ep2<少年は青年となりて②>
諸事情でずいぶん遅くなってしまいましたが続きです。これからも不定期になってしまうと思いますが、なるべく早く書けるようにするのでよろしくお願いします。
パチリ、パチリと小さく火花を散らしながら燃える薪をアラムはぼんやりと眺めている。
結局、あの後マギサは天幕に引きこもり出てくる気配はなかった。
「なあ、コハク。俺、なんか余計なこと言っちまったのかね」
「グァゥ」
もはや親友とも呼ぶべき獣に青年が問いかけると、コハクはそれに応えるように小さく吠える。
その声には子供を叱る親のような厳しさと優しさが共存していた。
薪から出た煙が夜空に消えていく。
そこには満天の星々が光り輝いていた。
「...すまん、お前にまで心配かけちまった。俺も今日はもう寝るよ、おやすみ」
アラムはコハクの頭を一撫ですると薪を消して天蓋の中に入った。
宿で使われているベッドと比べると明らかに堅い寝具に身を預けると青年はマギサの言葉を思い出す。
「俺の望み、ね...」
それが解らなくなったのは、きっとあの日からだ。
十年前、皇帝の死とともに起こった争乱は大陸全土に広がり数えきれない死者を出した。
多種多様な種族や思想が存在していたアストラ帝国は、皇帝という楔を失ったことにより混乱に包まれたのだ。
皇帝の血が途絶えたのなら、誰がこれから民を導くのか。
この機に乗じて他の勢力が帝国の主導権を狙っているのではないか。
人々の胸中に渦巻く不安や疑念は差別や敵対心へと変わり、それによって引き起こされた暴動によって膨大な血が流れることになった。
その地獄を生き延びた幼い少年の胸にあったのは安堵や喜びなどではなく、それらとは真逆の罪悪感ともいうべき感情だった。
父も母も、暴動によって命を落とした。
多くの無辜の民が無念のうちに息絶えた。
それなのに、無力な子供に過ぎなかった自分は生き延びた。
あの場に居た誰もが欲したはずの未来を、何としてでも生きたかったはずの時間を、自分は生きている。
それならばこの命と与えられた時間は、有意義なものでなくてはならない。
どんな幸運にも対価は伴うべきであり、誰かに救われたのならば同じように他者を救うのが生き残った自分に課せられて然るべき責務なのだ。
いつしかそんな思いが、アラムの心には根付いていた。
それは彼を他者を重んずる心優しい青年へと成長させた一方で、その自己を極めて希薄なものへと変えてしまった。
いつしか脳裏に刻みついた強迫観念に囚われながら、どう生きてどう死ぬべきかを問い続ける中で、青年はいつしか明確な個としての願望を喪失したのだ。
「...考えたって解らんものは解らんか」
胸の中にあるものを吐き出すかのようにアラムは大きくため息をつき、灯りのない真っ暗な虚空をぼんやりと眺めた。
どれだけ考えても、今の彼には恩人からの問いに満足な答えを出すことが出来なかった。
思考を諦めるように瞳を閉じる。
外からは夜風が木々を緩やかに揺らす音が聞こえてくる。
天幕の中に広がる暗闇の中で、青年はその意識を手放した。
*
「つまらぬ。汝という人間は本当につまらぬな」
何も存在しない真っ白な空間にそんな声だけが木霊する。
歌声のように美しい、されど力強く畏怖すら覚えてしまうような凛とした女性のような声。
右も左も空も大地も曖昧な虚無の中、彼はただそれが織りなす言葉を聞いていた。
「ここは汝そのものだ。何も願わず、何も求めず、この虚無を埋めようとすら思っておらぬ。そうして何も持ち合わせずにいれば何も喪わずに済むからだ」
そんな非難の言葉を否定することなく、彼は無限に続く空白を眺める。
この声の言う通りだ。
望みを持たないのは臆病だからだ。
何も希望しなければ、それを踏みにじられて絶望する必要もない。
善良さを真似たのはその方が楽だったからだ。
ただ誰かのために生きていれば、無力で空虚な自分のままでいることを許して貰える気がした。
故にそこに願いと呼べるものは存在していない。
両親を喪ったあの日、きっとアラム=ウォルクスはとっくに壊れていた。
「やはり何も言い返さぬか。まったく忌々しい小僧だ。我はいつまでこの抜け殻の中に縛られ続けねばならぬのか」
声の主はそう吐き捨てる。
抜け殻。中身を失い形骸化した存在。
願いもなくただ生き続けてきた自分に相応しい呼称だと青年は思う。
夢の終わりが近づき視界が眩みだすなかで、どこか自嘲気味に笑いながら彼はあの日のことを思い出す。
全てを失いながら尚、この世界に縋り付いたあの日の少年は何を願っていたのか。
そんなことすら、今の彼には解らなかった。
*
「...体痛え。やっぱベッドに比べると寝心地悪いな」
アラムはそうぼやきながらゆらりと寝具から身体を起こして伸びをする。
こうして長く旅を続けていると、自然と日が昇る時間に目が覚めるようになる。
天幕から外に出てみれば朝日が草原を照らし、広がる緑が太陽の光を纏い瑞々しく輝いている。
「今日も晴れで良かったな。この調子なら予定通り昼には街に着けるだろ」
昼夜を問わず星導式の研究に没頭しているマギサの代わりに、旅の予定を立てたり食料を管理するのが青年に与えられた役割だった。
「しっかし、グランディアに行くのも三年ぶりか。魔煌山のみんなは元気にしてるかね」
魔煌山グランディア。それが彼らの次なる行き先だった。
アストラ大陸の産業の中心地であったそこは、帝国崩壊後も大きな影響力を持ち続けてきた。
他の三つの勢力と比べてグランディアは外部からの人の出入りに寛容であり、ゆっくりと大陸全土を回る二人にとっても人や物資、そして情報が集まりやすい馴染み深い拠点の一つだった。
現在地であるこのアルタイ平原からは中継地点である小さな街を挟んでおよそ三日後には到着できる距離にある。
「今度こそ、見つかりゃいいんだけどな」
ゆったりと大陸中を進む彼らの旅にも一応の目的が存在している。
それがマギサの知人を探し出すというものだ。
彼女とは幼い頃からの腐れ縁だったらしいその知り合いは帝国崩壊と同時に行方がわからなくなり、二人は旅の中で大陸内のどこかにいるはずのその男を探してきた。
およそ十年にもわたる長い旅の中で何度かその足取りは掴んだものの、まるで意図的に避けられているかのように明確な行方を掴むことが出来ておらず、こうして今もこの人探しは続いている。
マギサ曰く、『剣の腕だけは立つ男なのでどこかでのたれ死ぬことはないだろう。おおかた私に追いかけられていることを知りながら説教をされるのが怖くてのらりくらりと逃げ回っているだけだ』とのことだ。
「...グァウ」
「おっと、すまん。お前にも朝飯をやらないとな」
この旅のもう一人の功労者はあくび混じりの唸り声を上げる。こうしてコハクの世話をするのも青年の仕事の一つだった。
朝食を催促する親友の声に、いつもと同じように餌となる乾燥肉を荷車まで取りに向かう。
アラムがそれを見つけたのは、その時のことだ。
「なんだこれ、こんな荷物あったか?」
芋や乾燥肉などの食料や壺の中に溜められた水が積まれている荷車の上に、そこに置いた覚えのない大きな布で覆われた何かが横たわっている。
泥まみれの汚れた布は時折もぞもぞと動いていて、おそるおそる触れてみれば柔らかな感触と僅かな熱を伝えてきた。
(この感触...親とはぐれた獣か何かが迷い込んだのか?)
そんなことを思いながら耳を済ませると小さな寝息が聞こえてくる。
ぐっすり眠っているようだが、このままにしているわけにもいかない。
彼らはもうすぐこのアルタイ草原から立ち去るのだから、ここに生息する獣の子供なら生まれ育った場所から連れ去ることになってしまうからだ。
その眠りを妨げてしまうのを少しだけ申し訳なく思いながらその布を捲ると、アラムは目を見開いた。
「...は?」
そんな間の抜けた声が青年の口から漏れる。
それもそのはず、布の下に居た寝息の主が一人の女の子だったからだ。
青空を連想させる水色の髪と傷一つない白磁の肌。
ありふれた村娘のような装いをしていても一際目を引くのはこの少女の可憐さゆえだろうか。
まだ幼さが残る顔を小さくしかめ、その華奢な身体を震わせながら、少女は青年に気付くこともなく依然として眠り続けている。
そこでようやく少年の認識は目の前の状況に追いついた。
「はあぁぁぁぁぁッー!?」
驚愕と困惑を含んだ疑問符がアラムの口から早朝の草原へと響き渡る。
驚嘆の声は天幕の中で眠っていたマギサの目覚ましとなり、コハクは気にも留めずに欠伸を漏らすのだった。
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