同じ出生、異なる境遇
ちょっと乱暴に服屋さんの扉を開けて外に出ると、めちゃめちゃ慌てた様子を私を見てカターラさんがちょっと驚いた。
「びっくりしたぁ」
「あっ、す、すみませんっ」
「ん? さっきよりも耳赤いぞ? 大丈夫か?」
「なんでもありませんっ。わっ、わ、私は大丈夫ですからっ!」
「お、おう……」
あまりの私の慌てように、カターラさんはちょっと混乱してるみたい。
「なぁ、ザイル。何があったんだ?」
「アルルが店主にお礼を言おうとして噛んだ。お願いしましゅ、って」
なんで言っちゃうのザイルさんっ!
「フッ」
カターラさんはニヤニヤしながら鼻で笑った。
もう死のう。
今すぐ死のう。
「やっぱアルルは可愛いなぁ。うん。世界一可愛い」
「かっ、揶揄わないでください……」
「あーそのちょっと拗ねた感じも可愛いなぁ。これはもっとちょっかい出したくなるなぁ」
「……」
「わ、悪かったって……。そんな怖い顔すんなって……。表情読めねーと余計に怖いわ……」
顔の半分を黒い布で覆った私が無言の圧をかけていると、観念したカターラさんが苦笑いで謝ってきた。これ絶対反省してないやつだ。私にはわかる。
どうせ、私みたいなドジで間抜けな聖女なんて、カターラさんみたいなお洒落でかっこいい人に遊ばれるだけの人生ですよ……。
「じゃあ、次は晩飯の材料を買いに行くぞ。アルルの好きなもんを好きなだけ買ってやるから、それで機嫌直してくれよ」
なんかそれだと、私が食い意地張ってるみたいで嫌なんだけど……。
でも食べるのは嫌いじゃない。血がいっぱい採れそうなお肉をたくさん買ってもらおう。
「おいしいの作ってくれるならいいですよ?」
「ああ、任せろ」
服屋さんにローブを預けた私たちは、晩御飯の材料を求めて次のお店に向かう。
「あっ。そう言えば、アルルはどこに向かってるんだ?」
その道中、カターラさんがそんなことを聞いてきた。
「とりあえず『ファステレク』と言う町を目指してます」
「へぇ。結構遠いとこ目指してんだな」
「はい。あの町なら、勇者様の情報が何か得られるかもしれませんし……」
「ふーん」
すると突然、隣を歩くカターラさんの表情が曇る。
「アルルって……聞き込みとかできるの?」
「……」
私は、何も言えなかった。
聞き込みだって?
そんな超高等技術、コミュ障の私なんかが持ってるわけないでしょ。知らない人に話しかけるなんて、そんな【魔物】より恐ろしことを私なんかができるわけないでしょ。絶対に緊張して噛むし、声は裏返るだろうし、絶対に聞き込みなんてできないね。うん。
「がっ、が、が、がっ、頑張り、ます……」
「どう見ても頑張れそうにないな」
私の胸元から、ザイルさんが冷静に現実を突きつけてきた。だって知らない人に話しかけるの怖いんだもん……。
「まぁどっちにしろ、ローブが直るまで三日はここにいることになるんだから、ゆっくり行こうぜ」
私を安心させるためなのか、カターラさんは優しく穏やかにそう言ってくれる。
確かに、そんな焦る必要もない。誰かに私の秘密がバレたわけでもないし、特段急がないといけないこともないから、ゆっくり行こう。
「ちなみに、アルルはなんか食べたいもんあるか?」
血。
なんて流石に言えないけど、私の中に眠る【血貪竜】の発作を抑えるために摂れるだけ摂っておきたいから、私は遠回しに伝える。
「じゃ、じゃあ……。お、お肉が食べたいです……」
「えっ、聖女サマって、肉食うんだな……。意外だ……」
そういえば白明聖所に、お肉を食べちゃいけない流派のお家があった気がする。私の家、パーシアス家はそうでもないけど。
って、聖女以前に人ですらない聖女もどきが、聖女の規則を守ったところでなんの意味もないし……。ルール守って野菜だけ食べててもどうせ【竜】だからいじめられるだけだし……。
「もっとなんか、質素なもんだと思ってたわ。野菜とか葉っぱだけちまちま食べる感じ?」
「確かにそういうお家もありますけど、私の家は特にそういった決まりもないので……」
「へぇ……」
カターラさんは、なんか意味深な感じで相槌を返してくる。
そしてそのまま遠くの方を眺めながら、何気なくぼんやりと呟いた。
「アルルの家とか行ってみてぇなぁ〜」
「え」
急に何を言い出すんだこの人は?
「アルルの部屋とか絶対いい匂いするんだろ〜なぁ〜」
そんなの知らないけど……。
ってか私の秘密が知れ渡ってる白明聖所に、カターラさんを連れて行くなんて絶対嫌なんだけど……。
私は、私を知ったカターラさんが向けてくるであろう冷たい視線と、それに込められた黒い憎悪と怖い殺意を想像して、思わずすくみ上がると同時に、なんかすごく悲しくなった。
「あんな神聖な場所に、お前みたいな礼儀知らずの性悪傭兵が来たらみんな迷惑だろ」
すると、私の胸ポケットにいるザイルさんが、カターラさんに向かってなんかトゲトゲした言葉を投げかけた。
でもカターラさんは特に何も思うこともなく、しらっとした感じで何気なく私に話しかけてくる。
「よし、じゃああたしたちの分だけ買ってさっさと帰ろうぜ、アルル」
「……」
「わかったわかった、ザイルの分も買うから。ってかアルルの家にあたしがお邪魔したら、弟のサイダル君も迷惑だろうしな。別に行かねーよ」
さっきのは冗談だったみたいで、カターラさんは自分の言ったことを簡単に撤回した。
私がこんなのじゃなかったら、ぜひきてほしいんだけどなぁ……。
と、そんな雑談をしていると、私たちは目的地のお店にたどり着いた。
「おや、カターラちゃん。いらっしゃい」
着いた途端、お店の主っぽいおばさんが私たちに話しかけてくる。
「それと……。あんたが噂の、聖女アルル様だね?」
「は、はいっ。初めましてっ。アルル・パーシアスと申します……」
「そんな畏まらなくてもいいのに〜」
穏やかに微笑みながら、お店のおばさんは優しく私にそう言ってくれた。
「アルルはこれが素だ。初対面の人と話すのが苦手な恥ずかしがり聖女なんだ」
「あらま。変わった聖女様がいたもんだねぇ」
「でもそれも可愛いだろ?」
「確かに、ちょっとか弱い感じがいいね。その黒布も似合ってるし」
「だろ?」
また私を揶揄い始めたよ……。もういいって……。私は可愛くなんてないんです。私はみんなの嫌われ者なんです。
「で、今日は何がいるんだい?」
「そうだな……」
私が自分に現実を言い聞かせている横で、カターラさんは慣れた感じで注文をしていく。もう頭の中でメニューは決まっているのか、その言葉には全く淀みがない。
「あ、あと、リウォルミートも二切れ欲しい」
「えっ! あんな高級品を二つもかい?」
「この聖女アルル様がお肉を食べたいって言うんでね。安い肉じゃあ示しがつかないだろ?」
驚く店主のおばちゃんに対して、カターラさんは全く動揺せず得意げにそう言ってみせた。
「でも、お金は足りるのかい? こっちも聖女様のためならちょっとは安くしてやりたいけど、そうもいかないからねぇ……」
「問題ねぇって。あたしには賊どもからふんだくった金貨銀貨が山ほどあるからな」
「……あんまり無茶しちゃダメよ?」
「わぁってるって」
カターラさんってほんとに強いんだなぁ……。女の子のはずなのに、なんか男の人みたいに逞しい感じがする。
でもその強さのわけが、あれだって知ってると、なんか……複雑な感じがする……。
「じゃあちょっと待ってて、今持ってこさせるから」
優しく微笑みながらそう言って、おばちゃんは私たちに背を向ける。
そしてお店の奥の方を振り向いたかと思えば、突然、耳を疑うようなことが起きた。
「おい! さっさと持ってきな!」
さっきまで優しい感じだったおばちゃんが、まるで人格が変わっちゃっみたいにして、急に怖い怒鳴り声をあげた。
すると、その声が響き渡ると同時に、お店の奥の奥の隅っこの陰の方から、一人の若い男の人が姿を表す。
「……」
その男の人は、すっごい暗い表情のままお店の中を歩いて、カターラさんが頼んだ晩御飯の材料をカウンターの上に並べていく。
生きてるはずなのに、なんか、その人からは『命』が感じられない。
まるで、白明聖所にいたときの、私そのものを見ているような……。
「ああ、ごめんなさいね」
今の怒鳴り声が嘘だったかのようにして、店主のおばちゃんは、さっきみたいに優しい感じで私に謝ってきた。
「い、いえ……。私は別に……」
「あの子は私の息子なんだけど、恥ずかしい話……あの子の体には【呪痛竜】の血が混じっていてね……」
「えっ」
それって、つまり……。
私と同じ『半人半竜』ってことだ。
見れば、その生気のない男の人の微かに開いた口元からは、私とおんなじような八重歯が見え隠れしていた。多分あれはただの八重歯じゃなくて、竜の牙だ。
「私たちの遠い遠い祖先には【呪痛竜】と契りを交わした愚か者がいると聞いていたんだけど、まさか自分の子供に発現するとは……」
その話も、私のところとおんなじだ。
まさか普通の人の中にも、かつて竜と恋仲になった人がいるとは……。
「自分の子供が竜の血を持っているだなんて……。母親として恥ずかしい限りだよ……」
「……」
「あっ、ごめんなさいね聖女様……。今のは全部忘れていいからね。この先、聖女様が【呪痛竜】なんかに出会うことなどないでしょうし……」
申し訳なさそうにして、店主のおばちゃんは私に頭を下げる。
でも、忘れるなんてことできない。
私とおんなじ境遇で苦しんでいる人を、放ってはおけない。
「そういえば、あいつの処刑の話って、結局どうなったんだ?」
なんの前触れもなく、カターラさんがあの男の人を睨みながら物騒なことを口走った。
「しょ、処刑……?」
「ん? アルルは何を驚いてるんだ?」
「い、いえ……」
冷静な様子のカターラさんに気圧されて、思わず私は黙り込んでしまった。
確かに、カターラさんは事情が事情だから、凶悪な竜に対しての躊躇いがないのはわかる。
けど……だからって……。
「そうだ。聖女からみて、アルルはどう思うんだ?」
「え?」
いつもの惚れ惚れするような爽やかな声で、それも、楽しげな雑談をする感じで、カターラさんはとっても残酷なことを、私に問いかけてきた。
「邪悪な竜の血を持った人間という危険極まりない存在を、このまま生かしておくべきか……」
「……」
「それとも、誰かの幸せが奪われないよう、前もって一思いに殺……」
「ダメですっ!」
私は叫んだ。
口に当てた漆黒の布越しでもはっきり聞こえるように、叫んだ。
「殺すなんて、ダメです……」
擦り切れそうな声で、私は呟いた。
「……」
カターラさんの、ちょっと敵意の混じった痛々しい視線を感じるけど、私はその方を見ることが怖くてできない……。
すると、お店の中に穏やかで優しい声が響いた。
「さすが、聖女様はお優しいねぇ」
まるで見当違いな声が、広がりつつあった剣呑な雰囲気を瞬く間に消し去っていく。
「実は、数日後にこのバカ息子の処刑が行われる予定だったんだけど……。今回は聖女アルル様に免じて、村の連中も見逃してくれるだろうね」
「……」
「……」
「聖女様は本当に寛大なお方だよ。こんな醜い竜の血を持った罪深い人間にも慈悲をかけてくださるなんて……」
「違っ……」
違う……。
違う、違う……。
そうじゃ、ないんです……。
「まったく……。アルルは優しいがすぎるぜ」
やれやれといった感じで、カターラさんは首を横に振る。
そして、どこか遠くを見つめながら、忌々しく呟いた。
「竜の血なんて、生かしておくべきじゃないんだけどな……」
微笑んでいるカターラさんの、激しい憎悪の込められたその一言に怯えて、私はこれ以上なにも言えなかった。
なにも、できなかった……。
目の前に、私とおんなじことで困ってる人がいるのに……。
私は、みんなを助ける聖女なのに……。
❇︎
時間は流れて、今は真っ暗な夜。
昼間は無邪気な子供達や元気に働く大人の方々で賑わっていたミードル村も、今は木の葉が擦れる微かな音がはっきり聞こえるくらいには、しーんと静まりかえっている。
そんな中、私は静かにカターラさんの家から出て、外に向かおうとしていた。
「……」
綺麗な顔でスヤスヤと眠っているカターラさんを起こさないように、私は寝ていたベッドから慎重に這い出る。
そ〜っと、そ〜っと、静か〜に……。
「はぁ、はぁ……」
静かにしたいのに、胸の動悸が止まらなくて息が荒くなる。
それになんだか頭もクラクラするし、足元もおぼつかなくて……。
ゴンッ!
フラフラ危なっかしく歩いていると、私はカターラさんの寝ているベッドの角に自分の小指を盛大にぶつけた。
「あっ……。がぁぁぁぁぁ……」
それがめちゃめちゃ痛くて、思わず私の口から苦悶の叫びが溢れ出る。
「んー……」
謎の振動を感じ、妙な声を聞いて、カターラさんが目を覚ましてしまった。
「ん? アルル〜……?」
寝ぼけた様子のカターラさんがベッドから起き上がって、空色の目を擦りながら締まりのない声で私に聞いてきた。
小指が痛いし、起こしちゃって申し訳ないと思いつつ、いつもはかっこいいカターラさんがこんなにも無防備で油断してるのが可愛いと思ってしまったのは内緒。
「ど〜したぁ? トイレかぁ〜……?」
「はぁ、はぁ……。いえ……。そういうわけでは……。はぁ……」
まずい。
発作が酷くなってきた。
早く、しないと、人間じゃいられなくなる……。
「はぁ、はぁ……。はぁ……」
「……」
「んっ、はぁ……」
「……聖女サマってのは、夜になるとお盛んになんのか?」
「ちっ、ちがっ……」
興奮してるわけじゃないんです! 息が荒いのはただの発作なんです!
「まぁ……年頃なのはわかるが、ほどほどにしとけよ? 別にあたしでよかったらいつでも相手になるからな」
「なっ、何を言ってるんですかっ!」
ってこんなことしてる場合じゃない。
私が人の姿を維持してられる時間は、もう少ししかない。
「で、どうしたんだよ……?」
「ちょ、ちょっと夜風にあたりに行こうかな〜って……」
「……いや。外クッソ寒いぞ?」
「だっ、大丈夫です問題ないです心配ご無用です! わ、私、結構暑がりで寒いのは慣れてますから!」
今までにないくらいの早口で、私は真実を隠してそれとない嘘を伝える。
あまりの私の慌てようだったから少しは怪しまれてもおかしくないって思ったけど、突然起こされたカターラさんはまだ眠いのか、特に何も思ってないみたい。
「ふーん。まぁ、村の外には出んなよ……。あたしは寝る……」
ふにゃふにゃした眠そうな声でそう言って、カターラさんは毛布をかぶってベッドの上で横になった。
「お、お、おやすみなさいませぇ〜……」
「……」
「……」
「……」
「……よし」
カターラさんが瞳を閉じたのを確認してから、私は猛スピードでその場を駆け出し、誰の目もつかない場所へと向かった。
❇︎
「はぁ、はぁ……。はぁ、はぁ、はぁ……」
ミードル村から少し離れた森の中に、情けない吐息が溶けていく。
「はぁ……」
危なかった。
あと数秒遅れていたら、カターラさんの目の前で【これ】を見せてしまうところだった。
「……」
私は、背中に生えた【竜の翼】を忌々しく思いながら、カターラさんから借りた寝巻きのポケットに手を突っ込む。
そしてその中から、鮮やかな赤い液体が並々と注がれた一本の小瓶を取り出す。
言わずもがな、その中身は、私に宿っている竜の渇きと疼きを鎮めるための【血】だ……。
「はぁ、はぁ……」
数多い竜の中でも【血貪竜】はその生命維持において、特に血を大量に消費する種類だ。
そしてその竜の血を半分持った私も、人より多くの血を欲する。
「はぁ、はぁ……。くっ、はぁ……」
血が足りなくなると、今みたいに発作が起きて動悸が激しくなってしまう。放っておくと、いつの間にか人の姿から、全身が【竜】の姿になってることもある。
それを止めるには、血を摂るしかない。
「はぁっ……」
発作で震える自分の手に力を入れて、私は血の入った瓶の蓋を開ける。
「んっんっんっ……」
まさに貪るようにして、小瓶の中の血を一気に体の中へ流し込む。
すると、全身を蝕んでいた渇きと疼きが満たされていって、次第に動悸も静かに治っていく。背中に生えた強靭な一対の翼もその姿を消して、私は、普通の聖女の姿へと戻る。
「うぇ……」
相変わらずまずい。
叶うなら、もう二度と口にしたくない。
「……」
体は満たされたけど、反対に心は冷たくなっていく。
きっと、私の秘密を知ったら、この村の人たちも、今日みたいに優しくはしてくれない。どんな手段を使ってでも、私を消そうとしてくる。
事実、昼間に会った半人半竜の人が処刑されそうになってたし……。
でも、それが普通。
たとえ家族であっても、それが【竜】ならば大切に扱う理由はない。そもそも【竜】は生きているだけで、存在しているだけで大罪なんだから、大切にする方がむしろおかしい。だからこそサーちゃんとお母さんには感謝してる。
私は聖女だから一応この歳まで生かされてただけで、普通は家族ぐるみ、村ぐるみ、町ぐるみで消される。
「……」
怖い。
私は、本当の私を知られてしまうことが、すごく怖い。
今日一日で、村の人が私に見せてくれたあの笑顔が、一瞬で全部、壊れてしまうと思うと、耐えられない……。
子供たちが向けてくれた期待と羨望の眼差しが、嫌悪と憎悪に変わり果ててしまうなんて、怖すぎる……。
それに……あの人が、私に向かって、明確な殺意を向けてくると想像しただけで、私は、嫌だ……。
「……」
今、雨は降っていない。
なのに、私の頬を、一粒の滴が濡らした。
「こんな体、もう嫌……」
借りた寝巻きの袖で顔を拭いながら、私は呟いていた。
偶然、自分の体に【竜の血】が宿ってしまったことがもう最悪なんだけど、白明聖所の女の子は聖女として生きないといけない……。
嫌われながら、みんなを救わないといけない……。
「嫌、だ……」
もっと普通に、生きたかった……。
聖女も竜も関係なく、ただ一人の女の子として、普通に……。