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4話ーカフェオレの記憶


『昨日はお疲れさまでした。無事帰れましたか?』


 土曜日の早朝、私は1件の通知に目を通した。

 塩浦くんからであった。


 初めてのメッセージのやりとりが、まさかこんな形で始まるとは私は思ってもみなかった。


『ありがとうございます。無事帰れました』


 私はポンとメッセージを投げる。

 塩浦くんのアイコンには一匹の猫が寝ている写真が設定されていて、とても外見に似つかないほど、かわいらしく見えた。


 私はよいしょと上体を起こす。

 世界がゆらりゆらりと波を打っているような感覚に襲われ、私は久しぶりに二日酔いというものを体験した。

 29歳にもなってお酒の飲み方を間違えてしまうなんてと、なんて様だろうか。


 私はよれつく足取りで冷蔵庫まで向かうと、プラスチックの容器に入った麦茶をコップに注ぎこみ、それを一気に飲み干した。

 空になったコップを台所に適当に置く。

 私はそのまま食卓の椅子に座り、ボーと背もたれに頭を傾げた。


 こういう時、私はふと寂しさを感じる。


 昨夜の塩浦くんの優しさの名残がまだ触れた右腕に微かに残っているようで、私はそれを取りこぼさないようにそっと腕を擦った。


 すると、タイミングよくスマホの通知音が鳴った。

 そこには"スタンプを送信しました"という文面だけが表示されていた。


「あぁ、会話終わっちゃったな」

 私はそっとそれをスライドし、画面を開く。


 猫が擬人化したような可愛らしいスランプが小さな右手を挙げて"OK"と吹き出している。

 これでは会話を続けたくても続けられないじゃないか。


 スタンプという機能はとてもめんどくさい。

 これが送信されてしまうと、もはやスタンプでしか返信できなくなってしまう。


 それが返信されないことは私もよく知っている。

 返信がないことは分かっていても辛いものがある。

 だから、私はそこで返信をすることなく、そっと画面を閉じた。


「塩浦くん……」

 誰もいない、薄暗がりの部屋の中で私は彼の名前を呟いた。

 朝の木漏れ日がカーテンの隙間から差し込み、窓の外ではちゅんちゅんと鳥の囀りが聞こえる。


 私はその眩しさにやられ、ふと瞼を閉じた。

 テーブルの上で、震えずに静かに置かれるスマホ。


 半ば諦めたため息が私の口から漏れ出たその時、ピコンという音とともにメッセージを受信した音がスマホから鳴った。


『おっはー!空季今日ひま?呑み行かない?』

 朋美からのメッセージであった。


『いいよ、予定空いてる。どこに行けばいい?』


『返信はや(笑) じゃあ、新宿南口で17時集合ね』

『おっけー』


 私はそのあとに"了解"というウサギのスタンプを送った。

 大人になるにつれ、素直に話せる相手は少しづつ減っていき、今じゃ朋美にしか自分の気持ちを出せないでいる。


 もし、ほかに愚痴を吐くとしたらツミッターになるのだろうか。

 私はツミッターを開き『友達と呑み楽しみ!』と書き込む。


 当然、そんな独り言に反応はあるわけではないのだが、こうやってどこのだれかは分からないネットの世界にぼやくことが一種の中毒症状のようになっている。

 気づけばもうこれを初めて約6年が経ち、数万の独り言を書き込んでいた。


 予定が埋まったと思うと、少しだけ気が楽になる。


 人間というのは不思議なもので、緊張とか不安がなくなると急に腹が減りだすようで、私もその例外ではなく、ぐぅと腹の音が鳴った。


 私は椅子から腰を上げると台所へ向かう。

 冷蔵庫を開けると、中はすっからかんで、あるものとすればパックの空いた卵が5つ、使いかけの厚切りベーコンが半分、賞味期限が明日の飲み切れない牛乳パックだけが鎮座している。


 酔いの残る体を奮起させ、私は朝食へと取り掛かる。

 引き出しの中にしまってあった食パン袋を出し、そこから2枚の白い食パンを取り出すと、それを真っ白なお皿の上に乗せた。


 そして次に、そのパンの上に乗る具材を作っていく。


 銀色のボウルの中に、2つの卵をぱかりと割ると、そこに牛乳を注ぎ込む。

 菜箸で黄身を突き、白と黄色が程よくかき混ざったところで、塩と黒胡椒と、少しばかりの白砂糖、そして香りづけのバジルを一つまみ入れる。

 白身がなくなるまでかき混ぜたら、よく熱したフライパンの上にそれをゆっくりと注ぎ込んだ。


 じゅわっという音ともに、ぱちぱちと卵の焼けるいい香りがする。

 強火の加熱を一気にとろ火にまで調整し、余熱だけでフライパンの上の半熟な卵をかき混ぜていった。

 綺麗な円状に焼かれた卵をフライパンの上で器用に四角く折りたたんでいく。


 卵の裏面に火が通ったところで、それを1枚のパンの上に乗せた。

 フライパンを一度洗い、再び火つけ油を引くと、次はその上に厚く切ったベーコンを2枚乗っける。

 こんがりと焼けるいい匂いが漂い、少し茶色い焦げ目が両面についたところでそれを先ほどの卵の上に乗っけた。


 そしてそこにケチャップをかけ、ミックスチーズをパラパラと振り、もう1枚のパンで挟み込んだ。


 私はここにもうひと手間加える。

 ごそごそと食器棚の中から、ホットサンドプレス機を取り出すと、私は皿の上のサンドイッチをその中へ設置し、パチリと機械の電源を入れると、上の持ち手を下の持ち手まで下げた。


 プレス機の温度はみるみる上がっていき、たちまちにパンの焼けるいい匂いが立ち込め、私ははやくはやくと無機質なプレス機を急かした。

 けれどもプレス機はそんなことは微塵の気にもせず、ゆっくりとパンを丁寧に焼いていく。


 私が待ちかねていると、パチンという音ともに温度の電源が消え、ようやくプレス機は焼き上がりを私に知らせた。

 焼けたホットサンドを木のまな板に乗せ、耳をざっくざっくと包丁で切っていく。

 切った耳は適当なさらに移し、綺麗に耳の取れたホットサンドを白いお皿の上に乗せた。


 無造作に冷蔵庫の上置かれたカフェラテのインスタントスティックを箱の中から一本取り出し、それをマグカップの中に入れ、お湯を注ぐ。

 コーヒーとミルクの香りが湯気となって立ち上り、それは優しく私の鼻をくすぐった。


 たまには気持よく食事が食べたい気分になり、とふとカーテンの閉まったベランダを見つめた。

 私は誘われるがままにその窓まで近づくと、クリーム色のカーテンをサッと開けた。


 外からは太陽が燦々と部屋の中へと降り注ぎ、じめじめとした薄暗さを取り払うかのように部屋の中に温度がぽわぽわと上がったような気がした。

 アパートの4階ということもあり、小さなベランダは今日もちょうどいい日当たりをしている。


 私は物が押し込められた押し入れを開き、その中から水色のストライプ柄をしたレジャーシートと小さな折り畳みのテーブルを取り出し、ベランダに広げた。

 小さなテーブルの上に、先ほどのホットサンドとお気に入りのマグカップを置き、私は窓の開閉口の小さな段に腰を下ろす。


「いただきます」と手を合わせると、私はホットサンドに手を伸ばし、それをがぶりと頬張った。


 卵の甘みと、ベーコンの塩味と肉汁が混ざり合い、それをチーズが仲良く旨味を繋いでいる。

 熱を帯びたチーズが、とろんとたわみながら伸びていき、私はそれを慌てて頬張った。


 私は口の中に溢れ出す至福に、思わず笑顔がこぼれた。

 その美味しさに食べる口は止まらず、ホットサンドはあっという間に消化される。


 カフェオレをすすり、ちょうど満腹の一息をついていると、ちゅんちゅんという音ともにベランダに2匹の青い鳥が止まった。


 ここらへんじゃ見ない鳥だなと、思わず私は見惚れた。

 その2匹は番のようで、お互いが羽を擦り合わせながら密着している。


 私は思いついたかのように台所へと戻り、先ほど残していたパンの耳を手元まで持ってきた。

 多分食べてくれるだろうなと思い、パンの耳を小さくちぎり、少し離れたところにポイっと放る。


 すると、青い鳥は2匹ともそのパンの耳の元へと下り、可愛らしくちゅんちゅんと囀りながら、仲睦まじくそれを啄んでいた。

 その愛らしさに、私はポイポイとパンの耳をちぎっては放り投げてみた。

 ちょうど2本分をちぎり終わったところで、鳥の番は羽根を広げ、遠く白い雲の彼方へと羽ばたいていってしまった。


 また静かな時間がベランダに訪れる。

 時たま、涼しげな風がベランダへと吹き込み、それはバレリイナのワルツのように部屋の中を踊りながら、ふわりと消えていく。


 強がってはいるものの、誰もいない寂しさは拭えない。


 私は鳥が消えていった青い空に目を向ける。

 自分のやりきれない寂しさの影を飛ばすように、鳥の羽ばたいていった澄み渡る空の遠くを私はじっと見つめていた。

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