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18話―恋敵


 お店を出て、少しばかりふらつく足に注意しながらエレベーターへと歩いてゆく。


 そんなに飲んだ覚えはないのに、どうも体が言うことを聞かない。

 私はもつれる足を慎重に運びながら、ゆっくりとエレベーターへと乗り込んだ。

 そして、壁に肩を寄りかからせ、呼吸を整える。


「大丈夫ですか?」

 私の肩を支えるように、東条さんは優しく私の背中から右肩へ手を伸ばし握った。


「はい……大丈夫です」

 小さく呟いたが、体は少しだけ震えていた。


 外の寒さにやられているだけなのだと、私は必死に思い込んだ。

 チンという音が鳴るとエレベーターはあっという間に1Fへと到着した。


「少しだけ外の空気吸いに行きましょうか」


 そういうと彼は先ほど通ってきた地下通路を通らず、ガーデンプレイスタワーの正面入り口から出て、時計広場をさっさと抜けていき、街路樹が立ち並ぶ中心広場へと向かった。


 広場に等間隔に設置された茶色いベンチの一つに腰を下ろす。

 小刻みに震えながら、空に向かって息を吐くと、雪の結晶のように白く凍り、空気に溶けて儚く消えていく。


「私……自分がわからないんです」

 私はふと、ひとりでに呟いた。


 意識はしていなかったが、今考えれば誰かに聞いてもらわなければ自分がの器から感情が漏れかかっていたのだろう。

 零れだした言葉が、私の白い息と混じって、またふわりと冬の空気に溶けていく。


「わからないっていうのは……?」

「自分はもう大人になったと思っていました……。誰かに憧れられる強い女性になったと思い込んでいました。だけど、自分の感情が砂のお城みたいに脆いって気づいたんです」


 私は震える拳をギュッと握った。

 目に映るく街灯がだんだんと涙でぼやけていく。


「話してごらん」

 東条さんは優しく私に投げかけた。


「私……塩浦くんのことがどうしようもなく好きみたいなんです」

 冬の風が私と東条さんの間を吹き抜けていく。

 数秒の永い沈黙が私の心臓を握る。


「そうでしたか……塩浦さんってあの営業のかたですよね?」

「はい。私の後輩なんです」


「意外ですね。私はてっきり塩浦さんは、事務の加藤さんと付き合っているのかと思っていました」

「――――っえ?」


 全身の細胞が一瞬にして硬直する。

 冷汗が額からたらりと流れた。


「今日バレンタインですよね。この間食堂で加藤さんと塩浦さんが話しているところを見かけたのですが、"14日空いてますか?"っていう会話だけは聞こえましたよ」


 先ほどからの私の震えはこの予感の前触れだったのだろうか。

 寒さとばかり思っていたが、今ではそれが違うと確信できる。


「2人は……そんなに仲が良さそうでした?」

「まぁ……友達以上な感じはしましたよ」


「そうですか……」

 私は涙が見えぬよう俯いた。


 確かにあの2人は年齢が一つしか離れていないし、仕事も塩浦くんの専属として事務作業を行っている。

 笑いあいながら話す姿を何度も目にしているし、距離が近いことは前から知っていた。


 その楽しそうな笑顔が、ときおり私の心を突き刺し、嫉妬させられたことだって数えきれないほどある。

 それでも私はもういい大人なんだし、それに彼は4歳も年下の男の子なんだから、そんなことでクヨクヨしてどうするんだと私は何度も自分に投げかけては、ずっと耐えていた。


 私もいつから意識するようになったかなんて、自分でもよく覚えていない。

 親だとか、友達だとか、仕事だとか、面倒くさい考え事が重なって、その時手を差し伸べてくれた塩浦くんをたまたま意識するようになってしまっただけなのに。


 今じゃ心が痛いくらい彼が好きだ。

 だからそんな現実を知りたくはなかった。


「はいこれ」

 東条さんがすっと私の前に青いハンカチを差し出した。


「……ありがとう」

 私はそれを受け取ったが、受け取ったまま握りしめるだけで使おうとはしなかった。


 涙は次第に渇いていき、涙腺の奥へと引っ込んでいく。

 私の浅い呼吸は次第に深い呼吸へとリズムを整えていき、先ほどまでの震えと冷汗はすでに止まっていた。


「それにしても意外ですね。上井さん、塩浦さんのことが好きだなんて。あまり話しているところ見かけなかったので、そんなの微塵も感じていませんでした」

「まぁ……普通そうですよね。私からもあまり話しかけていませんし、そう思われて当然です」


「少し……燃えますね」

「えっ?」


 私は聞き間違いなのかと思い、思わず聞き直した。

 だが、東条さんはニコニコと笑うだけで、それ以上話すことはなかった。


 ちらりと腕時計を見ると、時刻はすでに21時を回っていた。

 寒さがいっそう肌に突き刺し、指先がかさかさと乾燥する。


「そろそろ帰りましょうか」

「明日何か予定でもあるんすか?」


「いや特に予定があるわけではないですが……」

「もう一軒ぐらい回りません?」


「あ、いや、あの……」

 少しばかり強引に肩を抱寄せられる。

 私はその手を振り払った。


「ごめんごめん、私もすこしばかり酔っているようです」

「あ、はい……私のほうこそ―――」


 そう言いかけた刹那、私の背筋に冷たい何かがツーと撫でた。

 冷たい何かはまるで亡霊のように私の背中に抱き着き、「そろそろだよ」とそっと耳元で囁いた。


 その言葉に私は思わず後ろを振り向いた。

 ちらほらと番となる恋人たちの影が街頭に照らされて見える中、私の目線は向かいにある喫茶店の出口の一点に向けていた。


 カランカランと扉が開き、そこに2つの小さな影が見えた。

 手の平に、嫌な汗が滲み出る。


 冬の夜空のどこかにいるであろう神様に、私は小さく祈った。

 その人影はこちらへと近づいてくる。


 私の予感よ。当たらないでくれ。



「―――どうして?」


 私の瞳孔に痛みが走る。

 神様の悪戯なんて本当に碌なものじゃない。


 私の隣でタロットカードの悪魔が正位置で微笑んだ。


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