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棄てられ姫は誰にも愛されない  作者: 鷺森薫
アインホルン王国編
8/70

8.北の塔

王宮の北側には独立した尖塔がある。

罪を犯した王族が閉じ込められていた、とか

精神に支障があり幽閉された王妃がいたとか、とかく悪い噂で彩られているが、

この尖塔が建てられた遥か昔には、

まだ王殿が建立されていなかったため、

王宮の北に位置する神殿の本殿が最上階から良く見渡せるこの尖塔が王宮付神官達の詰所の様な役割を果たしていた。


その後、王殿が建立されると、王宮から少し離れて位置する北の塔は、別の役割を与えられる事もなく、ただ清掃修繕管理が必要なだけの無用の長物と化した。


北の塔の管理担当は

配置転換されれば閑職に追いやられたと見なされ、

仕官する者は閑職を良しとする怠け者と言われた。

そんな訳で、敢えてこの北の塔で働こうという者はほぼ皆無であった。


その北の塔の管理担当に、ある「上位魔法書持ち」が志願したのは1年と半年前の事。

「水の魔法書 」を持ち、魔法師団の副長を務めていた精鋭で20代半ばの若さではあったが、次期師団長最有力候補と目されていたほどの傑物であった。

「銀色の長い髪、薄いブルーの瞳、薄い唇どれもが知的で、すらっと伸びた長身からあの素敵な声で囁かれると魔法をかけられた様にフラフラしてしまう」とは王宮の侍女たちの弁であるが、

王都内でも1、2を争う女性人気の持ち主でもあった。


そういった稀有な人物であるノア・シュルツ卿の、突然の魔法師団退団宣言が寝耳に水の首脳部は慌てふためき、強く引き留めにかかった。しかし、シュルツ卿の意思は固く、泣く泣く退団させる運びとなった次第である。

洋々たる前途に突然終止符を打ったシュルツ卿に同僚達は首を捻り理由を尋ねたが、決まってこう返事が来た。


「やるべき事が見つかったのでね」


同じ頃、もう一人、北の塔に志願した者がいた。

エックハルト伯爵の次女のウィノラである。

ウィノラは銀髪ではしばみ色の瞳を持つ小柄で儚げな容貌の美しい女性で、16になったばかり。

その美しさと謙虚な物腰から婚姻の申し出が引きもきらない、当代きっての結婚相手と噂されていた。

当の本人は、結婚には乗り気で無く、周りの結婚狂想曲に辟易していた。

もともと努力家で研究好きのウィノラは

王立大学へ入学し、魔法学を専攻し、

将来は魔法研究所で「ある魔法の研究をしたい」と思っていた。

しかしながら、父親であるエックハルト伯爵は、あの大災害級の魔物討伐の際に「風の魔法書持ち」であった最愛の妻を亡くして以来、長男と2人の娘たちが魔法に関わるのを極端に嫌っていた。


エックハルト伯爵にとって幸いな事に、長女は「本なし」であった。

妻亡き後、伯爵は長女を甘やかし、好き勝手にさせた為、かなりの我儘娘に成り果ててしまった。亡き妻にそっくりな愛らしい顔をしたウィルメットの頼みなら、月でも星でも取ってくる勢いで甘やかしたからである。


目に入れても痛くない愛しい娘もそろそろ適齢期となり、エックハルト伯爵ははたとウィルメットの今後を考えた。

しっかり者の長男と次女なら、自らの手で運命を切り開いていくであろうが、ウィルメットには無理だ。

自分がこの世を去った後、自分の代わりにウィルメットを守る人間を探さなくてはならない。


「本なし」に固執するあまりに、貴族社会に於いての婚姻は「魔法書」同士の婚姻に他ならないという事を、失念したのか、見ぬふりをしていたのかはわからないが、我儘娘の噂も相まって、結局長女に良い縁談は持ち込まれなかった。

地方貴族の傍系との縁談がある事にはあったが、やれ山沿いは魔物が多いとか、やれその地方は遠すぎて中々会えないとか、理由をつけては断り続け、

縁談がピタリと止んだ18の年にとうとうエックハルト伯爵は決断した。


王国で1.2を争う大商会シュナイダー家の長男であるデレックスに白羽の矢を立てたのである。

シュナイダー商会にすれば、我儘娘はさて置き、名門エックハルト伯爵家と縁続きになれるのであれば、これ以上無い話であったため、当主は当人であるデレックスに相談もせず、二つ返事で承諾した。

事後承諾やむなしに至ったデレックスは相談も無しに重大事を決めてしまった父親に腹を立てたが、冷静に考えてみれば、名門伯爵家との縁組は渡りに船、商会の更なる発展に役立つであろう皮算用もあり、その後は粛々と婚姻準備に勤しんだ。


「我儘と噂のウィルメット嬢より、才色兼備と名高いウィノラ嬢を迎えたかったが、彼方は「風の魔法書持ち」。間違っても商家に下る事はないであろう。ならば、ウィルメット嬢を一から教育するしかあるまい。」

「本なし」ではあるが、王立大学で政治と経済を学び、首席で卒業した才人デレックスは呟いた。


やっとウィルメットを片付けた、否、ウィルメットの嫁ぎ先が決まったエックハルト伯爵だったが、伯爵にとって不幸な事に、長男フォルカーと次女ウィノラは「風の魔法書持ち」であった。

そもそもエックハルト伯爵家は代々、上級魔法の風属性を継承して来た名門である。

エックハルト伯爵も「風の魔法書持ち」である事は勿論、亡くなった伯爵夫人もエックハルト一族の「風の魔法書持ち」であったのだから、生まれた子供達が「本なし」で生まれてくる可能性の方が低いのだ。


長子フォルカーが生まれ魔法書鑑定にて

「魔法書持ち」と神殿で告げられた時、

エックハルト伯爵夫妻は飛び上がらんばかりに喜んだ。

長女ウィルメットが「本なし」と告げられた時は、絶望に打ちひしがれた。

次女ウィノラが「魔法書持ち」と告げられた時はほっとした涙を流した。


そんな貴族としては当たり前の感覚が、

あの大災害級の魔物討伐で変わった。

国難であった故に、貴族の「魔法書持ち」は

老若男女関わらず召集され、討伐軍として戦う事になった。

隣国からも援軍が送られ連合軍となった。


伯爵夫妻は二人とも風属性だったため、属性の配分と言う名の下、別々の討伐チームに配属されてしまった。

アインホルン王を含め多数の犠牲者を出すという、大き過ぎる代償を払い戦いは終結した。

九死に一生を得て、エックハルト伯爵が妻の元にたどり着いた時、最愛の妻は既に事切れていた。

身体には大きな魔物の噛み跡の様な傷があった。

冷たくなった妻の身体を抱きしめて邸に帰還した伯爵は幾晩も妻の屍を抱きしめて泣き暮らした。


妻を失ったその日から、エックハルト伯爵は魔法を嫌うようになった。

魔法が愛する妻を奪った。

「魔法書持ち」で無かったなら、妻は今も生きていた筈だ、と。


3人の子供達はエックハルト伯爵の気持ちが痛いほどわかった。

子供達だって母親を失ったのだ。

愛するこの世でただひとりの母親を。


失った母親への思いは家族皆同じだったが、

ただひとつ違っていたのは方向性だった。


エックハルト伯爵は魔法を憎み、


フォルカーは魔物を憎み、


ウィノラは無知を憎んだ。


ウィルメットだけは何も憎まずただ悲しんだ。



フォルカーはエックハルト伯爵の反対を押し切り魔法師団に入団したが、本来優しい性格のウィノラは父の反対を押し切る事が出来なかった。

王立大学への入学を認めて貰おうと必死に何年も説得し続けたが、もう誰も失いたくないエックハルト伯爵にとってはウィノラの最終目標が魔法研究であることがわかるだけに認める事は絶対に出来なかった。

かと言って「魔法書」目当ての婚姻など言語道断であるし、今後の身の振り方を考えると八方塞がりで叫びたくなるほどだった。


転機が訪れたのはある夕食後の団欒の席であった。その日、師団から一時帰宅していたフォルカーが北の塔の管理担当の話を始めた。


「うちの副長、急に北の塔の管理担当に転職しちゃったんだよね。水の貴公子の二つ名を持つノア・シュルツ卿がだよ?憧れて目標にしてたのにな」

フォルカーがため息をつく。

「ノア・シュルツ卿!シュルツ侯爵の御次男が?」

エックハルト伯爵が瞠目して尋ねる。

「ノア様ってあの貴公子ノア様!!」

ウィルメットが急にソファーから立ち上がり

拳を握り締めて叫んだ。


「お姉様、はしたないです。

 御座りになって」

美形攻撃には完全防御のスキル持ちのウィノラが悟す。

「ウィノラったら、気にならないの?

あの大人気の水の貴公子様よ。一度でいいからお話してみたい」

ウィルメットの余りの熱心さに、さしもの娘溺愛伯爵も小さな声で諭した。

「ウィルメット、御前にはデレックス殿がいるであろう。間も無く婚礼だというのに」


ウィルメットはほんのり頬を染めて恥ずかしそうに俯いた。

「もちろん、デレックス様が一番素敵です」

エックハルト伯爵は満足そうに云々頷いている。


そんな親子を横目で見ながらウィノラはふっと微笑んだ。

「デレックス様とお姉様は本当にお似合いだわ。我儘放題だったお姉様もデレックス様には素直に従っている。デレックス様もそんなお姉様を大切にしてくれている」

ウィルメットが我儘放題だったのは、母を亡くした寂しさからで、その寂しさを埋めてくれる相手が現れ、本来の優しく素直なウィルメットに戻っただけの事。


「それにしてもお父様はいい仕事をされる」

親馬鹿の最高峰、エックハルト伯爵がウィノラのこの言葉を聞いていたら間違いなく、嬉しくて庭の池に飛び込んだであろう。


ウィノラの言葉が聞こえなかったエックハルト伯爵は、急に何か思いついたようで、瞳を輝かせながらフォルカーに尋ねた。


「もしかして北の塔の管理担当の副官席はまだ空いているんじゃないか。」

「シュルツ卿目当ての令嬢たちがこぞって名乗りを上げたみたいだけど、あからさまなシュルツ卿狙いの方々は門前払だったみたいで、結局まだ全員は決まってないらしい。」

シュルツ卿には興味の無い筈のウィノラが珍しく口を挟む。

「全員ってどういう事ですの?元から働いていた方もいらっしゃるでしょう」

「それが今回は辞めたり異動したりで、全員一気に変わるらしくてね。

まぁ、そうは言っても下働き含めて5人か6人しかいないから」

ウィノラが興味を示し始めたのを機に、エックハルト伯爵がおもむろに切り出した。

何故か目は泳いでいる。


「なあ、ウィノラ。

 北の塔で働いてみたらどうだ。

 管理担当の副官なら、まだ空いているようだし」

子供達は皆驚いてエックハルト伯爵を見た。

「北の塔には、魔法関連の大きな図書室がある。珍しい蔵書も多いと聞く。

あそこなら暇、いや、時間に余裕もあるだろうから、読み放題じゃないか」


魔法嫌いの伯爵に何が起こった、とウィルメットは愛らしい子鹿の様な瞳を大きく見開く。

そんな姉に笑いかけながらウィノラは父の思惑を完全に理解した。


「魔法研究所勤めは阻止したいが、

かと言って魔法書目当ての婚姻は愚の骨頂。北の塔なら人は滅多に来ないから貴族と知り合う事も無いし、シュルツ卿はいるがウィノラは無関心。魔法関連の図書を読めればウィノラは幸せだろうし、それくらいなら許容範囲だ。」


心の声が丸わかりです。お父様。

しかしウィノラも悪い話ではないと思った。

「やってみたいですわ。そのお仕事」


かくして名門の力を遺憾なく発揮してなのか、

はたまたウィノラの前評判の為せる技なのか、

エックハルト伯爵家令嬢ウィノラは北の塔の管理担当の副官に決まった。


ただ一つエックハルト伯爵にとって誤算だったのは、北の塔の管理は泊まり込みだった事である。

無関心とはいえあのシュルツ卿とひとつ屋根の下とは。エックハルト伯爵は泣いて止めたが、時既に遅し、であった。


この凄まじき父性愛。

愛すべきかな、エックハルト伯爵。




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