1-7 失せモノ
朝日が登り人々が会社や学校に到着して街が機能し始めた時間、簡易ベッドの広いとは言い難いスペースで目覚めたサラは手脚をベッドからはみ出すように伸ばして、凝り固まった筋肉をほぐす。
脱力してだらりとベッドから垂れ下がった腕は何故か転がっている空薬莢を転がしてカラコロと音を立てる。
「片付けねぇとな……」
毎朝、目覚める度に混沌とした寝床の現状を嘆くものの一向にそれが改善される気配はない。
「メシ……」
寝ぼけた思考で原始的な欲求が目覚め、ノソノソと体を起こして牛歩のペースで身支度を始めたサラ。
散らかった生活スペースから新しい衣服を探すのは至難の業だが、この霊柩車の中で何年も生活しているサラにはお手のもの。
着替えも狭い空間で難なくこなしてシスターの服装──かつてはそうだった服で身を纏い、銃やその他の装備も身に付ける。
アレコレと身に付けた最後に手に取ったのは聖印。
サラが身に付ける衣服もこの聖印に因む聖職者の装束だが、改造された修道服と違いこの聖印はとても丁寧に、大切に扱われたものだ。
「行ってきます」
サラは聖印へ向かって──その向こうのどこか遠くへと──話しかけ、人前ではしないような弱さを滲ませた表情をした。
そして聖印は首から掛ける紐の付いた物だが、それを身に付けずにコンテナの上の目立つ所に置く。
「くぅ……うはぁ……」
霊柩車から出て、大きく伸びて欠伸をひとつ。
サラは未だ眠気が脳に纏わりついており、それを引きずったまま草原を歩く偶蹄類のような緩やかさで隣に建つダイナー〈ダイスロール〉へと向かう。
「おはよーさん」
カラリとドアに据え付けられたベルが鳴り、店内に響くと厨房やカウンターで作業する夫婦がサラを見つけて声を掛ける。
「おはよう、サラ」
「おっはよーう!」
「いつものヨロシク」
ダンテと共に活気溢れるダイナーを切り盛りするのが店長のこの女性、ベアトリス。
茶髪を後ろで纏めて、豪快に振る舞う快活な彼女はこの店を象徴する存在として常連から親しまれている。
「昨日来てたんだって?ゴメンねー居なくってさ」
「ダンテ居たし、飯食えたし、ダイジョブ」
眠気でユラユラと前後左右に揺れたままカウンター席──サラのいつも座る場所へと納まったのを見計らい、ベアトリスはコーヒーをサラの前に置く。
「ほら、シャキッとする!目ぇ覚ましな!」
「あい……」
角砂糖を幾つも放り込んでスプーンを回し、コーヒーを啜るサラにベアトリスは姉のように世話を焼く。
「髪梳かした?てか服ヨレヨレ……ってかズタボロじゃん!」
「どうせ銃撃戦したら穴空くし……」
「ったくもーズボラなんだから」
ベアトリスは手櫛でサラの赤い髪を梳かして、撫で付ける。
サラもコーヒーをチビチビ飲みながら黙ってされるがままに時が過ぎ去るのを待つ。
「ハニーからもなんか言ってよー」
「サラにはサラのスタイルがあるって事じゃないのかい?」
ハニーと呼ばれた大男──ダンテが厨房から顔を出し、手にはトーストと目玉焼きが乗った皿を持ってベアトリスの元へと歩いてくる。
「人にはそれぞれの生き方がある……とはいえサラが心配になるのは同感だね」
「だろー?流石ハニー」
料理を置く前にキスを1つ交わす2人を前に、サラは思考を放棄して朝食にありつける時を只々待つのみ。
無我の境地に至りかけた時、ようやく2人は愛を囁くのを止めて夫婦から店員へと姿を変える。
「おっと……お待たせ」
「朝メシ食う前にもう腹一杯なんだけど……」
「チップでも弾んでくれんのー?」
「勝手に口に捩じ込んどいてよぉ」
ベアトリスの軽口を受け流してモソモソとトーストを食み、コーヒーを啜るサラの姿にダンテはふと疑問が浮かび顎に手を当てながらサラへと尋ねる。
「そう言えばネウマさんは?今日は居ないね?」
「ん?あぁ、そういや居ねえな」
短くそう言って、サラは付け合わせのサラダをフォークで突きだす。
中々刺さらないミニトマトに僅かな苛立ちを覚えながら、何やら言いたげなダンテに少し苛立ちを含んだ言葉を投げかける。
「んだよ?言いたい事あるなら言えって」
「いや別に、どこに行ったんだろうね?ってだけさ」
「アイツの勝手だろ、アタシが気にする事じゃない」
「そうか、でも気にならないかい?」
「アンタの気になるってのをアタシにも投影しないでもらえる?」
「そんなつもりは無いけどね。尋ねてみただけさ」
幾度かの抵抗のあと、ようやく刺さったミニトマトを口へと運び噛み砕く。
口に広がる酸味に思わずサラは顔を顰めて、口直しにコーヒーで口内を洗い流してなお眉間に寄った皺は解れない。
「……つまりアレだ、アタシに探しに行けって事だろ?」
まどろっこしい迂遠な会話を嫌うように聞くサラへ、ダンテは笑みを崩さず問いを返す。
「別にそんな偉そうな事言わないとも。ただ私は友人として、年長者として厚かましく助言してるだけさ」
「助言ねぇ……アタシにとってどんな利があんのかおしえてくれよ」
怪訝な表情で、皮肉めいた笑みを浮かべたサラの吐き捨てるような言葉を真摯に受け止めたダンテはコーヒーのお代わりを注ぎながら諭すように語りかける。
「あの子は……ネウマは昔の君と同じだ。何も持たずに行く宛も無く、心細くただ彷徨い続けている。だが君はそんな彼女を助けて食事も与えて安心させた」
「成り行きだよ」
「だが、もっと強く拒否する事も出来ただろう?それなのに君はそうしなかった。心のどこかにあったんじゃないのかい?自分自身を重ねて放っておけないと、そんな優しさが」
「あったとしても上から目線の憐れみだよ、それは」
「それの何が悪いのか、私は別にネウマさんに衣食住を与えろと言っている訳じゃない。……彼女を通して君自身が救われるのではないかと思うんだよ」
「んだよそれ」
「君の中にある恐れや怒り……それらと折り合いをつける事が出来るのではないかって事さ」
あくまで友人からの言葉として選択肢を提示して、強制はしない。
とはいえサラとしては思い当たる部分もあるダンテの言葉に真っ向から否定は出来ない、そんな確実なモノの無い会話でサラは逡巡する。
「別にここで待っていれば来るかもしれない」
「でも待つという選択と、探すという選択は違うモノだ」
「じゃあアンタはアタシにどうさせたいんだよ……」
「君に選択して欲しいんだ」
真っ直ぐに目を見て心の奥すら見透かすのではないかと思うようなダンテから、サラは思わず目を逸らす。
すると急にダンテが頭を抱えて悪態を突き出して、サラは突然の出来事に目を丸くする。
「あぁっ!クソッ……今私は説教臭い年寄りになっていなかったか?」
「び、びっくりするな……年寄りって年齢でもないだろ」
「なんて事だ……若い頃嫌っていた存在に知らずのうちになってしまうなんて……」
自らの加齢に嘆くダンテを見て、サラは凝り固まった表情筋をようやく緩めて席を立つ。
「お互い折り合い付けるしかないよな……オッサン」
「あぁ、傷つくなぁ……君も若いうちに後悔しないように──ってこれも説教っぽいかな……?」
自分の言葉に雁字搦めになったダンテを置いて、サラは残ったコーヒーを飲み干した勢いのままダイナーの扉を開ける。
「ごちそーさん!ま、好きなようにやってみるさ」
「あぁ、またおいで。待ってるよ」
サラは後ろ手に手を振り、探しものを始める事にした──
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次回更新は明日4/4の21時と22時です。