お姉さんとハムスター
鬱蒼とした深い森の中。
太陽が上から照っているにもかかわらず、お化けの一つでも出てくるんじゃないかって思うほど暗くて寒い木々の中を、私は歩いていた。
「暗っ……」
こうして旅立ったはいいものの、まずは勇者様にお会いしないとお話にならない。
けど、その勇者様の情報すらまだ何もない。
だから私は情報を集めるために、そこそこ家から近くて、そこそこ人がいそうな『ファステレク』っていう町に向かって歩いてる。
とはいえ歩きだと2、3週間はかかるみたいだから、まずは森の中にあるらしい『ミードル』っていう村に寄って色々お買い物をするのが目的、って感じ。
……これ全部、お母さんが考えてくれたプランだから、きっと大丈夫……だと思う。買い物は不安だけど……。いつかお買い物も、人と会わないでできるようになればいいなぁ〜。
「ふぇ……ふぇっくしゅっ!」
静かな冷たい森の中に、私の間抜けなくしゃみがこれでもかと響き渡る。
こんなに大きな音を立てたら、森に潜む猛獣とか凶暴な魔物に襲われちゃうな……。
「よし……」
私は道の途中に立ち止まって、意識を集中させる。
『天寿の心魂に眠りし聖源よ。不肖の我が身を護り賜えっ!』
聖女たちが使う聖法術の一つ『神聖防魔結界』を唱えると、私の足元に奇妙な図柄の結界が薄っすらと現れた。
これで、私に害意を持った敵を遠ざける結界を構築することができた。まぁ、竜の血が流れてる分、魔力が足りないから普通の聖女が使えるのより弱いやつなんだけど……。
だとしても、ただの森を抜けるには十分な効力はあるはず。
「ふぇっくしゅっ!」
なんとも間抜けなくしゃみが森の中にこだまする。
私は両手で自分の体をさすりながら『ミードル村』に向かって歩いていく。
「さっむ……」
そう言えば、竜は寒さに弱いって聞いたことがある。しかも私の半身である【血貪竜】は特に寒さに弱い種類だった気がする。
どうりでこんなに体が冷えるわけだ。
それに、なんだか頭がくらくらしてきたような……。
「あ……」
今日はまだ『血を飲んでいない』ことに気づいた私は、急いで背中のリュックから一本の小瓶を取り出す。
その瓶の中には、鮮やかな赤い液体が並々と注がれていて、いかにも私の渇きと疼きを満たしてくれそうな悍ましい色合いを放っていた。
「はぁ、はぁ……」
もともと【血貪竜】は、名前の通り血を大量に喰らう種類の竜で、生きるだけでも人間が食事で摂取するよりはるかに多くの血を必要とする。
そしてその竜の血を半分持った私も、人より多くの血を欲する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
血が足りなくなると、今みたいに発作が起きて動悸が激しくなってしまう。
それを止めるには、血を摂るしかない。
「はぁっ……」
震える手に力を入れて、私は血の入った瓶の蓋を取った。
「んっんっんっ……」
そして、中の血を一気に体の中へ流し込む。
一口、一口と飲み込むたびに、全身を蝕んでいた渇きと疼きが満たされていって、次第に動悸も静かに治っていく。
「んっ、はぁ〜……」
小瓶の中の血を全て飲み終え、私は大きく息をついた。
「まっず……」
体は満たされたけど、反対に心は冷たくなっていく。
血を飲むような穢れた聖女に、生きる意味はあるのだろうか……。
こんな気持ち悪い聖女なんて、誰も頼りたくない。
きっと、私の秘密を知ったら、私のお父さんや学校で私をいじめてた子みたいに、みんな酷いことをしたり、無視したりするんだ。
「……」
怖い。
私は、本当の私を知られてしまうことが、すごく怖い。
「……」
それでも白明聖所に生まれた女の子として、人々の希望である聖女として、私は前に進まなければならないのだ。
私に、自分の人生を決める権利なんて、ないんだ……。
鬱々としたものを胸に抱えたまま、私は血をみなぎらせた体を前へ前へと運ぶ。
「あ、別れ道……」
すると、今まで歩いてきた道が、私の目の前で三つに分かれていることに気づいた。
私は白いローブのポケットから地図を取り出して、目的地に続く道を調べる。
「えーっと……。ミードル村のある方は……」
目的地から続く道を指でなぞって、今いる場所に繋げてみる。
「……こっち?」
ぐちゃぐちゃに絡み合ってる道筋をなぞってみたところ、どうやら左の道が目的地のミードル村に続いてるらしい。
道を確かめてから、私は手に持った地図をローブのポケットにしまった。
いくら私が方向音痴といえども、流石に地図があれば道を間違えるなんてことはない。
私はミードル村に向かって左の道へと歩いていく。
「ちょ、ちょっと待てーっ!」
「ひぇっ……!?」
突如として、静かな森の中に甲高い男の子の声が響き渡った。
「え、な、な、なに?」
「はぁ……。やっぱついてきて正解だった……」
その声は、確かに私の後ろから聞こえてきた。
「ミードル村はそっちじゃねぇっての……」
私は動揺しながらも、咄嗟に来た道を振り返って声の主を視界に捉えようとする。
けど、私の視線の先には、鬱蒼とした森が作り出した気味の悪い暗闇しかなくて、どこを見ても声の主らしき『何か』は見当たらなかった。
「おい。おーい」
それなのに、男の子の声は私からものすごい近いところで聞こえてくる。
怖くなった私は、無意識のうちに足をジリジリと背後に退げていた。
「ここだここ」
「……ん?」
「下だよ。しーた」
声に促されるようにして、私は思わず下へと視線を動かす。
するとそこには、なんとも奇妙で、とっても可愛らしい『何か』がいた。
「やっと見つけてくれた……。この体は不便だな……」
その『何か』は疲れた様子でぶつぶつ何かを言ってるみたいだけど、あまりにもその体が小さすぎて声を張ってくれないとこの距離だと何も聞き取れない。
私はその場にしゃがみ込んで、その『何か』に顔を近づけた。
「……」
「な、なんだよ……」
「あ、あなたは……」
「……」
「…………ハムスター?」
「あんな可愛い生き物と俺を一緒にするなっ!」
私の言葉に反応して『どう見てもハムスターにしか見えない可愛い何か』は、その小さすぎる足でペチペチと地団駄を踏んだ。なんか怒ってるみたいだけど、声も幼い男の子だし、見た目も可愛すぎて全然怖くない。
そもそも『神聖防魔結界』を展開している私にここまで近づけているんだから、変に怖がる必要もない。見た目も強そうじゃないし。
そんなことよりも、なぜかこの子は洋服を着てお洒落をしていた。余計にそれが可愛い。
「え〜可愛い〜〜〜♡」
その愛らしさにあてられて、私は思わずその子を両手で抱っこした。お父さんもみんなも、これくらい可愛かったらお話しやすくていいのに。
「ちょ、おいっ! 俺に触るな!」
「お洋服を着てるハムスターなんて珍しいですね〜」
手の中でペチペチと暴れるこの子を眺めながら、私はそんな感想を溢していた。
「それに私、お話ができるハムスターなんて、初めて……。ん?」
この子の可愛さに夢中ですっかり忘れていたけど、ここで私はとんでもないことに気づく。
「な……なんで私、ハムスターと会話できてるんですか?」
「だから俺はハムスターじゃねぇ!」
荒っぽい言葉と同時に、その子は私の手を飛び出して器用にピタッと地面に着地した。どう見てもハムスターにしか見えないけど、ハムスターじゃないとしたらこの子は何者なのか?
と、私が考えていると、先にその子が口を開いた。
「俺は、正真正銘の人間だ!」
ハムスターにしか見えないその子は、短くて可愛い両手を組み、子供の声で堂々とそんなことを言ってのけた。
「……嘘は良くないと思いますよ?」
「嘘じゃねーんだよ!」
せっかく忠告してあげたのに、この子は私のつま先でバタバタと喚くばっかりで全然聞いてないみたい。
「俺は…………魔族の奴らに姿を変えられちまったんだ」
「えっ! 本当ですか⁉︎」
「あ、ああ……」
自分は人間だと言うその子は、言いづらそうに顔を俯かせたまま私にそう返した。本当に、魔族は酷い奴らだ……。これは、聖女である私がなんとしてでも、勇者様と一緒に魔族たちを倒さないと!
「あ、それで、なんでこんな寒い森の中に?」
「その…………俺は、奴らに人体実験を施されてる途中で逃げ出してきたんだ。だが、こんな体じゃロクに生きてくこともままならなくって……。元の人間の姿に戻れないまま、あたふた右往左往してたら気づけばこんな森の中ってところだ」
「なるほど……」
さぞ、大変な目に遭ってきたんだろうと思うと、私の胸にキリキリズキズキと酷い痛みが走った。人体実験なんて、私なんかが想像できないほどの痛いことをされただろうに……。
「姉さんは騙されやす過ぎだ……」
「え? 何か言いました?」
「なんでもない」
これ以上聞くな、と言わんばかりの威圧感を込めて、ピシャリと遮られてしまった。
「そ、そうですか……。あ、ところで……。あ〜……。えっと〜……。貴方のお名前は……?」
「俺は、サイダ…………………………。ザイル、だ……」
私が尋ねると、ハムスターの姿をしたその人は、なんかちょっとだけ不自然な感じで返事をくれた。
「ザイル、さん……。私の弟と似てる名前ですね」
「……」
「なんとなくですけど、その話し方も似てるような気が……」
いや、きっと気のせいだ。
スーパーハイパーウルトラミラクルアルティメットに可愛い私の弟が、こんな暗くて寒い森の中にいるわけがない。あの子は私が旅立つ半年前から部屋に引きこもって、私にはよくわからない『ファンなんとか』っていう難しい魔法の練習をしているんだから。
「あんた……。お、お、弟が、いるのか?」
「あ、はいっ! 私の六つ下の弟で、サイダル・パーシアスって言うんですけど、もうすっごく可愛いんですよ!」
「かわっ……」
「ちっちゃいときは私に『おねーちゃん! おねーちゃん!』って甘えてきて、おっきくなってちょっと素直じゃなくなっちゃったんけどそれがまた可愛くって! 特に一緒に寝てたあの時なんかは……」
「う、う、うるせぇ! それ以上喋んな!」
私の思い出話を遮るようにして、ザイルさんは可愛い見た目にそぐわない怒った声を吐き出して、私に深々と突き刺した。
「あっ……。ご、ごめんなさいっ……」
つい、弟のサーちゃんのことを思い出して夢中になってしまった。そんな自分を戒めるようにして、私はすぐさま立ち上がって長い金髪を垂らしつつ深々と頭を下げた。
ただでさえ他人の自分語りは聞きたくないって言われているのに、私なんかの半人半竜の嫌われ者の話なんて聞くだけ苦痛でしかない。
そんなこともわからずに、自分勝手に大好きな弟の話を始めるなんて、やっぱり私は聖女である前に人間としてダメダメだ……。
「ああいや……。今のは、なんと言うか……。恥ずかし…………いや、なんでもない」
気を利かせてくれようとしているのか、ザイルさんはなんとか言葉を紡ごうとしている。そんなことしなくても、私が悪いのだからそれでいいのに。
「……あんたにとって、弟がそんなに……大事、なんだな」
まだ機嫌が悪いのか、ザイルさんはなんか言いづらそうにして私へそう言った。
「はい。サーちゃんは、私の大切な家族です……」
「っ……」
「こんな私に懐いてくれて、こんな私と仲良くしてくれて……。私は、サーちゃんが大好きなんです。最近は、なんか距離取られちゃてるんですけどね……」
思わず胸の中に秘めていた想いが溢れて、また口に出てしまう。
さっきやらかしたばっかりだって言うのに、私は全然反省できていなかった。
「こっちは恥ずかしいんだよ……」
「え?」
「な、なんでもない」
ザイルさんも、その可愛い顔を真っ赤にして、言葉が正しく出てこないくらいに全身を怒りに震わせていた。
「ま、まぁ……。弟の方も、あんたのことが大事だろうし、仲良くやったらいいんじゃないか?」
「お気遣いさせてしまってすみません……。でも、そうですね。帰ったら、いっぱいぎゅーってすることにしますっ!」
「そ、そうか……。きっと、喜ぶ……だろうな……」
ザイルさんは私から顔を背けて、ギリギリ聞こえるくらいのちっちゃな子供の声でそう呟く。顔を合わせてくれないあたり、まだちょっと機嫌が悪いみたい。
そういえば、まだ私の名前を言ってなかった気がする。
「あ、申し遅れました。私はアルル・パーシアスって言います。……それでザイルさん。どうして私を呼び止めたんですか?」
「……あんた、見たところ聖女なんだろ?」
「え、ええ……。まぁ、そうですけど……」
金色の長い髪を靡かせて、白いローブを纏っているロザリオをつけた女性なんて、聖女以外にありえないから、ザイルさんの言ってることは半分だけ合ってる。
「聖女ってのは勇者と一緒に魔族を倒しにいくんだろ? んで俺は元の姿に戻るために魔族どもに用がある。だから【魔族】っていう共通敵を持つ者同士で一緒に行かないかって言いたかったんだよ」
「な、なるほど……」
「まぁ、こんな小さな体じゃロクに移動もできなきゃ暖も取れねぇから、協力してくれる人間を探してたってのもあるけどな」
やれやれ、みたいな調子で、ザイルさんはもう一つの目的を話してくれた。
ここまで聞いた感じ、私の旅になんか問題が起こるわけでもなさそうだし、何よりザイルさんをこのまま放っておくわけにはいかない。
恐ろしい【血貪竜】の血を宿しているとはいえ、聖女たるもの、困ってる人を見逃すなんてことは絶対にできない。
困ってる人、泣いてる人、痛がってる人、怖がってる人、悲しんでる人。そんな人たちを一人でも助けてあげることが、聖女がやるべき大事なことだ。
「わ、私は構いませんよ」
まぁ、可愛いハムスターのザイルさんと一緒に行きたいってのは内緒だけど。可愛いは正義。旅に癒しは欲しい。
「おお。それは助かるぜ」
私が了承すると、ザイルさんは嬉しそうにニッコリと笑ってみせた。
「しばらくの間、よろしく頼むな」
「ええ、こちらこそ」
私の一人旅は、わずか初日で幕を閉じた。
これからは、元は人間だという不思議なハムスターのザイルさんと一緒に行くことになった。本当に、一人旅は心細かったから、こうして会話ができる人がいてくれるだけで凄い嬉しい。
……できることなら、弟のサイダルと一緒に旅とかしてみたかったけど。
「あ、ちなみに、さっきお前が進もうとしてた道、あれだとミードル村につかないぞ」
「え? そうなんですか?」
「ああ。この辺の地理は(方向音痴な姉さんのために)勉強してあるからな。間違いない」
ザイルさんは自信満々にそう言った。
わざわざ嘘をつくようなハムスターにも見えないし、魔族の監視下から逃げ出せるような凄いハムスターが道を間違えるとも思えない。
つまり、私は地図があっても道に迷うようなダメダメ聖女なんだ……。
「はぁ……。あっ」
私は、いいことを思いついた。
地図が読めないなら、彼に読んでもらえばいい。
移動ができないなら、私が足になればいい。
「じゃあ、ザイルさんは私のローブの胸ポケットに入ってください」
「え」
「ここならザイルさんが自分の足で歩かずとも私と同じ速さで進めますし、私に進むべき道の指示も出しやすいでしょう? あとそれにあったかいですし」
「いや、まぁそうだが……。流石にそこは……っておいコラ抱っこするな!」
可愛いハムスターの姿をしたザイルさんを抱き抱えて、私は身に纏った白いローブの胸ポケットに入れる。
「むぎゅっ……」
「あ、ごめんなさいっ!」
私が手を滑らせたせいで、ザイルさんが私のローブの胸ポケットに頭から突っ込んでしまう。
そしてしばらくモコモコと動いた後に、ポケットの中からザイルさんがぴょこっと頭を出した。
「……」
「あ、サイズもちょうどいいですね」
「……ほ、他の場所じゃダメなのか?」
ザイルさんは胸ポケットが気に入らないのか、顔を真っ赤にして静かに怒りながら私に聞いてきた。
「他……と言われましても……。他のポケットは地図とかハンカチで使ってますし、ここしかないですね〜。肩に乗っていただくのも危ないですし〜」
「そ、そう、か……」
「まぁ、ここなら見通しも良くて十分にあったまれると思うので、我慢してください」
すると、それを聞いたザイルさんは、おずおずとポケットの中に沈んでいった。その一挙一動が可愛すぎて思わず頬が緩んでしまう。
……いかんいかん。
あくまでもザイルさんは家族でもない他人なのだから、下手に牙なんかを見られて竜であることに気付かれないように注意しないと。
「あったまるどころか熱すぎるっての……」
「ん? 何か言いました?」
「こ、この別れ道は右だって言ったんだ! 別になんでもないっ!」
「す、すみませんっ……」
ザイルさんは悪いハムスターじゃないけど、たまになぜか声がちっちゃくなるから、そこだけ直して欲しいなぁと思った。