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8話ー歩み寄る番


「待たせちゃいましたか?」

「待ってないですよ、さっき来たところです」


 一週間後の土曜日。

 私は塩浦くんとの食事のため、池袋駅の中央改札口で待ち合わせをしていた。

 

 午後7時の池袋はすでに夜の喧騒がごった返し、どこか怪しげでありながら未知の路地裏へと誘い出されそうな、そんな都会の裏側のような香りが漂っていた。


 私たちは歩幅を合わせ、その夜の街へと吸い込まれるように消えていく。

 2人の距離は20センチほどを行ったり来たりして、指が触れそうで触れないような感覚に、私の胸は少しだけ高鳴る。


 ふと、ちらりと彼を横目で眺めた。


 私より、頭一つ分大きい背格好。

 グレーのニットにメイビーのスラックス、そして袖にストライプ模様に入ったモスグリーンのチェスターコートを羽織っている。


 歩くたびに揺れるコートからは、紅茶のような甘い香りがふわりと漂っては私を優しく包み込んでいく。

 いつもの職場で見るかっちりとしたスーツ姿とは違う、どこか抜け感を感じる私服姿に私は彼との距離が少しだけ縮まったようにも思えていた。


 歩いて10分ほどの距離だっただろうか。

 サンシャインの近くにある中池袋公園に隣接したイタリアンレストランに私たちは入店をした。

 私はこのお店の前を何度か通りかかったことがあったために見覚えがあった。


 外観からはお店の雰囲気がわかりづらかったが、店内はワイングラスの煌めきに彩られ、テーブルに並ぶ料理はどれも絵画のように美しく、陽気な音楽が流れているとても華やかな空間であった。


 綺麗な服装のウエイターに彼は2名で予約してますと伝え、ウエイターがそれを承ると奥にあるソファー席の個室へと案内してくれた。

 私は彼と対面する形で座っていて、なんとなく真正面に座ってみる。


「お休みの日なのに来てくれてありがとうございます」

 彼は礼儀正しく、私にお礼を言った。


「ううん、そんなことないよ。私も日ごろから塩浦くんにお世話になってるし、食事ぐらいいつでも行くよ?」

「そういわれると、少しだけ恥ずかしいです」


 彼は照れ臭そうにはにかんだ。

 職場では見れない彼の素顔に、私は思わず目を逸らした。


「時間もあれですし、先にお酒と食事選んじゃいましょうか」

 彼は慌てるようにして、テーブルに立てかけてあったメニュー表を取り、私の前に広げる。


「わぁ、美味しそうなばっかりだね」

 私はそのメニューの充実さと、そこに映る料理の写真に胸を膨らませた。


「ここのお店の料理は全部外さないです。本当に美味しいものばかり揃ってますよ」

 塩浦くんは得意げに答えた。


 これとこれとこれなんかがいいですねと言いながら、メニューを次々と指さしていく。

 私も頭を悩ませながらメニュー表を指さし、「じゃあこれとこれとこれがいい」と彼に伝える。


 彼は近くにいたウエイターに声をかけると、「金のサラダ、3種肉とチーズの盛り合わせ、魚介のアヒージョ、マルゲリータ」と次々に頼んでいき、お酒のメニュー表からは同じ白ワインをグラスで2つ頼んだ。

 少しの雑談をしていると、真っ先にパンとチーズのお通しと、滑らかに透き通る白ワインが目の前にサーブされた。


「じゃあ、飲みましょうか」

「うん」


 私と彼はワイングラスのステムを持ちあげ、囁くような声で「乾杯」と2人で微笑みながら、チンとワイングラスを合わせた。


「こうやって話すの初めてですね。もう知り合ってから4年も経つのに、なんだか不思議です」

「そうねぇ。なかなか話す機会なかったもんね」


「上井さんにはずっとお礼が言いたくて、ずっと仕方なかったんですよ」

「お礼?」


「はい。お礼です」

「私、そんなお礼言われるようなことはなにも……」


「いいえ、私には上井さんに返せないぐらいの恩があります」

「いや、そんな大げさだって」


「大げさじゃありません。今私がこうやって仕事で成果を上げられているのも、一番最初に私に仕事を教えてくれた上井さんのおかげです。何もできなかった私に丁寧に仕事を教えてくれたお礼を私はずっと言いたかったんです。本当にありがとうございました」


 彼は私に深々と頭を下げた。

 私は彼のその行動に困惑し、思わず反射的に「ごめん」と口走った。


「すごく不安しかなかったあの時に、小さな仕事を私にくれて、合ってるかどうかもわからないのに"ありがとう"と言ってくれたこと、心の底から嬉しかったんです。上井さんにとってはすごく些細なことだったかもしれませんが、私にとっては今でもその思い出は凄く大きいものなんです」


 私は彼のその真剣なまなざしに思わず、恥ずかしさが私の体を駆け巡った。

 照れを隠すのが苦手な私は、紅潮した顔で彼から目を逸らすのが精一杯であった。


 十分大人になってしまった私は、そんな4つも年下の男の子の真っ直ぐな言葉についやられてしまった。

 大人になってしまったためか、純粋すぎる恥じらいのない彼の言葉に、どうも私の免疫は対抗することが出来ない。


「あ、ありがとう……」

 私にはこの言葉が精一杯であった。


 恥じらいのせいか、それ以上言葉が出ることなく一度会話が途切れてしまい、私と彼との間になんとも言えぬ空気が流れる。

 するとタイミングを見計らったかのように、美味しそうな匂いをまとわせながら注文した料理がテーブルの上に次々と並ぶ。


「美味しそうですね」

「うん。すごく美味しそう」


 私と彼から笑みがこぼれる。

 私たちは食事の前で手を合わせ、「いただきます」と笑いあった。

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