黒面の聖女
「よしっ。じゃあ行くか」
家の玄関で藍色のコートを羽織りながら、カターラさんが私たちに向き直る。朝ご飯の時に約束した通り、私たちと一緒に村を回って買い物に付き合ってくれるみたい。ありがたいような、申し訳ないような……。
とはいえ、カターラさんが一緒に回ってくれるのはすごい助かる。ここは素直に甘えよう。
「はい。乗ってくださいザイルさん」
私は、靴を脱ぐ土間と家の廊下を隔てる上がり框に腰掛けて、隣にちょこんと立っているザイルさんの足元に両手を差し出す。
「また、そこなのか……?」
「そーですね。このチュニックはポケットがここしかないので。あとリュックも置いていくので、ザイルさんの入れるとこはここはしかないです」
「……」
何も言わないまま、ザイルさんは私の両手にちょこんと乗っかる。
そして私は、間違っても落っことさないように注意しながら、手に乗ったザイルさんを胸ポケットのところに運ぶ。
「はいどうぞ〜」
「……」
ちょっと間を置いてから、ザイルさんは慎重にゆっくりとポケットの中に入っていった。
胸ポケットならハムスターの姿でも外の様子がよく見えるし、結構いいんじゃないかなーって思ってたけど、今の嫌々そうな様子を見るに、あんまり居心地はよくないのかもしれない……。
すると突然、藍色のコートを纏ったカターラさんが、胸ポケットから顔を出しているザイルさんに顔を近づけた。
「ザイルくーん。そこの居心地はどうだい?」
「だっ、黙れ……」
カターラさんがニヤニヤしながら聞くと、ザイルさんは不機嫌そうにポケットの中に顔を埋めてしまった。やっぱりここじゃ嫌なのかも……。
「なんだよその態度は〜。美少女の胸ポケットなんて聖域、滅多に入れないんだからもっと喜べばいいのに〜」
「それ以上喋るなっ!」
「え〜、なんか機嫌悪いなぁ〜。アルルが嫌だったらあたしのでもいいけど?」
「……」
カターラさんの誘いを受けても、ザイルさんはポケットに入ったままで何も答えない。
「やっぱりアルルがいいのか〜……。まぁそうだよな〜。アルル可愛いもんなぁ〜……」
「そ、そんなんじゃねぇし……。ってかさっさと行けよっ!」
「も〜うるさいなぁこのハム公は〜」
私の理解が追いつかないまま、カターラさんは玄関の棚に置いてあった大きめのバッグを手に取って、藍色のコートを靡かせながら家の扉を開けて外に出て行ってしまった。
慌てて私もカターラさんの背中を追いかけて家の外に出る。
「っ⁉︎」
一歩外に出てみると、途端に冷たい冷気が頬を突き刺して、高い高い空に輝く太陽の光が私の目を眩ませる。
……でも、そんなものより、もっと眩しいのが、私の目の前にたくさん待ち構えていた。
「あっ! せーじょさまだ!」
幼い女の子が、私を見た途端に無邪気な声でそう言った。
「ほんとだ! 聖女さまーっ!」
女の子の次に、元気そうな男の子が元気な声をあげながら私に手を振っている。
そして、子供たちが私を呼ぶ声はどんどん大きくなっていて、村の人たちの視線は私の方へと集まってきていた。
村の人からしたら聖女が珍しいのかは知らないけど、なぜかみんな興味津々で私の方を見ていて、子供たちに関してはみんながみんな私の方に駆け寄ってくくる。
「聖女様!」
「聖女様ーっ!」
なぜかみんな嬉しそうにして、私なんかに笑顔を向けてくる。
「あっ、あ……」
急に子供達に囲まれて、村の人たちの視線をこれでもかと浴びて、私の胸は途端にドクドクと慌ただしくなって、頭の中が真っ白になりかける。いろんな感情とか言葉とか思いがぐるぐるぐちゃぐちゃごちゃごちゃになってもうよくわからない。
「あう……」
やっぱりたくさんの人の注目を浴びるのは恥ずかしい……。どうしていいかわからない……。
こういう時、聖女なら、美しく微笑みながらひらひらと手でも振って愛想良くするのが普通なんだけど、私にはそんな高等技術は備わってない。ってか私が微笑んだところで誰も喜ばないし。そんなのはもっとコミュ力の高い人がやるやつだし。
「おいこらお前ら。アルルは見せもんじゃねーぞ」
私がみっともなくパニックになる中、カターラさんが颯爽と私の前に現れた。
「えー。カターラお姉ちゃんだけずるーい」
「俺も聖女さまとお話ししたいっ!」
「僕は勉強を見て欲しいなー」
「あたしは絵本読んで欲しいっ!」
「じゃあじゃあ私は魔法教えて聖女さまーっ!」
子供たちのわいわいきゃっきゃって感じの楽しそうで賑やかな声。
その声に込められた期待が、全部私にかかっていると思うと、恥ずかしいを通り越して緊張と不安でどうにかなりそうになる。私そんな勉強とか見れるほど頭良くないんだけど……。あと魔法も別に上手じゃないし……。
なんてことを考えてると、カターラさんがウルフヘアの毛先を触りながら私の方を振り返った。その顔には、ちょっとだけ気まずそうな、申し訳なさが混じっていた。
「すまん、アルル……。あんたを大急ぎでこの村に運び込んだとき、聖女がこの村に来たって知れ渡っちまってよ」
まぁ、いくら血と泥で汚れていて髪もボサボサだったとしても、白いローブで長い金髪の女性なんて見ただけで聖女ってわかるし。
「で、こいつらからすれば聖女なんて滅多に会えないから興味津々で……」
私はそんなにすごい聖女じゃないんだけど……。お話ししても面白くないよ……。
「あーほら、聖女ってさ、普通は子供たちからすれば、優しくてお淑やかで面倒見のいい綺麗なお姉さんだろ?」
確かにそれはそうだけど……。
私なんて、別に優しくないしお淑やかとは無縁だし面倒を見るどころか自分のことで精一杯なんだけど……。あと別に綺麗じゃないし……。学校では『きもい』って言われまくってたし……。あ、泣きそう……。
「だからこいつらもアルルに構って欲しくて仕方ねーんだ。こんな森の中の村じゃあ、特に面白いもんもないしな」
「え……。いや、その……。あっ、えっと……」
私なんかを他の立派な聖女と一緒にしちゃダメだって……。
「でも、聖女様、なんか服ボロボロだねー」
「真っ白な『ろーぶ』じゃなーい」
私がしどろもどろになっていると、私たち三人を取り囲む村の子供達から純粋無垢な感想が口々に聞こえてきた。
それを聞いたカターラさんが、傷のある頬をちょっとだけ膨らませてむっと嫌そうな顔をした。
「悪かったな。これはあたしの母さんのもんだ。どーせあたしの家には可愛くて綺麗な聖女サマに似合う服なんて一個もねーよ」
カターラさんのその言葉に、私は胸を痛める。
これは、亡くなったお母さんの物……。
これを着る人はもういない……。
これを着ていた人を消したのは、醜い醜い【血貪竜】だ……。
そしてその醜い醜い血は、私の中にも、流れている……。
「アルル?」
「……」
「アルル?」
「え? あ、はいっ!」
急に名前を呼ばれて、慌てた私の口から裏返った声が出た。変な声が出てしまって、私の顔は一瞬にして熱くなる。恥ずかしい……。
「なんか辛そうにしてたけど、大丈夫か?」
「あっ、はい……。大丈夫です……」
「そうか。じゃあ、まずは服屋に行こう、アルル。その見窄らしい服は聖女サマに似合わないらしいからよ」
ちょっと不機嫌な感じで、カターラさんは嫌味っぽく吐き捨てた。多分さっきの子供たちの言葉が癪に触ったんだと思う。
「ザイルもそれでいいよな?」
「好きにすればいい」
胸ポケットの中で、ザイルさんがちょっと不機嫌そうに子供の声で返した。なんでザイルさんって、カターラさんに当たりが強いんだろう……?
「よし。じゃあ行こう、アルル」
藍色のコートを靡かせるカターラさんの頼もしい背中に、私は縋るように隠れるようにしてついていく。
それでも、服屋さんに行く途中、村の人からの視線をこれでもかと浴びる。
「聖女様ーっ!」
「聖女様こんにちはーっ!」
「せーじょさまーっ!」
……情けないことに、いくら声をかけてもらっても、私ができることはカターラさんの背中でぷるぷると惨めに震えることだけだった。
「うぅ……」
でも、これは無理。
だって白明聖所では、私なんて睨まれるか見て見ぬふりされるかのどっちかだったし、ある意味私は有名人で私のことを知らない人なんていなかったし、こんなにも知らない人から笑顔を向けられたことなんてないもん。どうしていいかわからないもん。怖いし緊張するし恥ずかしいし……。どうしていいか全くわからない……。
「にしてもすごいな、聖女サマってのは」
私が慌ててばかりいると、カターラさんが感心したように口を開いた。
「聖女サマが珍しいとは聞いていたが、これじゃあまるで、一国の姫と護衛の騎士だな」
まぁ、実際に私は前に一回カターラさんに守ってもらったし、あながち間違いじゃないのかも? あとカターラさんみたいなかっこいい女の人に守ってもらえるならすごく嬉しい。
……正体がバレたら、きっとそうもいかないんだろうけど。
「おお! これはこれは聖女様……」
するとそこへ、杖をついた一人のおじいさんが私の前に現れた。
「ようこそ『ミードル村』へ。聖女様をもてなせるほどの大層なものはございませんが、どうぞごゆっくりしていってください」
そのおじいさんは、適度に切られた白い髪を揺らしながら、カターラさんの後ろに隠れる私に向かって恭しくお辞儀をしてくれた。
これは、聖女らしく落ち着いた感じで名前を言うべきなのか……?
それとも、まず歓迎してくれたことに対してのお礼を言うべきなのか……?
「あ、こいつこの村の村長な」
私がテンパっていると、カターラさんが何気なくそう教えてくれた。
「相変わらず礼儀が微塵もなってないのう……。せっかく見目麗しい聖女様がいらっしゃるのだから、カターラも少しは見習いなさい」
「そっ、そんな、見習うなんて……。私なんか、聖女としても未熟ですし、カターラさんのような素敵な方の足元にも及ばない不出来で不恰好な不束者ですから……」
「いやそこまで言わんでもいいでしょ」
カターラさんは気を利かせてそんなことを言ってくれるけど、これは本当のことだ。
私は聖女としても、そもそも人としても不完全で無価値な存在なんだから……。
でも、私の正体を知る人は、ここには一人もいない。
「さすが聖女様。その若さで謙虚さを弁えておられるとは……。私も見習わなければなりませんなぁ……」
いや謙虚とかじゃないんです。本当のことなんです。
私は聖女としても、人としても無価値で有害なんです。
そうやって昔から、お父さんとか周りの人に言われてきたんです。
だから謙虚とかじゃないんです。本当のことは言えないけど……。
「それで……お怪我の方は大丈夫ですか?」
「え、ええ……。カターラさんのおかげで、一応は……」
「それはよかった。村の者が聖女様のお役に立つことができて、私は嬉しい限りです」
「は、はぁ……」
「引き止めてすみませんでした。では、私はこれで」
私なんかよりもすごく丁寧で柔らかい口調と物腰でそう言った後、村長さんは深々と私なんかに頭を下げてから子供たちの方へと歩いて行った。
「ほら、君たちも聖女様に迷惑をかけてはいけませんよ。女神様から天罰が下ってしまいますからね」
遠くから聞こえる感じだと、どうやら私を困らせないように、村の子供達に言い聞かせてくれているらしい。それもそれでなんか申し訳なくなる……。
人々との交流は、聖女の大事な役割の一つなのに……。
「私、迷惑なんかかけないもん!」
「俺たち、聖女様とお話ししたいだけだし!」
でも、わんぱく元気な子供達は村長さんの言うことを全く聞かないみたいで、その有り余るパワーと好奇心をもって全力で反抗していた。
「聖女様……。申し訳ありませんが、よろしければ子供達の話し相手になってあげてください」
「は、はぁ……」
いやそんなこと言われても困るんだけど……。
私なんかの話なんて面白くないし、私なんかに構うよりみんなと遊んだ方が楽しいだろうし……。
「それに中には、最近突然現れた【竜】によって両親を亡くした子もいまして……」
私の胸が締め付けられる。
「寂しい思いをしている子もいるのです」
「……」
「親代わりとまでは言いませんが、聖女様の清らかな慈しみのお心で、せめて少しでも子供達に安らぎを分けてやってください」
「……」
私に、そんなことはできない。
半人半竜の、存在自体が害悪な私に、そんなことはできない。
「わ、私なんかよりも、村の皆さんのお話の方が良いのでは……?」
苦し紛れにそう言ってみるけど、村長さんの顔色は晴れない。
「それがですね……。私や村の者の話では、もう楽しめないようでして……」
「村長の話つまんなーい」
子供達の一人が、無邪気にそう言った。
「え」
すると、村長さんの顔が驚きの色に染まる。
それでも構わずに、子供達は口々に好き放題言い始める。
「だっていっつもおんなじ話だもん」
「俺、もう聞き飽きたよ」
「あと、せーじょさまの方がかわいいからせーじょさまがいい」
「私もっ! 可愛い聖女さまのお話し聞きたいっ!」
正直すぎる子供たちの本音を聞いて、村長さんはしょぼんと肩を落としてしまった。さすがにそんな姿を見せられた手前、可愛いって言われても申し訳なさで胸の中がいっぱいになる。
「ま、後で付き合ってあげようぜ。可愛い聖女サマっ☆」
すると、私を揶揄うようにして、カターラさんが私に向かってあざとくウインクをしてみせた。相変わらずそれがすごく様になっていて、私の胸は急に跳ね上がる。
「べっ、別に私は可愛くなんてないですからっ!」
私は両手をぶんぶん振って全力でそれを否定する。
けどさすがは遠慮を知らない子供たち。的確に私の急所を突っついてくる。
「あー、聖女さま照れてるー」
「ほんとだっ! 顔まで真っ赤だっ!」
「せーじょさまかわいいねー」
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうに笑いながら、赤くなってるらしい私の顔を見上げてくる子供たち。
「いやっ、ちがっ……」
どうしていいかわからなくなって、私は喉に言葉を詰まらせる。だから可愛くなんてないんだって!
「はいはいそこまでー。また後でなー。楽しみに待っとけよー」
私と子供たちの間にカターラさんが割って入ってきた。子供たちからは不満の声が聞こえるけど、私は助かってよかった。
いやでも……。
元はと言えば、カターラさんが私を揶揄ったのが始まりだから、別に助けられていないのでは? 私、遊ばれてるのでは?
「じゃあ服屋に行くぞ、アルル」
子供たちの元から戻ったカターラさんが、私の顔を覗き込んでくる。
「カターラお前……。アルルで遊んでるだろ……」
胸ポケットのザイルさんが、小さく懐疑的な声でカターラさんに問いかけた。
「やだなー、遊んでなんかないって」
「本当か?」
「でもこんな楽しいおもちゃ、じゃない……こんな可愛い美少女がいるんなら、思う存分に揶揄っておかないと大損だろ?」
「どっちにしろ遊んでんじゃねーか」
「いいじゃんいいじゃん。細かいことばっかり気にする小さい男は、大人のお姉さんに嫌われちゃうぞ〜」
「……」
ザイルさんはむっっとした表情で黙っちゃったけど、カターラさんはすごく楽しそうにしている。
まぁ、カターラさんが幸せなら、私はそれでいいかな。
「じゃあ今度こそ、服屋に行くぞ」
「は、はい」
先行くカターラさんの背中を追いかけて、私は早足で歩いていく。
「ん? どうしたアルル? なんか落ち着きなさそーだけど」
私が隣に来たところで、カターラさんが話しかけてきた。
「いや……。なんか、慣れないんです……」
「ん?」
「私、こんなにも笑顔を向けられたり、歓迎してもらったり、大切にしてもらったりって、お母さんと弟のサーちゃん以外は初めてで……」
「なるほどなー」
考えるようにして、カターラさんは腕を組んでうんうんと頷いている。
「まぁ、アルルは聖女なんだから堂々としてりゃいいんだよー。例えば『この星に生きとし生ける全ての愚民どもよ! この偉大なる聖女アルル様にひれ伏しなさいっ!』みたいな?」
私になりきったつもりなのか、カターラさんは私たちに向かって仰々しく偉そうな演技をしてみせた。
「えぇ……」
「あーでも、アルルが女王様っぽいのは嫌だなぁ……。ちょっと解釈違いだなぁ……」
「それは俺も思う」
なんか急にザイルさんが話に乗っかってきたんだけど……。
「だろ? ザイルもそう思うだろ?」
「ああ。アルルは堂々と振る舞うよりも、ちょっと臆病なくらいが一番似合ってる」
「わかってるじゃないかザイルくん。君とはいい酒が飲めそうだよ」
「お前、歳いくつだよ……」
あ、それ私も気になる。
お酒が飲めるってことは、二十歳より上かな?
「乙女に年齢を聞くのはナンセンスだぞ、ザイルくん」
「あっそ。ま、はなから興味ねーけど」
「おい」
そんな中身のない、けれどなんか楽しい会話をしていると、立派な木でできたとある一軒の建物の前にたどり着いた。
「ここがこの村の服屋だ。さぁ行こうか」
臆することなく扉を開けて中へ入っていくカターラさん。
私だったら、初めてのお店に入るなんてハードル激高で絶対に無理だから、本当にカターラさんが一緒に来てくれて助かった。なんで初めての場所ってあんなに怖いんだろう……。
「おーい、服屋のオヤジー」
店に入るなり、カターラさんは無人のカウンターに向かってよく通る爽やかな声で呼びかけた。相変わらず堂々としてて惚れ惚れしちゃう。
「らっしゃい。お、噂の聖女さまじゃないか」
「こ、こんにちは……」
カウンター奥にある扉から現れた店主さんっぽいおじさんに、私はカターラさんの半分もない声量で挨拶をする。
「聞いた通りの美人さんだねぇ」
「い、いえ……。そんなことないです……」
「またまた照れちゃって。こりゃ可愛い聖女さんがいたもんだ」
店主さんははっはっはっと、すごく機嫌良さそうに笑ってる。
私と美人は水と油なんだけど、そんな嬉しそうに言われると、お世辞だってことを危うく忘れそうになる。あと前に『服屋さんが人を褒めるのはお客さんを機嫌よくして服を買わせたいだけだ』ってサーちゃんから聞いたことある。気をつけないと……。
「おいオヤジ。アルルをナンパすんじゃねぇ」
すると、カターラさんがちょっと不機嫌そうにして私の前に立った。
「なんだよ。美人さんに美人さんつって何が悪いんだよ」
「そもそもあんたは既婚者だろうが。嫁さん以外の女を簡単に美人とか可愛いとか言うなっての」
「へいへい。わかったよ」
観念したようにして、店主さんはカウンターの裏に置いてあったっぽい椅子にどかっと腰掛けた。
「んで、今日はなんの御用で?」
「聖女アルルに似合う可愛い服、それでいて長旅に耐えられるような丈夫な服が欲しい」
顔馴染みなのか、慣れた感じでオーダーを伝えるカターラさん。なんか仕事できる女性って感じでかっこいい。あと私は可愛くないです。
「おっけい、りょーかいだ! じゃあ可愛い聖女さまのためなら、ちょいとおまけしてやろうかね」
店主さんは機嫌をよさそうにしてニカッと笑った。
でも逆に、カターラさんはちょっと機嫌を悪そうにしてむっとなる。
「可愛い子にまけてくれんなら、次からあたしの服も安くしてくれるよな?」
「三十人の賊を一人で楽々撃退するようなやつを可愛いとは言わねぇよ……」
両手を横に広げて、やれやれみたいな感じの店主さん。
というか……。
カターラさんって、そんなに強かったの?
三十……。そんな数の敵を、たった一人で……。特に魔法が得意ってわけでもないのに……。
絶対に怒らせないようにしよ。
「あ、あとそうだ……。こいつって直せるか?」
カターラさんは、家を出る時から持ってきていたバッグの中身を取り出す。
それは紛れもなく、私の『ローブ』だった。
「こいつは……。またえらく高価なローブだな……」
血と泥に塗れて、しかも【狂狼】にやられてボロボロの状態なのに、店主さんはこれが高価なものだと一瞬で見抜いてみせた。
どうやら、服屋としての目は本物らしい。って何を偉そうに上から物を言ってるんだ私は……。
「まぁなんせ、聖女アルル様が着てたもんだからな。そりゃあ高いに決まってるだろ」
「あの時の……。村に来たときに着てたやつか……」
「で、どうだ? 直せるか?」
「ああ、問題ない。任せてくれ」
これが高価な物って言った割には、なんとも軽い感じで了承してくれた店主さん。
「そっ、そんな……。こんなボロボロなのに……」
だって血と泥の汚れのせいで白い部分がほぼ見えないくらいの状態だし、例の【狂狼】のせいで結構酷く破れちゃってるし、こんな大変なのをわざわざ手間暇かけて直してもらうなんて出すがに申し訳なさすぎる。
「いいっていいって。これくらい朝飯前よ」
それでも、店主さんは気前よくそう言ってくれた。
「で、では……。いくらお支払いすれば……」
「いやいやいや。聖女さまのために働けるなんて、こんな光栄なこたぁねぇからよ。金なんていらんさ」
なんと、私のローブの修復を無料で引き受けてくれるらしい。
ただでさえこんなの手間がかかるのに、銅貨の一枚も貰わずに直してくれるなんて、ありがたいを通り越して申し訳なくなる……。
「それじゃ、任せたぜ、オヤジ」
「あいよっ」
愛想良くニカっと笑う店主さん。
私からすれば、なんか騙してるみたいで、胸が痛い。
でも、みんなに嫌われるのも怖い……。
「よし。じゃあ服選んじゃおーぜ」
私がキリキリズキズキと胸を痛めていると、カターラさんがそう言った。
「アルルに似合う可愛いのを……って言いたいところだけど……」
綺麗な空色の目を細めて、なんか渋い表情でお店の中を見回すカターラさん。
「まじでこの店しけてんなぁ……。色もデザインもほぼ一緒だし、なーんかどれもパッとしねぇなぁ……」
「パッとしてなくて悪かったな。こんな森の中のちっせぇ村じゃあ、裁縫の道具も、染色の染料も全然揃わねぇんだよ」
……確かに見てみれば、どれもおんなじようなデザインのチュニックとコートばっかりで、色もベージュか茶色、他には紺色とか黒色がちょっとだけあるくらい。
「服なんて着られればどれでもいいだろ?」
「それを服屋が言うなっての……」
店主さんにそう言ってから、カターラさんは大きくため息をついた。
「じゃあ、まぁ……。これとこれと、これ、かなぁ……」
あんまりないラインナップから、カターラさんが手際よくちゃちゃっとお洋服を選び取る。
「到底、聖女アルル様には似合わんが……。これくらいあれば着替えは十分じゃないか?」
そしてカターラさんは、手に取った三着のお洋服を私にみせてくれる。私なんかに似合うかどうかはわからないけど、どれも丈夫そうで、ちゃんとあったかそう。
「あ、はい……。大丈夫です。ありがとうございます……」
「本当なら、もっとでっけぇ街の洒落た店で選びたかったが……仕方ない」
心底残念そうにしながら、カターラさんは店主さんのいるカウンターに三着のお洋服を置く。
「じゃあオヤジ、これ会計な」
「全く……。人の店を勝手にボロクソ言ってくれやがって……」
「恋する乙女はファッションにうるさいんだ。あたしを満足させたいならもっと品揃えを良くしといてくれよなっ」
「はいはい……。検討しておきますよ、お客様」
ちょっと嫌味っぽく言ってから、店主さんはころっと表情を変えて私の方を見る。
「で、聖女様。こいつでいいのかい?」
「え、は、はいっ……」
「おーし。じゃあ銀貨四枚と銅貨が二枚……と、言いたいところだが、他ならぬ聖女様のためだ。ちょっとまけて銀貨四枚でいいぜ」
店主さんは、まるで太陽のような笑顔を私に向けてきた。
確かに、お母さんからもらった限りある路銀を節約できるのは嬉しいけど、やっぱりなんだか申し訳なくなる……。
すると、それを聞いたカターラさんが、哀れなものを見るようなじとーっとした目つきで店主さんを見据える。
「銅貨二枚って……。そんなに大した額でもねーじゃねーか。ほぼ誤差だろそれ。可愛い聖女様の前だからってカッコつけようとしてんじゃねーぞ」
「う、うっせぇ。いいだろ別に……」
「ちなみに聞くけど、アルルのどこが可愛いと思う?」
「ちょ、ちょっとカターラさん……」
私の咄嗟の制止も間に合わず、また揶揄われることになってしまった。だから別に私は可愛くなんてないのに……。白明聖所にいた時も、可愛いって言ってくれたのはお母さんと小さい頃のサーちゃんだけだったんだから……。
「そうだな。俺的には口からちょっと見えてる八重歯が可愛いな」
「っ⁉︎」
店主さんの言葉を聞いて、私は思わず両手で口元を覆い隠した。
そのあまりの動転のしように、カターラさんと店主さんは驚いたように目を点にして私の方を見ている。
そりゃそうだ。
今までビクビク震えてた気持ち悪い聖女もどきが急に焦り始めたら、誰だって気味悪く思うに決まってる。
「あ……。すみません……」
私の口から、反射的に、謝罪の言葉が溢れ出る。
「もしかしてアルルは、あんまり八重歯について言われるのが嫌なのか?」
「まぁ……。そう、ですね……。別に、可愛くもないですし……。は、恥ずかしいですし……」
確かに、あまりそこには注目されたくない。
これは八重歯じゃなくて、醜い嫌われ者の【竜の牙】なんだから。
そう。
あなたの大切な家族を喰い殺した、あの【血貪竜】と同じ、血を貪るための【牙】なんだから……。
ん、待てよ?
「あ、あの……」
私は店主さんに話しかける。
「その……。私の口を隠せるくらいの、おっきい布ってありますか? できれば、あんまり透けないのを……」
単純に、見られたくなければ隠せばいいだけのこと。
ここは服屋さんだから、布切れの一つや二つくらいはあるはず。
「ん? まぁ、あるにはあるが……」
「よ、よろしければ、それいただけますか? あ、もちろんお支払いはいたしますので……」
「いや、別にいらない布切れなんて山ほどあるからな。好きなだけ持っていきな」
「あ、ありがとうございます……」
「じゃあちょっと待っててな。今持ってくるからよ」
気さくな感じでそう言ってから、店主さんはカウンター奥の扉に引っ込んでいく。
そして数秒とたたないうちに、両手にいっぱいの布を持ってカウンターに戻ってきた。
「透けないのって言うと……これだな」
たくさんの布の中から、店主さんは一枚の大きな布を取り出してくれた。
その布は、まるで月明かりのない夜空みたいな、そんな真っ黒の布。大きさも私の口を覆うには十分だし、めちゃめちゃ濃い漆黒で全然透けてない。
「こんなんでいいのか?」
「あ、はい……。大丈夫です。ありがとうございます……」
私は店主さんから、その漆黒の布を手渡してもらう。そして早速、漆黒の布で口元を隠すように装着してする。布の両端を手に取って、それを頭の後ろで結んでいく。
その間、私の様子をなぜか残念そうに見つめる店主さんとカターラさん。
「うーん……。せっかく聖女さまは美人なのに、隠すなんてもったいねぇなぁ……。なぁ?」
「こればっかりはオヤジの言う通りだ。可愛いアルルの顔が見れないのは全人類の損失に値するな」
「だろ?」
「ああ」
なんか意気投合した感じの二人は、残念そうに、それでもちょとだけ楽しそうにして、私のことを口々に言い合っている。
すると、その会話の中に、一人の少年が参加してきた。
「まぁ、ここは一年中寒いからな。風邪をひかないように暖かくするに越したことはない」
「そうだな。って……ハムスターが喋った⁉︎」
「俺は人間だ! アルルと一緒に旅してんだよ!」
めちゃめちゃびっくりする店主さんと、私の胸ポケットでぎゃいぎゃいと怒ってるザイルさん。
「なんか……。聖女さまって、いろいろ大変なんだな……。まぁ、他にも布が欲しいなら好きなだけ持っていっていいぜ」
「あ、ありがとうございます……」
頭の後ろで布の端を結んで、口元を覆い隠した私は、残りの布の山から漆黒の布を何枚かありがたく貰っていく。
「……」
そんな中、私はすぐ隣から熱烈な視線を感じ取った。
「か、カターラさん?」
何か私の顔についているのか、まじまじと私の顔を見つめてくるカターラさん。
「ど、どうしたんですか?」
「いやー……。これはこれで、なんかミステリアスな感じがしていいな……」
「ええ?」
「ほら聖女ってさ、普通は白と金のイメージじゃん? けど、その聖女様の見目麗しい顔がイメージとは真逆の黒い布で隠されてるっていうアンバランスさというか謎めいた感じがいいんだよ」
「ええ……」
ごめんなさい。
何言ってるのか全然わかららないです……。
私はただ【牙】を見せないようにしただけで、別に他には何も考えてなくて……。
「まぁとにかく、アルルは可愛いってことだ」
「……」
もう流石に照れたしなんてしないですよ?
私だって、お世辞を何回も言われれば慣れるんですから。
「じゃ、ローブ頼んだぜ、オヤジ」
「任せておけ。三日後にはちゃんと仕上げておくからよ」
「りょーかい三日後な。あとアルル耳が赤いぞ」
サラッとそう言われて、私は思わずドキッとする。
やっぱり、まだ褒められるのは慣れない。
今まではたくさん酷いことを言われるのが普通だっったから、なんかむず痒いというか、そわそわしちゃうというか……。
でも、悪い気はしない。
でもでも、これだけが本当の姿じゃないから、なんだか悪いような気もする……。
「おーい。アルル行くぞー」
「え、あっ、はっ、はい今行きますっ」
お店から出ていくカターラさんに呼ばれて、私は口元の黒い布をくいっと調整してからその場を駆け出した。
「あっ、店主さん」
おっといけないいけない。
店主さんに別れの挨拶とお礼を言うのを忘れるところだった。人でも聖女でも竜でも、たとえコミュ障だとしても、こういうのはきっちりしておくべきだ。
「ん? どうした?」
「その……。お、お手数をかけて申し訳ありませんが、ローブの修復、お願いしまちゅ……。あっ」
お礼なんて、慣れないことはするもんじゃない……。
盛大に噛んだことに気づいた私の体温は、ありえない速さでどんどん熱くなっていく。
「くくっ。こちらこそ、ご贔屓にお願いしまちゅよ、聖女さま」
あ、めっちゃ笑われた。死にたい。
死にたい死にたい。すごく死にたい。
なんか耳までめっちゃ熱いし胸がドクドクしてるしもういっそここから消えてしまいたい。
「し、失礼しますっ!」
耐えられなくなった私はそれだけを早口で告げてから、外にいるカターラさんのところにピューっと駆け出した。
あー死にたい……。
今すぐ死にたい……。
いっそもう死んでやろうかな……。