14.
「シャノーラ様」
「ゴーディー様、どうかなさいましたか?」
「今日は、この爺とお茶でもいかがですかな」
オズウェンは、まだ目を覚まさない。あれから五日、ラウルはそろそろ待ちくたびれたと笑っているが、オズウェンの傍を離れようとはしないらしい。
それは、オリバーも同じだ。オズウェンに影がいることは公には知られていないので、行動できる範囲は限られているが、王宮の書物を手あたり次第に漁っているようだ。
シャノーラも、医務室で眠っているオズウェンのお見舞いをしている時に、一緒になって本を読んでいたり、声をかけたりと出来ることはしている。けれど、オズウェンの瞳は固く閉ざされたままだ。
今日も手ごたえはないだろうか、と少しだけ落胆した気持ちのままに医務室に向かっていたシャノーラに声をかけたのは、ゴーディー。目元のしわを深くして、朗らかな挨拶を向けてくれたゴーディーに、シャノーラは首を傾げた。
「オズウェン殿下の話を、聞かせてもらいたいと思いまして。今後使う機会はない事を願っておりますが、記憶を失っている時の話を」
すっと近寄って声量を落としたのは、ここが王宮のなかで誰がどこで聞いているかが分からないから。医務室に近い場所だが、今はオズウェンが臥せっていると誰もが知っている。それなりに往来もある場所にも関わらず、ゴーディーが声をかけたのは、この場を逃すと医務室では話が出来ないからだろう。
小さく頷いて了承の意を示したシャノーラに、ゴーディーはほっとしたように息を吐いた。
「そういうことでしたら。私が覚えている範囲でも、よろしいでしょうか」
「もちろんです。乳母やメイドからも話を聞いておりますので、確認も兼ねております」
オズウェンの目覚めのきっかけとなるものが、見つかるかもしれない。もしこれでオズウェンの記憶が戻らなかった時のために、今までの行動を分かるようにしておくことも大切なことだとは、シャノーラだって理解している。
オズウェンの私室に一人きりだったことはないので、誰かが行動をすでに報告しているものだとばかり思っていた。けれど、オズウェンの事で慌ただしくしているので、後回しになっていたのかもしれない。
そう考えれば、シャノーラに声がかかるのが遅れたのも仕方ないのだろう。
「あの日、庭でどのような話をしたのかも、差し支えなければ」
「……あの場には、私しかいませんでしたものね」
庭に誘い出されたのはおそらく、ゴーディーも知っているはずだ。きっと、離れた位置に護衛も配置されていただろう。けれど、あの場に向かう道中やガゼボでの話は、シャノーラ以外誰も知らない。
「辛い記憶だというのは、重々承知しております。不躾な質問だとも。ですが、あの時間を知るのはシャノーラ様だけなのです」
「頭をお上げください、ゴーディー様。必要なことです。それに……」
目の前であんな行動を起こしたオズウェンの事を、思い出せというのは酷だろう。それを分かっていて教えろと言わなければならない、自分の事をそう思っているのかもしれない。
ゴーディーが浮かべたのは、自嘲を隠さない笑みだったのだから。シャノーラはその表情を最後まで見ることはなかったが。
「私なら、大丈夫ですわ。オズウェン様を、信じていますから」
「本当に、立派な淑女に成長なされましたな」
顔を上げたゴーディーは、今度こそくしゃりと表情を歪ませた。
「今日は少々冷えますからな。温かいものをご用意しております」
移動したのは、医務室の近くではなく、オズウェンの私室にほど近い部屋だった。いつもはラウルやオズウェンと一緒に移動するからか、シャノーラは何となくの位置しかわからないところだ。
急遽用意した、というには整いすぎている部屋に、カチャカチャと手慣れた様子の音が響く。
「お気遣いありがとうございます。いただきますね」
確かに、今朝はいつもより少し肌寒かった。学園でもモニカに体を温めるというスパイスを使った紅茶を勧められたし、実際その紅茶は独特の香りだったけれど飲み終わると体がじんわりと熱を持ったような気分だった。
思っていたよりも自分の体は冷えていたのかもしれない、そう思ったシャノーラはゴーディーが用意してくれた紅茶に口をつける。
その向かいでは、ゴーディーも自分用のカップに紅茶を注いでいる。
「なあに、年を取りますと少しの寒さでも節々が痛みましてな」
「ゴーディー様は、まだまだお元気でいていただきませんと」
「ラウルには年寄りぶるなと言われましてな。あやつには、年上を敬う気持ちが少々足りんようです」
お茶の用意だけでなく、お茶菓子を準備するのもゴーディーだ。シャノーラが手伝おうとしたら、誘ったのは自分からだから、とやんわり断られてしまった。
ラウルの事を口ではそう言いながらも、ゴーディーの顔には優しい笑みが浮かんでいる。自分では気づいていないその表情を指摘したら、ゴーディーはどんな様子を見せるだろうか。
きっとあれこれ言いながらも、やることは変わらないんだろうなと思ったシャノーラは、ほんの少しだけ胸にすきま風が吹いたような気がした。
「ラウル様と、オズウェン様とも仲がよろしくて、少し羨ましく思いますわ」
「赤子からの付き合いですからな。ラウルも言い合いできる相手が少ないのでしょう。こんな爺でも、まだ役に立てることがあるようで何より」
綺麗にカットされたアップルパイは、ほんのりとシナモンの香りを漂わせてシャノーラの前に差し出された。
さくり、ではなくじゅわりと沈み込むフォークは抵抗なく一口にパイをカットする。茶色に染まったリンゴと、隠れるようなカスタードはそれだけで美味しいと分かる艶めきをもって、シャノーラを誘惑している。
「私としては、シャノーラ様のように一緒にお茶を楽しめる孫が欲しいところですが」
「まあ。私でよろしければ、いつでもお誘いくださいませ」
「今の言葉、しかと聞きましたからな。シャノーラ様はアプリコットはお嫌いかね?」
同じようにアップルパイを楽しんでいたゴーディーの口元についた、パイのかすをちょんちょんと自身の口元を指して教えたシャノーラの胸には、じんわりとあたたかいものが広がっていく。
それは、紅茶の温かさであり、ゴーディーの言葉から伝わる温もりだ。
それ以降は、ゴーディーの口から幼いラウルやオズウェンの様子を聞いても、あの日の話を説明しても、シャノーラの胸にはすきま風など吹くことはなかった。
「さて、シャノーラ様をこのように長く引き留めてしまったと知られたら、オズウェン殿下に羨ましがられてしまいますな」
大き目にカットされていたアップルパイも食べ終わり、紅茶のお代わりも楽しんだ。合間にあれこれと事情説明にしてはずいぶんと気楽な会話も挟んだけれど。
普段だったら、オズウェンがシャノーラが足りないと言って割り込んでくるだろう。そして、自分を差し置いて美味しい紅茶とお菓子を楽しんでいたことを指摘してはふてくされるのだ。
そんな様子は、あまりにも簡単に目に浮かぶ。けれど、それは未だ叶うことのない光景。
「オズウェン様は、まだ……」
「分かってるじゃないか、ゴーディー」
叶うわけ、ないと。そう思っていたからだろうか。シャノーラは、聞こえてきた声に反応することが出来なかった。
かつかつ、といつもだったら立てることのない足音を規則正しいリズムで鳴らした声の主は、ソファーから動けずにいたシャノーラの後ろで止まる。
ふわりと肩を包み込むのは、ずっと待ち望んでいた人の温もり。ぎゅっと存在を確かめるようにシャノーラの肩に額をこすりつけているブロンドの髪は、太陽のにおいがした。
「オズウェン、さま……?」
「ずっと、こうしたいと思っていたんだ。会いたかった、シャノーラ」




