラの目は潤んでいるし、擦ったところは赤いままだ。オズウェンはそんなシャノーラを見て、痛いものをこらえるような顔をしている。けれど、その顔をシャノーラに見せないように、と一度目を閉じると今までと変わらない微笑みを作る。
「シャーリーはどう?」
「はい、あの……オズウェン様、お恥ずかしいところをお見せいたしまして、申し訳……」
「シャーリー」
シャノーラの謝罪の言葉に、オズウェンは自分の言葉をかぶせることで最後まで言わせることをしなかった。誰かの言葉を遮るなど、礼儀がなっていないと言われても仕方のない行為だ。それを分かっていながらも、オズウェンはシャノーラにその言葉を言わせたくはなかった。
言わなければならないのは、オズウェンの方なのだから。
「恥ずかしいところなんて、何もないよ。それを言うのだったら、僕の方がたくさん見せてしまっている」
「オズウェン様、もしかして」
「ああ、全部覚えているよ。今までの事も、この間、迷惑をかけたことも全部」
シャノーラの姿が、オズウェンの無事を喜ぶその涙が恥ずかしいものだというものならば、オズウェンが記憶を失っている時の姿は恥ずかしいという一言では済みそうにない。
目を覚ましてから、自分の感情と記憶を整理している時に、オズウェンは何度も思ったことがある。自分の姿を客観的に捉えるのは、なかなかに苦痛なのだと。それが、子供のように振る舞っていた自分だということが更なるダメージとなる。
シャノーラの元に来る前、存分に悶えたその記憶は、いろんな人が取り戻そうと手を尽くしてくれたという事実と繋がるために、忘れたいとは思えなかったけれど。
「ひとつずつ、ちゃんとに説明するよ。けれど、まずはこの言葉を受け入れてもらえると嬉しいんだけど」
少しだけ腫れた目をしているシャノーラの前で、オズウェンはすっと腰を折った。そうして自身のブロンドの髪が視界を遮っているのにも関わらず、きっとシャノーラは驚いてその紫の瞳を見開いているのだろうなあ、と苦笑いする。
出来ることならその顔を慰める役は自分のものであってほしいと思うオズウェンだったが、深く下げた頭を戻すことなく言葉を紡ぐ。
「シャノーラ・リズロー侯爵令嬢。この度は大変なご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「オ、オズウェン様……」
「一番の不安も、重荷も背負わせてしまったのはあなただ。こんなもので、その気持ちに報いることなど出来ないとは理解している。けれど、どうか謝らせてはくれないだろうか」
焦ったようにシャノーラが上げた一言だけで、他に聞こえる音はない。ずっと様子を見守っているはずのゴーディーも、何一つ物音を立てようとしないままだ。
さら、と布の擦れた音が聞こえたすぐ後に、アイスブルーの髪がオズウェンの視界をかすめる。はっとしたオズウェンが顔を上げると、しゃがみ込もうとしていたシャノーラと目が合った。
「どうか、頭をお上げくださいませ。オズウェン様」
「シャノーラ」
シャノーラが自分と目を合わせようとして、しゃがみ込んだのだと気付いたオズウェンは、さっと姿勢を正す。中腰になりかけていたシャノーラはその場で動きを止め、ぎこちなくソファーに戻っていった。
そうして、シャノーラがソファーに身を預けたのを確認して、オズウェンもその隣に戻った。
「謝られることなど、何一つございませんわ」
「けれど、僕はシャノーラにひどい事を言ったし、見せてしまった」
記憶を取り戻す前、最後に言葉を交わしたのはシャノーラだ。そして、高台から落ちる姿を見せたのも、シャノーラにだけ。もちろんシャノーラにとってもその姿は衝撃だったし、実を言うのなら、今までその姿を夢に見て飛び起きたことだって少なくない。
けれど、その姿を見たからこそ、定まった気持ちがあるのも事実。
「あら。それでしたら私もたった今、ひどい姿をお見せしましたわ」
「そんなことは……」
「ない、はずがございませんわ。今までオズウェン様にはお見せしていなかった、涙ですもの」
今までシャノーラに対しては王太子妃としてあるべく、必死にその姿を保っているのだと思っていたし、そうあろうと努力しているとは理解していた。
けれど、オズウェンが記憶を失った後からその雰囲気が変わったと感じていたゴーディーは、面白そうに片方の眉を上げたが声を出すことはなく、二人の姿を見守っている。
けれど、オズウェンはこのようにちょっと強気に出るシャノーラの姿を知らないはずだ。さて、どう反応するかとゴーディーが見守っている前で、案の定オズウェンは少しだけ慌てている様子だった。
「それは、これからは……見せてくれると。そう、取ってもいいのかな」
「そう取っていただいて構いません。私は共にあると決めたのです」
弱みになるようなものを見せないように。それは、オズウェンも言われ続けている事だ。王族が簡単に感情を表に出して、相手に悟らせてはいけないと教えられてきた。
感情を押し込めるためにオズウェンは笑顔を絶やさず、シャノーラは表情をあまり動かさないようにするという正反対の方法だったけれど。根底にあるのは、同じ教え。
いっそ愚直だと思えるくらいに教えを守ってきたシャノーラは、オズウェンにだって涙は見せたことがない。それを見せてもいいと思ってくれたことが、オズウェンに対する気持ちの変化だろう。
「それが、どんなオズウェン様であっても、隣に立ちたい。今回の件で、改めて思いました」
「シャノーラ、ありがとう」
そんなシャノーラがどんなオズウェンとでも隣に立ちたいと、願ってくれた。それだけでオズウェンは泣きそうなくらいに嬉しかった。
どうにかシャノーラに感謝の言葉だけを伝えることが出来たが、それ以上は言葉にならず、再び沈黙が二人の間に横たわる。
「オズウェン殿下、説明にいらしたのではなかったでしたかな」
おほんとわざとらしい咳ばらいをしたゴーディーは、オズウェンの気持ちを察しているのかにやにやとしている。沈黙の理由を作り出したシャノーラは、自分がどれだけオズウェンの心を揺さぶったのかに気付いていない。きょとんとしてから、何かを思い出したようにはっと小さく息を吐いた。
「申し訳ありません。話を遮ってしまいました」
「いや、むしろ遮ったのは僕の方だ。それに、シャーリーの気持ちを知ることが出来て、本当に嬉しいよ」
顔を隠そうとしたシャノーラの手を取ったオズウェンは、そのまま自分の口元に近づける。そのまま、シャノーラの手の甲に、そっと触れるだけの口づけを落としたオズウェンは、幸せそうに蒼の瞳を細めて笑った。




