1-5 ダイナー
暴れ回る薬中を倒したサラは追いついたネウマの言葉を背に帰路に着く。
キラキラと街頭ビジョンに照らされる街路を進み続けて、やがて少しづつ灯りよりも暗闇が目立ち出す。
あれこれと言葉を投げかけるネウマを無視してサラが立ち止まったのは、そんな暗闇を晴らすようにぽつりと建っているダイナーの前だった。
そのダイナーは周辺に広がる暗闇──特に整備されず街灯などもない空き地の一角に建っており、清潔で新しい建材にはカビなどもなく清潔な白。
赤い看板にサイコロが輝くそこは〈ダイスロール〉。
「まだ着いてくんの?」
「まぁ、そうなりますね」
「……」
呆れ顔のサラはもはやネウマを気にしない事にしてダイナーの扉を開ける。
夜風に冷えた肌をふわりと暖かい室温が撫で、同時に食欲をそそる香りが鼻腔を刺激する。
「いらっしゃい……おやサラか」
「晩飯食いに来たぜー」
ネウマはサラの言葉に今までとは違う柔らかさが含まれている事を不思議に思いつつも、キョロキョロと店内を見回す。
今は既に遅い時間である為に客もおらず、見えるのはカウンター席に座ったサラと、その対面に立つ男性店員──2mに迫る長身に盛り上がった筋肉、黒い肌にはうっすらと傷跡が残る戦士といった風貌だが、その瞳には理知が光るまさに紳士と言ったエプロン姿の彼だけだ。
「そちらのお嬢さんもお客さんで良かったかな?」
「え?あっはい!」
ニコリと笑う店員に促されたネウマは、慌ててカウンター席へと座る。
「……何故アタシの隣に?」
「なんとなくですかね?」
「もう奢らねぇからな」
膝をついてそっぽを向くサラを見て、店員はクスリと笑いながら問い掛ける。
「コーヒーでもどうかな?」
「コイツ金持ってねぇぞ」
「サービスさ」
「いただきます!」
店員はカウンターから離れ、白いよく磨かれたカップを取り出して、コーヒーメーカーからなみなみとコーヒーを注ぐ。
黒い波がカップの内側に打ち付けるたび、コーヒーの芳しさが漂う。
「良い香りですねぇ」
「サラはミルクシェイクで良かったかな?」
「ああ、あとバーガーな」
ネウマの前にコーヒーを置いた店員は、そのまま慣れた手つきでマシンを操作してグラスに注いだシェイクをサラの前に置く。
「サラが人を連れているのは珍しいね」
「勝手に着いて来てんだよ……」
「ネウマです!サラさんに救われました!」
「よろしく、私はダンテ。妻とこの店をやっているんだ。ご贔屓に」
そう言い残してダンテはサラのバーガーを作りに奥の厨房へと消える。
サラはストローでミルクシェイクを吸い上げて、ネウマはコーヒーの苦さに顔を顰めて悶絶する。
「にがぁぁ……」
「角砂糖あるぞ」
「ありがとうございます……」
ポトポトと角砂糖を3つ落としてスプーンでかき混ぜる。
カラカラと角砂糖とスプーンとカップが衝突して奏でる音も、ネウマにはとても心地良い音色だった。
「やけに楽しそうだな」
「ようやく心を落ち着けられる場所に来た感じがしまして」
「そうかい」
「サラさんも落ち着かれてますよね。ダンテさんとも親しそうでしたし……このお店は行きつけなんですか?」
「まあな」
「素っ気なさすぎじゃないです?」
「これ以上アンタに関わったら絶対面倒な事になんだろ……」
心底疲れたようにカウンターへと突っ伏するサラの鼻先へバーガーの乗った皿が置かれる。
「はいお待たせ、召し上がれ」
「サンキュー」
慎重に上下のバンズを掴み取り、中身を零さないようにバーガーへと齧り付くサラ。
行きつけの、何度も通った店のバーガーなのだがサラは幸せを噛み締めるように食べ進めてゆく。
ネウマはその様子を見て、やはりこの店はサラにとって特別な場所なのだと理解する。
「ここって行きつけ以上の、サラさんにとって大切な場所なんですね」
「第二の家みたいなもんか?第一の家は家と呼べるか怪しいけど」
そう言い終わると最後のひとかけらを口に放り込み、紙で手と口を拭いたサラは電子マネーによって送金し、席を立つ。
「なんか疲れたし帰るわ、ご馳走さん」
「はい、また来てくれよ。待っているからね」
「はいはい」
ダンテはニコリと笑ってサラを見送り、食べ終わった皿を下げる。
その様子を見たネウマは残りのコーヒーを慌てて流し込み、サラの後を追う。
「んぐっ!?あっつっ!?……ご馳走様でした!」
「はい、またのお越しをお待ちしております」
変わらず和やかな笑みを浮かべているダンテに見送られ、ネウマも席を立ち、ダイナーの扉を力強く開けてサラを追いかける。
扉に据え付けられたベルの音が強く鳴り、しかしその音は暗闇に吸い込まれて誰の耳に届いたかも分からない。
「サラさーん!」
夜の帳に消えた声に帰って来るものは何もないが、耳をすませばガチャリという何かの機構が動く音がダイナー横の空間から聞こえる。
「サラさーん?」
ネウマはゆっくり、ゆっくりと空き地となって砂や土や草が雑多に混じる地面を足の裏で確認しながら近づいて、ソレの輪郭が見えた。
ソレは黒いボディである為に、その正確な姿を近づいて捉える事が出来た。
ネウマに車の知識は無い為、彼女にはソレが何かは分からないが、ソレはステーションワゴンを改造した車両──霊柩車と呼ばれる物だ。
後部に遺体を移動させる為の大型の荷室を備えたその車両の前部の窓から見える範囲──運転席と助手席──に人はおらず、ネウマは後ろへと回り込む。
「あっ!サラさん!」
霊柩車の後部には、今まさに内側から扉を閉めようとするサラがおり、扉の隙間からネウマと目が合った。
「げっ……」
「げっとはなんですかぁ!」
「流石に寝る場所まで面倒見れねぇって」
「という事はこごサラさんの家ですか?なんというか……棺桶って感じですね」
「生きてるか死んでるかなんてのは些細な問題だよ」
「コンパクトな生き方で……その良い?のでは?」
「言葉選ぶデリカシーはあんのな。住めば都だし案外良いもんだよ」
そう、サラはこの霊柩車を寝床として生活している。
ステーションワゴンを改造した霊柩車をさらに改造して、棺桶を置く機能を廃して居住性を高め、見た目は不吉なものの都市生活においてはあまり不自由の無いキャンピングカーのような車両となっていた。
「へぇ〜良いですね!自分の城!って感じで」
「そうだな、なんだかんだで愛着も湧くよ」
「それで私にも愛着湧いてくれたり……?」
「しねぇなぁ」
「そうですかぁ……私どうしたらいいんでしょうね?」
「この季節ならそこらで寝てても大丈夫だろ」
「私ベッドは柔らかい方が好きなんですけど硬い地面で寝れますかね……!?」
「記憶喪失なのに変な拘りあんのな……」
サラが呆れながら再びドアを閉めようとして、サラがそれを縋って止める。
「まま、待ってください!なんか!ほら!道を指し示してくださいよ!」
「指危ねぇ!?ダンボールでも探しゃいいんじゃねぇかな!おやすみ!」
「ちょぉー!」
ドアを掴むネウマの指を引き剥がし、今度こそサラはドアを閉めて空き地には静寂が訪れた。
膝を付いたネウマは少しの間またドアが開くのを期待して、しかしまるで開く気配が無いと分かって空き地を包む闇の中へと消えていった。
「行ったか……はぁ、疲れた……」
ネウマが離れた事を確認して、サラは空気の抜けた風船のように息を吐きながらベッドへ深く腰掛ける。
霊柩車の荷室の大半の床面積は簡易ベッドに占められていた。
壁に向かって折り畳める物だが、サラは面倒くさがって普段から展開したままにしてある。
そのほかにも様々な物が車内には置いてあり、冷蔵庫に銃のメンテナンスの為の動画類や装備、服や雑誌に飲み物や食べ物の空いた容器。
雑多に散らばる仕事道具と、ゴミがサラの物臭な性格を表していた。
しかしその中で1つ、簡易ベッドの下に収められた大きなケースは気を使っているようで、いつでも取り出せるように邪魔になる物を退けてある。
「シャワーはもう明日でいいや」
装備や頭巾を脱ぎ捨て、荷室の隅に溜まった洗濯物の山へと放り投げ、サラは下着姿で寝転がる。
サラの露わになった肉体はよく鍛えられている、あるいは上等なサイバネティクスを装備していると表現されるものだ。
バランスよく筋肉が付いた肉体はアスリートのようであるし、彫像の美しさとも言えるが人工物のそれであるとも言えるだろう。
そう、サラは自身の脳以外の全てを置き換えているのだ。
培養された人工筋肉は計算され尽くした完璧な配置で肉体を構成して、内臓もあらゆる機能が生身を上回りメンテナンスも不要。
ブラックマーケットにすら出回らない、霊柩車で暮らすような1傭兵が到底持てる代物では無い。
身体には人工物である事を示すようにプリントされた黒いラインが走り、管理用のナンバーらしき物も幾つか入っている。
しかし何よりも目立つのは胸元。
そこには人工物でありながらも生の人間らしい痕跡──火傷の痕が残っている。
インクを伸ばすように広がる痕は、その下にある物を隠す為。
火傷痕の向こうの、僅かに残る痕跡は黒いタトゥー。
悪魔の顔の、そのひと欠片が睨むように刻まれていた。
「明日も付き纏われたらどうすっかな……」
サラはベッドから車の天井を見つめて思案する。
奇妙な記憶喪失の女、ネウマ。
彼女と遭遇してからの僅かな時間でサラは中々に心労が溜まっていた。
「ま、明日の事は明日考えりゃいいか……きっと今より良い明日が来るさ」
疲れに身を任せて、落ちる瞼と共にゆっくりと力を抜く。
サラは奇妙な事に、明日もネウマに会うであろう事に確信めいたものを感じていた──
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