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傀儡の恋

作者: 椿 綾羅


 私はただ、愛し愛されたかっただけなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。

 誰もいないリビングのソファーに体育座りし、泣きはらした目をそのままにぼんやり正面を見ていた。

 いつも、くだらないバラエティーが付いているテレビは沈黙し、おしゃれな部屋の調度品やいい香りを放つピンクがかった花は、色彩を失ったように寂しい雰囲気を醸し出していた。床には、こぼれたアイスコーヒーと粉々に割れたペアグラスの片方がそのまま落ちていた。

『なんか辛いことあったの? 』

 優しい声が聞こえたような気がして顔を上げたが誰もいなかった。

 ふと、その幻聴のせいで、いつも隣にいてくれた体温を思い出した。いつも、辛い時は私に寄り添ってくれたあの優しい体温。どうせ、自分は誰にも愛されないし、自分でも自分を愛せないと自暴自棄になっていた時に優しく差し伸べてくれた手。自分自身も愛せないのに、誰かを愛する資格なんてないと泣いて拒絶したのに諦めずに優しく抱きしめてくれた腕。

 そして、いつも、優しく私を安心させるように、ちゃんと愛していると伝えるように言ってくれた言葉。

 そのどれもが、傀儡として生きてきた私には嬉しかった。ちゃんと私を見てくれる。私自身を、誰も愛してくれなかった私をそのまま受け入れて愛してくれた、たった一人の大切な人だったのに。

 それなのに、私は、知ったふりをしないでと言って拒絶した。拒絶して、求めて。それを繰り返した。

 怖かったのだ。自分自身を求められることが、愛されることが。

 ずっと、愛されなかった、自分自身ではなく、傀儡としての、便利な人形としての私しか求められたことがなかったから怖かった。裏があるのではないか、そう思ってしまった。嬉しい反面、それが長続きするわけないと無意識に思ってしまったのだ。

 ただ単に、それを信用していなかったと言えばそうなのかもしれない。当然だ。初めて自分を求めてくれた。だけど、もし、幻滅させてしまったら? 嫌われてしまったら? そんなことばかりが頭に浮かんだ。

 絶対にそんなことはなかったはずなのに。

 ふと、テレビの前に置かれた写真立てが目に入った。カバーの部分にひびが入っていたが、それでも写真の中の二人は笑っていた。

 ゆっくり足を延ばして、地面に着け、ソファーを立ってそれを手にした。

 確か、この写真は真夜中に二人で海までドライブしに行った時の写真だ。偶々、二人とも次の日が休みだったのと、お互い夜の海に興味があって行ったのだ。

 結局、真っ暗で何も見えなかったけど、月がきれいだったから、ちょっと軽いノリで月がきれいですね、って言ってみたり、車内で体を重ねて帰ったんだっけ?

 あの時の私は珍しく気持ちを伝えていたっけ。懐かしいなと思いながら、写真をなぞった。

 あの日のように素直にいられたら、まだ、チャンスはあったのだろうか。傀儡ではなく、人として誰かに必要とされるチャンスが。

 だが、もし仮にあったとしても、それを無駄にする選択をしたのは自分だ。

 ふと、昔自分の主人(ははおや)が言っていた言葉を思い出した。

誰に何と言われたとしても、何に影響されたとしても、自分で選んだ選択だと。自分で選んだ選択は自分で責任を取らなければならない。例え、間違った方であったとしても。

 そうだ。私は、選択したのだ。

全部抱え込んで、黙って何も言わずに掴みかけた手を放した。いや、振り払ったんだ。その癖に、また、求めては振り払って。本当にどうしようもない。クズ以下ではないか。傀儡の中でも使えない傀儡ではないか。責任を取ることすらできない選択肢を選んでいるところで傀儡以下なの確定か。やることすべてが最低辺だなあ私。

『ねえ、何がしたいの? ごめんだけど、付き合いきれない』

 リビングダイニングの方を向くと、数時間前の私たちの幻覚があった。

 珍しく怒っている相手に、何も言えず、ただ黙る私と静かに答えを待ってくれている彼。

 俯いてずっと黙っている私にしびれを切らしたのか、諦めたように、少し寂しそうに、ため息を吐いた。

『ごめん、俺には幸せにできないみたいだし、ちゃんと愛せなかったみたいだね』

 そう言って私に背を向ける。私は、彼を追おうと手を伸ばしかけるが、彼は悲しそうな眼をしながら首を振り、幸せになってね、とだけ呟いて部屋から消えた。それと同時に私の幻影も消えた。

 本当に何がしたかったのだろう、と自問自答してみる。

 傀儡の自分が考えるには少し億劫だったが、ゆっくり、考える。

 「わたしは……」

 かなりかすれた声が自分の喉から出るのを感じた。

 「わたしは、求められたかった、自分自身を。だれかに愛されたかった……ほんとはもっとちゃんと愛したかった、自分のことも、貴方のことも……」

 もうどこにもいない、彼の幻覚に対してそっとそう呟いた。それは、終わりを迎えようとしている自分自身に対しても言っているようにも思えた。

 もう、涙は流さない。きっとこれが最初で最後の私自身の恋。この恋を越える出会いはもうないだろう。だから、泣いて終わりたくない。

 すっかり解けた氷で薄くなってしまったアイスティーを飲み干し、グラスが手から滑り落ちた。お気に入りのペアグラスは先に割れていた片方を追うように、すぐ近くに落ち、大きい音を立てて割れた。

 きらきら輝いていた何かが、粉々に砕ける音と重なって聞こえたような気がした。

 割れたグラスをそのままに、そっと、二人でドライブに行くときにかけていたあの歌を口ずさんだ。

 傀儡ではない、本当の私が生きていた最期の思い出として。

 歌い終わるころには感情が消えた傀儡に戻っていた。

 次の瞬間には彼がいた形跡と、割れたグラスを捨てるために行動を起こしていた。


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