12.
「このような状況で、よく顔を出せるものですわね」
「さすがは氷姫。婚約者が倒れているというのに」
オズウェンがゴーディーに相談していたというのは、本当だった。あれから、あらかじめ手配してあったとしか思えない手際の良さで、話が進んだのだから。
戻ったシャノーラを出迎えたのは、心配そうな顔をした王妃。ガゼボでラウルと散々泣いて腫れぼったい顔をしているシャノーラを見るや、ぎゅっと抱きしめてくれた。その温もりで、また涙がこぼれてしまったけれど、王妃はずっと抱きしめていてくれた。
「そういえば、聞きまして? あの噂……」
「ああ、婚約者の座を渡したくない、と暗躍した方がいらっしゃるそうですが……」
「まさか、本当に?」
「前回のお顔のお怪我にも、関わっていると聞きました」
国王からも、頭を下げられてしまった。一国の王がこのような小娘に何を謝ることがあるのだと焦るシャノーラの動きを止めたのは、その王からの言葉だった。
これは、王としてではなく大切な人を傷つけると分かっていて行動した、馬鹿な息子の父としての謝罪だ、と。
そう言われてしまえば、断る理由など見つけられない。謝罪を受け入れたシャノーラを見て、安心したように笑ったのは、ただ息子を心配する父の姿だった。
「そうだとしたら、あんなにも堂々としていられるものでしょうか」
「氷姫だったら出来るだろう。なにせ、表情をピクリとも動かさないんだから」
シャノーラが出来ることは、変わらない。学園で普段と変わらぬ生活を送ること。どのような噂が流れようとも、いろんな感情を持った視線を向けられようとも、動じずにいる姿を見せる。ただ、それだけだ。
オズウェンは、階段で足を踏み外して療養中となった。自分から飛び降りて、その衝撃で失った記憶を取り戻せるかを試した、なんてどう考えても外に出せる内容ではない。
けれど、これでも記憶が戻らなかったら、徐々に表舞台からは遠ざかるしかないだろう。国王陛下と王妃様が許可を出したということは、そういうことだ。
「シャノーラ様」
「モニカ様、お騒がせして申し訳ありません」
朝からざわめきが飛び交っている学園で、シャノーラの姿を見つけて駆け寄ってきたのは、モニカ。いつもは明るく輝いているグリーンの瞳が、不安で揺れている。
家がオズウェンの護衛に関係しているとは、モニカも隠していない。けれど、それ以上に何かを抱えているようなモニカの様子に、シャノーラはわずかに首を傾げた。
もしかしたら、学園の様子が気に障っているのかもしれない。朝からこのような声が絶えないのだから、さぞうんざりとしたことだろう。シャノーラは、オズウェンの婚約者として名前が挙がったその日からいろんな声にさらされ続けているので、もう慣れたというか聞き流せる術は覚えているけれど、他の令嬢はそのような機会は少ないはずだ。
「シャノーラ様が謝る必要など、どこにあるのです。王太子妃に向かってあのような言葉を投げるなど……」
「幼少より、そうありたいと願って努力は重ねてまいりました。ですが、この身の先が定まっていないのも、事実です」
不安を映していたように見えた瞳には、落胆と、わずかに苛立ちが感じられた。学園は、貴族社会の縮図。分かっているはずなのに、王太子妃としてあるシャノーラに向ける言葉は、棘だらけ。それをシャノーラが咎めようとしないから、勘違いしたように声が大きくなることに、モニカは気付いている。その理由に、シャノーラの考えがあることも。
今日も変わらず、自分が王太子妃であると言い切れないと告げるシャノーラに、モニカは言葉を返そうとした。
「シャノーラ様、ですが」
「ですが。諦めては、おりませんよ。見苦しくとも、出来うる限りはあがいてみせると、約束も致しましたから」
モニカの言葉を引き継ぐようなシャノーラの凛とした声は、大きいものではなかったけれど深く響いた。
いつもと違う、この先を見据えたような返事。約束をしたという相手など、聞かなくても分かる。そう、定めたのだったら学園での噂など些事に過ぎないはずだ。
ふふ、と穏やかに笑うのは氷姫。アイスブルーの髪をさらりと靡かせて、噂の飛び交う廊下を涼しげな表情で歩いていく。紫色の瞳は細められ、口元はわずかに弧を描く控えめな微笑みは、普段と変わらない。
変わったのは、胸に宿る決意。それを感じ取れるのは、果たしてどれだけいるのだろうか。表情を崩さないその様子だけを見て、氷姫と言い出した生徒たちの中には、おそらくいないはずだ。
「その意志は、尊いものですわ」
先ほどまでの気持ちの揺らぎは、どこへいったのか。モニカはまるで傅くようにシャノーラの後ろに控えた。そのまま、歩みを止めないシャノーラにだけ聞こえるような声は、少し弾んでいた。
「私、一つ決めたことがございますの。きっと近いうちにお伝えできると思います」
「まあ、それは楽しみですわ」
「ええ、楽しみになさっていてくださいませ」
社交辞令でもなく、本当に楽しみにしているというのが分かる声だったので、モニカも自然と笑顔で答えていた。
その様子を見ていた生徒からは、こんな状況なのに笑っているだなんて声が大きくなっていたけれど、もうモニカの耳にも入らない。
そのつもりはなかったのかもしれないが、モニカの背中を押したのは、間違いなくシャノーラの決意だ。
シャノーラを本気で驚かせることになるとは、この時のモニカは思ってもいなかったけれど。
*
「シャノーラ様、よう来てくださりました」
「ゴーディー様、ご様子はいかがでしょうか」
オズウェンにつきっきりのゴーディーは疲れているだろうに、そんな素振りを見せることなく穏やかに笑っている。
私室ではなく、医務室で眠っているオズウェンは、まだ目を覚まさないそうだ。
「幸いなことに、下の花がクッションになりましてな。馬より高いところから落ちたというのに、怪我はすこーし頭を切った程度でしたわ」
「あの時、ラウル様が押さえていたところですね」
「私らもびっくりするくらい丈夫なんですよ、あの方」
ゴーディーの言葉を聞いて、シャノーラは安堵したように息を吐きだした。ラウルからも、大きな怪我をしている様子はないと聞いていたし、担架に乗せられた姿も見ている。けれど、落ちた衝撃はどこに負担をかけているのかが分からない。
落馬した時のように、記憶を失うことだってあり得るのだから。
「あとは、目を覚ますのを待つだけですが」
「寝坊ですわ、と起こして差し上げなければなりませんね」
くすくすと笑いながら告げるシャノーラの様子に、ゴーディーは目を丸くした。オズウェンが目を覚ますのを待ちます、という答えが返ってくるだろうと思っていたからだ。今までのシャノーラだったら、そうだったと思えるくらいの時間は、共にしている。
「ええ、ええ。そうですな。私らの声では起きてくださらぬようですので」
「私がお声をかけることは、可能でしょうか?」
「もちろんです。オズウェン殿下が起きたら、さぞお喜びになるでしょうな」
ここも違う。今までだったら恥ずかしそうにしていたシャノーラが、嬉しそうに笑っている。オズウェンに大切にされていることを分かっていながらも、どこかでそれを他人事と受け止めていたシャノーラが、自分の事だと受け取ったのだ。
その変化に気付いたゴーディーは、目元のしわを深めて一礼した。
「オズウェン殿下、シャノーラです」
こんこんこん、と控えめなノックに応えたのは、目的の人物とは違う声の主。その声も、シャノーラは聞き馴染んでいるのでためらうことなく扉を開いた。
「シャノーラ嬢、ようこそ」
「あら、ラウル様だけですか?」
「……あっち。ちょっと交代してます」
ラウルがあっち、と指したベッドには、オズウェンと同じブロンドの髪が見える。すうすう、という規則正しい寝息と、上下する上掛けの動きで深く寝入っているのはすぐに分かった。
珍しいと思いながらも、シャノーラは音を立てないように慎重に移動する。オズウェンの眠るベッドに辿り着くまで、静かな寝息とかすかなヒールの音しか聞こえなかった。
「さっきまではここにいたんですけどね。あまりにひどい顔だから一回寝ろと押し込みました」
「それで、抵抗しないのがオリバー様らしいですね」
「それくらい、あいつも限界に近いってことです」
ここ、と示した椅子には、ラウルがどっしりと座り込んでいる。この位置は、ベッドで寝ているオズウェンの顔が丁度見えるように考えられているのだろう。隣にシャノーラが座れば、ラウルは視線をオズウェンに向ける。
「やっぱり外傷はほとんどないみたいです。無意識にでも、受け身をとれるんだからさっさと思い出せばいいのに」
「思い出せなかったら、また一から思い出を作ります」
「シャノーラ嬢……」
ガゼボで、ラウルとこの件を一生言い続けると話した。自分の気持ちも伝えると、約束した。けれど、それはオズウェンが記憶を取り戻すことが前提の話だ。
もし、このまま忘れてしまったままだとしたら、知らないことを延々と責められることになってしまう。そうではなくて、まっさらになってしまったのであれば、新しく作っていこうと決めたシャノーラは、きっぱりと言い切った。
「いい顔に、なりましたね」
「覚悟を決めました。今更だと思いますが」
「いいえ、十分です。ありがとうございます、シャノーラ・リズロー侯爵令嬢」
オズウェンと、共にいたい。それが、王太子妃ではなくても。




