13.
「シャノーラ嬢」
「アントス殿下」
「兄様のところ、行くんでしょう?」
馬車止めから王宮に入った直後のシャノーラを止めたのは、聞き馴染みのある声。
少し前に声をかけられた時の様子と比べたら、ずいぶんと元気のないアントスの様子に内心、不安を覚えたけれど、それは表面に出すことなく心の内だけでとどめた。
恐る恐る、伺うように尋ねてきたアントスに、シャノーラは微笑みを浮かべたまま頷いた。
「その予定です」
「僕、僕も……一緒にいい?」
前回、シャノーラと一緒にオズウェンに会いに行こうとして遮られたからというだけではない。どうしてアントスがこのような表情をしているのか、理由に思い当たることはないが、目的地は同じだ。
今回オズウェンを訪問することは隠す必要がないので、シャノーラはもう一度、頷きを返した。なにより、シャノーラも不安なのだ。あれから三日経ってもまだ目覚める気配を見せないオズウェンに、会いに行くことが。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。アントス殿下」
オズウェンと五歳違いのアントスは、周りに人がいることが当たり前の環境にいる。この前、シャノーラのところに来たのだって、誰かに声をかけられる前に抜け出したから、迎えが来たのだろう。
馬車止めにほど近い場所で、シャノーラは声をかけられた。いろんな人が行き交う王宮とはいえ、このような場所に王子がいたら目立つ。それなのに誰も連れず、一人で待っていたのだろう。元気がないように見えたのは、誰も傍にいなかったことも関係しているのかもしれない。
「ゴーディーから、兄様の様子を聞いたんだ。まだ、目を覚まさないんだね」
医務室の方へと進むたび、すれ違う人は少なくなっていく。誰もがアントスの姿を見ると頭を下げたが、共にいるシャノーラに同じことをする人はあまり多くない。オズウェンと一緒の時でも、おそらく結果は同じだろう。
今までは立場が定まっていないから仕方がないと思っていたが、これからは頭を下げてもらえるように努力を重ねなければならない。そう意気込んでいたシャノーラの耳に、覇気のないアントスの声が届く。
「そう、みたいですね」
「そうみたい、って……シャノーラ嬢は兄様の事心配じゃないの?」
今日の事はまだ誰からも聞いていなかったので、ずいぶんと曖昧な返事になってしまったが、どうやらそれはアントスの気分を損ねるものだったようだ。
婚約者のことなのに、ずいぶんと他人事のように思っているとでも取ったのだろうか。心配しているからこそ、こうして毎日のように学園が終わってすぐ、王宮に立ち入らせてもらっているというのに。
「心配しないと思われますか?」
「そうとは言ってないけど」
少しだけ、シャノーラの苛立ちが伝わってしまったようだ。表情にまで出したつもりはなかったが、声はいくらか硬く、言葉も短かった。それを聞いたアントスも、不貞腐れたように唇を尖らせる。
カツ、カツと二人の間には床を叩く足音しか響かない。あとひとつ、角を曲がれば医務室に着くところで、沈黙を破ったのはシャノーラだ。
「オズウェン殿下は、出来ないことは私には言わないんです」
「シャノーラ嬢?」
「今までも、一度だって約束を違えたことはありません。それが、どんなささやかな約束でも」
幼いころに、定まった婚約。それから今までたくさんの時間を重ねてきたけれど、オズウェンが口にしてきたことは、必ず叶えられてきた。
婚約者となってすぐ、手に入れるのが難しかった刺繍の見本の話を何気なくしたら、次に会うときにプレゼントされた。今なら、あれは無茶に近い我儘だったと分かるのに。
初めての公務で、緊張していた様子だったオズウェンに、少しでも気が紛れるようにとその地域ではありふれた花を教えたら、花束になってシャノーラの手の中にあった。
そうやって、積み重ねてきたのは時間だけではない。
「ですから、オズウェン殿下は必ずお目覚めになります。ならば、私は待つだけです」
オズウェンは、シャノーラの信頼を裏切らない。それは、今までオズウェンの隣にいたシャノーラにとっての当たり前となった。オズウェンがそうなるべく、見えないところで努力を重ねていることを知っているからこそ、シャノーラも隣に立つために相応しくありたいと、どんな難しい課題だってこなしてきたのだから。
言い切ったシャノーラに、アントスからの返事はなかった。
「シャノーラ様。アントス殿下とご一緒でしたか」
医務室で出迎えたゴーディーは、少しだけ乱れた髪をささっと直しながら二人に椅子を勧める。アントスはストンと大人しく座り、シャノーラはちらりとオズウェンの眠るベッドに視線を向けてから、椅子に腰かける。
「ゴーディー様、ご様子はいかがでしょうか」
「先ほど、国王陛下と王妃様がお声をかけにいらっしゃったのですが、まだ……」
「父様と、母様が……」
国王と王妃が忙しいということは、アントスがよく分かっている。そのなかでも、オズウェンの顔を見るためにここまで足を運んだのだから、心配しているというのが良く伝わったのだろう。
俯いてから、ゆっくりと顔を動かしたアントスの先には、眠ったままのオズウェンがいる。
「アントス殿下も、兄君にお声をかけていただけないでしょうか。きっと、届いておりますよ」
そんな様子を見て、ゴーディーがアントスを促した。困惑した様子のアントスを説得するかのように、ゴーディーの言葉が続く。
「私は、シャノーラ様と少し席を外します。どうか、お願いいたします」
すっと視線を向けられたシャノーラは、心得たように頷いてから立ち上がった。案内されるままに扉をくぐり、少しだけ奥に入る。完全に扉を閉めたわけではないから、向こうもこちらも物音は聞こえるが、潜めた声はきっとアントスの元までは届かないだろう。
「ゴーディー様、お話があるのですね」
「話が早くて助かります」
オズウェンが眠るベッドがある部屋の隣、薬品が所狭しと並んでいるここは医師たちの作業場だ。シャノーラも初めて入ったが、たくさん並ぶ資料に薬草、調合のための道具などどれも興味をそそられるものばかりだが、今はその話をするべきではない。
「オズウェン殿下が、記憶喪失になったきっかけを覚えておりますか?」
「リベール領で、落馬されたと聞いておりますが」
ラウルからはもっと詳しい話も聞いているけれど、ゴーディーとはどこまで話を共有しているかが分からない。アントスに聞こえているかもしれないという事を考えたシャノーラが、小さく答えた。ゴーディーも頷いた後、小さな声でシャノーラに耳打ちした。
「手を下した者が、分かったかもしれません」
ガタンッとシャノーラの手元で器具がぶつかる音が響く。慌ててシャノーラは視線を扉に向けたが、アントスがこちらにやってくることも、声が届くこともなかった。
安心したように深く息を吐いてから、シャノーラはゴーディーに顔を向ける。
「もし、本当にその者がオズウェン殿下を狙っているならば、今は格好の機会でしょう」
「部屋に、騎士の姿が多いのはその可能性があるからでしょうか」
「ええ。その通りです。シャノーラ様にも手が及ぶやもしれません。どうか、お気を付けください」
「私の護衛を増やすと、相手に気付いたと知らせるようなものですからね。ご忠告、ありがとうございます」
医務室に入ってから護衛が多いとは思っていたが、アントスが来ることを事前に知っていたからなのかと思っていた。そのような理由があるのならば、部屋に護衛を固めているのも当然だろう。
このタイミングでシャノーラに護衛がついたり、今までと違うような動きを見せたら、相手に警戒されてしまう。ゴーディーから話を聞けて心構えができるのだから、それだけでも十分だ。
「このようなことしか出来ず、申し訳ありません」
「ゴーディー様には、十分にお心を砕いていただいております。
……私も、オズウェン殿下のお顔を見ても、よろしいでしょうか」
「ええ、きっとオズウェン殿下もお喜びになるでしょう」
あまりにも静かすぎると不審に思われると考えたのか、途中からシャノーラの声が大きくなる。それに合わせるようにゴーディーも声を張り、わざと足音を立てて扉に近づいていく。
そうして、先に戻ったゴーディーがアントスに声をかけた。
「アントス殿下は、もうよろしいのですか?」
「うん。僕が兄様に話せることって、少ないから」
来た時と同じ椅子に座っていたアントスは、動いたようには見えない。けれど、オズウェンの頭の近くの枕が不自然に沈み、少しだけしわが出来ている。シャノーラが隣の部屋に移動する前にはなかったものだ。
兄弟仲が悪いわけではない。けれど、王太子として公務に関わっている兄と、その背中を追うことしかできない弟。その様子も知っているからか、ゴーディーはいたずらっ子のような笑顔で、アントスに声をかける。
「おや。オズウェン殿下からは毎日のようにアントス殿下のご様子を聞いておりましたがなあ」
「え!? 兄様が、僕の事を?」
「もちろんですとも。とても、頼もしく成長なさっていると」
「そっか、兄様が……」
こらえきれなかった笑みが、アントスの顔に浮かぶ。今日、シャノーラが馬車止めで出会ってからずっと沈んだ様子だったアントスだったが、ようやく笑顔を見ることが出来た。
またオズウェンに話したいことが増えたな、と思っていたシャノーラはバタンと響いた音に驚いた。思わず跳ねた肩を見られたことが恥ずかしいのか、頬を押さえて顔を隠している。
「失礼します。ゴーディー爺さ……アントス殿下もいらっしゃったのですか」
「ラウル! シャノーラ嬢のこと任せたよ!」
「ええ、もちろんです。え? アントス殿下?」
ノックも、入室の許可もないまま医務室に入ってきたのはラウル。やれやれと溜息一つで済ませるゴーディーの様子から、きっとこれがいつもの事なのだと感じ取れる。
アントスの姿を認めたラウルは、さっと礼を見せた。そんなラウルに構うことなく、立ち上がったアントスは駆けだしそうな勢いで医務室を飛び出していった。
医務室の護衛が何人か慌ててその背中を追いかけて行ったが、入れ違いになったラウルはどうしてそんな状況になったのかを呑み込めていないのだろう。
それでもちゃんとに返事をしていたのは、ラウルのすごいところだ。
「ウィン様から、どう思われているのかをゴーディー様よりお聞きしたのです。きっと、嬉しかったのではないでしょうか」
「ああ、そういうこと。それじゃあ、シャノーラ嬢。馬車までお送りしますよ」
「よろしくお願いいたします、ラウル様」
きっとこれも、シャノーラを守るための手段だろう。アントスはそうとは知らずにシャノーラを馬車まで送るつもりだったようだが、飛び出して行ってしまったので、理由も知っているラウルがその役目を担ってくれるようだ。
それならば、馬車に着くまでの間で少しは話をすることが出来るだろう。学園での身の守り方なども、相談できるかもしれない。
「また明日もお会いいたしましょう。ウィン様」
そっと枕元に近づいてから、ささやくだけの挨拶をかける。相変わらず、瞳は固く閉ざされていて、深い蒼を見せてはくれなかったけれど。
それでもシャノーラには、確信があった。オズウェンは絶対、その瞳にまた自分の姿を映してくれるのだと。




