10.
結局、学園には目を腫らしていた時の分の公務が滞ってしまった、と無理やりな理由付けをして、休みを延長した。オズウェンは王太子といえども、学園で過ごす時間を蔑ろにするような人ではないとは誰もが知っているけれど。
それでも、卒業間近で公務に追われるようなことがあるとすれば、婚約者を定めるつもりなのかもしれないとどこからともなく噂が流れれば、貴族の関心は面白いくらいにそちらを向いた。
上手く噂を流したのはラウルで、シャノーラが協力したことといえばその噂を学園で聞いても、いつものように表情を変えずにいるだけ。つまりは、いつも通りというわけだ。
オズウェンの現状を知っている者は、焦っている。これ以上休みを引き延ばせないというのもあるし、このまま記憶が戻らないのではないかという不安だってある。
「シャノーラ様、お顔の色が優れませんわ」
「モニカ様には、隠せませんわね」
「今日はもう、寮でお休みなさいませ。連絡は私がいたしますから」
「……お言葉に甘えさせていただきます」
モニカも、ぼんやりとオズウェンを取り巻く状況を知っているのかもしれない。けれど、はっきりと口にしないのは、どこからもそれが公式情報として流れていないのを知っているから。
この会話だって、昼休み、それもいろんな人がいる食堂で隠そうとはしていない。けれど、これでシャノーラが姿を見せなくても、体調がすぐれずに寮で休んでいると分かっただろう。
モニカに向けてゆっくりと頭を下げたシャノーラは、そのまま寮の部屋ではなくて馬車止めへと向かう。行き先は、もちろん王宮だ。見計らったようなタイミングの良さでやって来たラウルと共に、さっと乗り込めば馬車は静かに走り出す。
「シャーリー」
「はい、なんでしょう」
ラウルはオズウェンの側近だからか、すんなりと学園を休めたそうだ。少なくとも、シャノーラのようなひと芝居を打つ必要はない。期限は迫っている。その間はなんでもやろうと決めたシャノーラだったが、出来ることはこうして王宮に通ってオズウェンの話し相手をすることくらいだ。
いつものように訪れたシャノーラを笑顔で迎えたオズウェンは、くいくいとわずかに袖を引っ張って問いかける。
「きょうはね、ゴーディーにおねがいしてあるんだ。外に、さんぽに行こう」
にっこりと蒼の瞳を細めるオズウェンはとてもかわいらしく笑うが、散歩、という言葉にシャノーラは身構える。
国王と王妃は、オズウェンの記憶がこのまま戻らなければ、現状を発表するしかないと考え始めている。けれど、まだ王宮の中でも最小限の人数だけで留められているはずだ。それは、オズウェンがわがままを言わず、かんしゃくを起こさずにずっと私室にこもってくれているからだろう。
今、外に出ることが正しいことなのか、シャノーラには判断がつかない。なので、きっと判断を下してくれているだろう人の名前を出して、オズウェンに聞いてみることにした。
「ラウル様には、お伝えしましたか?」
「ゴーディーが今はなしてるはず!」
記憶を失う前から、オズウェンはシャノーラに隠し事はするけれど嘘は言わない。そして、それは記憶を失っている間でも変わらなかったようだ。シャノーラはオズウェンが隠し事をしている時に気付けるかどうかは半々だけど、今回は隠すようなことなどないはずだ。
「それなら、私が断る理由はございませんわ。行きましょうか、ウィン様」
ゴーディーから許可が下りているのであれば、散歩の範囲にはオズウェンの現状を知る人しかいない。ならば、シャノーラがオズウェンの誘いを断ることなど、なにもない。
廊下に続く扉に体を向けようとしたシャノーラは、クンッと何かに引っ張られたように動きを止めた。
首を傾げたシャノーラが見たのは、じわじわと頬を赤く染め、嬉しそうに緩む口元を押さえているオズウェン。
「あの、シャーリー? 今のって」
「ウィン様が、私をそうやって呼んでくださるのですもの。私だって、ずっとそうお呼びしたかったんですよ?」
記憶をなくしたことも分からないオズウェンに、違う名前で呼びかけて混乱させてしまわないかと思っていたのも本当。けれど、ラウルに言われたからではなく、本当はずっとオズウェンのことをそう呼びたかった。
「うん、うん……ありがとう、シャーリー。小さい頃から呼んでくれているね」
「ウィン様、今の……」
「ん? なあにシャーリー?」
嬉しそうに笑っているだけではない、何か小さな呟きはあった。けれど、それはシャノーラが想像した希望の言葉であって、ただの幻聴なのかもしれない。
思わず聞き返したシャノーラに、今度はオズウェンが首を傾げる。もしかしたら、自分が何を言ったのかを理解していないのかもしれない。
「いえ、お散歩に参りましょう。楽しみですね」
今までのエスコートのようにお手本のような手の組み方ではなかったが、繋いだ手から伝わる力強さは、いつもと一緒だった。
「このじかんだったら、にわにちょっと出てもいいんだって」
「どのくらいで戻ればよろしいのですか?」
「ラウルが来るまで、だいじょうぶだってゴーディーが」
それは、ゴーディーがラウルを引き留めていると言うのではないだろうか。あれこれと話を聞きながらもオズウェンの様子が気になってそわそわしているラウルと、今すぐにでもこの話を切り上げて私室に向かいたいだろうことに気付いているのに、時間を延ばせと言われたばかりに話を続けるゴーディーの姿が簡単に想像できてしまう。
とはいえ、落馬してからずっと部屋にこもっていただろうオズウェンにとっては久しぶりの外の空気、新鮮なものばかりだろう。
シャノーラと繋いだ手は離れる気配を見せないが、興奮しているのか少し高めの体温が伝わってくる。
「シャーリーは、この花がすきなんだよね」
「あら、私ウィン様にお教えしましたか?」
「ちょくせつ、きいたことはないかな。けれど、この花を見ているときのシャーリーは、いつもよりきれいだ」
また、だ。オズウェンの記憶の何かに触れたのだろうか。今、と記憶を失う前が混ざりあっているような言葉。オズウェンは自分のそんな様子に気付いていなさそうなので、シャノーラは冷静に対応するしかない。
けれど、そうか。花を見ている時に綺麗だと思ってくれていたのか、と予想もしていなかったところから自分の評価を聞いたシャノーラは、嬉しくなって目元を緩ませる。
「ほら、これもきれいだよ」
あっちこっち、と動き回るオズウェンについて回っているうちに、私室から離れた場所に向かっていることに、シャノーラは気が付いた。オズウェンは夢中なうえに、まだラウルの姿は見えない。けれど、これ以上離れてしまうと誰かが通りかかったときに対応が難しくなってしまう。
せっかく楽しそうにしているけれど、ここは一言断りを入れなくてはならないだろう。
「ウィン様、こちらは少し離れてしまいますわ」
「だいじょうぶ、だからついてきて。おねがい」
少しだけ落ち着いたような声だったからか、シャノーラもあまり疑うことなくオズウェンの言葉を受け止めた。ゴーディーとラウルが話しているのであれば、きっとこの辺りまででも人払いがされているだろうとも。その考えを肯定するかのように、そこそこ長い時間庭で花を見て楽しんでいたけれど、誰もこの場所に来ることも誰かの話し声が聞こえることもなかった。
シャノーラの無言を、ついてきてくれると取ったのだろう。オズウェンはふふっと少しだけ笑ってその先へと進んでいく。
「まあ……」
進んだ奥には、静かにこの国を見渡せるように作られたガゼボがあった。王宮の中庭なのに、この場所は今までシャノーラも知らなかった。咲き誇る花は、この場を訪れた人の目を楽しませてきたのだろう。ほう、と感嘆の息をもらすシャノーラを見て、オズウェンは安心したように笑った。
「ちょっと前に、はなしをきいてしまったんだ。ぼく、がわすれたたいせつなものは、きおくなんだね」
「どこで、それを……」
ガゼボの縁に腰かけて、シャノーラを見つめているオズウェン。その視線を受けたシャノーラは、オズウェンの言葉を聞いて目を見開いた。
ハッとして口元を押さえたが、一度出てしまった言葉を取り消すことなど出来はしない。申し訳なさそうに視線を揺らしたシャノーラに、オズウェンはごめんと小さく呟いた。
「立ちぎきするつもりはなかったんだ。けど、ラウルの声ってよくきこえるから」
ラウルだって、当然気を遣っていた。オズウェンの傍にいる時間が長いからこそ、シャノーラよりもずっと。きっとこれもオズウェンが聞くつもりも、ラウルは聞こえているとも思わないような場所だったのだろう。けれど、結果としてオズウェンが自分が記憶を失ったことに気付いてしまった。いつから知ってしまったのかは、分からないが、ずっと抱え込んでいたに違いない。
オズウェンは、そういう人だから。
「ラウルはわるくないんだ。だれも、わるくない」
「ウィン様、そちらは危ないです。お戻りください」
すっとガゼボから離れたオズウェンが向かったその先には、何もない。けれど、地面が続いていないことはシャノーラにも分かった。慌てて引き留めるように叫ぶが、声が届いているはずなのにオズウェンは歩みを止めようとはしない。
何をしようとしているのかなんて、考えなくても分かる。ガゼボから飛び出したシャノーラは、時が止まったような錯覚に襲われた。
「すぐに、ゴーディーが来るよ。だから、だいじょうぶ。かなしませて、ごめんね。シャーリー」
「ウィン様!!」
シャノーラの手は届かず、オズウェンは花弁が散る中で倒れ伏していた。




